【短編版】聖女の妹の尻拭いを仰せつかった、ただの侍女でございます〜謝罪先の獣人国で無自覚に才腕をふるったら、何故か冷酷黒狼陛下に見初められました!?〜
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「ねぇ、お姉様? この前の私の生誕祭でね? 獣人国のお姫様に獣臭いって言ったら、国際問題に発展しそうなの。だから、私の代わりに謝ってきてくれない?」
「シェリー、また問題を起こしたの? ……って、国際問題………!? 貴方いくらなんでもそれは」
獣人国は、ここサフィール王国の防衛を担ってくれている隣の同盟国である。
そんな国と姫君に対しての暴言。謝罪で済むなら安いものだというのに、それを理解していないシェリーに、ドロテアは頭を抱えたくなった。
「だって、獣人国って野蛮な者ばかりなんでしょう? そんなところに行くの、怖いもの! それにほら、私は聖女の一人なのよ? 危険な目に遭ったら大変だし。今までは何かあっても全部お姉様はどうにかしてくれたじゃない!」
こぼれ落ちてしまいそうなほど大きな翡翠の瞳に、ぷっくりとした唇。さらりとしたプラチナブロンド。守ってあげたくなるような小柄で華奢な体型のシェリー。
彼女はサフィール王国で三人しかいない聖女のうちの一人だ。
聖女と言っても、何か特別な能力を有しているわけではない。
この国の基準で極めて見た目が整っている、美しいとされる女性が賜る称号のことである。生誕祭が行われるくらいだから、その重要性は言わずもがなだろう。
「確かに貴方は聖女だし、第三王子の婚約者でもあるから特別な存在だとは思うわ。……けれど、相手は獣人国の姫君でしょう? 流石に今回は私がどうこうできる問題じゃ……」
「だから! 獣になんて頭を下げたくないって言ってるのよ私は!」
キーンと耳に響くような高い声に、ドロテアは目をギュッと瞑る。
シェリーは昔から、自分の意見が通らないと気が済まない質だった。
その相手が、二十歳という貴族令嬢としては良い歳だというのに夫はおろか、婚約者もおらず、侍女として働いているドロテアならば尚更だった。
「お姉様、頭だけは多少良いのだから分かるでしょう? 今は我が家だけの問題で済んでいるけれど、放っておくと大変なのよ? 誰かが謝りに行くしかないの! もちろん、お父様もお母様もお姉様が行くことに賛成してくださったわ? ね? 嫁の貰い手がなくて、働くことしか能のない売れ残りのお姉様が家のために出来ることって、これくらいじゃないかしら?」
──嫁に行けるなら行くわよ私だって! と思ったものの、今それを言ったところで根本的な解決にはならないので、ドロテアは言葉を呑む。
シェリーがこうなったら絶対に自分の意見を変えないことを分かっているドロテアは、渋々コクリと頷いた。
「じゃあお願いね!! お父様が確か、旅費だけは出して下さるって言っていたから、後は全て任せたわ!」
もう明日になったらこの話題は忘れているのだろう。
そう感じるほどに無邪気に笑うシェリーに、ドロテアは小さく溜息を漏らす。
(仕方がないわね。貴族たるもの、民の生活に皺寄せが行くようなことはできないもの。それに、これで誰も謝りに行かないんじゃあ、あちらのお姫様にあまりに申し訳ないし……)
軽い足取りでドロテアの部屋から出ていくシェリーの後ろ姿を見つめながら、ドロテアはトランクに大量の本を詰め込み始めた。
──二十年前。
ランビリス子爵家の長女として生を受けたドロテアの顔を見た両親の顔は苦いものだった。
きりりとした鋭い瞳に、薄い唇。隔世遺伝で引き継いだ老婆のようなグレーのうねった髪の毛。
『ドロテアの顔では……良縁に恵まれることは厳しいだろうな』
そんな父の言葉は、ドロテアが三歳の頃に呟いたものだ。
悲しきかな。聡明だったドロテアには、父が言わんとしていることがなんとなく理解できた。
そんな折、ドロテアの誕生から三年後のこと。
まるで天使のような容姿で産まれたシェリーは、それは大層可愛がられた。それから両親はシェリーにかかりきりで、ドロテアは同じ屋敷に住んでいても両親と会話することは殆どなかった。
ここサフィール王国では、ドロテアのような顔つきは全く好まれなかったのだ。反対に、シェリーのような顔つきは大層好まれたのだった。
シェリーが聖女に選ばれてからなんて、両親の瞳にドロテアが映るのはシェリーの尻拭いをしろと命じるときくらいだった。
とはいえ、なんだかんだ殆どの令嬢は社交界デビューを迎えるとどこかの令息と結婚する。
……のだけれど、ドロテアはその限りではなかった。社交界デビューは済ませたものの誰からも声はかからず、世間話でもと何人かの令息に話しかけることはしたが、暫くしたら皆顔を引き攣らせて去って行ったのだ。
流石にドロテアも、そこまで私の顔は酷いのかしら……とショックを受けたが、そのとき侍女として働かないかと声をかけられたことで現在に至る。
ドロテアは事の顛末を主に伝えてから、三日間の準備の後、獣人国レザナードへ旅立った。
レザナードは、様々な種類の獣人が住まい、非常に豊かな国だ。
小国であるサフィール王国に敵が侵入してこないのは、ひとえに獣人たちが防衛を担ってくれているからに他ならない。
王の名は、ヴィンス・レザナード。冷酷非道だとか言われているらしいが、実際のところは謎だ。
「ここが……獣人国レザナード」
(少数は人間が暮らしているみたいだけれど……)
──どこを見ても、獣人、獣人、獣人……!
