呪いの絵画事件 ~キャンバス~
――厄介な。
相変わらずのトラブルメーカー、というかトラブルの中心人物でしかない幼馴染のゼヴィレンは、窓際でぼんやりと外の景色を眺めているようだった。
先ほどから学年主任が青筋を立てながら何やかんやと説教を続けているのも耳に入らない様子で、ほどほどに広い教官の部屋の外に広がる、伸びやかな春の日差しを浴びる庭園を眺めている。
「二度と廊下を食べ物で汚さないこと。いいですね!」
マリキュア女史は歴史学の主任教授でもあり、いつもは温和な性格なのだが、このほど女子寮で生じた惨状を耳に入れるなり卒倒したそうだ。
その日のうちに犯人と関係者全員が集められ、アルテイシアはその中心人物としてゼヴィレンと共に居残りが命じられた。
エレインの忠告に従って教師を呼ぶべきところを、うっかり贈り物の魔道具の入った箱を開け、感情に任せて投げつけたことによって破壊。結果として暴走し、廊下が焼き菓子まみれになってしまったことを叱責されているのである。
「はい。……以後よくよく気を付けます」
「ご両親へは先ほど文をお出ししましたからね。いいですね、ゼヴィレン」
キッ、と眦を釣り上げ、マリキュア女史は黄金の髪の下のオレンジ色の瞳を窓際のゼヴィレンに鋭く向ける。
「いいですね?」
「はい」
ゼヴィレンは殊勝なふりをして非常に申し訳なさそうな表情で頷いた。粛々と肩を落とす、フリをしているのがアルテイシアだけには如実にわかり、思わず頬が引きつる。
うっすらと震える指先をぎゅっと握り込むと、あとで腹部に間違いなく一発お見舞いしようと強く決心する。
「二人とも、部屋を出てよろしい。罰則は美術室の備品室の掃除ですよ。さあ、行きなさい。もう面倒ごとは御免ですよ」
パンパン、と手を叩いてマリキュア女史は二人を部屋から追い出した。
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「本当に。――いい加減にしてくれるかしら。ゼヴィ」
埃っぽい備品室の、棚だらけの通路の一角でゼヴィレンに詰め寄ったアルテイシアは、人目がないのをいいことにカッと目を見開き、幼馴染を睨みつけた。
うっすらと黄ばみかけた古い布に覆われた彫像が並ぶ一角。かすかに漂う油絵具と木屑の匂いが、閉鎖された空間の静けさを際立たせる。
「ちょっと。聞いてる?」
よれよれになっている白いシャツの襟元に手を伸ばして、布が悲鳴を上げるのも構わずグイと引き寄せる。
眼前にあるのは、改めてよく見れば面立ちが非常に整ったゼヴィレンの顔だ。しかし、長年のあれやこれで、すでにこの顔面には相当な免疫がある。
もじ、と恥ずかしそうに視線を逸らす赤い瞳を逃さないように、反対側の空いている方の手でガッと顎を掴んで固定する。
「そんな……、積極的な」
「勘違いしないでくれるかしら? ゼヴィレン・ノイノワール・グリムリッジ」
顎を潰す勢いでぐっと力を込める。しかし、くしゃくしゃの顔になっても嫌味なくらいゼヴィレンの瞳は美しい。その頬が赤みを帯びて紅潮しているのが、なんとなく気持ち悪くて、アルテイシアはう、と息を詰まらせた。
「ほみに、ひゃれるのにゃら、ひょんみょうやよ」
「は?」
うっとりと恍惚とした表情をされるのがさらに、体中の産毛を逆立てるのに十分だった。これでは逆効果のご褒美だとばかりに、アルテイシアはがくりと力なく手を下ろした。
その代わり、フン、と鼻息荒く踵でつま先を踏んでやる。
「ぎゃんっ!」
犬が尾を踏まれたが如く悲鳴を上げたので、そちらは単純に痛かったのだろうと思えば、せり上がっていた溜飲がようやく下がった。
これで躾はしまいだと、アルテイシアは大きく嘆息する。
(まぁ、たぶん。悪気があってのものではないだろうから)
扉の前にこんもりと盛られたプレゼントの山はやはりゼヴィレンからの贈物で、その大半が危険物として没収案件となった。魔術の練習場に持ち込まれ、教師陣が集団で取り囲みながら開封し、中身の安全を確かめるのだという。
だからこそのマリキュア女史の怒りはもっともで、非常に申し訳ない気持ちが心に滲んでいく。
がくり、と項垂れながらアルテイシアは棚に立てかけたままになっている箒を手に取ると、ささっと床を掃き始めた。
ほどほどに掃除をされているものの、あまり立ち入ることのない備品室は、よくよく見れば木片や紙くずのようなものが端々に落ちている。
掃除は床の掃き掃除と、手前の棚に置いてある不用品を魔術焼却炉へ持って行くことである。小一時間もあれば終わるほどの罰則だが、これはおそらくゼヴィレンに対するお仕置きで、アルテイシアはお目付け役として配置されたのだろうと見当をつける。
アルテイシアに対しては異常なほど過保護な姿勢を見せる彼が、明らかに重そうな魔術胸像や上半身ほどの大きさのある絵画を運ばせるとも思えない。もちろん一緒に運ぶことは想定しているだろうが、ゼヴィレンが素直に持たせてくれるかどうかは疑問である。
ちらり、と背後を見れば、殊勝にも箒を動かしている様子だ。
(うん。ちゃんと掃除はしてるみたいね。よしよし)
リズミカルな音が聞こえる中で、ゼヴィレンは片手にした本をじっくりと読んでいる。
本を読んでいる。
本を、読んでいる?
ごしごし、とアルテイシアは目をこすった。
ついでに目の端に付いた模様のごみを取り外し、もう一度ゼヴィレンの方を見てみる。
けれど視界に映る風景は代わり映えがなく、完璧なほどゼヴィレンだった。
ぺらり、と一ページ、また一ページとめくりながら棚に背中を預け、あまつさえ欠伸までしている。
アルテイシアは箒を動かす手を止めて、とっくりと彼の姿を視界に入れた。
箒だけが非常に働いている。
有能だ。
有能でしかない。
自立した、意識を持った存在のようにこっちの端から、あっちの通路の先に向けて鼻歌でも歌っているかのような軽やかさで、非常に手際よく右に、左に。
アルテイシアは手に持っていた箒を一度構え直し、天井を見上げた。
天窓の向こうには穏やかな春の青空が広がっており、白い埃が光を受けてキラキラと空気の流れに沿って舞っている。
すう、と息を吸えば、ミシリと、箒の柄から複雑そうな音がした。
「ゼヴィレン」
「なんだい? アルテイシア」
名前を呼べば非常にうれしそうに本を閉じ、視えない尻尾を振るが如く、大型の獣のようなゼヴィレンが駆け寄って来た。
アルテイシアはにこりと微笑んで、箒を構え、容赦なく振りかぶろうと、した。
ガン、ガッ。
空間も考えず振り上げた箒の端が、背後の棚の頭の角に引っかかり、両手で振り下ろすと同時に中身が空だったこともあり、大きくバランスを崩す。軽い木の枠組みだけだったからだ。
「え? しま――っ!」
倒れてくる、と思った時にはもう遅い。
目を瞠る速度で、棚の一番上に置かれていたらしい、薄っぺらい四角い包みがアルテイシア目掛けて振り下りてきた。
「アルテイシア!」
視界が一瞬で真っ暗になったかと思えば、体をぎゅっと拘束される。
身動きができないまま、アルテイシアは意識を失った。




