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一、天空の国

 上空二万メートル、空と宇宙の境界あたりに漂う奇怪な物体。それは、開いた本のような形状で、深緑の苔で覆われている。時間という概念が存在しないかの如く、ただゆっくりと浮動を続けていた。

「スイ、レン。そろそろあれを見せろ」

 奇怪な物体の上で生活する生物は、外見は人間と区別がつかない。しかし、能力は人間とは一線を画していた。

「分かった」

 レンはスイに人差し指を向けた。すると指先から轟音と共に、槍のような鋭い炎の渦が、スイの胸目掛けて放たれた。スイは仁王立ちでしっかりとそれを睨みつけた。炎の槍が徐々にスイに迫ってくる。空気さえも焦がすような熱が、生えた草を掻き消していく。スイが右足で強く地面を踏み込むと、足元から水が湧き出し、それは水柱となってスイを覆った。その水柱に炎の槍が刺さると、水蒸気が立ち上がり、轟音から空気が勢いよく抜けるような音へと変化していった。レンの炎の槍が途切れ、音が消えてから約二十秒間、水蒸気に覆われた彼らの姿は、長閑な風によって徐々に見えてきた。

「威力は増してるが、まだまだだな」

 スイとレンの様子を見ていたブロスは、レンに対し、ため息混じりにそう言った。ブロスが両手を静かに上げると、焼け焦げた地面は元に戻り、草が生えてきた。

「スイの魔法を破るなんて、すぐにできるもんでもないだろ。それに水魔法なんだからよ」

 レンは肩で息をしながら座り込んだ。スイは涼しい顔をしながら、ブロスの方へと歩いていった。

「レンは充分強いよ。見てよブロス」

 レンは上着の腹のあたりをブロスに見せた。二センチメートルほどの焦げた穴が開いていた。

「まあまあだ。これからも鍛練を怠るな」

 ブロスは穴を確認し、冷めた表情でそう言い残して街の方へと歩いていった。

 

 この土地「ヴァイサイ」では、魔法を使う種族が生活している。子どもから老人まで、幅広い世代がこの土地で暮らしており、彼らは生まれてから魔法の鍛錬だけを行ない、一生を終えていく。種族の中で最も強いものが偉い、明白なメリトクラシー世界なのだ。その結果、王以外の民は皆平等であり、地位を追われることがないため、平和に暮らせると言える。しかし、民の中でも暗黙の了解があり、生活自体に変化はないものの、強さに貪欲でない者は、見向きもされず淘汰される。

 彼らは自分たちが種の頂点であると信じ、力へのプライドを持って、種を「シュピゼ」と呼んでいる。

 

 スイとレンの兄弟は小柄な双子で、見た目は十歳ほどの少年である。スイは、無造作な髪型で透き通るような白髪が特徴的な落ち着いた雰囲気の子だ。少し垂れた目は温厚な印象だが、どこか希望に満ちた力強さも感じる。レンは黒髪の短髪で、何者にも屈しない反骨精神を表したような立ち上がった髪型をしている。ヤンチャな猫目もまた、聞かん坊なところをよく表していた。二人は、両親であるブロスとアオイと共に暮らしている。ブロスとアオイは、二十代くらいの見た目だ。ブロスは、ワンレンウェーブで黒と茶の混ざった髪色をしている。つり上がった目は、何でも見透かすようでとても冷たい。アオイは、腰まで伸びた白髪が氷柱のようにとても美しい。吸い込まれそうな大きく透き通った目も特徴的だ。

 この世界では親子も平等、故に父や母という呼称はない。

「レン、帰りにリーゴの実を採って帰ろう」

「そうだな」

 シュピゼの食事は簡単だ。リーゴの実という涙滴型の赤い果実を、一日に二つも口にすれば充分なのだ。リーゴとは、ヴァイサイの中央、本でいう喉から生えた大樹だ。

 当然、料理というものはない。人間の世界でいう家事は、洗濯のみが存在する。当然それも各自で行う。


「おかえりなさい。スイ、レン、鍛錬はどうだったの?」

「まったく、今日もスイに勝てなかった」

「レンは強くなってるよ。たぶんアオイの炎魔法より強いと思うよ」

「いいじゃない、この調子で頑張りなさい。あなたたちは努力次第で化ける可能性があるんだから」

 ソファに座って本を読んでいたブロスは、アオイの言葉に反応し、本を閉じた。

「そんなことがあるわけないだろう。修復魔法や、移動魔法、あらゆる魔法がある中で、それぞれ水魔法と炎魔法しか使えない奴なんて、今まで聞いたことがないぞ。あらゆる魔法が使えてこそ強さの証明になるんだ。そもそも、それでどうやって王位を狙うつもりなんだ?」

