サフランの新たな日常
ピーピー。ユヅキの部屋で何かの電子音が聞こえる。それは冷蔵庫からだった。
「冷蔵庫が開けっぱなし! サフラン、冷蔵庫さんが、熱いよ、苦しいよって言ってるわよ! ちゃんと閉めなさい!」
「え? 冷蔵庫に命はないからそんなことは言わないよ?」
「家電製品には命があるの! テレビさんもあなたに毎日楽しんでもらって嬉しいって言ってるじゃない!」
「そんな声、聞こえないよ。ヒヒ!」
「くーっ! …先月は電気毛布が動かなくなって、これまであたしと睡眠、苦楽をともにしてきた電気毛布が寿命を迎えた時にはあたしはどんなに悲しかったか…」
サフランは目の前のテレビに夢中。ユヅキの声も聞こえないようだ。
「ぐむむむ! 住んでた世界が違うから家電の死がわからないんだわ…。悔しい! …あ、そうだ! お母さんに電話しよう! サフランのことがあったから間が空いたわ!」
ユヅキは部屋を出てスマホで母に電話をかける。
「お母さん! 最近、奇跡が起こったの! 魔法使いみたいな、僧侶の女の子と出会って、怪我をした人を次々と治してもらったの! 名前はサフラン! きっとお母さんの脚の病気も治してくれるわよ!」
天に向かって喜ぶような娘の声。先日までのユヅキは暗く、いつも落ち込んでいた。電話の向こうの母、星山美月は怪訝に思いながらもユヅキに合わせる。
「そうなの。それはよかったわね。…ええ、私もその子に会ってみたい。…ふふ。じゃあね」
スマホを切った母美月は自分を手術させたいから、娘が嘘をついたのだと思った。無理をして明るく振る舞ったのではないかと娘の心配をした。
サフランの大活躍は毎日続いた。サフランが透視、回復を成功させるとユヅキは手を叩いたり、小さく飛び跳ねたりして喜ぶ。何とも純粋な人だ。サフランは微笑んでしまう。
こちらの世界は画像診断が盛んだと聞いていたが、MRIという人を輪切りにして見る機械も全ての人間に使える物ではないらしい。初期の妊婦やペースメーカーなどを付けた人などが使用不可とのこと。
サフランはレントゲン写真を見せてもらったことがあるが、非常に難解。医者でも見慣れた人間でないと判断がつかない場合があるらしい。それに比べて宝箱の呪文は人の内部がそのまま見える。サフランには宝箱の方がはるかに簡単だ。
妊婦は分娩台のカーテンを使ったり、その他の患者はうつぶせになってもらってサフランは呪文を唱える。
脊髄疾患や膝の骨挫傷、ヘルニアを言い当てて褒められるが、これぐらいのこと、カスケード病院の僧侶なら当たり前のように知っている。サフランはむずがゆい気持ちだった。
(ユヅちゃんはサフラン教に入信したも同然だから何を言っても信じてくれるけど、他の職員さんも私を信用してくれるみたい! 嬉しーい!)
透視した体内を一生懸命、下手ながらに絵にすると医者は相づちを打って手術を決断してくれる。絵やサフランの言葉から人体の理解度が伝わる、信用に足るそうだ。サフランはありがたく思う。患者を助けたいという彼女の気持ちはどこにいても変わらなかった。
帰宅すればサフランはテレビを楽しんだ。
「やっと木こりさんが仲間になった! すごーい!」
ヒヒヒと笑うサフランの周りには彼女の靴下はもちろん、通勤用の服、ユヅキの本などが床の上に散らばっている。ちゃぶ台の上には空になったプリンの容器が二つ。
「サフラン、あなた! プリンを勝手に食べたわね! 蓋にマジックで『ユヅキ』って書いてるじゃない! 何で二つも食べるのよ!」
「名前が書いてあったのは気がつかなかったよ、ヒヒ! プリンを入れ物から直接食べるのと、逆さまにしてお皿に乗せるのはどっちがおいしいかって試したんだよ。やっぱりお皿に乗せてお山みたいにした方がおいしかった! ヒヒー!」
日を追うごとにサフランの厚かましさに拍車がかかる。
「ぐむむむ!」
(なんてふてぶてしさなの⁉ あたしの家に住んでるわけだし、普通だったら食器洗いとかお掃除手伝いましょうかというはずじゃない⁉ 全くお手伝いもしない! この子の世界ってどうなってるの⁉)
異世界にサフランを送るというパディの人選には一部の目の狂いもなかった。完璧と言っても過言ではなかった。
時には就業後にエスカレーター地獄がユヅキを待っていた。サフランは動く階段を心ゆくまで楽しんだ。
「これはエレベーターじゃないから、いつまで乗っても患者さんの邪魔にならないよー!」
サフランは私服に着替えてプライベートの時間をエスカレーターで堪能。付き合わされるユヅキはまさに地獄そのもの。サフランは一時間も二時間もエスカレーターに乗り続ける。
(この子の頭の中ってどうなってるのー⁉)
サフランがこちらの世界に来て十日ほど経った頃の休日。ユヅキが電車で実家まで行こうと提案する。
「うわー、電車! 乗りたい乗りたい!」
この時にはサフランはフレアがついたブラウス、デニムのパンツを買ってもらっている。洋服店でニヤニヤしていたユヅキの顔が忘れられない。彼女はまだまだ自分に服を買ってあげたいらしい。ユヅキは金持ちだ。自分は着る物にはあまり興味がないのだが。
駅では切符の買い方を教えてもらう。お金を入れて目的地を選ぶだけ。硬貨の価値はまだぼんやりしているが、そこまで難しくはなかった。
「最近、電車に乗る人たちってICカードやスマホ決済に頼りきって、切符の買い方がわからないという人が増えてるのよ! システムエラーで切符を買うしかない時に切符売り場であたふたする人が激増してるの! なんて愚かな人たちなの! だから切符の買い方はちゃんと覚えておくべきだわ!」
ユヅキがまた謎の怒りの声をあげている。誰に向かって言っているのだろう。
(私には切符を買うの、そんなに難しくなかったよ…。この世界の人ってどうなってるんだろ…)
二人が電車に乗り込むとサフランは靴を脱いで膝立ちして窓の外を見る。
(こっちの世界は土足禁止の所ばっかりなんだよね! 私ちゃんと聞いてるもん!)
