二日目。ユヅちゃんから名字を付けてもらったよ!(1)
翌朝、サフランは不思議な匂いで目が覚めた。野菜や何かが混ざり合った香ばしい、食欲をそそる匂いだ。サフランは香りに誘われるままにふらふらとローテーブルに着いた。
「あら、目が覚めたわね。おはよう、サフラン」
「ユヅちゃん、おはよう。これ何て食べ物?」
「これはカレー。具材を冷蔵庫で凍らせておいたからすぐに作れるの。昨日のシチューとだいたい一緒よ。スプーンで食べられるからこれならあなたも大丈夫のはずよ」
テーブルに置かれたカレーライス。ユヅキが手を合わせていただきますを言うとサフランもそれに続く。スプーンですくって食べてみると不思議なスパイスと白米が絶妙にマッチしている。舌に優しい辛さ。やみつきになりそうな味だ。
「おいしーい! お米も初めて食べたよー! 柔らかくてもちもちー!」
ユヅキもカレーを口にしながら微笑んだ。
(日本のカレールーは数十種類のスパイスを調合してるの! 小麦粉でとろみもついてて誰が作っても同じようなおいしさになる…。本場インドの人でも絶賛してしまうぐらい日本のカレーはおいしいのよ! ちなみにあたしは甘党だから必ずルーは甘口よ!)
「おいしい…。ちょっと辛い」
「はい、お水」
水は氷も入っていないのに冷えていた。絶妙な温度だ。
「おいしーい!」
「あら、あなたはお水の味がわかるのね。うちはいつもミネラルウォーターを飲んでるの」
二人がカレーを食べ終わるとユヅキは冷蔵庫からデザートのような物を持って来た。蓋を開けて皿の上を逆さまにする。そして透明のプラスチックの突起をプチッと切った。山のような形のプリンが現れる。
「なにこれなにこれ⁉ 上が黒いよ!」
「上に乗ってるのはカラメル。あたしはプリンって聞いたらこれのイメージね。…あなたが寝てる間に今朝コンビニで買って来たの。ライオンさんの手紙には働きがよかった時にって書いてたけど、昨日はあなた、大活躍だったから! さあ、どうぞ」
先ほどのカレーとは違う小さなスプーンを渡される。カラメルとプリンを口に運べば、きめ細かい舌触りの良い味がいっぱいに広がる。絹でこしたようなおいしさだ。向こうには存在しない味。人生で最高のプリンだ。
「おいしーい! 冷え加減も最高! おいしーい!」
ユヅキはテーブルに両肘をついて笑顔でサフランを見ている。
(私、このお姉ちゃん大好きになっちゃったー! いっぱいいたずらして仲良くなっちゃうよー!)
サフランの愛情表現はゆがんでいた。
(ユヅちゃんはきっと私のソウルメイト! 私がユヅちゃんの力になってあげる!)
それから出がけにサフランは魂の器に向かって心の中で会話をした。
(おはよう、ギル! 昨日から星山ユヅちゃんって人と友達になったよ! 大人だけどちょっと子供っぽい人!
すごくいい人だよ! これからお世話になる! ギルを生き返らせるのはまだまだ先だろうけど私は頑張るね! まずはこっちの世界を楽しんじゃう! 医療の勉強も頑張るよ! 待っててね!)
*
病院に着くとサフランは自分専用のナース服に着替えた。胸と太ももに羽が生えた女神の刺繍がある。胸には杖を持った女神様。太ももの女神様は三日月の上でお昼寝している。
「この女神様はセリーン様! あちらの世界の人はみんなセリーン様が大好きなんだよー」
「じゃあ! あたしもセリーン様が好きになったら魔法が使えるようになる⁉」
「…うーんと、食堂のおばちゃんはセリーン様が好きだけど呪文が使えない…。うーん…、たぶん無理ー! ユヅちゃんの顔は何か信仰心が足りなそうだもん!」
信仰心とは何なのかユヅキは真剣に考えた。今後も女神セリーンについて度々疑問に思うことになる。
そして救命センターの控室でユヅキの頭は重かった。サフランに名札を用意したのだが、この説明をしないといけない。流星病院の名札は首から下げるタイプだ。
「あのねサフラン。昨日、看護師長からも言われてあなたの名前を用意したの。それでね、あなたって名字がないじゃない? あなたがヨーロッパ系の顔で名前しかないと、特にお年寄りの患者さんから色々言われて面倒くさいかもしれないの。
だから、あたしが名字を考えた。『総山サフラン』。あなたがサフランだから『総』。山はあたしが星山だから。これだとあなたが覚えやすいでしょ?
人から呼ばれて反応してもらわないと困るから…。今日からあなたは総山サフラン。よろしいかしら…」
サフランは高速で頭を回転させた。
(ライオンさんは元々、名字がなかったけど結婚してサーキス・リアム・ブラウンになった…。木こりさんのパディ・ライスも本当の名前じゃない…。ギルもスプリウスおじいちゃんも生まれついての名字はないって言ってたけどたぶん嘘。二人とも生まれた時から聖騎士だったらしいからきっと高貴な出身。
スプリウスおじいちゃんもきっと名前を偽ってる…。みんなそれがかっこよかった…。嘘の名前、もう一つの名前、後から付けられた名字…。かっこいい! 私は総山サフラン!)
