心臓外科医(1)
サフランの仕事初日。カスケード病院でパディが職員たちへサフランを紹介すると、次にサーキスをたしなめた。
「これでサフランも仲間になったことだが、サーキス。ギル君はもちろん、サフランにおくれをとることは許さないぞ。医療の知識でサフランに負けることは許さないぞ!」
睨みつけるパディにサーキスは体がガタガタと震えた。
「おいおい、ドクター。サーキスがかわいそうだぞ」
フォローするギルだが、パディには通用しない。
「いや! こいつは手技だけ覚えて知識的なことはリリカに任せようなんて思ってる」
(お、思ってるよ…)
(サーキスにこいつって言ったぞ…。ドクターの口の悪さが現れてる…。これがこのおっさんの素なんだろうな…)
(ライオンさんかわいそう)
口達者なサーキスも本当に困った時は全く言葉を発しなくなる。今がその時だった。サフランは信仰心が高いし、きっと頭もいい。サーキスはそんな言葉でパディをごまかそうと思ったが、パディから先に諫められる。
「サーキス、君は以前から家族で海に行きたいと言っていたな。仮に家族で地中海へ行ったとしよう。砂浜で遊んでいたところに付近で誰かが倒れたとする。君の寺院の性格上、サーキスは素知らぬ振りを考えるかもしれないが、心情的に君の家族は絶対に黙っていない。夫は医者だ、孫は手術ができると必ずそう告げるはず。特に畑の真ん中で命が助かったブラウンさんは君の腕にすがるだろう。
そこで倒れた人は知らない病気でした、その病人が命を落としたなんてことになれば必ず君は悔いが残る。目の前の患者は全て救え。誰にも負けない知識を身に付けろ。人に頼ることは許さない」
「ううぅ…」
ボタボタと涙をこぼしてサーキスが泣いている。サフランがサーキスを慰めた。
「大丈夫だよ、ライオンさん。私、仕事を覚えても知らない振りをしているよ。そうしたらライオンさんが木こりさんから怒られないよ」
「ありがとう、サフラン…」
「駄目だよ、サフラン! そんなことをしたらサーキスのためにならないよ! ギル君もサーキスをかばおうと思っているな!」
「何のことだかさっぱりわからん」
「サーキス、君は今、説教されているんだぞ! 職場の同僚に恵まれたなんて思うなよ!」
「うえーん!」
茶番が終わるとサフランの本格的な仕事が始まった。ギルからは院内の清掃を命じられた。
「貴様は病院の掃除からだ! これをちゃんとできないことには患者の世話など任せられない! できなければクビだ!」
おかっぱのサフランは口を尖らせてそっぽを向いていると。
「私が一緒にやろう。教えてあげるよ」
子供好きのする優しいおじさん僧侶からそう言われた。大人にかまって欲しいお年頃のサフランは途端にご機嫌だ。
「お掃除するー!」
サフランはおじさん僧侶と手をつないで行ってしまった。育ての親のギルは、そんな彼女の身勝手さがいちいち気に食わない。
「ぐむむむ…」
*
この日、カスケード病院に年寄りの患者が担ぎ込まれて来た。名前はノース・ポール、六十二歳。一度気絶したらしく、現在は息も絶え絶え。顔色は非情に悪い。しきりに胸の苦しさを訴えている。病院までは家族によって運ばれて来た。
パディたちは他の患者を後回しにし、その老人の患者の診察を優先した。
「皆さん、胸を見てください。おそらく心臓だと思います…」
ここで普段は僧侶任せで呪文を唱えないサーキスも、僧侶に混じって宝箱の呪文を唱える。全員が呪文を唱えて心臓を視るが、不勉強な臓器に皆が首をひねる。どこをどう見ていいのかわからない。そんな中、サーキスだけが口を開いた。
「冠動脈に血栓が詰まって狭くなってる…」
サーキスと目が合ったパディは腕組みをしている。パディはサーキスに向かって無言でうなずいた。サーキスに説明しろという意味だ。
「冠動脈って言うのは心臓の周りに走っている太い血管だ。これが血液を送って心臓が動くようにしている。そしてこちらの患者さんの心臓は今現在、血液が送られずに心筋が壊死してる…。心筋梗塞だ…」
心筋梗塞の主な原因は動脈硬化。血管の内側に脂質が蓄積し、プラークが形成され、それが破裂して血栓ができることで冠動脈が詰まる。
ギルを含む僧侶たちは言葉の意味もわからずにざわついている。患者はいまだに息を荒くしたままだ。パディがサーキスに言った。
「ちょっと外に出ようか」
二人は話をするために診察室から離れる。廊下に出るなり、サーキスが言った。
「ヤバいぜ、このままじゃ患者さんが死んじゃうぜ!」
声を落としてはいるが焦りに満ちた声だ。パディが答える。
「ああ…。心筋梗塞の手術方法は…」
「リリカから聞いたぜ。冠動脈バイパス手術! 患者の脚の血管を切ってそれを心臓に移植するんだよな。…それだと心臓を止めないといけない…」
「僕の時みたいに一旦、患者さんに死んでもらう必要がある…。家族と患者さんに了承をもらうか…」
「いや、馬鹿じゃないか! そんなことを言えば患者さんも家族も怒り狂うぜ! パディ先生が大丈夫だったから問題ないですよって言うのか⁉」
「……では、患者さんたちに黙ってやるかい…。最後に完全復活の呪文を使うだけだから、工程には問題ないけれど…」
「それだと呪文が失敗する確率があるからな…。二回失敗したらこの世から消滅するぜ…。ありえない可能性だけど、俺は何度も見て来た。そして今日みたいな日は呪文が失敗する気がする…」
「だよね…。無理に手術を行うべきじゃない…。僕は手術を見送った方がいいと思う…」
「俺はパディ先生に従うよ…」
患者には申し訳ないが、命を諦めてもらうと二人の意見は一致した。そこへちょうど司祭のハル・フォビリアが通りかかった。綺麗な真っ白な髪で今日も品のある顔だ。
「どうしました?」
「うおっ、ハル司祭! あのね、実は…」
サーキスはパディの許可もなく患者の容態と手術が困難であることを説明した。話を聞いた司祭はしばらく考え込むと言った。
「私に任せてもらえませんか」




