呪いの絵画事件 ~後始末~ (完)
「あーも―、マジでどうすればいいのよ」
「どうしましたか、アルテイシア」
頭を抱えて執務室の机の上で突っ伏したアルテイシアに、同僚の第二秘書官のマリーエンスが翡翠の瞳を戸惑わせた。
王太子妃の筆頭秘書官である彼女が、職場で悶々と悩む姿は珍しくないが、様々な方面に多大なる影響を生じさせたあの婚約破棄事件騒動以来、その頻度が目に見えて大きくなっていると心配していた。
最近では頭痛薬に加え胃薬を常備薬にしているというから心配である。
「マリーエンスぅ。これ、どうおもう? どう処理したらいいと思う?」
アルテイシアがぺらり、と差し出したのは一枚の用紙だった。書類なのは間違いないが、と思いつつマリーエンスは「失礼して」と受け取った用紙の文面に目を走らせ、固まる。
「……。あの、エリーチェ様は、その。ご存じのことなのでしょうか?」
「多分、ご存じない事だと思うわ。王太子殿下が根回ししたことだと思うもの」
「うわぁ……。荒れそう」
頭を抱えて唸りながら再び机の上に沈み込んだアルテイシアに、マリーエンスは同情でしかないと顔をひきつらせた。同僚の左手の指先には深紅の指環が嵌まっているのだが、それが全ての元凶であるかの如く美しく光り輝いている。
「第二王女殿下にはその。さすがに王太子妃の筆頭秘書官を私用で貸し出すことはできないと、……。イエ、無理でした。ゴメンナサイ」
「被害が甚大になる気しかしなくて辛い」
「そうですね……」
こちら寄りの常識人であるマリーエンスにも「ご愁傷さまですとしか言えません」と呟かれてしまいアルテイシアは魂を口から飛ばしそうになった。片方だけの耳飾りがしゃらりん、と揺れて存在を示すかの如くぺたりと頬に張り付いた。
「一年経過しないと貴族社会では一般的に婚約はしないのが通例ですが、それを無視して強引に強硬したい、に間違いないですよね」
「うん」
一応、男性側の不貞行為が原因での婚約白紙という扱いになり、王太子と王太子妃という強力な後ろ盾のおかげで、アルテイシアと家名の名誉は守られた状態だ。
だが、それでも貴族社会の一般常識の方が強い。
婚約破棄後は一年の空白期間を置いてからの再婚約が相応しい。
一年を満たずに新たな婚約を交わした場合、貴族社会においては「常識知らずの尻軽」と見なされる。これはかなりの不名誉で、仮に社交に復活できたとしても居場所がなくなるほどの致命的な損失となる。
横の繋がりと壁の高さだけが凄まじいこの世界において、その「常識」の影響力は計り知れない。
ただでさえ注目を浴びがちな状況であることに加え、一連の事件を含めて、身に覚えのない不名誉な噂話をこれ以上集めたくないアルテイシアは、もちろん貴族社会における一般常識に即して行動する気満々だったのだが——。
「婚約者候補殿に正攻法が通用しなさそうなのが、痛いところですね」
「横のつながりも富も権力もあるからなおさらね」
「根回しの周到さだけを言えば、ありとあらゆる手を駆使しそうですものね」
「うん……。さらにそれを後押しする、身近な最高権力者の強硬手段が辛いです……」
隣国への輿入れに際し第二王女レイティアは、王太子の筆頭秘書官であり、元第二王女付き第二秘書官であったアルテイシアの期間限定の雇用を王太子妃に願い出た。
貴族社会において「貴族的体面」が女性の人生を守る手段であることを熟知している第二王女と王太子妃は一致団結し、アルテイシアを数か月国外へ逃がすことによって、彼女への関心を薄れさせ、本国で生活しやすくさせるための下地を整えてくれようとしていた。
王太子妃はレイティアの願いを快く受け入れ、アルテイシアには短期的な辞令が下された。曰く、「隣国の皇族に嫁ぐレイティアの秘書官兼護衛として、数か月間身辺を調整せよ」 とのことだった。
本当は一年間の留学も考えられたそうだが、流石に王太子妃の側近を一年間も外遊させていては、エーデワイト家の家名に響くということで留意されることとなった。
あの一件以降。面白半分でアルテイシアに求婚する貴族令息が急増し、事態を重く見た王太子妃と現王妃の進言によって、王命によりエーデワルト伯爵令嬢に対しての婚約の申し込みが一年間禁じられる事態にまで発展した。おかげで実家はほっとしたようだが、気が気でないのは幼馴染の方だったらしい。