 三人はぐうの音も出なかった。特にスイとレンにとっては、存在を否定される言葉以外の何ものでもなかった。


 スイとレンはシュピゼでは珍しい、というより初の劣性だった。水魔法と炎魔法以外に使える魔法がない。シュピゼは基本的に、魔法を使用する「感覚」が生まれつきある。例えば、実際にその魔法を目の当たりにしたり、本で読んだりしただけで、強度の差はあるものの使えてしまうのだ。しかしスイとレンは、物や人の傷を治す修復魔法、瞬間移動や脚力を上昇させる転移・移動魔法を見ても、会得することができなかった。周囲は蔑視したものの、水魔法と炎魔法において、スイとレンの右に出る者がいないため、認めざるを得なかった。ただ王位に相応しいかと問われると、そうでもないというのが周囲の本音であった。

「俺にだって、可能性はあるだろ」

「ない。王の水魔法はスイの何十倍もの魔力なんだぞ?お前の炎が何だって言うんだ。それにまだ、私の足元にも及ばないではないか」

 レンは拳を強く握り、一歩退いた。

「私は寝るぞ」

 ブロスはリーゴの実を齧りながら、微かな風を残して自分の寝室へと瞬間移動した。

「クソッ!」

 レンは、ブロスが座っていたソファに向かってリーゴの実を投げつけた。

「気にしなくていいわよ。魔法の鍛錬を全力ですればいいわけで、何も王位を狙う必要はないのよ。わたしはとっくに諦めてるわ」

 アオイはソファから転げ落ちたリーゴの実を魔法で浮かせ、レンの目の前まで移動させながらそう言った。

「おれたちは何で他の魔法が使えないんだろう。アオイは分かる?」

「いいえ。まあ遺伝が関係しているのでしょうけど、わたしもブロスも普通に使えるからね」

「アオイとブロスの両親はどうだったの?」

「ブロスの両親は使えたし、生まれつき魔力が大きかったわ。わたしの両親は、わたしが物心ついた頃にはすでにヴァイサイにいなかったようだから、分からない。亡くなっていたのかも知れないわ」

「こんな平和なのに、寿命以外で亡くなることなんてあるの?」

「ええ、鍛錬中に魔法で。怪我で済んだら修復魔法で何とかなるけど、命が尽きたら何もできないから、あなたたちも気をつけるのよ?」

 アオイはスイの質問に対し真摯に答え、スイもまたそれを真摯に聞いていた。レンはリーゴの実を齧りながら、ソファに横たわって聞いていた。

「ここは残酷よね、シュピゼが亡くなって減ろうが生まれてきて増えようが、誰も何とも思わないんだから。魔法が強くて初めて認知される、そんな世界なのよ」

 アオイは、水魔法の球体の中で洗濯している自身の衣類と大きな布を見つめながらそう言った。

「強いやつが王になってみんなから認められるって、俺は分かりやすくていいと思うけどな。鍛錬しかやることがないわけだし」

「確かに。おれたちにとっては王位を狙うこと以外に生きる目的なんてないからね」

 レンの言葉にスイも共感し、リーゴの実を一口齧った。アオイはにこっと笑うと、何も言わず洗濯物を風魔法の球体の中に入れ、乾燥させていた。スイとレンも、スイの水魔法の球体の中に衣服を入れ、洗濯を始めた。

「そうだ、何度も言っていることだけど」

 スイとレンは、洗濯物を見ながら雑談していたのを止め、アオイの方を向いた。

「二人とも、暴走には気をつけること」

「何だっけ、暴走って」

「魔力と生命力をひとつにして強力な魔法を生み出すことよ。自分の命が尽きるまで魔法が止まらなくなってしまう上に、無関係な者まで巻き込んでしまうから」

「大丈夫だよアオイ、おれたち暴走のやり方なんて知らないし」

「だから怖いのよ。いつ暴走するか分からない。暴走でヴァイサイが滅茶苦茶になった時、それを止めるために袋叩きにされたシュピゼを何度か見たわ。仕方がないことだけど、なんだか嫌な気持ちになった気がしたわ」

