34 バイト経験は大事です
熊に出会ったらどうしたらいいのか。
どうしようどうしよう。
ちょっと落ち着こう。近年の熊出現率は苛烈さを極め、私が住んでいた田舎でもかなり近所での目撃情報が日々寄せられていた。
え、その目撃場所、車で5分かからないんですけど???
ってなっていた。
いつか出会うかもしれないと、100均で買った火薬銃、運動会とかでスタート時にパンと鳴らすあれを鞄に入れて墓参りに行ったこともある。どんな危険人物だ、今職質は受けたくないと真剣に思った。
お墓ってどうしても人気の少ない自然に近いところにありがちだ。正直なんの足跡だろうねという足跡を見つけたこともある。あれは熊の足跡だったのだろうか。
熊や熊らしきものの目撃情報やドライブレコーダーで撮影された映像が脳内を流れる。
もはや走馬灯のような思考の流れだ。いつもよりより多くの情報が流れている。
確か、背を向けて逃げてはいけない。
逃げるものを追うのは獣の本能だ。
目を合わしてはいけないんだったか、それとも目を逸らしてはいけないんだったか。
猫ちゃんだったらあまり目を合わしてはいけなかった気がする。目を合わせるのはメンチを切ることになる。敵対の合図。
猫と熊はどう違うんだ。熊猫はパンダだけど!
つかでかい。あれは本当に熊なのか?
まずそこからか?
もしかして魔物なのか?
熊についての情報が頭を高速でかけめぐる。
OSO18、ワンダーフォーゲル部、熊嵐、あとなんだったっけ。
どれも絶望を感じる実話だ。再現ドラマや特集があるとつい見てしまう。何回見ても怖い。
鼻が良くて足が速くて木にも登れて、顔を狙ってくる。爪で平行に切られると縫えないし感染症もやばい。一度獲物だと思ったものへの執着心がすごい。生きたまま食べるのはおやめいただきたい。その点ネコ科は頸動脈を狙ってくれるから優しいと思う。
とりあえず、刺激せずにこの場を離れることが第一優先。
なのだが、
なんせ、距離が近すぎる。50m離れていない。30mはある、かな。
四つん這いだった熊が上体を起こしこちらを向く。
気づかれた!?
でかい。目が合ってしまった。いやだって目をそらしてあっちを見ないのは無理でしょ。見ちゃうよ。
目が赤い。怖い。
震えながらなんとかストレージを念じる。熊の姿が見えなくなるのが怖くて正面ではなく右手横に扉を出す。出た。
その扉を開けて中に入ろうと熊から視線が一瞬外れたその時。
ものすごい速さで熊が動いた。その気配がする。圧がすごい。こっちに来る。速い。
なんとか体をストレージに潜り込ませようとしたがわずかに間に合わず。
迫りくる爪。
ぎゅっと目をつぶってしまった。
ドガン
という固いものがぶつかる音が響く。
肩に受けた衝撃に押されるようにストレージの中に倒れこんだ。
痛い。
倒れた時に打ったのか、痛む身体を起こす。動悸が激しい。ドクンドクンいっている。
おそるおそる体を確認する。特に衝撃を受けた肩のあたりを。
血は、出ていない。
代わりにうっすらと身体をつつむ光る膜が見える。なにこれ。
見ている間にその光はゆっくりと薄くなり、消えた。
えっと、今のは、何?
呆然とする。
助かったことが信じられない。開けたままの扉からはあの熊が獲物が消えて怒りまくっている姿が見える。
もしかして……
思いついて、服の中から紐を手繰り寄せる。
出てきた護符からは赤い石が一つ消えていた。
ぎゅっと握りしめた護符を額に当ててお礼を言う。
「ジルじいさん、ありがとう」
めっちゃ助かった!
これがなかったらどうなっていたか想像するだけでぞっとする。
ジルじいさん最高!!! 素敵! 惚れちゃう!! 世界一の魔道具職人!!
恐怖で心が縮こまっていた反動でテンションが上がる。
ほんと、
あの熊の突然の一撃を防げるってすごい。
自動防御? 結界? よくわからないけれど防御系な何かの魔法か何かが発動したのだろう。
あの日、もらった時にこれ、多分高いものなんだろうなーって思ったのでなくさないように紐をつけて首から下げるようにしたのだ。
大事なものは身に着けているのが一番安心できるから。
昔、おばあちゃんからもらった手作りのお守りをいつも身に着けていたのを思い出してちょっと懐かしかった。なぜかあのお守り、中に梅干しが入っていたんだよね。なぜだ。
ストレージの中に入れたので一安心だ。ここにいれば少なくとも物理的な攻撃は通らないはず。
ただ、見た感じ、熊さんは立ち去ってくれる様子がない。
さっきから、なんか吠えてるっぽいジェスチャーだ。
手当たり次第に辺りの藪を払い、探されている。
子熊は、いない、よね?
春先に一番危ないのが子連れの熊だ。母熊はとても気が立っている。
子どもにちょっかい掛けたら一発アウトだ。
この熊は子連れではないけれど気は立っているっぽい。
そんなに怒らなくても……
怖いけれど、なんとかしないとここを動けない。
とりあえず、熊は犬くらい鼻が良いはずだ。
熊スプレーの中身は確かカプサイシン。
一味唐辛子、105円で出しちゃうと瓶ごと出ちゃうのはロックタートルで確認済みだ。104円で中身だけ買う準備をする。
動き回る熊に、出す場所を定めきれない。もわっと出すにしてもあの速さだと当たらない可能性がある。
何か、気を引くものを、とストレージ内を見回す。
二ア農園でもらった野菜に目が留まる。
確か熊は雑食で、どちらかといえば菜食寄り、だった気がする。
異世界産人参を掴んで、扉の近くに投げつつ声を掛けてみた。
「い、いらっしゃいませ~!!」
普段あまり大きな声を出すことがない、ので。
とっさに口から出たのはバイトの時に繰り返し言いなれたフレーズだった。
すいません。
残金計算をミスっていて、
ちょっと倒せなくなりそうで
計算し直して組み立て直すので次話更新まで時間がかかります……
うどん食ってる場合じゃなかった




