月日は流れ(1)
「うえーん、また先生に怒られてたよー! 三十分もくどくどくどくど…。うえーん! あのおっさんマジで嫌だー! サフランなぐさめてくれよー!」
ナタリー食堂ではまたサーキスがくだを巻いていた。
「よしよし。私だけがライオンさんの味方だよ。頭をなでてあげる」
「ぐす…。優しいサフランありがとう! おばちゃん、サフランにプリンをやってくれ!」
「ヒヒ―!」
そんな二人にナタリーが顔を引きつらせている。
「サーキス、あんた大丈夫かい…。いつもサフランにいいように奢らされてるよね…。…それより、外を見てみてよ…」
外はどしゃ降り。そんな中、セレオスとバネッサが抱きしめ合っていた。
「おー、セレオスさんとバネッサお姉ちゃんってお付き合いしてるの?」
サフランの問いにサーキスが冷静に答える。
「いや、違うぜ。あの二人はとてもこじれてるぜ…」
サーキスは全力で二人の仲を取り持とうと努力した。一度、セレオスをバネッサの家の畑に連れて行ったことがある。そして子供と畑仕事する黒髪のバネッサが見えた。それを遠巻きで眺めながらサーキスがセレオスに諭すように言った。
「セレオスさん、バネッサの家は孤児院から身寄りのない子供を引き取って、バネッサはそいつを自分の弟にしたぜ。引き取った子供を単なる労働力としたくない、本当の家族のように接したいってバネッサからの要望だったぜ…。うちはジョセフを使用人として雇ったけど、家族として迎え入れる考えまでには至らなかったぜ。ま、うちの家庭の事情もあるし、ジョセフが嫌がるだろうってのもあるけどな…。
なあ、セレオスさん。バネッサは尊敬できる女性だぜ。ちょっと付き合いを真剣に考えてもらえないか?」
そうしてセレオスはバネッサとまずは友人から始めることになる。二人はくっついたり、離れたり。サーキスとファナは二人をやきもきしながら眺めることになる。
ナタリー食堂ではサフランがおいしそうにプリンをすくって食べている。そのはす向かいに座るサーキスが言った。
「恋愛小説を読んでたら男と女が恋人になるまで数か月、はたまた何年もかかったりするじゃねえか。みんなそんな経験をして結婚するって思ってた。俺の場合は普通にしてたらファナから好かれてあっという間に結婚しちまったから、恋愛初心者のまんまだぜ。セレオスさんにうまいアドバイスもできないぜ」
「ヒヒ―!」
*
それからさらに日が移ろう。
夕方のカスケード病院では午後の最後の手術が終わり、ちょっとした反省会ようなものが行われていた。院長のパディがサーキスに質問を投げかける。
「さて、サーキス。今日の最初の患者さんについてだけど」
(ええー⁉ 俺は手術した患者さんは覚えてるけど、非手術治療の患者さんは頭に残らないんだぜ⁉)
「えーと…」
「まさか、覚えてないのか⁉ 君は手術にしか興味がないのか⁉ 手術しない患者はどうでもいいのか⁉」
とパディからの苦言が始まる。数分間説教が続き、サーキスはすでに涙を流している。周りはまたかとしらけた雰囲気。それからパディがサフランに言った。
「さて君はわかるかな?」
「うん! 上部消化管穿孔! 軽い腹膜炎だったから木こりさんが抗生物質をお注射したよ。患者さんは現在入院中。絶食して経過を見るよ」
「どうして君は別の病名を言ったんだい?」
「うん! 上部消化管穿孔と腹膜炎は別の病名だけど、密接に関連する状態なんだよ。簡単に言うと、穿孔が原因で腹膜炎が起こることが多いんだよ。前にも木こりさんから習ったもん!」
「素晴らしい、百点の答えだ! …おい、サーキス! 子供のサフランでもわかってるんだぞ! 先輩、しかも大人の君が覚えてなくてどうする⁉ そもそも君は医者だぞ!」
「ごめんなさーい!」
「ごめんね、ライオンさん。今度、木こりさんから訊かれたら私はわからないフリをするね!」
「ありがとうサフラン!」
「ヒヒ―!」
「サーキス、それが駄目だと言ってるんだ!」
パディからの怒号が飛んだ。サーキスは諦めた顔をする。
「…もういいぜ、どうせ俺は医者に向いてないぜ…」
サーキスは白衣を脱いでサフランに手渡す。
「もうお医者さんなんか辞めてやるぜ!」
「辞めてどうするんだ」
「出家する! 僧侶になる! また親っさんの弟子になって一から僧侶の修行をやり直すぜ! あばよ、おこりんぼうのパディ先生!」
行ってしまうサーキスにサフランは眉根を寄せてパディを見上げる。
「木こりさん…」
「サーキスめ…」
夕方とは言え、夏日で今日はまだ日が高かった。サーキスが孤児院まで行ってみればかつての師匠スプリウスはなぜか半笑い。
「お、お前がまたワシの弟子になれると思っているのか! ば、馬鹿者…。クク…、クスクス…」
スプリウスは懸命に笑いをこらえている。
「前は僧侶だったんだ! またなれるに決まってるだろ⁉」
「お前の信仰心はまたどんと減ってるぞ。ま、今はファナさんぐらいだな」
「そうなんだ! …まあ、その…」
「病院の仕事を途中で投げ出す奴には僧侶にはなれん! 破門だ! 破門! クククク…」
スプリウスは笑いながら扉を閉めてサーキスとの話を打ち切った。
「まだ入門もしてないから破門もないじゃないか…」
サーキスが家に帰ると今度は畑で働くフィリアに言った。
「なあ、ばあちゃん! 俺、医者を辞めて専業の農家になろうと思うんだ! やっぱこれからは農業の時代だぜ! 明日からよろしく頼むぜ!」
「あんた、今さっきスプリウスさんの所に行って来たね。そして弟子入りを断られた」
「ギクッ! 何でそれを…⁉」
「以前からパディ先生に言われてたんだ。いつかあんたが医者を辞めるなんて言い出すって。それで僧侶になるか農家になるって言うから病院に追い返してくれってあたしとスプリウスさんに言われてたんだよ。パディ先生はあんたの行動パターンなんかお見通しだよ。リリカちゃんが言ってたけど、先生は家じゃあんたの話ばっかりするんだってよ。パディ先生はあんたのことが大好きなんだよ。リリカちゃんは本当に気持ち悪いって言ってたよ」
「気持ち悪いよ…」