「はいはい、分かったよ。そんなこと気にしてるのアオイだけだろ? シュピゼは強さ以外に関心なんかないんだからさ。俺はそろそろ寝るから」

 レンはそう言うと、洗濯物を外で絞った後、二階の部屋へと向かった。

「アオイ、おれももう寝るね」

 スイは洗濯物の水分を掌から吸い取り、畳んでから部屋へと向かった。


「今日って『季めくり』の日だよな?」

「あーそうだったな。まったく、あれは一体なんの意味があるんだか」

「今の王になってから結構経つか。いつ頃なのか知らんが、人間界へ降りた時に見た『四季』というのに由来しているらしい。植物や生物の色、気温や湿度が変化するんだと。それが気に入ったみたいで、魔法でその景色を模してんだよ」

「さっぱり良さが分からねぇ。それよりお前、後でワシの鍛錬に付き合えよ」

 街中でシュピゼたちの話題となっている「季めくり(ときめくり)」は、今の王のみが使える特別な魔法である。シュピゼの話の通り、見た目を模しているだけで、四季のように実際に気温や湿度が変化することはない。ヴァイサイの今の景色は夏だ。雲ひとつない青空と同じ色の湖、広がる草葉の中で輝く向日葵。この景色は、今日で一旦見納めだ。


「スイ、レン、ちょっと止まって。季めくりが始まるわ」

 スイとレンの鍛錬に付き合っていたアオイは二人を制し、辺りを見回した。すると足元の空気が徐々に持ち上がっていき、微かな風が吹き上がると同時に、足元の草花が黄色く色づき始めた。魔法による力なのか、空気は一瞬歪んで見え、そして下から噴き上げていた風は横方向へと吹き始めた。

「すごく綺麗ね」

「もう何回も見てるし、面白くも何ともないや」

 アオイの言葉に、レンは胡座をかき、欠伸をしながら答えた。

 その風に押されるように、空気の歪みは横方向へと移動し、スイやレンが住む街からリーゴの大樹へ、そして隣町へと景色を変えながら移動していった。その様子は、ヴァイサイの外から見ると、まるで本の一ページを捲るような空気の動きだった。

 ものの数十秒で、青と緑の世界から赤と黄の世界へと移ろったのだった。

「これ、人間界の秋っていう季節だっけ?」

「そうよ」

「これ嫌なんだよなぁ。リーゴの実が見つけにくくなるんだよ」

 スイは近くの木の葉を一枚ちぎり、掌に乗せた。レンは落ち葉を拾い、人差し指から蝋燭程度の炎を出し、炙って遊んでいた。季めくりの間、風の音以外聞こえなかった街は、徐々にいつもの活気を取り戻し始めた。


「ねぇアオイ、人間界ってどんなところなの?」

「あなたたちが生まれる前に一度行ったことあるだけで、あまり覚えていないのよね。楽しさを忘れるくらい大変だったから」

「大変って?」

「色々あって、困ってたところを助けてもらったの。優しい人間ばかりだったとは言えないけれど。まあ、他のシュピゼは人間になんて興味がなくて、食べ物目当てで人間界に降りるのだけどね。次いつ降りられるか分からないけど、あなたたちも一度行って見るといいわ」

 スイは、水魔法で作った槍でアオイの作った木の案山子を断ち切った。木の案山子は切り口から新たな枝葉を伸ばし、再びスイの前に立ちはだかった。レンは両手を前に突き出し、炎の防御壁を張っていた。その防御壁にアオイの水魔法で作られた案山子が水鉄砲を飛ばす。アオイがそれぞれの案山子に手を翳すと、徐々に大きさと威力が増していき、スイとレンを吹き飛ばした。

「痛ぇ!」

「魔力の限界ね、今日はもう終わりにしましょう」

 アオイはそう言うと、腕を下ろした。木の案山子は地面に沈んでいき、水の案山子は水風船が割れるように消えていった。アオイがスイとレンに修復魔法をかけると、穏やかな光に包まれ、傷口と衣服の破れが元に戻った。

