ずっと一緒
「おーはよ、今日もかわいいね、付き合ってよ」
いつも通り朝起きて学校に向かうために玄関の扉を開けると、これまたいつも通りの声がした。鬱陶しいので、いないものとして、そのままその脇を通り過ぎる。
「ねえねえ、今日の数学の小テストの勉強した?」
「朝ごはん何食べたの?」
「今日のお弁当の中身はなんだろうね?」
学校に行くまでのわずかな道のりでもこれだ。こちらが返事をしようとしなかろうと、ひっきりなしにこちらに話しかけ続けている。一日の許容語数は正直言って朝でとっくに超えているからもう話さないでほしい。
ようやく自分のクラスにたどり着くと、朝からずっと口を動かしていたやつが
「じゃあねーまたねーお昼ねー」
となんだか名残惜しそうに隣の教室へと入ってゆく。隣のクラスへと歩いていく間も、背中をのけぞらせて、ギリギリまでドアから俺を見ようとしている。
「おはよう、今日もいつも通りだな」
「ふざけんな、こんないつも通りがあってたまるか」
隣の席でむくっと起き上がって声をかけてきたのは、親友の青柳光。地毛がサラサラの茶髪で、サッカー部のエース。体を動かしているからか、いつも机に突っ伏して寝ていて、授業はほとんど聞いていない。
「でもさあ、お前さん、いつも思うけど、なんであいつのこと嫌ってるわけ?理由を教えておくんなまし」
「わからねーのかよ、あんなに付き纏われて、正直鬱陶しいことこの上ないんだよ」
「ああ、全く贅沢なやつだなあ、ほんとに。あいつモテるからさ、ファンが今の言葉聞いたら激怒するぞ」
「一回やられてみたらわかるよ。家から学校に来るまででかなりの体力使ってんだ、こっちは。朝練並だよ、こちとら運動部に入ってもいないのにさ」
「そういやあいつは全然朝練来てねーな、たまには来ればいいのにな」
「知らねえよ、そんなことより、お前今日の数学の小テスト大丈夫なのかよ。赤点だったら放課後居残りになるぞ」
「ふあー、そういやそうだったっけ。まあいいや、勘で解けばいけるだろ」
「光はいつもそう言ってことごとく居残りになってるんだぞ、そろそろお前の勘というものは当てにならないことに気づけ」
「へいへい、でもさあ、机に座って教科書見ると寝ちゃうんだよ、俺の教科書よだれだらけだもん。見る?」
「見るわけないだろ、アホか」
2限の数学の時間。小テストを早々に解き終わったので、窓際の席の特権を遺憾無く行使して、窓の外を眺めて時間を潰していた。小さな頃からぼーっと過ごしていることが好きで、特に晴れの日なんかは、どこまでも吸い込まれるような青空をいつまでも眺めて過ごせるから大好きだった。今日は、春がもうすぐ終わり、夏が始まりそうな、そんな日差しが強い日で、細く開けられた教室の窓からは、体育の授業の賑わいが漏れ聞こえてくる。ふと校庭を見ると、サッカーの授業をしているようだった。一際歓声が大きくなる。よく見るとコートの中を颯爽と駆けて、ゴールへと今まさにボールを滑り込ませた生徒がいた。わっと同じ黄緑色のビブスを着た生徒たちが駆け寄っていき、肩を叩きながら笑い合っている。オレンジ色のビブスをつけた敵チームの生徒たちも、仕方がないと言った様子で、喜び合っている人々を眺め、コート外から見ている生徒たちも、興奮しながらお互いに何やら話し込んでいる。
その時ふっと風が吹き、釣られるようにその輪の中心にいた生徒がこちらを見る。風に靡く黒髪の動きがやけにゆっくりに見えて、ただこちらを真っ直ぐ見つめる目線に突き刺されて、思わず息を呑んだ。その刹那、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、こちらに手を振り始める。もう片方の手は口元に当てて、
「やっほー」
と間抜けな声がする。周りの生徒たちの目線がこちらに一斉に向いたので、慌てて黒板の方を向いた。やっぱりあいつはバカだった。
「ねえねえ、体育の時間見ててくれたよね。俺のナイスなボール捌き見てくれたの?え、感動したって?ありがとう!明日からも頑張れそうだよ!」