「……ああ、可愛い。お耳も尻尾も触りたい……可愛い。もふもふしたい……可愛い……。って、浮かれていてはだめよ! 謝罪をしに来たのだから……!」
ニヤけてしまいそうな口元を抑え、ドロテアは眉尻を下げる。
ドロテアは、見た目に反して大の可愛いもの好きだった。特にふわふわとしたものは別格に。
(ああ、これが旅行ならば……!!)
そう思うものの、後の祭りだ。それならば、とドロテアは気持ちを切り替えることにした。
「けれどそう! ずっっっと来てみたかったレザナードに来られたんだもの! 少しくらい街を見たってバチは当たらないはず。獣人さんたちのお耳や尻尾を、観察するくらいは……」
シェリーの代わりにドロテアが謝罪に向かうことは、既に連絡済みだ。あと五時間ほど時間はあるし、謝る相手が居ないのにうだうだ考えているのは時間の無駄というもの。
「さあ、行きましょう」
ドロテアはトランクを片手に、涼し気な紺色のワンピースをひらりと揺らしながら街へと足を踏み出した。
それから謝罪に向かう時間になるまで、ドロテア密かには獣人たちに興奮しつつ、休憩することなく観光を楽しんだ。
その中で思い出に残る言葉といえば──。
『私たち獣人はね、見た目で怖がられるときがたまにあるけれど、皆優しいのよ。もし怒るとしたら、家族や大切な者たちを傷つけられたときくらいかしらね』
その言葉は、ドロテアの心に深く刻まれたのだった。
「──けれどこれは、許していただくのが大変になってしまったかも」
何故なら、その大切な対象である妹君に対して暴言を吐いたのだから。
「ああ、頭が痛いわ……」
しかし、残酷なことに時は平等に進む。
ドロテアは入城すると、案内してくれる人物を待った。
「──陛下のところまで、俺が案内をいたします」
そう声をかけてくれたのは、王場内に配置されている騎士と同じ鎧を着用しているものの、どこか風格がある獣人の男だった。
「ありがとうございます。サフィール国から参りました、ドロテア・ランビリスと申します。案内をよろしくお願い致します」
「犬の獣人の、レスターと申します」
レスターと名乗る青年は漆黒の耳に、漆黒の髪。同じ色の太くてしっかりとした尻尾。全てを見通すような金色の瞳からは何故か一瞬目が離せなくなる。
(な、なんて美しい瞳……それにとても格好良い……今まで見たどんな殿方よりも……)
顔のパーツが整っていて、眉目秀麗とはこのことを言うのだろうと思うほどに、完璧だ。
ドロテアは面食いではなかったけれど、流石にここまで格好良いと、ついつい彼のことを凝視してしまう。それに、女の中ではかなり高身長のドロテアよりも頭一つ分は優に高く、かなり高身長でもあった。
「どうかされましたか?」
「……い、いえ、申し訳ありません」
あまりの顔面の良さにぼうっとしてしまったが、ドロテアは気を引き締めてレスターの後をついていく。
(……ん? あれ、何だか……)
レスターに少し気になるところがあったものの、振り返った彼が「少し歩きます」と言うので、ドロテアは「はい」と小さく返したのだった。
サフィール王国の王城と似たようなものだが、それにしたって倍は広い。広いですねと呟くと、王の間まで十分ほど歩くという返答が返ってきた。
「なるほど。ありがとうございます」
ご丁寧にトランクまで運んでくれるレスターは、どうやら優しい青年らしい。民はまだしも、王に近い存在とあればシェリーの発言も知っている可能性が高いため、冷たい仕打ちを受ける覚悟をしていたのだけれど。
(レスター様は、事の詳細を知らない? けれど、それにしては物凄く周りから見られるのよね……)
騎士や文官と擦れ違うたびに、ぎょっとした目で見られていることに気付いているドロテアは多少居心地が悪かった。
「失礼ですが、このトランクには一体何が?」
「ああ、ご安心ください。怪しいものは何も。私が準備できる、陛下と姫様への謝罪の品でございます」
「…………ほう」
(……ん? 何か今、レスター様の雰囲気が……)
先程までの雰囲気とは違う、少し圧があるように感じたが、それは一瞬のことだったので、ドロテアはさほど気にしなかった。
「事前に中身をご覧になりますか? 怪しいものだという判断でしたら、破棄していただいて構いませんし」