「さあ、わたしは帰るわね」

 一歩踏み出した瞬間、アオイの体は消えてしまった。

「瞬間移動ってほんと便利だよなぁ」

 レンはアオイのいた場所をまじまじと見ながら言った。

「レン、人間界を覗きに街の外れまで行ってみない?」

「はぁ? 別にいいけど、見てどうすんだよ。真っ白で何も見えないし」

「いいじゃん、隙間から何か見えるかも、ほら」

 スイは、レンの腕を引っ張り上げて立たせた。そして二人は街の外れ、本でいう天の方へと歩いて向かった。街と言っても、店があるわけではない。どちらかと言えば、集落の方が正しい表現かもしれない。ヴァイサイの街は住宅地のみで構成され、リーゴの大樹の向かいに王の城が建っている。本でいうと喉の天側に城、地側にリーゴの大樹が位置している。二人は、街中で鍛錬する者の邪魔にならないよう、周囲を確認しながら抜けていった。


 シュピゼの家はまちまちだ。木魔法の木造建築に住む者、波浪が何とも美しい水魔法の家に住む者、ヴァイサイにのみ存在する希少金属「トリン」を固めた家に住む者、各々が好きな場所に、好きなものを建てて暮らしている。

「着いた!」

「スイ、気をつけろよ。落ちちゃうぞ?」

「大丈夫だよ、防御魔法がかかってる」

 スイとレンは、しばらく周囲を眺めた。やはり白い靄がかかり、その先は見えない。

「レン、アオイはこれのことなんて言ってたっけ。うみ……だっけ?」

「……くもじゃなかったか? うみは人間界にある水のことだ」

「ああ、それそれ。ん、あそこ見て!」

 スイは広がる雲の一部分を指差した。何かが両手を広げて移動している。遠すぎて豆粒ほどの大きさだったが、それは間違いなく移動していた。

「何だありゃ? この雲を泳いでんのか?」

「あ、潜っていった。アオイはあれを見たことあるのかな?」

 スイとレンは、初めて見る何かに心惹かれた。アオイにあれは何なのかを聞きたくて仕方なかった。それと同時に、自分たちがなぜ心惹かれるのか疑問にも思った。強さ以外に興味がないのがシュピゼだからだ。このワクワクは他のシュピゼには理解できないだろうし、このことを話して白い目で見られるのは御免だと思った、少なくともブロスには。


 しばらく雲を眺めていたスイとレンは、夕焼けが綺麗な時間に家へと帰った。アオイは居らず、ブロスはソファに座って本を読んでいた。

「遅かったな、お前たち」

「あ、ああ」

 こんなに早くブロスが帰ってきていることに驚いた。いつもなら誰よりも早く起きて、誰よりも遅く帰ってくるのに。スイとレンは、雲を泳ぐ物体のことをアオイに尋ねられない状況にモヤモヤした。しかし、スイの好奇心は泉が湧く勢いで、心が決壊寸前だった。レンは、ブロスが答えるわけがないと悟り、椅子に座って指先から出る炎で器用にミニチュアの剣を作って遊んでいた。

 しかし、とうとうスイの心は決壊し、勢いよく噴き出す好奇心で口を開いた。

「ねえブロス、雲を泳いでる手を広げたやつは一体何?」

 レンはそれを聞いて軽く舌打ちをした。とんだ大馬鹿者だと落胆の意味を込めてスイを軽く睨みつけた。スイはそれに気がつき、レンに苦笑いを見せた。しかし、二人はブロスからどんな答えが返ってくるのか、すぐに意識をそちらへ集中した。

