7.小さな躓き
ヤーヴェは、テーブルに並べられた幾種類もの飲み物を前に悩んでいた。
(飲み物を取りに来たは良いが、甘い飲み物ってどれだろう? 俺みたいなのが分かるはずもないのに。ハァー、お嬢様に悟られたくなくて……俺もバカだな)
「おい、ヤーヴェ、お嬢様を置いて何をしているんだ?」
聞き慣れた声に振り向くと、声を掛けて来たのは正装したクロードだった。
「クロード……どうしてここにいるのですか?」
「ああ、僕は非番だからカペラニ家の令息として参加しているんだ。それより、随分と一人で夜会を楽しんでいるようだな」
「誤解ですよ! お嬢様が、甘いものが飲みたいと仰ったので取りに来たまでです」
クロードは、ヤーヴェがそう言いながらも何も飲み物を手に取らないのを見て、ニヤッとほくそ笑んだ。
「なるほどな。僕の配慮が足りなかったよ。貧民街出身のお前には、どれが甘い飲み物か分からないだろう? 僕が教えてやるよ」
わざと大きな声を出して、周囲にヤーヴェの出自を明かした。
「クロード、私のことが気に入らないのは知っていますが、こうして私を貶めようとしたことがバリバール侯爵家――お嬢様をも貶めることになるのですよ!」
静かな口調だが、ヤーヴェの瞳には怒りの感情が見て取れた。
「えっ? ミレイユ様の専属護衛が貧民街出身ですって? どうして、そんな薄汚い……」
「本当ですよ。よほどバリバール侯爵家は人材に困っておられるのでしょうな」
「まさか! あの気高いミレイユ様ですもの。きっと、ノブリス・オブリージュを体現されているのですわ」
ヤーヴェとクロードの耳に貴族たちの悪意ある言葉が刺さる。
「いや……僕はそんなつもりは……バリバール家とお嬢様まで悪く言われると困ります」
貴族たちの思った以上の反応にクロードが少し狼狽えた。
(何がそんなつもりは無いだよ。いつも俺を目の敵にしてるくせに。それよりお嬢様は……)
ハッとして、ヤーヴェはミレイユが座っているはずのソファに姿が無いことに気づいた。
ヤーヴェは背の高さを活かして、ミレイユの姿を探して辺りを見回すがどこにもミレイユがいない。
「お嬢様がいない」
「えっ? 何だって? そんな……とにかく探そう。庭園に出られたかもしれないし、貴族にはよくあることだ」
クロードの言葉には答えず、ヤーヴェは大広間を飛び出した。
「おい! ヤーヴェ! どこへ行くつもりだよ」
「クロードじゃないか? 慌ててどうした?」
「こ、侯爵様! じ、実は……」
◇
――バリバール侯爵家の騎士たちを総動員してミレイユの行方を捜したが、一夜明けても分からずじまいだった。
今も殆どの騎士が捜索にあたっているが、執務室にオーウェン、ヤーヴェ、クロードが呼ばれた。
「お前たち、お嬢様の近くにいながら何と言う失態だ。特にヤーヴェ、自分の責務を忘れたわけではあるまいな?」
いくつもの戦場を経験しているオーウェンは冷静さは欠いていなかったが、怒りの熱量がジンジンと2人に伝わってくる。
「侯爵様、この失態は全て護衛騎士である私にあります」
「僕は……非番でしたので……」
オーウェンの鋭い視線がクロードの口を黙らせた。
「ヤーヴェ、お前の謝罪など聞いてどうする? それにクロード、お前は騎士に向いていなかったようだな。とにかく、今はミレイユを見つけるのが先決だ。お前たちの処遇はその後だ」
侯爵の叱責にクロードは不安で肝を冷やしていたが、ヤーヴェは言い訳もせず口を真一文字に閉じていた。
(僕がヤーヴェを無駄に引き止めたりしなければ、お嬢様が消えることも無かったのか? いや、僕のせいじゃない! こんな卑しい奴に任せるから悪いのさ)
「侯爵様! お嬢様の足取りが分かるかもしれません。皇宮で怪しい侍従を捕らえました」
騎士が息を切らせながら執務室に駆け込んで来た。
「手短に報告しろ!」
オーウェンに促され、騎士は息を整える間もなく経緯を説明する。
騎士の報告によると――夜会を担当した侍従と侍女を集め尋問していたが、一人だけ、微かに薬品の香りがする者をバリバールの優秀な騎士は見逃さなかった。
そして、バリバール侯爵家に捕らえられた侍従は厳しい尋問を前に、ミレイユの誘拐をあっさりと白状した。
賭け事の失敗で金に困り酒場で酒を煽っていた時、身なりの良い者が前金をチラつかせながら話を持ち掛けてきたらしい。
結局、成功報酬に目が眩み協力してしまったのだと言う。
「侯爵様、申し訳ございません。捕らえた侍従を随分痛めつけましたが、本当に黒幕もお嬢様の行方も知らないようです」
「オーウェン、前金の多さと貴重な薬品を渡したという事は、黒幕が貴族であるのは間違いないだろう」
「今、縁談の断りを入れた家門やお嬢様を慕っていた貴族たちを洗い出し、確認に騎士たちを派遣しております。ですが、時間が掛かり過ぎます」
「ミレイユ……。オーウェン、引き続き捜索の継続と怪しい貴族の確認を続けろ。それから、帝都を抜けるには関所を通る必要がある。南北それぞれの関所にも網を張れ!」
「ハッ!」
オーウェンとクロードは勢いよく執務室を出たが、ヤーヴェはひとり残った。
「ヤーヴェ、どういうつもりだ?」
「……侯爵様、その侍従が最初に黒幕と接触した酒場へ行かせてください。酒場の名を聞く限り、そこは貧しい者が集まる店です。身なりの良い者は目立ちますから、きっと覚えている者がいるはずです」
「もう、その酒場への聞き込みは終わっている。お前の言う通り店の者は覚えていたが、正体までは分からなかったのだぞ」
「店の者は分からないでしょう。ですが、貧しい子供たちは身なりの良い者がいれば物乞い、あるいはスリや盗みを働く目的で後を付けている場合が多いかと……」
「なるほど。貧民育ちのお前にしか分からない発想だな。いいだろう。そして、必ずミレイユを取り戻すのだぞ!」
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