電車はゆっくりと進み、駅を出ると桜の景色が広がる。徐々にスピードを増していく。
「速い速ーい!」
桜が見えたと思えば、あっという間に川をまたぎ、また桜が花びらを飛ばしている。ピンク色の桜吹雪。そしてたくさんの花びらが電車の窓にぶつかり、水彩画を見ているよう。田園風景が見えたと思えば、人が造ったとは思えないそびえ立つビル群が見えたりする。
高速で変わり行く景色に心を奪われる。
電車が到着すると歩いてユヅキの実家があるマンションへとたどり着く。エレベーターに乗るとサフランが喜ぶ。
「お外が見えないけど、このグーンってなる感じが楽しいんだよね! お外に出ると違う所に来てるし! 私、エレベーターで遊びたい!」
「駄目」
「ケチー」
チャイムを一回押しただけでユヅキは鍵を開けて勝手に家に上がる。部屋の奥のベッドルームにユヅキの母が半身を起こしてテレビを観ていた。
「お帰りなさい、ユヅキ。あらー、あなたがサフランね。話は聞いてるわよ」
「こちらはあたしのお母さん、星山美月よ」
「初めましてー!」
「ふふふー。本当、あなたかわいいわねえ! ユヅキからよく聞いてるわよ! 病院に奇跡が起こったーってね! ユヅキはあなたに本当に感謝してるのよ!」
「ええーっ⁉ ユヅちゃんあんまりそんなこと私に言わないよ! ジュースを飲んだらコップを戻してとか、冷蔵庫は開けっ放しにしないとか、怒ってばっかり! 『コラ、サフラン、また勝手にプリンを食べたわね!』とかばっかりだよーっ!」
「それは人として当然のことじゃない! サフランがうちで傍若無人すぎるのよ!」
ユヅキの母が瞳を細めて笑った。
「あなたたち、仲がいいわね。本当の姉妹みたい」
「お姉ちゃん、大好き!」
「ぐはっ!」
ユヅキが自分の胸を押さえて苦しんでいる。
(効いてる、効いてる。ヒヒヒヒ…)
そして星山親子がサフランに、美月の脚、股関節が悪いことを説明する。話では手術を恐れる母、美月が脚の手術を拒否しているらしい。それをどうにか受けさせたいと願う娘との衝突。親がいないサフランには羨ましいような、理解が難しいような光景。
(いや…。ギルがもしも白血病の治療を受けないって言ってたら、私も無理にでも薦めたかな…)
病名も告げられないまま、サフランは美月の脚に宝箱の呪文を唱える。まるで試されているようだ。そしてサフランは大腿骨骨頭が潰れているのを認めた。
「大腿骨の血管に血が通ってない…。大腿骨がつぶれてる。…どうして!? …こんなことって、よりによってユヅちゃんの…」
病名は大腿骨骨頭壊死。サフランはこれまで患者に手術を薦めたことは一度もない。それは木こりたち、医者の仕事だった。そして彼らはここにいない。目の前の患者を救いたいサフランは美月を鼓舞する。この時、サフランには木こりの魂が宿っていた。
「つぶれた大腿骨を切除する必要があります! それから回復呪文を使えば健康な骨が生えて来ます! 術後の痛みや後遺症も残りません! このままではあなたは立つこともできなくなります! 勇気を持って手術を受けてください! 歩いたり走ったりできることは本当に素晴らしいことなんです! わかります、なぜなら私も大腿骨骨頭壊死でしたから!」
彼女の思いが言葉以上に目顔で伝わる。美月は手術を決意する。
人の骨には血が流れている。その骨の中の血流が止まると壊死してしまう。股関節の大腿骨の血が止まることによって起こる大腿骨骨頭壊死。
人工関節を付ける手術が必要だった。
人工関節の手術は痛みが残り、正座などにより脱臼の危険性があった。人工物を入れるため、感染症のリスクもある。術後の痛み、継続したリハビリも必要。半面メリットも大きい。歩行の自由や、根本的な痛みの改善もある。いずれにしても患者本人には試練が待ち構えている。
手術が終わり、美月は病室で眠っていた。二人が部屋を離れてまた戻ると、目を離した隙に勝手に美月がフラフラと立って歩いていた。
「ちょっとユヅキ~! お母さん歩いている~! 歩いてるよ~!」
「歩行器も使わないで! 何を勝手に立ってるの⁉」
「立てる! 歩ける! 嬉しいーっ! ああーっ!」
抱き合う母子を見てサフランは思った。
(セリーン様がこの人たちと合わせるために、ここに送ったのかな…。きっとそう!)




