街にカイルがやって来た(1)
カスケード病院の運営が始まって四か月半ほどが過ぎた。そんな早朝、サーキスがカスケード病院まで出勤すると、彼の顔色の悪さに皆が驚いた。
「ええっと、サーキスどうしたの…」
パディがおずおずと尋ねる。
「おう! 今日は朝方まで野菜の選別をしていたぜ! 今年も豊作らしいぜ! 去年と比べて俺が労働力として一人増えたけど、畑を広げたから仕事がたいへんだぜ! ばあちゃんには無理させられないし、奥さんのファナには赤ちゃんの世話があるぜ! 俺は頑張って働くぜ!」
そういう彼の目の下にはクマができている。
「ちなみに睡眠が足りなくてマジックポイントが回復してないぜ! 今日は皆さんよろしくだぜ!」
サーキスの話を聞いた全員の背中があわだった。これは由々しき事態だ。
その日の昼間、フォードが視察にやって来る。パディはそれとなく言ってみた。
「…って感じでサーキスが家の仕事とお医者さんで二足のわらじでとってもたいへんなんです。たまに手を泥だらけにして出勤して来るけど、農家と外科医って相性が良くないですよね…。
僕も毎日快調ってわけでもないんです。僕の具合が悪い時にサーキスまでも過労で倒れたら…。ああー! そんな時にフォードさんの尿管結石が再発したらどうすればいいんだ⁉」
黙って話を聞くフォードの顔が苦痛に歪む。たまたまそばにいたギルにパディが話を振る。
「僕とサーキスがダウンしてて、フォードさんが病気になったら君がフォードさんの手術をしてくれるかい?」
「ぐむむー! んんー! …尊敬するミスターフォードの頼みとあれば俺は従う。しかし、成功するかは別問題だ! 俺はぶきっちょだから失敗したら申し訳ない! 先に謝っておく! すまない!」
ギルは土下座をする勢いで謝っている。
「僕もこの心臓さえ健康だったら! …うわ、こんな時に急に胸が苦しくなった! 心臓が! 心臓が! うわーっ!」
胸を押さえて苦しむパディを無視して、フォードは頭を抱えた。
(くくーっ! ワシは手術してもらうならサーキスにやってもらいたい! こうなれば仕方がない…。汚い奴だな、パディちゃん!)
数日後、スレーゼンの有名なレストランのコックがブラウン家のセロリを仕入れたいと、サーキスの家に直々にやって来た。それもかなりの高値で。
その後、それにつられて今までの取引先への野菜の値段もぐっと上がることになる。ブラウン家の三人は大喜びだ。
「うちの野菜ってそんなに評判だったんだね!」
「計算したけど、うちの収入が二倍になるぜ」
「これなら人を雇えるよ!」
サーキスたちの万歳はいつまで経っても終わらない、それぐらいの大歓喜だった。
気に入らないのは理事であるフォード。
(これだけやればサーキスも医者を専業にできるだろう…。で、また経費がかかってしまった…。これだけお膳立てしてやったんだから、サーキスをいっぱしの医者に育てろよ、パディちゃん!)
しばらくしてブラウン家は使用人を二人雇うことになった。一人はもとから農業に励んでいた若者。もう一人は孤児院のジョセフ少年。ジョセフは孤児院を離れてブラウン家に住み込みだ。先日、ギルがブラウン家のいきさつを子供たちに話すとジョセフが野菜を作りたいとすぐさま名乗りを挙げたのだ。サーキスがジョセフに問う。
「なあ、ジョセフ。お前って剣術を極めてギルを倒したかったんじゃなかったの? 冒険者とかになった方がよかったんじゃないのか? あいつを倒してシムエストを奪うんだろ?」
「ふふ、サーキスさん! 素振りはどこでもできるよ! 師匠からはまだまだ剣を習わないといけないから孤児院の近所に住んだ方が僕はいいんだ。僕は野菜作りをしながら体を鍛えていつか師匠を倒してシム先生をいただくよ!」
ジョセフははにかんで一言付け加えた。
「僕、サーキスさん好きだから一緒に暮らせて嬉しいよ!」
「この野郎!」
照れくさい顔のサーキスがジョセフの頭をぐしゃぐしゃになでた。
*
カイルは見たこともない広大な寺院の前でぶつぶつと独り言を言っていた。
「やっぱ、こっちからだよなあ…。いきなり親っさんに会う勇気ねえもん…」
しかし立派な門構えに、中央入口から右と左と見ても建物の終わりが見えないほどの大きさだ。灰色の外壁は高くそびえ、見上げるだけでも首が疲れてしまう。
「サーキスはこんなすごい所で働いてるのか…」
厳かな門扉の前にたたずむカイルだが、それをよそに市民と思われる人間たちが気軽に出入りしている。
身長は高く痩せ型、茶色の髪の男、カイル。バレンタイン寺院出身の僧侶でサーキスと共に旅をしていた男だ。彼は意を決して寺院の中へ入って行った。ホールは道が分かれていて、人が行き来する先は待合室があり、不可思議な病院の受付があった。
「ごめんください、俺カイルって言うんだけど…」
受付の人間が声をかける。
「こんにちは。今日はどうなさいました?」
背負ったカバンのベルトをいじりながらカイルは思った。
(うわっ、説明が面倒くせー…。何て言えばいいんだよ…)
「あのね俺、今日は患者で来たわけじゃないんだ。ん-と…。呪文で捜索ってあるよね? それを使ったらサーキスって奴がこの辺にいるんだ。俺は奴の仲間でカイルって言うんだ…。ギーリウス・バ…。ギルってやつも近くにいるって思うんだけど…、ここで働いてるんじゃないかなあ…」
受付の僧侶はカイルを見て思った。この言葉づかいと目つきの悪さ。サーキス、ギルの仲間に間違いないだろう。
「あー! ブラウン先生と同門の人だね。はいはい」
(ブラウン先生…?)
