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サーキスたちの日常、それからギル(2)

 レナとは反対に息子のマークの信仰心はほぼ皆無とのこと。両親は気にすることではなかった。健康に育ってくれれば何よりだ。

「まあ、エリン。お前はきっと頭がいいから勉強の方を頑張れ。シム先生からいっぱい勉強を習えよ」

「うん。勉強の方が楽しい」


「よしよし。レナは勉強好きか?」

「む、難しい…。シム先生は面白いけど…。シム先生にぶら下がるのは楽しいよ!」

「僕もシム先生にぶら下がって宙に浮いたよ! 毎日やりたい! 孤児院の子たちは飽きるほどやってるらしいね! 大空に飛ばせて欲しいけど、それは危ないからやっちゃダメって。たまに孤児院にドラゴンが来るけど、まだ僕は乗せてもらってないんだ。乗りたいなあ…」


「レナも乗りたーい!」

 三人がおしゃべりに興じているとあっという間に孤児院に着いた。

 ラウカー寺院に着くと、庭では黒いロングヘアの少女が目を閉じて座禅を組んでいた。

「カシミアちゃん、おはよう!」


 カシミアが目を閉じたまま返事をする。

「その声はレナか。おはよう。しかし、瞑想中に人の声が聞こえるなんて私もまだまだだ。真の剣術家はまだ遠い…」

 カシミアが立ち上がって青い瞳を開く。少しだけたれた瞳に、への字の口。釣り上がった眉。親の遺伝子を受け継いだ顔だ。


「おいおいカシミア。前から言っているけど女の子がそんな言葉づかいは駄目だぜ…。お前はかわいいんだからもうちょっと女らしく…」


「考えが古いぞ、ライオンさん! 女らしく、男らしく。男は外へ出て働き、女は家にこもって家事をする。力仕事は男、裁縫は女の仕事。おかしいとは思わないか。ライオンさんは得意の裁縫の技術がなかったら今の師匠に医者としての道を開いてもらえなかったのではないか。今のライオンさんのおかげで助かった命は数知れない。それがなかったらこの街の損失は計り知れない。適性で職を選べない社会に人々の利益は多くないぞ!」


「お前、年いくつだよ…。…これはシム先生の受け売りだな」

「ギクッ。し、知らないぞ。今のセリフは一生懸命に覚えた…じゃないぞ!」

 そこにスプリウスが現れた。

「おはようサーキス」


「じいちゃん、じいちゃん、じいちゃん、じいちゃん!」

 カシミアがスプリウスの体によじ登る。

「カシミアはじいちゃん大好きだな」

「スプリウスおじいちゃんはみんなの人気者だもん!」


 サーキスが家の中に入ると食卓ではサフランが朝ご飯を食べていた。

「おはようサフラン。食べるの遅いな」

「イヒヒー! 寝坊した」


 その隣ではお手伝いさんのアデリスが二人の子供の食事の世話をしていた。二人ともギルの子供だ。名前はカタリナとマリウス。サーキスが「おはよう」と笑顔で声をかけると二人の子供はキャッキャッと笑った。

(カタリナとマリウスはよく笑うぜ。安心だぜ)


 父親であるギルはこの時間にはもうカスケード病院で仕事をしていた。周りも感心する働き者だ。サーキスが言った。

「それじゃあ、レナお行儀良くな! みんなと仲良くしろよ! 親っさん、アデリスさん、ミア、よろしくお願いします! サフラン、俺は先に行くぜ!」


 サフランが食事を続けながら言う。

「ライオンさんと手をつないで通勤したかった」

「また今度な! …でもドロシーにそんなところを見つかったら…。ま、いっか」

「いってらっしゃーい!」


 サーキスは一人スタスタと歩いてライス総合外科病院・婦人科まで急ぐ。最近のもっぱらの勤務場所だ。カスケード病院は変わらずパディ・ライスが院長として常駐、近頃は師弟が別れて仕事をしている。