「何だ、それは。人間の世界のことなど知らん」

 予想した通りの答えが返ってきたのだが、嬉しさはなく、がっかりした。二人はブロスに向けていた視線を、別の方へと向けた。

「我々と無関係な種族のことなど知るわけがないだろう。人間なんて弱い生物になど興味を持つな」

「ブロスってよ、周りの奴らから博識なんて言われてっけど、そんなことも知らないのかよ」

「何だと?」

「前にアオイから聞いたけど、人間界に降りたことないらしいじゃん。なのに弱い生き物だって何で分かるんだよ。どうせ又聞きして、それを鵜呑みにでもしたんだろ?」

 レンは、火の玉でお手玉をしながらブロスを挑発した。ブロスは、ソファに座りながらレンのいる背側に右目を向け、睨みつけていた。

「人間たちが襲ってきたら、勝てるっていう保証でもあんのか?」

「人間がか? 片腹痛いわ。魔法も使えない種族だぞ、何ができるっていうんだ。まあお前の炎魔法程度なら、人間様が勝つかもな」

「おい、何だと?」

 レンはブロスの前に立ち、睨みつけた。ブロスもソファから立ち上がり、レンを見下ろすように睨みつけた。レンの指先が高熱を帯びた橙色に光り、バチバチと音を立て始めた。その指をブロスの眉間に向け、さらに睨みつけた。

「おいレン、ブロス。家の中だぞ。やるなら街外れに行きなよ」

 スイは、ぶっきらぼうに言った。散らかった家の後始末をしなければならない面倒な未来を予期したからだ。

 レンの指先から炎魔法が発動される、まさにその時だった。


「やめなさい!」

 スイの後ろから大きな声が聞こえた。アオイだ。スイはすぐに、レンとブロスの方に向き直った。すると二人は首から下が氷漬けとなり、身動きが取れなくなっていた。

「まったく、何なのよ。家の中では仲良くしてちょうだい」

 アオイは静かにそう言い、採ってきたリーゴの実を4つ、テーブルの上に転がした。

「仲良くか。それは人間界で教わったことか? シュピゼにそんなものは不要だ。止めなくたって、コイツの魔法は私には効かん」

 ブロスの身体が橙色に光り始めると、氷はあっという間に溶け、ブロスは自分の部屋へと向かっていった。アオイは、横を通り過ぎていくブロスを一瞥もせず、ただ立っていた。

「スイ、何があったの?」

「今日、レンと雲を見に行ったんだよ。その時に雲を泳ぐ何かが見えて、それについてブロスに聞いたんだ」

「雲を泳ぐ……。ああ、あなたたち飛行機を見たのね」

「ひこおき?」

「ええ、あれは泳いでいるのではなくて、飛んでいるのよ。あそこは空、空を飛んでるの」

「おい、そんなことより、この氷どうにかしてくれない?」

 アオイは、氷漬けになってジタバタするレンを見てうっかりした表情を浮かべ、即座に魔法を解いた。レンは肩をぐるぐると回し、伸びをした。

「んで、何だって? 空を飛ぶって? 人間は空中浮遊ができるのか?」

「まあそうね、飛行機に乗れば空が飛べるわ」

「すごいじゃん! シュピゼの浮遊魔法は、膝くらいの高さまでしか浮けないし、風魔法でもこの家の屋根くらいまで飛んで、ゆっくり降りることしかできないのに」

「そうね。あれがここまで来ることはないけど、人間界へ行けば間近で見られるわ」

 スイは人間の文明の利器を知り、より人間に興味を持った。レンもまた、スイとは別の理由ではあったが、人間に興味を持ちつつあった。

「行ってみたいなぁ」

「人間に会えば、俺は飛行魔法が使えるようになるかな?」

「分からないけど、誰も会得していない魔法だから、できたら凄いと思うわ。王の季めくりと同格かしらね」

「飛行魔法が使えたら、ブロスを超えられるかな」

 レンは拳を強く握った。それは悔しさを握りつぶす拳であり、希望を握りしめる拳でもあった。

「はぁ、強くなるために人間界へ行くのもいいでしょう。ただ、ブロスを超えるというなら、ここでできることもあるわ」

 アオイはそう言うと、引き出しから白銀色の角ばった何かを取り出し、レンの目の前に差し出した。

「トリンは知ってるわね? トリンは物理的に壊すことができるけど、魔力を吸収する性質があるから魔法では壊せないと言われているの。もしトリンの力を上回って壊すことができたら、ブロスよりも強いってことになるわね」

「おお、なるほど。サンキュー!」

 レンは浮いていたトリンを掴んで、部屋へと走っていった。ブロスの魔力を超えることに執着するレンだが、自分の魔力の本当の恐ろしさに気がつくのは、もっと先のことだった。


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