お昼休み、数学の小テストを乗り越えてぺこぺこにお腹を空かせた俺の前に現れたのは、朝からつきまとってくるうるさい奴。仕方がないので、空気のように無視してお弁当箱を広げたら、どこからか椅子を持ち出して、俺の机の横にピッタリとつけ、当たり前のように俺の机の上に弁当を広げ始めた。
「でもさあ、今日はあっついよねー昨日まで寒くてさ、ブレザー着ないとしんどかったけど、今日は外で体育やったらもう汗だくだよ。汗臭くないかな?」
自分で問いかけながら、ひとつ目のボタンを開けているワイシャツの襟を持って、自分で匂いを嗅いでいる。わかるわけないだろ、第一汗臭いかもしれないのなら、なおのこと近寄らないでほしい。
「涼、お前さあ、時々は朝練来いよなー」
「えー青柳は入ってくるなよ、困るんだけど」
助け舟を出してくれたのは光。さすが、サッカー部のキャプテン、赤点常連だけど。
「だって、朝練行ってたら、俺と侑が一緒に登校できなくなっちゃうだろ。朝練なんかに時間を使ってる暇なんて、1秒たりともないんだよ、こっちは」
「お前、仮にもサッカー部のキャプテンの目の前で言うセリフがそれかよ…」
「ねえねえ、そんなことよりさあ、体育の時間に目があったよね、あれはもう運命だよね?だって侑の方をぱっと見たらさ、侑もこっち見てくれてるんだもん。あれだよね、3秒以上目があったら恋に落ちるって言うよね?絶対3秒以上俺たち見つめあってたよね」
「涼、おい、ちょっと」
「青柳も入りたいわけ?せっかくの逢瀬なんだよ、青柳は天の川に隔てられて、1年に1回しか会うことのできない織姫と彦星の七夕をぶち壊すの?」
「1年に1回くらいだったら許してやるよ」
「…え?侑が今しゃべった?え?うそ、今日はとびきりハッピーな日になりそう、最高のプレゼントをありがとう。でも1年に1回だと俺萎れちゃう、侑不足になっちゃうよ、だからもっと会いにくることを許して欲しいんだけどな。なんなら天の川とか飛び越えて会いにきちゃう、俺足には自信あるからさ」
「そんな足なら、失くなっちゃえよ、まじで」
「え、今侑と俺で会話してるって感じがするね、いつもお話ししてるけど、いつにもまして会話してるって感じだよね?嬉しいよ、罵倒でも嘲りでも、呪いでも、侑から貰えるものはなんだって嬉しいよ」
「涼、お昼休み終わるぞ、そろそろ椅子返せよ」
「え、ほんとだ、楽しい時間は早く過ぎ去るって言うけど、真実だよね、もうちょっとお昼休み長くてもいいよね、俺校長先生に掛け合ってこようかな、じゃあね、侑またね」
「あいつ本当に騒がしいな…侑のさっきのあれはガチで呪いって感じだったし」
嵐のようなあいつが去った後、光がぽつりとつぶやく。なぜだか光のこの言葉は俺の耳にいつまでもこびりついて、離れなかった。
その次の日。いつも通り学校に向かうためにドアを開けると、異変に気がついた。玄関を開けてもあのうるさい声が聞こえてこないのだ。どこかに隠れて驚かそうとしているのかもしれないと、周囲を見回していつもの姿を探しながら学校へと向かう。家を出てひとつ目のT字路にも、途中にあるやけに大きな木の影にも、くつ箱にもいつもの姿はない。思わず手に入った静かなひとときに驚きながらも教室のドアを開けて窓際の席に着く。
「はよーあれ?涼きてないのか」
「なんか今日はいなかったんだ、おかげで久しぶりに静かな朝が過ごせたよ」
「ほおーようござんしたね。でも部活には来て欲しいわ、大会近いし、エースだし」
「大会っていつ?」
「再来週。見にくる?」
「あー光の活躍だけこっそり見て帰ろうかな、あいつのこと応援しに来たとか勘違いされるの嫌だし」
「あ、それいいな、あいつが本気出したら優勝できそう」
「お前、部活のために俺を売れるようなそんな薄情な奴だったの?」
お昼休みもあいつは来ない。文庫本を広げながらお弁当をゆっくり食べる。自分の机を広々と使えることも、久しぶりだ。あいつがいないと静かで、教室内の色々な人の会話が聞こえてくる。
「ねえ、美野くん今日学校来てないらしいよね?どうしたんだろ」
「わかんないけど、大会近いし、怪我とかしてないといいけどね」
「えー私応援しに行くつもりだったのに、涼くんいない試合とか見に行っても意味ないじゃーん」
教室内の会話は大体これだ。大体美野くんが、とか、涼くんが、とか主語があいつばかりになっている。