卒業と同時に婚約、できればすぐさま結婚を勝ち取りたかった彼の目論見はこうして呆気なく潰えた、ように思えたのだが――。
亡霊貴公子はしぶとく、狡猾で粘着質で、執念深かったのである。
彼は親友でもある王太子の協力を取り付け、したたかにひそやかに、様々な抜け穴や盲点を突きながらいつの間にかアルテイシアの婚約者候補の座に収まっていた。婚約申し込みは無論、一年禁じられているので有効なのだが、候補となると話は別らしい。
ただ理解ができないのは、実家の父や兄たちも承認しているという奇妙な点だ。何故なのかはわからない。けれど、どんなに理由を聞いても実家は元より、王太妃は絶対に口を割らなかったので、何かしらの取引があったことは間違いないだろう。
うるさすぎる外野である社交界の貴族も、この件についてはだんまりを決め込んでいるので、最強のカードが使われた可能性がある。それが侯爵家の家名なのか、はたまた次期国王の従弟というカードなのかはアルテイシアの知るところではない。
「私の知らないところで、勝手に動かないでもらいたいものだわよ」
「まぁまぁ。エリーチェ様は、アルテイシア様側ですから」
王太子妃は浅からぬ因縁のあるゼヴィレンを、アルテイシアの婚約者としてただで認めるわけにはいかないと、敵愾心を燃やしているらしい。
「いったいどこから漏れたのかしら。輿入れに私が同行するの、秘匿されてたはずなのに」
敵が多いわけではないが、味方が多いわけでもない王太子妃の側近が急に削れるともなれば、海千山千の宮廷の怪物たちがどのような手段を講じてくるかはわからない。なので、当日まで秘匿される案件だったはずなのに、ここにゼヴィレンの名前があるということは、内部で情報を漏らした誰かがいるということに他ならない。
あとで見つけて締め上げるのは当然として――、目下の頭の痛い問題はゼヴィレンだ。
第二王女の輿入れに同行する名目で国外逃亡――、しばしの外国同行のためひっそり出国するはずだったのになんてことだ。
この事実をなぜか嗅ぎ取ったらしい塔の亡霊貴公子は、最高権力者たちと共謀し、地位と権力に物を言わせ、隣国への魔道具に関する技術供与と研究という名目で、輿入れの同行者の一行に紛れ込むことに成功した。先ほど見ていた書類は、随行者の氏名一覧表である。
「はぁ……。安息の日々が遠すぎる」
「皇国にとってもおいしい案件ですから、今更人員を変更するわけにはいきませんものね」
皇国側は魔道具の技術発展に力を入れているため、大変乗り気であり、急な話であったにもかかわらず一にも二にもなく追加の要員の同行を許可したのだという。
「く、国が平和というのは、良いことですね」
滅多に感情を揺らすことのないマリーエンスの顔が引きつるくらいには由々しき事態である。
「暇つぶしなら、他の者で遊んでくれたらいいのに。暇なの? ねぇ、暇なの!?」
「いえ……単純に遊んで楽しいからなのでは……」
「いったいなぜこんなことに。どこから間違っていたというのか」
「……それはゼヴィレン様と初めてお会いになった頃から、――いえ、ナンデモアリマセン。オホホ」
マリーエンスの小さな呟きが、アルテイシアの耳に届くことはなかった。
災禍というのは度し難い、呪いの絵画のようなものである。
【SS/呪いの絵画事件】
こんにちは。雲井咲穂です。
このお話は先日のホワイトデー事件のその後についてなんとなく書いていた短編を、さらにリライトしたものになります。ものすごく短いお話だったのに、いざ書き直すとゼヴィレンが変態すぎて暴走しすぎてしまって長くなり、申し訳ありません。
本編はいわゆるテンプレ系の、ありふれたお話だったとは思うのですが、キャラクターやささやかな設定に好きなものを盛り込んだお話なので、読みに来ていただけることがとてもありがたく嬉しい気持ちでいっぱいでした。
SSの方はオリジナルで自由に書かせていただきました。くすっと笑っていただけたら嬉しいです。
(牛乳を含んでいたら噴き出すくらい笑ってもらえたら本望ですが、どうぞ飲み物にはお気を付けください。私は書きながら咽ました)
お読みいただき、ありがとうございました!




