一方、リリカは
それからリリカの方はライス総合外科病院で仕事を続けることになった。カスケード寺院から僧侶が五人ばかり派遣される。
「先日はあなたたちに土下座させてごめんなさい…」
「いえいえ。それよりリリカさんはパディ先生の助手として優れた知識をお持ちと聞いた。よろしく」
リリカと僧侶たちのわだかまりもすぐになくなり、そして悪評が消えた病院には患者が途端に増えた。
「次の方、どうぞー」
そしてリリカが診察を行うわけではなく、ミラード・カーターという近所からやって来た医者が患者を診る。
「こんにちは。あなたが新しい院長先生?」
初老の患者が白衣姿の男に言った。
「いえ、一応医者ではありますが、パディ先生がカスケード寺院の方に行ったために私が臨時でここで働きます。ちなみに隣にいる僧侶が私の同僚、アレクシス・サインズです。彼からは色々と学ばせてもらっています」
「謙虚な先生だ」
患者は二人とも握手をした。
アレクシス・サインズ。ライス総合外科病院の元看護師。パディの心臓が悪いことを知ると病院から逃げ出し、数年ぶりに帰って来ると肝硬変を患っていた。ライス総合外科病院で治療を受けた彼はフォードの紹介でミラード・カーターの病院で働いている。カーター医師は臓器や病気のことをアレクシス・サインズから勉強させてもらっている。
「今日はどうしました?」
「だいぶ前からお腹が痛くてねえ…。ぽよんぽよんしてる。フフ…。もっと早く病院に行かなくちゃならないって思ってたけど、みんながほら、ここのことを悪く言うでしょう…?」
言葉の最後の方は小声だ。
「まあ、敷居が高いとはこのことだよねえ。薬じゃ治らないからたぶん手術しないといけないだろうって思ってたけど、セリーン教徒がみんなここのことを悪く言うから…。でもパディ先生が改宗? …入信? してくれたから本当によかったよ! カスケード病院は患者が多そうだから、今日はこっちに来たよ…」
患者が服をめくって腹をみせるとうっすらとした膨らみが見えた。その場の全員が目を見張る。
「だいぶ前から膨らんでたけど、放置してたらもっと悪くなった。 イタタタ…。…いや、だからここに来づらかったんだって。こんな風通しの悪い病院に来れなかったんだから…」
カーター医師が触診して、僧侶たちが一斉に呪文を唱えて通しする。皮膚の下まで小腸が飛び出しているらしい。脱腸だ。そして僧侶たちは脱腸は知っていたようで騒ぎ出す。それも腸が思った以上に飛び出し、色も悪くなっているそうだ。
リリカは叫び出しそうになる声を必死に抑えて小声でカーター医師にアドバイスを言う。医者であるからして理解も早く、それをカーターが患者に言った。
「嵌頓ヘルニアですね。お腹の腹壁…、加齢で筋肉が弱って腸が飛び出している。それを放置していたせいで腸が弱ってしまった。このままでは非情にまずい。急いで手術を受けてください。腸を元の位置に戻してもらいます。カスケード寺院の僧侶の方に呪文であちらへ飛んでもらいます。緊急手術を始めるよう伝えてもらいます」
「そんなに重病?」
「重病です」
帰還の呪文で僧侶と患者が診察室から消える。周りからほっと一息つく声が聞こえた。
「いやあ、初日からこんな重病患者が来るなんて!」
「でもあの人、助かってよかった!」
「なんとも感慨深い。これはやりがいのある仕事だ!」
リリカの周囲に喜びの声が飛び交う。嵌頓ヘルニアは脱腸が悪化したもの。腸が壊死してしまえば切断して繋げ直す必要もあり、さらに放置状態が続けば死に至る病だ。
リリカが言う。
「皆さん、気を引き締めて行きましょう」
皆が目を合わせて力強くうなずく。チームの気持ちが一丸となった瞬間だ。
次に来たのがガリガリに痩せた若者だった。
「腹がずっと痛くて何も食べられない…。たぶん病名は胆嚢結石…」
おくそくしながら自らの病名を言っている。
「みんななってるから…」
リリカが目をしばたたいて言う。
「あなた、フライドチキンばっかり食べてましたね⁉」
「うん…、去年店ができた時からほぼ毎日…。あんなにおいしいものはないよ…」
