呪いの絵画事件 ~黒の中の赤~ 後編
やや戸惑ったような、申し訳なさそうな表情で、ゼヴィレンは黒髪の間からアルテイシアを見ていた。おずおず、というような心もとない様子で、開きかけた唇をすぐに閉じては開き、結局何も言うことができないという様子で戸惑っている。
しょんぼりというような言葉が全くもってぴったりなその雰囲気に、これまでの一連の出来事を思い出し沸騰しかけた感情がさっと落ち着いた。
感情の制御は面倒すぎる婚約者殿で慣れているつもりだったが、幼馴染のゼヴィレンに対しては何故か上手くいかない。それが今回のような面倒ごとに繋がったのだという自覚がある分、できるだけ落ち着いた対応を心掛けるべきだと、呼吸を落ち着ける。
「なによ」
腕を組んで視線を逸らすと、とことこ、と割合軽やかな足取りでゼヴィレンが歩み寄って来た。身長がかなり高い彼は近づくと首を大きく見上げることになるので、アルテイシアはそのままの格好でむっつりと押し黙った。
「ごめんね」
程よく開けられた距離の、僅かに滲む体温が手を伸ばす距離にあるのに、貴族の厄介ごとのせいで昔のように安易に触れられない。
いつまでも子供ではないのだ、と言い続けてきた自分を試すように、彼もまた動かないでそこに突っ立ったままだ。
「別に。もう怒ってないわよ。さっきまでは怒ってたけど。確かに。備品室のことは、自分のせいでもあるし」
「うん……。でもごめん」
頭上から静かに落ちてくる声を額の上で感じながら、アルテイシアは感情を抑え込むようにして、強い視線でゼヴィレンの胸のあたりをじっと睨んでいる。そうでもしないと、感情が溢れそうだった。
「あんただけが悪いんじゃないでしょう。扉の前の贈物、嬉しかったし。……流石に量は多すぎだとは思うし、婚約者がいる女性に対して貴族の男性がすべき常識的な行動ではないと思うし、厄介な贈り物も中にはあったけど。――そうでないものもあったから」
教師たちの回収のちの検分が無事終わり、「検閲済。安全」と走り書きがされたプレゼントの山を一つ一つ開封すると、その中にとても美しい耳飾りがあった。片耳だけだったが。
髪留めでも指環でも首飾りでもなく耳飾りなのは、遠い昔。好きなアクセサリーの種類はと聞かれ、なんとなく耳飾りと答えた記憶を覚えていた誰かのおかげだろう。
全く、記憶力が良すぎるのも嫌味に思えてくる。
「ありがとうゼヴィレン。とても嬉しかったから、ずっと大切にする」
掌にそっと握り込んだままの耳飾りを、つめられない距離を埋めるように二人の間でそっと開くと、上から落ちてきた熱い呼気が緩やかに早まった気がした。
ゼヴィレンの腕が小さく動いたかと思うと、手のひらの上に彼の手がそっと重ねられる。掌の皺を指先で辿るように、ほんの僅かに。
彷徨う指先はやがて片方だけの赤い耳飾りをそっと摘まんで持ち上げた。
つられるように視線を上げると、眉を下げて困った顔で目を眇めている美しいゼヴィレンの表情に息が詰まる。嬉しいのか、悲しいのか。複雑な感情がないまぜになったような色を映す、赤い瞳だ。
零れそうな言葉を必死で耐えているような切ない表情に、ぴく、と指先が動きかけるのを押しとどめ、アルテイシアが口を開きかけた時だった。
さらり、と耳の縁を大きな手がかすめた。
「っ」
ざらりとした指の腹が、耳の輪郭をなぞり、耳たぶに触れる。つん、と引っ張られるような感覚と同時に、少しだけ重みのある振り子のようなものが耳の下で揺らめいた気配がした。
ほどなくして離れた体温の名残惜しさに、気が付けばぎゅっと瞑っていた瞳をそろそろと開くと、ゼヴィレンが首を傾げて自分の左耳を見せた。
月のない夜。漆黒の髪の下。赤く零れるような雫の耳飾りが揺らめいていた。