「……いえ。わざわざ妹殿の代わりに謝罪に来た貴方が変なことはしないでしょう?」
「……はい、それはもちろんですが……」
どうやらレスターは、細やかな事情まで知っているらしい。もしや、この風格は、一介の騎士なのではなく、王の側近、もしくは姫の護衛騎士だからと考えると、ドロテアは腑に落ちた。
「それにしても、貴方も大変ですね。サフィール王国の聖女は性格が中々に難ありだという噂を聞き及んでいますが、まさか他国にまで謝罪に来るとは。妹に対しての尻拭いはこれが初めてではないのでしょう?」
「……! よくご存知ですね」
「そりゃあ、大切な姫様を愚弄した者の身内のことくらいは調べるさ」
「……っ」
まただ。また、雰囲気が変わった。気を抜いたら腰が抜けてしまいそうなそんなレスターの圧に、ドロテアの額には汗が滲む。
(当たり前だけれど、そりゃあ怒っているわよね……)
獣人は身内や仲間を大切にする種族。国王だけでなく、家臣が怒り狂っていても何もおかしな話ではないのだから。
ピタ、とドロテアは足を止める。偶然にも周りには騎士や文官がおらず、このだだっ広い王城の廊下で二人きりとなった中で、ドロテアはレスターに対して深く頭を下げた。
「大変申し訳ありませんでした。暴言についてはもちろん、妹本人を連れてこられなかったことも、大変申し訳なく思っております」
「……何故、俺に謝罪を? もしかして怖かったですか?」
ドロテアはゆっくりと顔を上げると、ふるふると頭を横に振った。
「少し怖かったのは事実ですが、謝罪したのは怖かったからではありません」
「では何故?」
「姫様への暴言で傷付いているのは、姫様だけではないと思ったからです」
「………………」
レスターは黄金の瞳をすっと細める。その瞳に射抜かれたドロテアは、慎重に言葉を選んだ。
「家族や仲間を大切にする心優しい獣人の皆さんは、姫様が傷付かれたら同じように傷付くのではと思いました。少なくとも、レスター様からは、怒りと同様に悲しみを感じました」
「………………」
「……本当はこの国に来るまでの間、許しを得るためにどう交渉しようか色々考えました。獣人国が我が国との貿易により有利に進められるよう、私の持ち得る知識を全て渡そうかとか、関税を下げさせたいとお望みならば、どのような品ならばその要望が叶いやすいかお伝えしようか、とか」
「待て。それは独断でか? 何か学んでいるのか?」
「知識を得ることが趣味でして……権限はありませんが、お役に立てるかと」
もちろんドロテアは一介の子爵令嬢なので、確約はできない。けれど、自身の持ち得る知識には自信があった。多少は役に立てるかもと思ったのだ。
けれど、考えているうちにドロテアは我に返った。
姫が事を荒立てず、国王がシェリー自身に謝罪を求めた、その理由を。
「けれど、そんな政治的なことを求めているならば、今の状況にはなっていないはずです」
「………………」
「代わりの私では、完全に怒りを鎮めていただくのは難しいでしょう。……でも」
ドロテアは再びゆっくりと頭を下げた。
思わず見てしまうほど美しいその姿に、レスターの黄金の瞳の奥が少し揺れる。
「怒りは、その人の心を蝕みます。私の謝罪で、ほんの少しでも皆様の心の傷が浅くなればと、そう願わずにはいられないのです。貴方方の大切な姫様を、愚弄したこと、大変申し訳ありませんでした」
「…………お前……」
レスターは顎に手をやると、何やら考える素振りを見せる。
しばしの沈黙を解いたのは、レスターの「顔を上げてください」という柔和な声だった。
「貴方の気持ちは分かりました。しかし、陛下や姫様が貴方の謝罪を受け入れてくださるかは分かりません」
「……もちろんです」
「それに陛下には冷酷非道という噂があるのはご存知ないのですか? 殺されるかもしれませんよ」
「いえ、それはないと思います」
「…………! ほう、それは何故?」
レスターに問いかけられ、ドロテアは曇りのない瞳で彼を見つめた。
「争いを仕掛けず謝罪の要求で済ませたこと。妹本人ではなく、私が謝罪する場も設けてくださったことからも、血も涙もないような方とは思えません。どころか、こう思えてならないのです。……陛下は、とてもお優しいお方なのではないかと」