「あのおっさんから離れられて最高だぜ! 幸せをかみしめるぜ!」

 サーキスは二十五歳にもなって独り言をやめられなかった。スプリウスからは子供の頃と全く変わらないといつも笑われている。


 サーキスがライス総合病院に着くとリリカが待合室で片付けものをしていた。出勤したサーキスにリリカから声をかけられる。

「エリンは何か言ってた?」

「ああ…。セリーン様のお祈り楽しくないって言ってたぜ…」


「まあ、僧侶の才能はなかったみたいね。ちょっとがっかりしたけど仕方ないわ」

「お前、さっぱりしてるな! 全然がっかりしてない」

「まあね。でも魔法使いにはなれるかもしれない…かな? 無理かな? ははは! 健康なら何でもいいわよ! 心臓も健康そうだし!」


「わはは!」

 リリカとサーキスが笑っていると、待合室に座っていたお腹の大きな女性から声をかけられた。

「先生たちって恋人同士? とっても仲が良さそうだわ」

 事情を知らない患者からはたまにそう言われることがある。


「いえ! あたしたちはそれぞれ違う相手と結婚しています。さっき話していたのもあたしの子供の話です」

 リリカとサーキスは、昔は人からお似合いと言われるたびに嫌悪感が走っていたが、今は全くそんなことはない。二人は姉、弟のようにお互いを慕っていた。たまにサーキスがリリカに「姉さん大好きだぜ!」と冗談を言い、「やめなさいサーキス。ファナに聞かれたらあんた、犬小屋行きよ」とリリカは咎めるが悪い気はしないようだ。


 そして診察が始まる。元々一つだった診察室は部屋の中央にパーティションのような壁を立てて部屋を二つに分けていた。婦人科用とその他の患者用。女性特有の病気は主にリリカが受け持っている。一見クールな印象の婦人科医は内に熱い魂を秘めている。


 過去にダリア・アリッサムの堕胎をすんなり受けなかったリリカだ。患者の人生に必要以上に入り込み、周りの人間の力を借りて時には力技で問題を解決したりもしてきた。多少、本業から逸脱しておせっかいだと人から言われることもあるが、医者としても優秀で患者からの評判は非常に良い。


 リリカの隣で看護師を務めるのはプリーステスのサフラン。相手によって態度を変えるサフランはリリカの前ではお行儀がいい。それから男の看護師が五人ほど遠巻きに患者を眺めている。

 サーキスの方はパディの手から離れて最近、非常にご機嫌。医者になって五年以上が経つが、わからないことが圧倒的に多い。そんな時は隣にいるリリカに訊けば大抵解決する。それでも毎日の予習復習は欠かせない。


 患者を救いたいという意欲は高いが、いまだにギルやサフランからも学ぶことがある。頭の良さは彼らにはかなわない。

 数年前からカスケード病院では新たな医師を募集していた。希望者はわんさかやって来たが、パディの指導について行けず、去って行く者は多かった。僧侶ではない人間には人体内部の知識習得は容易ではなかった。


 それからカスケード病院から派遣されたライラル・ディアを含む、三人の人間が帰って来た。三人の元僧侶はよんどころない事情により、サーキスのように刃物を人に当てて僧侶を辞めている。医者になるしかなくなった三人はパディ院長の厳しい叱責を浴びながら今日も勉学に励んでいる。医者として生きて行く以外に道がない三人は今日も涙を飲んで医師への修行に耐えている。


 ライス総合外科病院のサーキスは悠々自適だ。

(ライラルさんたちには悪いけど、パディ先生から解放されて俺の仕事は快適だぜ! …おっとおっと、緊張感! 気を引き締めて患者さんを診るぜ!)

 その隣ではリリカが妊婦の診察を行っていた。先ほどサーキスとリリカを恋人と勘違いした女性だ。


「さっきはごめんなさいね。ふふふ」

「いえいえ。たまに言われますから」

「私は家がちょっと遠い所なんだけど、旦那が心配性で一度ここで診てもらえって。この病院は評判がいいからって。大げさよね」


 サフランが妊婦のお腹を透視していると何かをつぶやいた。

「胎盤が厚い…」

 リリカは血の気が引いた。


「それに胎盤と子宮壁の間に少量だけど血がたまっている…」

 サフランは難しいことを言い当てた。並みの僧侶兼看護師ではできないところだ。そしてサフランは病名を言う。

「これは常位胎盤早期剝離の疑いがあるよ」

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