リリカは眉間にシワを寄せて考えた。
(パディ先生が危惧した通り、胆嚢結石は風土病のようになってしまったわ…。みんなもう少し食生活を考えられないのかしら…)
その胆嚢結石の患者は空腹でカスケード寺院まで行くのがだるいとこぼす。そしてリリカも特に緊急性のないものだからあちらで手術が優先されるわけでもないだろうと、患者は二階の病室で休むことになった。あとのことはパディが帰ってから決めることにした。
それから次の患者もまた腹痛を訴えていた。腹が膨れ上がっている。
「腹が痛いー!」
僧侶たちが透視すると胃の中に大量に食べ物が残っていると言う。カーターとリリカが相談し、医者のカーターが言った。
「ただの食べ過ぎです」
「そんなしょぼい言われようじゃ困るよ…。こっちは腹が痛くて仕事を休んだんだから…。何か派手な病名じゃないと上司から怒られる…。イタタタ…」
リリカがカーターに耳打ちした。
「じゃあ、診断書に『非感染性陽炎』って書いておきますね」
「あ、それいい! サンキュー! …イタタタ」
休みもなく次の患者が診察室に入って来る。リリカは感動していた。
(これが病院の本来あるべき姿なんだわ! 今までが暇すぎたの!)
女性の患者は医者のカーターを見て、次にリリカの顔に視線を移した。
「あの…」
周りを伺う患者にリリカが先に言った。
「ああ! カーター先生! こちらの患者さんとあたしを二人にしてもらえます? 僧侶の皆さんも!」
二人きりになってみればその女性は生理痛がひどいと言う。僧侶の一人に卵巣を透視してもらえば古い血がたまって茶色になっているとのことだ。
「チョコレート嚢胞ですね…。卵巣の中の子宮内膜細胞が増殖することで起こる病気です。…今後の治療方針はパディ先生と相談して決めます。とりあえず経過をみましょう」
*
一週間ほど過ぎた頃。その日もいつものように診察が行われていると、その患者はカーター医師から目をそらしてリリカの顔をじっと見ていた。
「あの、どうしました?」
中年女性は言った。
「いやね、カーター先生はただのお飾り、本当はツインテールの看護師さんが診察してるって街で噂が持ち切りだよ!」
(この街の人たちって噂好きだわ! 暇な人ばっかり!)
「診察を受けると必ず、先生に看護師さんの方がごにょごにょって耳打ちするって。看護師さんの方が優秀でお医者さんをコントロールしてるんだって! みんな言ってるよ!」
患者が帰るとリリカはカーターとアレクシス・サインズに詰め寄られた。
「リリカさん! 私がヤブ医者なのは患者にもうバレてるよ! こうなるとは思ってなかったけどもういいかい⁉」
「リリカ。君は私たちが想像つかないほど勉強しているのだろ。そろそろいいじゃないか…? カスケード病院はむさくるしい中年男ばっかりだから、女の患者はこちらに来る。最近はやっぱり女性特有の症状をみることが多かった…」
カーターという医者は看護師のアレクシス・サインズに臓器や病気のことを習う向学心溢れる男。そしてつまらないプライドは全く持たない謙虚な人間だった。アレクシスの言うことも理解できる。
そして夕食の時間になるとリリカはパディに相談してみた。彼はカーターとアレクシスと同じようなことを言った。
「ああ。君はもう医者と名乗っていいんじゃない? キャパシティーは十分あるよ」
「早くないですか⁉」
「大丈夫だって」
それから翌日にはサーキスに白衣を作ってもらう。彼はやはり裁縫のプロで寸法もリリカに合わせて作ってくれた。
病院の看板も『ライス総合外科病院・婦人科』と付け足してもらい、家屋の外で白衣姿のリリカはそれを眺めていた。彼女は異国の世界で初めて医者になった女性たちのことを思う。そして心の中の友人と相談した。
(あたし、もうお医者さんになっちゃった。アルペンローゼさん、早いって思わない? エリザベス・ブラックウェルさんとか、荻野吟子さんはどんな気持ちだったのかしら? …ふふ。…これからまずは女性の受付の人を探さないと!)




