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僧侶たちの旅立ち

 手術室で今日もサーキスが執刀に成功すると、部屋の隅の僧侶たちが騒ぎ出していた。

「サーキス、サーキス!」

「ブラウン、ブラウン!」


 十数人の僧侶がいる中で騒々しいのは三人の僧侶だけ。その男たちは眼帯、頬に傷、口に傷と、人相の悪さがさしずめバレンタイン寺院の僧侶のよう。この三人、過激なブラウン派として病院内で悪名を轟かせていた。

「ちょっとライラルさんたち! うるさいですよ!」

 パディが注意するが、ガラの悪い男たちは騒ぎをやめない。


「やっぱブラウン先生はカッコイイぜ!」

「よ、男の中の男!」

「サーキス、サーキス!」

 サーキスコールに、サーキス本人もノリノリだ。両手と腰を動かしてリズムに乗っている。それから騒ぎの三人は呪文で口を封じられ、サーキスはパディから怒鳴られた。


    *


「…突然パディ先生が倒れて…。急にパディ先生の心臓が悪かったなんて聞かされて俺は動揺してしまった。その場にいたのは薬屋さんと、フォードさん、超ぶきっちょのリリカだけ。俺が先生の手術をするしかねえじゃねえか!」


 ナタリー食堂でサーキスと過激なブラウン派の三人の僧侶が酒を酌み交わす。話題はサーキスがパディの心臓を手術した時のことだった。ライラル・ディア、コリウス、チェンスの三人はうなずきながら酒をたしなんでいる。


「俺が先生の手術をした決め手は、俺がそのまま家にのこのこと帰ってもうちのばあちゃんから怒られるのが目に見えていたからだぜ。『こら、サーキス! 先生の手術をするまでうちの敷居はまたがせないよ! さっさとパディ先生を助けて来な!』って! 俺は帰る家がなくなっちゃうから嫌々パディ先生を助けたんだぜ」


 眼帯のライラルがゲラゲラと笑った。

「嘘だね! サーキス、お前、パディ先生のことが大好きだもん! …たまによ、パディ先生が急用とか病欠した時、お前が一人で診察したり、手術したりしてるけど、めっちゃキョドってるもん! 診察室で患者を診てる時は自信がなさそうだし、声は小さいし! 術後も一人でめそめそ泣いてるしな。クク!」


 他の二人も同意する。

「そうそう! パディ先生がついてる時はサーキスの目の輝きも手の動きも全然違う! 安心しきってる!」

「先生から、『サーキス、今のはよかったぞ』とかボソッと褒められたらお前の喜びようときたら! 天に昇る心地とはお前の表情そのものだぜ! ぎゃははは!」


「ドクターブラウンはパディ先生大好き!」

 三人は馬鹿笑いする。サーキスは顔を真っ赤にして怒りと恥ずかしさで三人を睨みつけている。

「違う違ーう! 俺はパディ先生なんか大嫌いだー!」

 笑いが飛び交うその横を金髪のベルベットがそっとつまみを置いて行く。この三人はセルガーに雰囲気が似ているとふと微笑んだ。


    *


 カスケード病院が設立して二年が過ぎた。この日、カシムという僧侶が病院を発ち、王都の方へ旅立った。カシムはパディの、ライス総合外科病院での二番目の弟子。

 国王はスレーゼンの一極集中を良しとしておらず、国全体の利益を考えていた。そして病院に助成金を払い、看護師を育成し、優秀な者から全国(ガルシャ王国内)へ派遣させるように約束していた。


 僧侶やパディたちはお互いに別れを惜しみつつ、優秀な看護師が一人、また一人とカスケード寺院を去り、医療過疎地を救うべく、異郷に流離した。

 眼帯のライラルも優秀な看護師で比較的早く、カスケード病院を発つことになった。病院の皆が見送る中、過激なブラウン派、ライラルは大笑いだ。


「俺はちょっとばかり田舎の方に飛ばされるみたいだな! 俺は王様の看病とかしたかったのによ! ま、俺みたいなのがお城に行ったらみんなビックリだったろうけどな! いい人選だと思うぜ!」

