6話 本物の証明
社交の場を忌み嫌うゼヴィレンが、卒業前夜祭の公式な夜会に姿を現しただけでも驚きだったが、それ以上に目を引いたのは彼の服装だった。
慌てて出てきたのか、学生服の上から儀礼用のローブを適当に羽織っただけの格好で、場違いも甚だしい。それでも本人は一切気にする様子もなく、「これで十分」と言わんばかりの態度である。
本来ならば、その美貌が長い前髪に隠れているせいで周囲に埋もれがちだが、アルフレッドよりも格段の美丈夫であることは疑いようがない。侯爵家の子息として育てられた品のある所作が、無造作な身なりとは裏腹に滲み出ていた。
そんな彼が、ローブの内側を探りながら「ええと、どこだっけ……」と呟き、思い出したようにポンと手を打つ。そして、ぐしゃぐしゃに折り畳まれた紙を一枚取り出すと、満足げに広げてアルテイシアへと差し出した。
「はい、どうぞ」
訝しげに受け取ったアルテイシアは、紙の端に茶色いシミが広がっているのを見つけ、思わず息をのむ。だが、それ以上に彼女の目を引いたのは、紙質だった。滑らかで、透かしも入っている。それは彼女が触れたことのある、本物の証明書の手触りだった。
「うそでしょ……?」
それは、アルフレッドとアルテイシアの婚約破棄を正式に認める証明書だった。そして、そこには国王陛下の御名御璽が確かに記されている。
偽造すれば即刻死罪となる書類を、ゼヴィレンが軽々しく扱うとは思えない。
つまり、これは紛れもなく本物――。
「ね?」
ゼヴィレンが穏やかな笑みを浮かべ、囁くように言う。
その声には、どこか薄暗い愉悦が滲んでいた。
その時だった。
「ゼヴィレン」
軽やかな足音がホールに響く。視線を向けると、大階段の踊り場に立つ人影があった。
二階から優雅に降り立つのは、琥珀色の瞳を持つ王太子フェリックス。その隣には、扇で口元を隠しながら微かに肩を震わせるエリーチェ・フォン・レイトワールの姿があった。
アルテイシアはゼヴィレンと同時に深々と礼を取る。
それに遅れて、周囲の貴族たちが一斉に頭を垂れた。
「僕も見せてもらってもいいかな?」
「はい。どうぞ」
(軽ッ!)
従弟とはいえ、王太子に対してあまりに気安すぎる。
フェリックスはゼヴィレンから書類を受け取り、静かに目を通す。そして、一切の本音を感じさせない柔和な微笑を浮かべた。
「間違いないですね。父上の筆跡と御璽です」
しわしわになった紙をゼヴィレンへ返しながら、落ち着いた口調で続ける。
「日付は昨日ですね。すでに両家には通達済みのはず。おそらく、明日の夜会の後に正式な発表をするつもりだったのでしょう。よかったですね、アルテイシア。貴女は正式に、昨日付でアルフレッドとの婚約を解消したようですよ」
——婚約が、間違いなく解消された。
偽造でもなく、本物の国王の書類にその旨が記されている。
つい数分前、アルテイシアは公衆の面前でアルフレッドに一方的な婚約破棄を言い渡されたばかりだった。
その場にいた誰もが、「婚約者に捨てられた哀れな令嬢」としてアルテイシアを見ていた。その証明書が偽造だったとはいえ、彼女が「傷もの」の烙印を押されたのは事実だった。
貴族社会の現実を思うと、これから先、良縁に恵まれることはないだろう。家族に迷惑をかけてしまうという焦燥が、アルテイシアの胸を締め付けた。
そのとき。
ふわりと、手を握られる。
ゼヴィレンが、静かにアルテイシアの手を包み込んでいた。
まるで大丈夫だ、と安心させるような僅かな微笑みを向けられ、アルテイシアは目を見開いた。
彼はゆっくりと息を吸い込み、低く、静かな声で言った。
「では、次に君の名誉の回復の為。最も重大な問題について話そうか」
その言葉に、アルテイシアの意識が瞬時に覚醒する。
「——―パフィーネ嬢誘拐未遂事件の真相について」
ゼヴィレンの冷徹な声が、大広間に鋭く響き渡った。