9.すべてを背負う覚悟
「こんなに朝早く……お嬢様に何も言わずに行くつもりなのか? ヤーヴェ」
バッシュはヤーヴェの乗る馬を用意しながら聞いた。
「ああ。俺の失態でお嬢様に怖い思いをさせて、心の傷を作ってしまったんだ。あんなに優しいお嬢様に……。だから、このまま野蛮族の討伐隊に参加するよ」
「でも、野蛮族の討伐は普通の戦より大変なんだろ? いつ帰れるかも分からないのにさ」
「バッシュ、ひとつお願いがあるんだ。この小箱をお嬢様にお渡しして欲しい……」
「お前が渡せばいいだろ。何で俺が……」
「すまない、俺のわがままだ。これをお嬢様が持ってくれていると思うだけで、ここに戻ってこれそうな気がするんだ」
幼馴染ですら見たことのないような表情を浮かべるヤーヴェに、バッシュは黙ってその美しい細工がされた小箱を受け取った。
まだひんやりとする早朝の空気を感じながらヤーヴェが馬を走らせていると、後ろから追いかけて来る馬に気づいた。
「ヤーヴェ! 待ってくれ!」
「クロード?」
「どうして僕が邪魔したことを侯爵様に告げなかった! 僕があんな子供じみたことをしなければ、お前はお嬢様の元にすぐ戻れていた!」
「……うーん、クロードが気に病む必要はありませんよ。飲み物を近くの侍従に頼めば良かったのに、そうしなかった俺が悪いんです。お嬢様の側を離れてはいけなかったのに」
「お前ってヤツは、夜会も初めてでマナーまで分かるはずないだろうが。……昔、僕に言ったよな、子爵家の三男で期待されていないって。その通りだ。僕も食らいついて騎士団に残る。だから……ヤーヴェも必ず戻って来いよ」
「でも、侯爵様は俺には戻って来て欲しくないと思います。それで、野蛮族の討伐隊へ送るのでしょう」
「……僕は違うと思うぞ。野蛮族の討伐は大変な戦だ。だからこそ、貢献した者への褒賞も大きい。騎士爵や男爵を手に入れることだってできる。お前に挽回の機会を下さったんだよ」
思いもよらなかったとばかりに、ヤーヴェの瞳が大きく見開かれた。
クロードは、ヤーヴェの吸い込まれそうな瞳の奥に小さな希望が宿ったように感じた。
「ありがとう、クロード。じゃあな!」
遠ざかるヤーヴェの背中にクロードが叫んだ。
「ヤーヴェ、すまない! 戻って来たら、僕がお前に貴族のマナーを教えてやるよ!」
クロードの言葉にヤーヴェが片手を上げて応えた。
◇
私が目を覚ましたのは、すでにヤーヴェが屋敷を出発した後だった。
「メイ、私……気を失っていたの? どのくらい眠っていたのかしら?」
「お嬢様! ああ、良かった……本当に良かったです。もうメイは寿命がどれほど縮んだことか……」
「ありがとう、メイ……」
メイの温かい気持ちに触れ安心感に包まれていたが、すぐにいつも側にいるヤーヴェの姿が見えない事に不安を覚えた。
「ねぇ、ヤーヴェは? 助けに来てくれたお礼を伝えたいの。呼んでくれる?」
するとメイが答えに詰まっている。
――まさか。
「お父様! ヤーヴェをどうしたのですか? 私の専属護衛ですよ」
私はノックもせずに執務室に入ると、お父様に食ってかかった。
「目が覚めたのか……良かった。ヤーヴェ? ミレイユ、ヤーヴェは取り返しのつかない失態を犯したのだ」
「でも、それはヤーヴェに飲み物を頼んだ私が……」
「分かるか? 護衛騎士が主に守られたら終わりなのだ。それに、もう過ぎたことだ。ヤーヴェを皇宮が派遣する野蛮族討伐隊に向かわせた」
「なんですって! ひどいわ、お父様。私に相談もなく、ヤーヴェをそんな危ない任務につかせるなんて」
こうしてお父様を責めながらも、私は分かっていた――すべては私が招いたことだと。
(お父様の言っていることは正しいわ。どうすればいいの……)
どうしようもない事態に、私はうなだれるようにして執務室を出た。
「侯爵様、これで宜しかったのですか?」
衝立の向こうに息を潜め控えていたオーウェンが、堪らず侯爵に声を掛けた。
「私は当主だ……皆が納得できるケジメをつけねばならない。父親としては、信じて見守るしかできないのは、なかなか辛いものだな、オーウェン」
感想やリアクションをいただけましたら、とても励みになります。
感想へのお返事は控えさせて頂きますが、大切に読ませていただきます。
よろしくお願いします。