刹那の沈黙。先程はレスターが破ったものの、その静寂はしばらく続くが、それは突然解かれた。
「あはははははっ!!!!」
「…………!?」
突然のレスターの笑い声に、誰もいなかった筈の城内の廊下に、続々と獣人たちが集まってくる。
猫、狐、兎、犬などの様々な獣人たちが何事だと覗うような目を向けてくる中、ドロテアはそこで、はたと気付いた。
(あれは、犬の獣人よね……レスター様も、確か犬の獣人だって言っていたけれど、何か違和感が……って、そうだわ! 確か犬と狼に関する本で……)
そこで、ドロテアはふと気付いてしまったのだ。何故、レスターの後ろ姿を見て違和感を持ったのか、何故、彼にただならぬ風格を感じるのか。
「あ、あの、もしかして──」
「ドロテアと言ったな。わざわざ妹の代わりに謝罪に来る変人だとは思っていたが──想像以上だ。……もう演じるのは辞めだ。説明は後にして、さっさと行くぞ」
「えっ。……きゃあっ!!」
突然の浮遊感。膝裏と背中あたりを支えられ、所謂お姫様抱っこをされたドロテアは、ぎょっと瞠目した。
「あっ、あの、貴方様はっ」
「口を閉じていろ。舌を噛むぞ」
「……へっ、て、きゃぁぁぁあ!!!」
獣人は体が強靭だ。力はもちろん、人間に比べて足も早い。
一応落とさないよう抱き締めてくれてはいるが、それでもドロテアは振り落とされるのが恐ろしくて、彼の首元をギュッと掴むと、ふ、と彼から愉快そうな声が届いた。
王の間まであと半分の道のりだったというのに、およそ数十秒で到着したことから、肉体の差をまざまざと知ったドロテア。
新たな知識を手に入れた喜びと、あまりの速さに恐怖で心臓が激しく鼓動した。
「さて、入るか」
「お、お待ち下さい……! このままでですか!? というか、貴方様は──」
ドロテアの声を遮るようにして、ギィ……と王の間の扉が開き始める。
男が騎士たちに目配せをするだけで開いたことも、入城してから、痛いほどに周りから視線を向けられたことも、やはり、そういうことで間違いないのだろう。
(このお方は──)
完全に開かれた扉。最奥にある玉座が空席だったことでより一層、それは確信に変わる。
ドロテアは懇願するように男に下ろすよう頼むと、渋々といった様子で下ろしてくれた彼に礼を述べてから、ドレスの裾を掴んで頭を下げた。
「……改めまして、先の件の謝罪に参りました、ドロテア・ランビリスと申します。……ヴィンス・レザナード国王陛下」
「……ほう、やはり気付いていたのか。聡いな」
そう言って、男はスタスタと歩くと玉座に腰を下ろした。下から眺めているからだろうか、長い脚がより際立っている。
(あれが、獣人国の王……写真がなかったから顔を知らなかったとはいえ、気付くのが遅すぎたわ)
「面を上げろ」との声がかかり、ドロテアはゆっくりと顔を上げていく。
既に王の間にはおそらく姫と思われる女性に、側近と思われる数名の獣人たち。部屋の端には騎士たちが集まっていた。
「ドロテア嬢、はるばるよく来たな。さて、話したいことは山程あるが……まず聞こう。何故俺が国王だと分かった? 俺は挨拶のとき、犬の獣人だと自己紹介したはずだが」
「……それは──」
獣人国の王が黒狼であることは、有名な話だ。だから、ヴィンスは疑問に思っているのだろう。
(分かったとはいえ、すっかり騙されましたけれど)
謝罪に訪れた、一介の子爵令嬢のドロテアには素直に口を開くしか選択肢はなかった。
「他の犬の獣人の方と比べて、陛下の尻尾が常に真っすぐであったことが、一番の手掛かりでした。犬の尻尾はくるりと丸くなっていることが多いと文献に書いてありましたので」
「ほう。それで?」
「あとは陛下が大笑いしたときの歯です。犬よりも鋭く太い歯がちらりと覗いておりました。金色の瞳も、陛下の特徴だと聞いておりましたので、当てはまるな、と。あとは風格です。……失礼ながら、一介の騎士様とは思えないほどに風格がございましたので」
ドロテアの説明に、ヴィンスはククッと喉を鳴らす。
何か面白い玩具を見つけたかというように細められた瞳に、ドロテアの心はざわりと揺れた。
「中々観察力に優れているらしい。その能力は侍女の仕事で培ったものか?」