「ライラルさん、頑張ってよ! 手紙書くよ!」

 サーキスとライラルが抱きしめ合ってお互いのこれからの人生を称え合った。


 ライラルが行った先はひっそりとした片田舎だった。特に彼は気にも留めなかったが、そこの町長や町人たちは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。この日、外は大雨が降っていた。

 新しい病院の中でライラルは大声で自己紹介をした。


「俺はカスケード病院から派遣されて来た僧侶兼看護師のライラル・ディアだぜ! よろしくな! あんたらの健康は俺が守るぜ! 大船に乗った気でいやがれ! ガハハハハハ!」

 眼帯で人相も言葉づかいも悪い。威厳あるカスケード寺院の僧侶と百八十度イメージが異なる。おずおずと町長が訊いた。


「ライラル・ディアさんはお一人のようですが、奥さんは…。もしかして単身赴任でしょうか…」

「ぎゃははは! 俺は独身だぜ! こんなふうに顔が悪いから女にモテねえの! 他の僧侶どもは若造に頼んで結婚相手を探してもらってたけど、俺がそんなみっともない真似ができるかっての!」


 ライラルは誰の断りもなく、病院内の棚などをガチャガチャと開けて中をあさり出す。機嫌よくしゃべっていたかと思えば急に悲壮感に溢れたどん底の顔をする。

「…本当は俺もギルに結婚相手を紹介してほしかった! 勇気がなかった! 恥ずかしかったんだ…。俺も結婚したかった…」


 ライラルは次に机の引き出しを、あらゆる場所を勝手にチェックした。

「独身って言えばよ、重病の患者ってだいたい夫婦で病院にやって来るもんなんだ。たまーに一人で来る中年男がいるけどよ、それをパディ先生が、『奥さんは?』って質問して『僕は独身です』って返事が来るの。みんな気をつかってその場がシーンってなる。俺はその患者の気持ちめっちゃわかるぜ。…苦しい! 心臓が苦しい! ぐわーっ! …あ、これパディ先生の真似! カスケード病院の院長は都合が悪いとすぐに心臓心臓言うんだぜ! ぶわはははは!」


 町長たちは待望の僧侶兼看護師が来ると喜んでいたが、このすさまじい肩透かし。

「今日来た僧侶は大ハズレだ…」

「はい、カスケード病院に僧侶を変更したいって内容の手紙でも送りましょうか…」

 町長とその配下はコソコソと話し合ってその場を去って行った。


「あの僧侶、冗談を言っていたみたいですが、うちわネタが多すぎる…。お笑いのセンスもガッカリです…」

 取り残されたライラル。彼は部屋を見渡せば角にいた三つ編みの女に気がついた。

「あんたは?」

「サフィニアと言います。魔法使いで看護師をやってます」


「やっぱり魔法使いがいないとな! ここのお医者さんは?」

「先生は遠方へ往診に行っています」

「ふーん」

「それよりも病院の中の物を勝手に触らないでください」


「ごめんごめん」

 外を見れば雨粒は次第に大きくなっていく。ライラルの門出には縁起の悪い天気だが、能天気な彼は飯でも食べようかと考える。そんな中、患者が運ばれて来た。

「息子が! 息子が倒れた!」


 急患の少年は脂汗を流して苦しんでいる。自力で起き上がることもできないようだった。ライラルが透視すると虫垂が腫れていた。すでに破裂寸前だ。ライラルはあえて事を大げさにしないように言った。

