【SS】ホワイトデーの「仕返し」?
バレンタインデーネタを書いたので、ホワイトデーということで
今回はゼヴィレンからのお返しを書きました。
お返し、というか。
「仕返し」になってしまっている模様です。
お楽しみいただけましたら幸いです。
こ、これはいったいどうしたことかしら。
引きつる頬を片手で抑えながら、図書館から寮の自室へ戻ってきたアルテイシアは、びしりと固まった。
広くもない通路の、自分の部屋の前に、何か不穏なものが山のように積まれている。
大小さまざまな形の箱がそこにはあった。可愛らしくないとは言い難い、上品な包装である。送り主は、アルテイシアの好みの色をよく理解しているのだろう。薄い桃色や淡い水色――柔らかな色合いの紙と、見事なリボンが目を引いた。
「……何これ、怖い」
明らかに異常である。
一つや二つならまだしも、数えきれないほどの箱が積み重ねられ、まるで小さな山のようになっていた。扉を塞ぐほど大量に置かれているのは、もはや嫌がらせの類と言っても過言ではない。
ただし、犯人の目星はついていた。
アルテイシアは、借りたばかりの本を小脇に抱え直すと、反対側の手で額に手を当て、長くため息をつく。
脳裏をよぎるのは、ワカメのようにうねる黒髪を持ち、陰鬱な雰囲気をまとった赤い瞳の青年の姿だった。
ちゃんと整えれば、間違いなく美麗な部類に入るのに、本人は外見にまるで無頓着である。一瞬整えても、すぐに伸び放題のくたくたな状態へと逆戻りしてしまうのだから、幼馴染であるアルテイシアも、最近は完全に諦め放置状態である。
ところが本人は、放置すればするほど構って欲しいとすり寄ってくるのだから非常に厄介だ。まるで手間のかかる大型犬のようで、一応婚約者がいる身としては、どんなに親しい幼馴染とはいえ自重せざるを得ない。
いつまで経っても昔のような距離間ではいられないのだと思うと、少し。いや、かなり寂しい気もするのだが、大人になるのはそういうものだとなんとか心に折り合いをつけられるようになってきたというのに。
あれでは婚約者の一人も見つからないという状況も、深く納得できる。
母親同士が幼馴染であるため、学校の休暇期間中ガーデンパーティーによく招かれるのだが、彼の母親が嘆いていたのも記憶に新しい。
「アルテイシアさん……。えっと、その大量の……なにかしら、それ?」
戸惑ったような声が、背後からさっと入った。
振り返れば、数少ない友人であり、同じクラスの委員長でもあるエレインが立っていた。丸い眼鏡の奥の水色の瞳が、どう尋ねればいいのか分からないというように、困惑に揺れている。
「あ、あはっ。え、ええと。ごめんなさい、エレイン。すぐに片づけるわね」
「ええと……。何か嫌がらせあしら? もし困っているのでしたら、いつでも相談に乗りますよ?」
エレインは、アルテイシアがパフィーネから陰湿な嫌がらせを受けていることを知っている。
日を追うごとにその内容が過激になっているため、さすがの彼女も何か手を打たねばと考えているのだろう。
――言えない。
研究狂いの亡霊貴公子と呼ばれて忌避されている幼馴染が、犯人だなんて。絶対に。
幼馴染の名誉を守るため……ではなく、そんな事実が知れたら、アルテイシアまで「変人」扱いされかねないからだ。
(ったく、セヴィレンめー! あとで覚えていなさいよ)
まずは腹部に一発。
そのあと、ワカメのような髪をガシガシと頭皮まで洗い、しっかり乾かして、香油を少し塗ったら、はさみで切り揃えてやる。そうすれば、あの陰鬱な外見も少しはまともになるだろう。
想像しただけで、なんだか心がすっきりした気分になる。
「それにしても……。どうしてこんな……。婚約者がいる女性に、ホワイトデーだからと贈り物をする殿方の気が知れませんわ」
「……ソダヨネ」
アルテイシアは、手近に転がっている淡い薄桃色のラッピングが施された小箱を屈みこんで一つ取り上げた。
箱の中で何かがコトン、と音を立てる。
エレインが興味深そうに寄ってきたので、アルテイシアはカラカラと箱を振り、その音から中身を検討してみる。
「なんでしょうか? 箱の中に、箱が入っているような……?」
「うーん。サイズ的に、大きなものが入っているわけではなさそうだし……空間があるのが不穏ね。何かしら」
「あ、開けても大丈夫なのですか? 一応、不審物として誰か呼んだほうが……」
しゅるり、と。
アルテイシアは、何の躊躇もなくリボンをほどき始めた。
エレインは、やや距離を取りながら、恐る恐るといった表情で後退る。
彼女の危機管理能力は全く完ぺきだったが、予想外の斜め上をいくのが、厄介な亡霊貴公子。ゼヴィレンであった。
リボンをほどくと、つるつるとした綺麗な包装紙だけが残った。アルテイシアは、その隙間に指先を差し込み、バリッと勢いよく破いた。
「ア、アルテイシアさん。その、やっぱり、やめた方が……」
じり、じり、とエレインがじわじわとアルテイシアから距離を開ける。
「だいじょーぶだいじょーぶ。送り主、わかるから。あいつは陰湿ないたずらをするタイプじゃないし」
ただ、ちょっと予想の斜め上をいくというか、良かれと思ってやったことがだいたい裏目に出るだけなのである。心根は素直……というか、非常に粘着質でうざったいところはあるが、多分誠実で、紳士的な……はずである。
うん。たぶん。
バリバリと豪快に破られた包装紙の中から現れたのは、まるで真珠のような光沢を持つ、とても高価そうな箱だった。淡く輝くその表面は、光を受けるたびに滑らかにきらめき、どこか神秘的な雰囲気を漂わせている。
「綺麗な箱ですね」
遠巻きな位置は変えないまま、意外だったとエレインが目を丸くしている。
だが、箱の送り主をハッと脳裏に思い浮かべたのだろう。その顔は、次第に引きつっていった。
「あいつにしては、なかなか」
「パンドラの箱、ということもありますし、やっぱり開けるのを待った方が――」
それでも、アルテイシアは「大丈夫、大丈夫」と呪文のように繰り返しながら、蓋に手をかける。
瞬間、箱の中から「チキチキチキ」と聞き覚えのない妙な音がした。
(なにかしら、この音……?)