「……優れているなどと、身に余るお言葉でございます。私は一介の子爵令嬢で、ただの侍女でございますゆえ」
全てを見透かしていそうな金色の瞳から目を逸らすことなく、ドロテアは凪いだ声色で言葉を返す。しかし内心はそれほど冷静ではなかった。
(そもそも、どうして陛下は偽るようなことを?)
それに、自惚れでなければ何故か謝罪相手から褒められているのだ。
よく主のロレンヌも褒めてくれるが、ドロテアは褒められるようなことをした覚えはないので、いつも困ってしまうのだけれど。
すると、ヴィンスはより一層楽しそうに口角を上げて鋭い歯を覗かせたかと思うと、ちらりと妹に目配せをした。
姫はその意図に気付いたのだろう。コクリと頷くと、ドロテアに視線を寄せた。
「さて、そろそろ本題に入ろうか。ドロテア嬢、君は自身の妹の代わりに、俺の妹であるディアナに謝罪に来た──そうだな」
「はい、左様でございます」
「──だ、そうだがディアナ。お前はどうしたいんだ」
話の矛先がディアナへと向く。
ヴィンスと同じように漆黒の耳と尻尾、金色の瞳。髪の毛も艶々とした漆黒で、お尻にかかるほどに長く、美しい。
シェリーよりも大きな瞳に小さな顔、外に出たことがないような真っ白で陶器のような滑らかな肌。守ってあげたくなるような華奢な肩に、ドロテアはつい目を奪われてしまう。
(絶世の美少女……ああ、なるほど。だからシェリーはわざわざ姫様に暴言を吐いたのね)
自身よりも美しいディアナを辱めたかったのだろう。
シェリーの性格をよく知るドロテアにはそのことが手に取るように分かり、余計に申し訳無さが募って「申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げていると、鈴が転がるような声で面を上げてと言われ、ゆっくりと指示に従うと。
「ドロテア様、貴方が謝る必要はありませんわ。それに、此度の件、別に私は何とも思っていないのです」
「……え」
姫が嘘をついている感じはしない。ならば、どうしてなのか。
ドロテアはできる限り冷静に頭を働かせると、それは直ぐ様理解できた。
「もしや姫様は……姫様のために怒る方たちのために、謝罪の場を設けるよう陛下に進言したのですか?」
「ええ、そのとおりです。よく分かりましたね」
つまり、寛容な姫は愚かなシェリーからの暴言など毛ほどにも思っていなかったのだ。そりゃあ事を荒立てる気にもならないはずである。
しかし、周りがそれを良しとはならなかっただろう。
大切な相手──我らが姫様が、愚弄されたままだなんて許せるはずがなかった。だから、謝罪の場を設けるという案を出したに違いない。
これならば、周りの家臣たちの怒りは多少静まるし、姫も家臣たちの思いに報いることが出来るから。
「失礼ながら、国王陛下が身分を偽っておられたのは、私の本音をここにいる皆様に聞かせる為だったのですね」
ドロテアの視線がヴィンスに向けられる。
ヴィンスはふっと小さく笑みを零した。
「……本当に鋭い奴め。何故そう思った?」
「それは獣人の皆様の特徴──いえ、能力と申しましょうか。それを利用したのかと。……確か、獣人の皆様は、人間よりも何倍も耳が良いのですよね」
「良く知っているな。本当にお前には驚かされる」
獣人の耳が良いことは、以前から知っていた。しかし、どの文献にも具体的なことは書いていなかった。
しかし、王の間に来る前のこと。
誰の姿もなかったはずだというのに、ヴィンスが笑い声を上げた瞬間、遠方から続々と獣人たちは現れた。
ヴィンスの声は耳を塞ぐほどの大きな声ではなかったし、屋敷の造りが声を反響するようなものではないことは確認済みだったので、それは獣人たちの耳の良さを表していたのだ。
つまりヴィンスの行動はおそらく、王の間に来てからよりも、それまでの方がドロテアの本音が聞けると思ったからなのだろう。
「ディアナは怒ってはいなかったが、俺は多少お前の妹にムカついていてな。謝罪の気持ちが伝わってこないようなら、もう一度サフィール国へ抗議するつもりだった」
「そうだったのですね」