「虫垂炎だ。これなら切れば楽勝だ…。俺がお医者さんにきっちり指導してやる…。おい、姉ちゃん。この坊主が苦しそうだから眠らせてやれ」


 三つ編みのサフィニアが呪文で少年を眠らせると、ライラルは小声で父親に訊いた。

「どうしてもっと早く連れて来なかった?」

「一時期痛みが引いたと言われて…。それよりも、あの、お金がなかったから…」

 虫垂が破裂すれば、虫垂内の細菌が腹腔に広がる腹膜炎が発症。細菌が血流に乗って全身に広がる敗血症に、そして多臓器不全が起こる。最終的に患者は死ぬ。


「くそっ! 治療が終わったらどこからでもいいからかき集めて金を払えよ!」

「はいーっ!」

 ライラルたちは黙って医者の帰りを待ったが、外の雨足が強まるばかりで、病院の主が帰って来る気配はない。患者が目覚めるたびに呪文を唱えて眠らせる。呪文の使用回数も残り少なくなり、外からは洪水のような雨の音しか聞こえない。それからカッパを着た男が病院を訪れ、橋が流されたと報告を受けた。今日の医者の帰りは絶望的だと言う。


 ライラルは涙を流しながら手術の準備を始めていた。針と糸、トレイ、消毒液、ナイフ。患者の少年の横に置かれて行く。女性の看護師が驚いた。

「あなた、どうして⁉」

「さっき…、部屋をあさって、物の位置を覚えた…」


「そうではなくて何をしようと言うのですか⁉」

 彼はサーキスから多大な影響を受けて大の泣き虫になっていた。眼帯の男は号泣し、片目から涙をほとばしらせながら言った。


「これより、急性虫垂炎の手術を始めます…。執刀はこの俺、ライラル・ディアだぜ…」

(お前と会ってからいつか僧侶を辞める日が来るって思ってたけど、くそ田舎に飛ばされてしょっぱなの日だなんて! 早すぎるぜ! お前もこんな気持ちだったのか、サーキス! いつかこの日のことをお前と語り明かしたいぜ! 見ていてくれ、俺の心の師匠、サーキスー!)


    *


 日がまだ昇らない早朝にまた一人僧侶が見送られた。彼の名はクーリッジ。小児がんのロッフル少年のことでパディと揉め、ギルに今の妻を紹介してもらった僧侶だ。

 路肩に馬車が停まっている。僧侶のクーリッジは仲間たちと別れを交わし、路上の角に立つパディたちに近寄った。


「パディ先生、今までお世話になりました」

「こちらこそ。クーリッジさんこれからも頑張ってください」

 二人が握手を交わす。クーリッジが言った。


「私がロッフル君の看護を二十四時間やりたいと言った時に先生が許可を出さなかったのは私のためだった。あなたは看護師が家族でもない人間に入れ込んで駄目になることを懸念していたから…。すみません」


「いえ、僕の方こそロッフル君を助けられずに申し訳ありませんでした。…でも、あなたは僕の奥さんに似ている。奥さんのリリカは病院の手伝いを始めて間もない頃に同じようなことを言っていました…。その時、正直言って僕は彼女を手に負えませんでした。言動が似ているクーリッジさんはきっといい看護師になると思いました。あなたのような方は好きですよ」


「面目ないです。…話は変わりますが、私がこれから行こうとする地域の人を看護しようなんて、恐れ多いです。私に勤まるでしょうか…。勉強もまだまだこれからという時に…。先生から習わなければいけないことはまだたくさんある」


「志があればどこでも勉強できます。わからないことは手紙を書いてください。どうしようもない患者さんがいればこっちの病院に送ればいい。…今現在も、苦しんでいる患者がいる。あなたが助けに行くのです。医者に知識や手術の方法を教えて患者さんを救ってください」

「ふふ…。ありがとうございます。…僧侶兼看護師はどこに行っても歓迎されると聞いています。楽しみと言えば楽しみなのですが…」


 クーリッジは今度は隣のサーキスと握手を交わした。

「おう、クーリッジさん頑張ってくれよ!」

「ありがとう。私も君の今後は期待しているよ」

 それから隣のギルにも声をかける。


「君には世話になった。ギル君ありがとう」

 馬車の方を見やるとクーリッジの妻ミモザが子供を抱いている姿が見えた。

「ああ、またな」


 こうして僧侶が一人、また一人と地方の患者を助けるために旅立って行く。そして全国の患者の健康を助け、死ぬべき運命と諦められた者が救われる。

 国内で王やフォードが心積もりにしていた理想が徐々に形になって行くのであった。

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