茨の道かと思ってたけど優しいお姉ちゃんと出会ったよ!(1)
「あれあれー? ここどこー?」
サフランがポータルから出て来た場所は白を基調とした手術室。静謐さと緊張感が同居する空間だった。天井には無影灯が幾重にも吊り下げられ、患者の身体を影なく照らしている。
「んー、何かここって病院の中みたい! 予定と全然違うなあ!」
数歩歩いてみれば、床は滑りにくい特殊な材質、手術台の周りにはモニターや医療機器が整然と並んでいる。空調は先ほどと違う一定の温度と湿度、わずかな機械音が響く。
パディやドレイクが言うにはこちらの世界に来る時には本当にどの場所に出て来るか予想がつかないと聞かされていた。病院の中らしき場所に飛ばされてサフランの頭の中には疑問符が浮かぶ。
サフランは勝手に手術台に近づいて患者の患部をのぞき込む。
「あれー? 患者さんが怪我してる! 痛そう! 怪我して病院に来る人って本当にいるんだ! やっぱりこっちは変わってるー! ふーん、膵臓がやぶれてるのかー。…ラフルマーマ・ナロウコレクト・ボウンバックライン…」
サフランが呪文を唱える最中に、ここで医者が誰かに命令した。
「星山! こいつをつまみ出せ!」
「ハリームーア・ロミキューア・キドネティ・リアムピトロ…」
サフランは眉間にしわをよせるが、意識は患者に集中させている。
(ちょっと駄目だよ、お医者さん! 私は呪文を唱えているんだから!)
「……ブルイート・クリンアング・完全回復!」
患者の体が光った。今までバイタルの異常サインを出し続けていた機械が途端に大人しく鼓動のリズムを刻み出す。
中年の女性の声が驚きながら言う。
「血圧、安定しました。バイタル正常です…」
(助けられてよかった…)
安堵するサフランとは反対に医者が慌てている。
「あー! 針が! 針が!」
患者の完治したお腹の中から先生の縫合糸が何本も飛び出している。これはパディが普段から懸念していた事故だ。サフランは初めてこんなとんでもないミスを犯してしまった。
(違う世界に出て来て、いきなり患者さんに出会ったから確認を忘れてた! こんな失敗したら木こりさんからもすごい怒られるし、ギルからはお尻を叩かれてるところだよ!)
「ごめんなさい! ちょっと待ってね…」
サフランは見たこともない世界で大きくリズムを崩していた。
(いつもの調子を取り戻さないと!)
サフランは宝箱の呪文を唱える。
「……テュアルミュールソー・リヴィア・宝箱。…曲針が八個、鉗子が四本、お腹に入ったままだね」
医者がサフランの顔をのぞいて驚いた。
「あんた、透視もできるのか⁉」
「うん! でね、お医者さん先生、またお腹を切って。針と鉗子を取ったら少しだけ患者さんを回復してあげる。最後の縫合はちゃんとやってね。そうしないと手術したように見えないから!」
「あ、ああ…」
「あとちゃんと膵臓も治ってるよ!」
医者が腹を切り始める。サフランを一瞥したその瞳にはかすかに感謝の色が見えた。
(やっぱりこっちには僧侶がいないんだ…)
思慮深いサフランは腕組みをしながら、こちらの医者の腕前を見ようとした。その矢先。
「あなたって魔法使いなの⁉」
看護師らしき女性から感激と驚きが入り混じった声。
(ええ⁉ もしかしてこの人⁉)
女性はマスクと帽子のせいで瞳しか見えないが、サフランを見るその目は輝きに満ちている。今起こったことを信じ切るような、真っ直ぐな疑いのない視線。
(この人だ! いや…いけない、いけない…。木こりさんに言われたセリフ…。ちゃんと言わないと…)
「私は魔法使いじゃなくて僧侶! 魔法使いは攻撃系の呪文、僧侶が回復系の呪文を使うの! こっちの世界の人はベタな間違いをするって聞いたけど本当だなあ!」
(よし、ちゃんと言えた。でも言う必要ってあったのかな…?)
「あたしは星山結月! あなた名前は⁉」
「私はサフランだよ! よろしくね!」
スタッフ全員がこの光景に啞然としている。それからしばらくして職員の一人が、縫合中の先生に報告した。
「付近で大事故があったそうです。五人が重軽傷。何人…、受け入れますか?」
医者がサフランに相談した。
「怪我人、五人が今いるって。あんた全員治せる?」
(このお医者さんも私のことを信じてくれるんだ! ふふん! ありがとう!)