「最初は泣く泣く謝罪に訪れ、適当に謝罪の品を渡してことを済ませようとする女かと思ったんだが……。具体的な交渉案もあるのに、それよりも真摯な謝罪を重要だとするその姿勢、俺は嫌いじゃない。お前たちもそうだろう?」
ヴィンスが家臣たちに問いかけると、全員が深く頷く。
それは、ドロテアの心からの謝罪が届いた証でもあった。
「……っ、本当に、愚妹が姫様に無礼を働きましたこと、大変申し訳ありませんでした」
ドロテアは改めて頭を下げる。同時にヴィンスは立ち上がると、コツコツと音を立ててドロテアの前まで歩いて来ていた。
「もう謝らなくても良い。お前の謝罪は、こいつらにきちんと届いた」
ヴィンスに続くようにディアナもドロテアに近付くと、やや腰を屈めて微笑みかける。
「ふふ、ドロテア様、本当にもう良いのですよ。それより、実は入城当初から気になっていたのですが……謝罪の品って、何を準備してくださったのかしら? あっ、違いますのよ!! 見定めるとかそういうことではなく、たった一人で獣人国まで来て、私たちの心を癒そうとしてくださったドロテア様が何を持ってきてくださったのか、その、興味がありまして……」
少し恥ずかしそうにしながら、ふわふわの耳がピクピクと動く様子にドロテアは破顔しそうになるのを必死に抑える。
ドロテアは気を引き締めてから、トランクの殆どを占めていた大きな袋を取り出した。
「姫様にはこちらをご用意いたしました。喜んでいただけると良いのですが……」
「何でしょう?」とニコニコしながらシュルリと赤いリボンを解いていくディアナ。
そんな彼女の手元を、その場にいる全員が凝視していた。すると。
「まあっ、これは……! なんて可愛いのでしょう!」
ディアナは嬉しそうにそれを被る。淡いラベンダー色の生地。小さな顔がより際立つような広いつば。てっぺんからひょっこりと見えるふわふわと黒い耳。
「姫様が、お耳を気にすることなく着けられる帽子をお探しだと耳にしましたので」
ドロテアはそう言うと、トランクから手鏡を取り出してディアナを映す。
「まっ、まあ! お兄様見てください! お耳が潰れない帽子ですわ! 私、ずっとこういう帽子をつけてみたかったんですの!」
「ああ、よく似合っている」
獣人国に売られている帽子は、耳に当たらないように作られている小さなものばかりだ。それも大変可愛らしいのだが、ディアナが興味を持っていたのは、すっぽりと頭を包み込むようなタイプの帽子だったのである。
しかし、そのまま被れば耳が潰れてしまう。それでは痛いし、帽子の形も崩れてしまう。
そこでドロテアは考えたのだ。ディアナが被りたい帽子を被れるよう、耳の部分には切れ込みを入れたら良いのだと。もちろん、切れ込み部分には耳が痛くならないよう柔らかな生地を使い、着脱の際は少し緩められるよう、耳の部分のサイズ変更もできる仕様になっている。
「姫様、大変お似合いです……!」
「ドロテア様ありがとうございます! 私、こういう帽子をつけてみたくて……!」
「まだ試作品のレベルですので、デザインはシンプルなものではありますが、職人から型紙を貰ってきておりますので、獣人国で量産することも可能かと」
嬉しそうに頬を緩めているディアナに、ドロテアの心はじんわりと温かくなる。……職人には型紙代はきっちり支払ってあるので、懐は寒いのだけれど。
「良かったな、ディアナ」
「はい、お兄様! 私、こんなに嬉しい贈り物は初めてかもしれません……! ドロテア様、本当にありがとうございます……!」
「いえ。姫様に笑顔になっていただき、大変嬉しく思います」
周りの獣人から「姫様素敵です!」「姫様バンザイ!」なんて声が飛び交うと、ディアナは自身の姿を文官であろう兎の獣人へと見せに行く。
その後ろ姿を眺めていると、ヴィンスの手がぬっと伸びてきたのだった。
「ひゃっ」
「……本当に、不思議な女だな」
ヴィンスに頬をスリスリと撫でられ、男性に対しての免疫など皆無のドロテアは、その場でピシャリと固まってしまう。
そんなドロテアの姿に、ヴィンスはくつくつと喉を鳴らした。
「男慣れはしていないようだ。サフィール王国では良い人はいなかったのか?」
「……っ、お調べに、なっているのでは!?」
「ああそうだ。意地の悪いことを聞いたな」
(し、知ってるくせに意地悪な……!)
