Episode32 君のいない日々はつまらない。
久井さんと目があった。俺は立ち止まる。急に立ち止まったからか右足に鋭い痛みが生じる。でも俺はその痛みを気にしている場合ではなかった。目の前にいる、ずっと会いたかった人が。
「白城君…。足はどんな感じ?痛くない?」
久しぶりに聞いた声は今までにないくらい頭の中に残った。
「まだ痛いですよ…。ゆっくり歩くのがやっとです。」
俺はすぐに返事をした。そして会話を途切れさせないために俺は口を開いた。
「久井さんは何を買いに来たんですか?」
咄嗟にでた言葉はありきたりな質問になってしまった。でもこれでいい。久井さんは微笑みながら、
「今から勉強をしようと思って、コーヒーでも買おうかなーって。」と答えてくれた。
「そうなんですね…。」(コーヒーとか飲むタイプなんだ…。知らなかった。)
「白城君はさ…。」ここで久井さんの言葉が止まる。俺はどうしたのかと久井さんの方を見る。すると久井さんはケースの中にある二つのコーヒーを指さしてこっちを見ていた。
「微糖と無糖だったらどっちが好き?」
「えっ?」
俺はコーヒーが苦手だ。飲むとしてもコーヒー牛乳ぐらいしか飲めない。コーヒーの苦さの良さが俺には分からない。ここはカッコつけて無糖と言いたかったが、正直に言うことにした。
「僕、コーヒー苦手なんですよね。飲むとしてもコーヒー牛乳ぐらいです。」
俺の答えに久井さんは目を大きくして、驚いていたように見えた。
「白城君がコーヒー飲めないなんて意外…。」
「なんか、すいません。」
俺は気付いた。自分が笑顔になっていることに。あんなに塞ぎ込んでいた自分が、久井さんと話しただけで別人のように笑えている。
ああ、やっぱり俺は久井さんのことが好きなんだ。久井さんと話すだけで笑顔になれる。久井さんと話すと憂鬱な気持ちもどこかにか行ってしまう。
この一週間、久井さんと話せなかった。そんな日々は、色味がなくて、苦しくて、そして何よりつまらなかった。気付いたんだ、「久井さんがいない日々はつまらない。」って。同時に考えた。「久井さんが引退したら、俺はどうなるんだろう」って。きっと物事を悲観的に捉えて、一人で抱え込んで、きっと本来の弱い自分が出てきてしまう。
自分の中でどんどん久井さんが大切な人になっていく。そしてずっと一緒に居たくなる。でもきっと久井さんは俺のこと好きじゃない。好きになってくれるワケがない。
ー人を好きになるって、こんなに難しかったっけ…ー
久井さん俺は会計を済ませて、一緒に宿泊施設へと歩き始めた。久井さんはケガで歩くのが遅い俺にペースを合わせてくれた。帰り道はたった100メートルぐらいしかない。きっとあっという間の時間だ。
俺は帰り道が静かにならないように、気になっていたコトを久井さんに聞いた。
「久井さんはどうしてソフトテニスを始めたんですか?」
「うーんとね。」と言って久井さんが考え出す。俺はその姿を横目で見る。
「中学生になって何かスポーツがしたいなあ、って思ってたの。それでいろんな部活動を見に行ったの。そしたら凄い良い音が聞こえてきて、何だろうと思って音のする方を見たらソフトテニス部だったんだ。」
「へぇー、久井さんは音に惹かれたんですね。」
「そうそう。自分も先輩たちみたいに音を出せたら楽しいんだろうなあって思って、すぐに入部を決めたんだ。」
「確かに、スイートスポットに当たった感覚と音はたまらないですよね。」
この時だけは足の痛みなんてちっとも気にならなかった。隣で楽しそうに話す久井さんを横目で見るだけで、俺の心は満たされた。「どうせ俺なんか…」といったマイナスな気持ちもいつの間にかなくなっていた。俺はただただ久井さんに救われた。
楽しい時間はあっという間で、俺たちはすぐに宿泊施設の入り口の前に着いた。このまま二人で中を歩くわけにもいかず、俺は久井さんに、「あっ、お菓子買うの忘れてた…。」と嘘をつく。すぐに久井さんは「大丈夫?私が買ってこようか?」と言ってくれる。
本当なら、離れたくはない。ずっと一緒にいたい。でも、先輩に迷惑をかけるようなことはしたくない。今回はこれで十分だろ、白城知…。
「じっくり一人で選びたいので大丈夫ですよ。」
そう言うと久井さんは、「そうだよね…。自分で選ぶ方が良いもんね。」と納得してくれた。「じゃあ、また明日ね。」と言って久井さんは女子の部屋へと帰っていった。
俺は久井さんの後ろ姿をしばらく見つめていた。姿が見えなくなってから、俺はコンビニに再び歩き始めた。さっきより足取りは確実に軽くなっていた。