サフランは偉そうな顔で胸をドンと叩いた。
「サフランに任せておけば楽勝だぜ!」
*
その後、交通事故に遭った負傷者がずらずらと運ばれて来た。患者は手術台に移さずにストレッチャーのまま処置をする。
「お姉ちゃん、患者さんたちに目隠ししてもらって」
「そうか! そうよね!」
サフランの指示で怪我をした患者たちにタオルで目隠しをする。そしてサフランが小声で呪文を唱えて傷を治す。
「あれ、痛みがなくなった…」
患者が怪訝な声でつぶやくが、ユヅキはそれを許さない。
「駄目です! 患者さんは事故の興奮状態で傷の痛みを感じなくなっているんです! 重症ですからそのままおとなしく!」
ユヅキはそう言ってサフランにウインクを飛ばす。
(このユヅキっていうお姉ちゃんノリノリ! …この人だよね⁉)
サフランは怪我をした患者を回復させるが、勢い余って傷を全回復させてしまう。
(あわわ。表面だけ傷を残してお医者さんに縫合して欲しいのだけど、そんなこと一度もやったことがないから加減がわからない。ギルとかがそういうのうまそうだけど…)
「ごめんなさい、お医者さん先生。メスで表面だけ切って縫合してもらえる?」
小声でサフランがお願いすると、医者は親指を立てて言われるままに手を動かす。
「あいたた…」
患者が苦痛を漏らしている。若干ではあるが陰惨な事故後の病院に戻った。
次の患者もサフランが回復させるとユヅキが小さく手を叩いて喜んでいる。
(この人だよね⁉)
サフランの周りに集まる職員は驚いたり感心したりとする中、一部、遠巻きに冷えた視線で観察する人間も一定数いた。視界が狭く、周りが見えていないユヅキと反対にサフランは冷静に現実をとらえていた。
(やっぱり私はこちらの全ての人間から受け入れられるわけじゃないんだ…)
ふと見上げるとユヅキのキラキラとした瞳と目が合う。
(でもこのお姉ちゃんと一緒にいればきっと大丈夫そう!)
「それからお医者さん先生」
サフランがまたアドバイスを出した。
「患者さんの家族とお話する時はおでこに霧吹きで水をかけてね。『汗かきました。とっても難しい手術でした。全力で手を尽くしました』アピール。そんな余裕しゃくしゃくみたいな顔で出て行ったら駄目だよ! 説明する時は眉間にしわを寄せてしゃべってね!」
医者は笑い出した。
「わははは! それは君が考えたアイデアか!」
「これはあっちの世界の人の受け売り! あっちの人は悪知恵が働く人ばかりだよー!」
(ほとんど木こりさんの考えだけど! 木こりさんの言った通りになってるよ! 本当にすごい!)
あんなにいた怪我人たちの治療もあっという間に終わった。サフランはユヅキに連れられて更衣室まで同行する。ユヅキが帽子やマスクを取ると背中に届く長い髪が見える。少し茶色がかかっている。
「これはビゲンフォーよ! 病院の規定で決まってるの! …中には金色近くまで染めてる人もいるけど、あたしはそんなのが許せない! 節度は守るべきだわ!」
突然、怒りと己の主張を展開させるユヅキ。サフランには何を言っているのかわからない。
(ちょっとカカシさんに似てる…? …かな?)
それから休憩室まで連れていかれる。ユヅキはサフランより身長が五センチほど高い。細身の体型だ。
「サフラン? あなたって違う世界から来たの?」
「そうだよ! それから私の職業は僧侶兼看護師! 今、スレーゼンで増えてる職業だよ!」
「スウェーデン?」
「スウェーデンじゃなくてスレーゼン! スレーゼン市は私が住んでた所! また間違い! こっちの人はピンポイントでベタな間違いばっかり! 聞いた通りだよー!」
それから二人は年齢や素性をひと通り話し合う。サフランは十六歳、ユヅキは二十四歳。職歴はサフランの方が圧倒的にベテランでユヅキはたじろいでしまう。
そして休憩室に看護師長が入って来る。髪の毛がもじゃもじゃのおばさんだ。
「あなたたちもう仲良くなってるのね。初めまして。私は熊田藤子。救急救命センターで看護師長をやっています」
「こんにちはー! 私、サフラン! 名字はないよ!」
「星山さん。サフランの能力って?」
「年齢十六歳、回復の魔法と透視の魔法が使えるみたいです。看護師歴七年目のようです」
「なるほど。…サフラン? おばちゃんねえ、あなたにここで働いて欲しいの? 大丈夫?」
(やった! もう仕事場が見つかった!)
計画ではサフランはパディの手帳の情報から、公衆電話を使ってパディの知人に連絡し、働き口を紹介してもらう手はずだった。余談だがパディの本名は田中米男。その相手も口が堅く、田中米男の生存を信じてもらうだけの頭の柔らかい人物をピックアップしていたのだが、相手は限定されていた。非常に苦しい狭き門と言ってよかった。
そしてサフランの方も電話のシステムを勉強させられたが、離れた相手と会話するという機械に、どうにも理解が追いついていなかった。
サフランには職場を探すことは計画の初めにして大きな難関であった。それがこうして何の苦労もなく職場が見つかる。たいへんな幸運だった。
(木こりさん、やったよ! きっとセリーン様のおかげだね!)