とはいえ湧き起こってくるのは怒りではなく羞恥心だ。
ヴィンスは眉目秀麗なだけではなく、聞き心地よい低い声は蠱惑的なものだからドロテアは困ってしまう。
「私の見た目は、あの国では受け入れられないのです。その、妹や姫様のような見た目が好まれるので、私は正反対なのです」
「サフィール王国の男共は見る目がないな。お前のキリリとした涼やかな目は美しく、スラリとした身体つきはこんなにも魅惑的なのに」
「…………!?」
頬にあった手はするりと腰に回され、ヴィンスと密着する形となったドロテアは息をするのを忘れそうになる。
何だかいい匂いまでするので頭がクラクラしそうだが、ドロテアは必死に気を張ってヴィンスを見上げた。
「お戯れはおやめください! いくら私が謝罪しに来た身とはいえ、流石に──」
「お前があんまりに初な反応をするから仕方がないだろう? 俺は可愛いものは存分に愛でる質なんでな」
「かっ、かっ、かわ……!?」
(このお方は目が悪いのかしら……!?)
こんなこと、生まれてこの方言われたことはあっただろうか。否、ない。
自問自答は出来たものの、顔が沸騰しそうなほど熱くて、他のことは何も考えられなくなる。
ドロテアが口をパクパクとさせると、ヴィンスが薄っすらと目を細めながら顔を近付けた。
「そんな初な反応をするかと思えば、国を揺るがすような知識をぽんと差し出すと言う──デタラメかと思ったが、ここまでの会話であれが本音だという分かった。それと、何故サフィール国でお前が男から相手にされないのかも」
「そ、それは、私の見た目が……」
「違う。おそらく一番の原因はそうじゃない」
はっきりとそう言われ、ドロテアは腰を引き寄せられている状況を忘れてヴィンスの言葉に耳を傾けた。
「簡単なことだ。サフィール王国では、女は男よりも優秀であってはならないという、そんな話があるな」
「は、はい」
「だからだ。ドロテア嬢──お前は、聡明で、優秀すぎるんだ」
「えっ」
知識量然り、観察力然り、相手の気持を考えて、しっかりと頭を下げられることしかり、相手を喜ばせるための情報収集力に、行動力然り。
──それは当たり前じゃない、とヴィンスにそう言われたドロテアは、あまりの驚きに口をぽかんと開けてしまう。
「け、けれど、私は知らないことを知るのが好きなだけで、読書も勉強も全て趣味で」
「周りから見れば、趣味の領域は遥に超えているがな」
「た、確かに私がお仕えしている方は凄いなどと褒めてくださいますが、家族は少し頭が良い程度だと」
「失礼だが、お前の家族が愚かすぎて、ドロテア嬢の有能さなど測れないんじゃないのか」
「…………!!」
──そう、言われてしまうと。
ヴィンスがドロテアにわざわざ世辞を言う必要もないし、確かに以前夜会で、男性たちが逃げていったのはドロテアの顔を見てからではなく、会話をしてからだ。
(確かあのときは、その相手の家の事業や領地について話したわね。とにかく何か話さなきゃと思って、知っている知識を口にしたような気も……それじゃあ、まさか本当に?)