不穏な予感がした時には、すでに遅かった。
ボォン!
それほど大きくはないが、何かが小さく破裂するような音とともに、白い煙がもくもくと立ちのぼる。
「っ!?」
視界が一瞬で白に染まる。煙の向こうにエレインの影が見えるが、その表情は全く読み取れない。さらに、口の中に妙な甘みが広がった。記憶になじみ深い、どこか香ばしい香り――。
バターと小麦粉と、砂糖の味だ。
霧が晴れていくと同時に、普段は冷静沈着なエレインが珍しく「キャーッ!」と甲高い悲鳴を上げたことに気づく。
やられた。
可愛げのある悪戯だとか、そんな甘い考えを抱いたのが間違いだったと、アルテイシアは頭痛がしそうな気持ちで額に手を当てる。
べたり。
額に何かが張り付いている。指先でつまみ、くんと香りを嗅ぐと、甘い。まるでよく焼いたクッキーのような匂いだ。
(……クッキーのような!?)
いや、まさしくそれではないか。
「くそが!!」
怒りに任せて、手に持っていた小箱を床に叩きつける。
バァン!
小箱は衝撃でへしゃげ、中からころりと何かが転がり出た。それは、宝石のように赤い石を中央に座した、クッキーの形の魔道具だった。
「うえっ!?」
パチパチッ!
魔道具が火花を散らしながら、ぼふんと白い煙を吐き出した。
ぽとん。
何かが、何もない空間から吐き出される。
それは、魔道具とまったく同じ形状の、焼きたてのクッキーだった。
刹那。
白い煙を吐き続けている魔道具の赤い魔石から、もりもりもりっ――と、無尽蔵にクッキーがあふれ出した。
「きゃぁああああああ!」
「誰か寮監を――いえ、先生を呼んで下さらない!?」
「く、クッキーが、床中に!」
「箒と塵取りを持って来て下さいませー!」
「皆様逃げてくださいまし! 危険ですわっ――キャーッ! クッキーが!」
廊下は瞬く間にクッキーの洪水に覆われた。
騒ぎを聞きつけて集まっていたらしい女性生徒たちが阿鼻叫喚といった様相で逃げ惑っている。
うねる川のように押し寄せる焼き菓子の波が、エレインたちを呑み込んでいく。アルテイシアは、ぽっかりと空いた空間に立ち尽くし、呆然とその成り行きを見守るしかなかった。
突如として現れた膨大な量の焼き菓子。
それはまるで生き物のように女子生徒たちを攫い、甘ったるい香りとともに、廊下の奥へと流れていった――。
「こ、これは、夢。これは夢よ。そうよ、きっとそうに違いないわ」
アルテイシアは現実逃避するように呟いた。だが、甘ったるい香りと、足元に広がる無数のクッキーの感触が、これが紛れもない現実であることを告げていた。
そのとき、カサリ、と何かが落ちる音がした。目の前に、ふわりと白い紙が舞い降りる。
「……?」
思わず指を伸ばし、それをつまみ上げてみると、そこには流麗で美しい、だが少し癖のある筆跡があった。間違いない、ゼヴィレンの――。
「ヒッ」
紙一面を埋め尽くすが如く、呪いのようにびっちりと書かれたその文言に、さしものアルテイシアも手を滑らせた。
手紙がひらりと舞い落ちる。
「あっ……!」
しかし、アルテイシアの伸ばした手が届く前に、手紙はクッキーの雪崩に飲み込まれ、あっという間に見失ってしまった。
――よし。
とにかく毟ろう。
理不尽な現実への怒りを込めて、アルテイシアは拳を握りしめる。
菓子の山に埋もれ行方が分からなくなったままの魔道具をその場に放置し、まずは事態を収拾すべく、研究棟へ向かって猛然と駆け出したのだった。
嬉しいご感想をいただき、本当にありがとうございました。
お優しい方もいるものだと、感謝しております。ありがとうございます。
この場を借りまして厚く御礼申し上げます。
感謝の気持ちを込めて、本日書下ろしの「ホワイトデー」をお届けさせていただきました。