サフランはパッと笑顔になった。
「私、総山サフラン! 新しい名字! 総山!」
ユヅキが愁眉を開く。はちきれそうな笑顔で尋ねる。
「総山サフランさーん?」
「はーい!」
「総山サフランさーん!」
「はーい!」
(んーー! 総山サフラン! かっこいい! このことみんなに伝えたいよ!)
今日からサフランたちの本格的な仕事が始まる。昨日の救急科だけではなく、全ての科をまんべんなく回って欲しいと頼まれる。熊田看護師長が言うにはここの院長たちが色々と試案を出し合ってそう決めたそうだ。効率を考え、サフランが消耗しないようにと配慮が伺える。
ギルの治療のためには流星病院の院長に必ず会っておきたい。そのためには信用を稼ぐ必要がある。
サフランたちが最初に向かったのは終末期病棟。老衰や治療不可能な病気で緩和ケアのための場所らしい。
「患者さんたちに最期の時間も穏やかに過ごして欲しい、そういう病棟よ。あなたの世界にもあった?」
「カスケード病院はここみたいに大きくなかったから、病室で違ったかな…。患者さんも人数が全然違うし…」
そしてサフランが回復呪文をかけたのは腕を骨折した患者。ベッドから落ちて骨折したらしい。こちらの世界では骨折は石膏で固めて自然治癒を待つそうだ。信じられない。悲しい気持ちになってしまう。サフランが離れた場所から回復してやると患者は怪訝な顔をしながらも喜んでいた。
二人目は看護師のミスで手をすべらせて、お年寄りの患者を転倒させ骨折させてしまったとのこと。二人目の患者を回復させてやると、中垣さんという看護師は泣きながら喜んでいた。
「さっき、治してもらった、花田マリさん! もう痛くないって! 腕が勝手に治ったみたいに痛みがなくなったって言ってた! すごく嬉しそう!」
中垣という看護師の瞳から大粒の涙が流れている。
「花田さんは私が手をすべらせて床に落としたの! 私が人から呼ばれた時にうっかりして! 私のせいで花田さんが骨を折って…。激痛だろうに、私を全然責めなかったんだよ! 今まで彼女、『気にしないで』って無理に笑顔を作ってた! 私、私、苦しくて…。ああーっ!」
中垣は床に膝を付けて号泣。サフランが彼女の頭をなでる。
「よかったね、よしよし」
サフランは急にカスケード病院のおじさん僧侶たちのことを思い出した。
(こんなの見ちゃったら、おじさんはみんな感涙してるよ!)
もし自分以外の人間がギル救出のためにこちらに来ていたら、この仕事の使命と境遇に誰もが感謝、感激したであろう。サフランはこちらの人々から幸福を分けてもらっているようだ。そうおもんぱかる。
「さて移動よ。次は循環器外科。心臓病などの科ね」
そして二人は移動。途中でガラス張りのエレベーターに乗るとサフランは大喜び。
「ヒヒ、ヒヒー! 透明のエレベーター! 透明の箱が上に動いてるよ! た、楽しい! 最高、ヒヒー! …あ、着いた。もう終わった…。ユヅちゃん、今度は下に行こ」
「駄目! 仕事中! 他の患者さんたちに迷惑になるわ! あなたがこれを独占したら足が不自由な人が困るでしょ!」
(なるほど…。私も脚が悪かったから、こういうのがあったら助かったな…。ちょっとわかる)
(前に見たテレビで…。田舎の島から本州に修学旅行で遊びに来たって人が言ってたわ…。初めて乗ったエスカレーターが楽しくてみんなで日が暮れるまでそれに乗ってたって…。サフランもそんな気持ちなんだ…。あたしにはちょっと理解が追いつかないけど…。危険だわ…)
ユヅキが歩きながら隣のサフランに言う。
「ライオンさんはお医者さんだったのよね。木こりさんの胸を切ったから僧侶を辞めることになったって。それで心臓外科医を名乗ってたのよね。お医者さんのライオンさんってどんな感じだった?」
「すっごい器用な人だったよ! 誰も真似できないぐらい糸で縫うのが上手だった! あんまり上手過ぎて、お師匠様の木こりさんはライオンさんの前で絶対に手術をしなかったもん! 全部ライオンさんにやらせてた! 木こりさんはライオンさんのいない所で、『自分はサーキスより手術が下手だから恥ずかしい』って、こっそり漏らしてたよ!」
「へえ! ライオンさんは頭もよかったのよね! お手紙も綺麗に書いてたし!」
「頭の良さは、ええっと、うーんと…。病気を調べる時は慎重だった! みんなの意見を聞いてたよ! 独りよがりにならない。一人でも反対意見があれば必ず耳を傾ける…」
サーキスは自分が頭が良くないという自覚があり、己に自信がなかった。その分、向上心は高く努力家。彼のことを皆が口をそろえてストイックと評価している。
「素敵。あたしと年齢も近いし、気が合いそう! 会ってみたい!」
(たぶんユヅちゃんとライオンさんが出会ったら喧嘩になるよ…。絶対に会わない方がいいよ…)