ドロテアの表情から、思い当たる節があることを察したのだろう。
ヴィンスはドロテアの顎をクイと掴んで上を向かせると、ニヤリと微笑む。
「ドロテア嬢──いや、ドロテア。お前に結婚願望があることも調べはついている」
「…………!?」
「無自覚な優秀さは、気付いたところで言動の端々に現れるだろう。このままじゃ、お前はサフィール王国では一生結婚出来ない」
「…………っ」
──そんなことはない、とは言えなかった。
ドロテアは未だに自身の能力をそれほど凄いとは思っていないが、それと周りの評価が違うということは分かってしまったからだ。それ即ち、ヴィンスの発言に誤りはないということ。
「一生……独り身…………」
「……っ、おい……!」
謝罪が無事に済んで安心したと思いきや、まさかの未来にドロテアはカクンと膝が折れた。
ヴィンスが支えていたので倒れることはなかったものの、生気が抜けたような彼女に、ヴィンスはニコリと微笑んだ。
蠱惑的なのに、どこか少年のような悪戯っけを感じるその笑みが、ドロテアの視界に映ると、男はおもむろに口を開いた。
「それなら、俺の妻になれば良い」
「…………。つま? ……妻!?」
「そうだ。俺はドロテアが気に入った。お前の有能さも、度胸も、心根が優しいところも全て。……一生ドロテアだけを愛して大切にするから、俺の妻になれ」
◇◇◇
その後、ドロテアが嫁いでからのランビリス子爵家では。
「ドロテア嬢が獣人国の王に嫁ぐことになったのは、シェリーが問題を起こし、その尻拭いをドロテア嬢に押し付けたことがきっかけだと聞いた。君は何をやってるんだ!!」
「で、殿下……? 何故そんなことで私が怒られていますの……?」
突然憤慨しながら屋敷に入ってきた王子に、シェリーは理解が追いつかない。
ドロテアは少し頭が良いだけで、見目の悪い売れ残りだ。そんなドロテアが獣臭そうな国であっても、王に嫁ぐなんて出来すぎな話だとシェリーは思っていた。
「君はこの国の、女は男よりも優秀であってはならないという話を聞いたことはあるか?」
「はい、もちろんですわ?」
「こんな考え方が広まった理由は?」
「知りませんわ?」
こてんと首を傾げるシェリーに、王子は苛立った声を上げた。
「これはな、数代前の国王陛下が、当時の后が優秀だったことを妬んで広めさせた考え方なんだよ!だが数ヶ月後の建国祭で、王族自らその教えは間違いであったと公表するつもりだったんだ!何故なら優秀な女を蔑ろにしたせいで、我が国が少しずつ衰えてきているからだ!間違いだったと宣言するのは王族の恥だが……背に腹は代えられん」
「え? つまり? 全く話が読めませんわ?」
ぽかんと口を開けるシェリー。ここまで言っても分からないかと、王子の苛立ちは最高潮に達したらしい。
眉をひそめ、シェリーに向かって指をさした。
「つまり! これからはお前みたいな顔だけの馬鹿な女じゃなくて、ドロテア嬢のような聡明な女性が求められるってことだ!! これだけ言えば分かるか!?」
──私より、お姉様が求められる……?
その事実に、シェリーは呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
◇◇◇
ドロテアがヴィンスに嫁ぐこと決めた理由は「俺の耳と尾なら好きなだけ触っても良いが」という彼の一言だった。
どうやら、ドロテアがディアナの耳や尻尾に興奮しているのがバレていたらしい。
早速ヴィンスの耳を触るドロテアの顔面筋肉は、ほとんど機能していなかった。
「はあ……もふもふ……癒やされます……」
「そうか。お前が幸せそうで何よりだ」
来る日も来る日も、もふもふ。そして趣味の勉強は好きなだけしても良くて、その環境は万全に整えられている。
知識を話しても誰にも嫌な顔はされず、その知識が国の役に立つなんて、こんなに幸せで良いのだろうか。
「ああ……本当に幸せです……」
「愛する妻を幸せにするのが夫の役目だからな。それと、ドロテアなら知っていると思うが、狼は番と決めた相手のことを一生愛し抜く。絶対に離してやらないから、そのつもりでな」
「ふふ……幸せ……」
「…………ハァ。聞いてないな」
ドロテアの獣人国での幸せな生活は、まだ始まったばかりだ。
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