「さすが涼、モテモテだなあ。学校休んだだけでこの影響力か」
「光はなんか聞いたりとかしてないの?」
「いーや、特にメッセージとかも来てないし、普通に風邪でも引いたんじゃないか?腹出して寝ちゃったとかさ」
「馬鹿は風邪引かないだろ」
「じゃあ、あれかもな、ひとりで自主練してるとか。授業を休んで部活に勤しんでくれるなら、俺としては大歓迎、涙が出そう」
「そんなに部活に真面目に取り組んでたやつのようには見えないけどな」
「まあ、部活が好きかは置いといて、サッカーが好きなのはほんとっぽいよ。元々ずっとサッカーやってたみたいだし、部内の誰よりもうまいんじゃね?やってる時も、なんか純粋に楽しんでるっていうか、目がきらきらしてるし」
「へえ、キャプテンが一番上手くなくていいの?」
「いいのいいの、俺はチームが勝ってくれれば嬉しいの」
「じゃあまず、その大好きなチームのために定期テスト頑張ろうな。このままだと部活禁止にされるぞお前」
「勉強てつだって、おねがい」
それから1週間、あいつは1回も姿を表さない。クラスの中でも、あいつが何か大きな病を患ったんじゃないかとか、何か大きなトラブルに巻き込まれたんじゃないかとか、心配する声が大きくなっている気がする。光は、同じサッカー部で家も近いということで、お見舞いに行くらしく、あいつから見舞いにくるなら侑も連れてこいとかなんとかうるさく言われたようで、渋々俺もついていくことになった。
あいつのお母様に案内されてあいつの部屋のドアを開けると、ベッドの上で、包帯でぐるぐるまきになっている右足を少し高くあげて座っているあいつの姿があった。
「あ、侑だ、お見舞いに来てくれたの?久しぶりだね、嬉しいよ」
「おま…それ」
「え?これ?なんかさ、侑と最後にあったあの日に、部活が終わって家に帰る途中でさ、交通事故に遭っちゃって。幸い命に別状はなかったんだけど、足の神経がズタズタで、もう治らないかもって、お医者さんが。だからずーっとベッドの上だよ、侑に会えないのがつまらなくてつまらなくて、だからさ、会いに来てくれて嬉しいよ」
すーっと血の気が引いていく。指先がどんどん冷たくなって、心臓が耳にあるみたいに鼓動がうるさい。俺、最後にあいつに会った日、なんて言った?偶然かもしれない、呪いなんてあるわけない。でも、もしかして。あいつが事故に遭ったのって、もしかしたら、俺、のせい?
「ああ、そんな顔しないでよ、サッカー部引退するから、毎日侑と一緒に帰れるよ。昼練もなくなるから、毎日一緒にお昼が食べられるよ。ねえ嬉し」「ごめん、俺のせいだ、ごめん」
まともにあいつの顔が見られなくて、どこでもない1点を見つめたまま首を動かせない。俺の軽率な言葉で、俺はこいつから何を奪った?俺はいつもそうだ、いつも口が悪くて、いつもぶっきらぼうで。確かにこいつは鬱陶しいやつだけど、でも、傷つけるなんて本意じゃない。
自分がしでかしたことの大きさに愕然として、みじろぎもせずにうわごとのように、ごめん、ごめんと繰り返す。もはや何も目に入らない、何も聞こえない、頭を占めるのは、ただ、美野涼という人間の人生を台無しにしてしまったという罪悪感。時間の流れが止まったように感じる。
「ねえ侑?俺こんな足になっちゃったからさ、学校行くのも大変なんだよね、教室行くのも階段使わないといけないし。だからね、侑。俺と毎日一緒に学校行ってよ、俺と毎日一緒に帰ってよ。俺とずっと一緒にいよう?」
ああ、あの言葉で呪われたのは、もしかしたら-
ああ、かわいい。俺だけのことで頭がいっぱいになって、他のことなんて何も目に入ってない。侑、侑。君がくれたものなら、俺はなんでも嬉しいんだ。一生俺について回る呪いだって構わない。ちょっと痛かったけど、あんな一瞬なんて吹き飛んでしまうくらい、君のその歪んだ顔が嬉しい。
ずっと俺だけのことを考えててよ、ずっと俺に対する罪悪感を背負って生きててよ、もし君が俺から逃げて行っちゃっても、君の中にずっといる君の良心が俺を思い出させるんだ。そしたらずっと俺と一緒ってことだよね、嬉しいよ。君の頭の中にずっといられるなんて、俺は世界一の幸せ者だ。