受付の僧侶はスタスタと診察室へ向かうとしばらくして廊下にサーキスが驚いた顔で現れた。
「うぉー⁉ お前はカイル⁉ 久しぶりだな! 元気か⁉ いつかやって来るって思ってたぜ!」
「お前、何で白衣なんか着てるんだよ⁉」
「僧侶を辞めて医者になったんだ。わはは」
「えーっ⁉ 嘘つくな!」
「ふっ、色々あるんだよ。それよりお前、髪切ったな! 何て髪型だよ!」
「ソフトモヒカンだ。髪が長いと橋の仕事で邪魔だからすぐ切った。お前も切ったな」
「おう! あとギルは出張に行っててここにはいないぜ!」
「出張?」
カイルが何のことかと首をひねっていると眼鏡をかけた医者らしき男から握手を求められた。
「あなたがカイルさん! 寺院の話はよく聞いています! 僕はパディ・ライス。ここの院長をやっています」
「え⁉ あの寺院の話…。俺はカイルだぜ…。よろしく…」
カイルが気まぐれにサーキスを連れまわしてくれたおかげでパディはサーキスと出会うことができて人生が好転した。自分の運命を変えた存在だ。パディは常々感謝していた。
サーキスが言った。
「お前、親っさんに会いに来たんだろ! ねえ、先生! これから行って来ていい⁉」
「ああ、いいよ。ちょうどお昼だしね。いってらっしゃい」
白衣をパディが預かり、サーキスは看護師のシャツの姿になる。それからカイルと並んで歩き、寺院の外に出た。
「ここは寺院と病院を合体させたんだぜ。すげえアイデアだよね。儲かってるぜ! お前、いきなり親っさんに会いに行く勇気がなかったから俺の方に来たんだろ!」
「むー、ふざけるな! …いや図星だ…。会いに行って迷惑がられたらどうしようって思ってて…。ちょっと前に捜索呪文でサーキスの場所を探してみたら北から動いてないし、親っさんも近所にいるし、ギルもいる。どういうことかって気になるもんだぜ。一念発起してやって来たぜ! っていうかお前、あれからどうしたの?」
「えっとな、お前と別れてから足の裏が痛くなって、呪文でも治らなくて…」
サーキスはカイルと別れた後の話をした。医者になった経緯に驚かれる。
「…たまげた! それで医者になったのか⁉ っていうかお前、そんなに頭が良くないだろ⁉」
「そうなんだ…。そこが一番、苦労してるんだ…。あっ」
二人が歩く道にライス総合外科病院が見えた。
「ここが俺がちょっと前に世話になってた所だぜ。たまに仕事で行くけど。お前、親っさんと会った後でいいからリリカと会ってくれ。パディ先生の奥さんでバレンタイン寺院のファンだ」
「わかった…。しかし、親っさんとこれから会うってのは緊張するぜ…」
「ははは! 親っさんはお腹が痛くなって突然、患者としてライス総合外科病院にやって来たから俺は何の心の準備もなかったぜ」
カイルが相づちを打った。
「それで親っさんはここに来たのか!」
それからカイルが橋職人の棟梁の娘と結婚したこと、職人としてぼちぼち頑張っていることなどの話をする。
「お前も頑張ってるんだな。…それと! 俺の奥さん、ファナがバレンタイン寺院の人間には全員会いたいって言ってる。後で必ず会ってくれ。…あ、ここだぜ」




