06 邂逅
「本日はありがとうございました」
司祭はお母様に向かって深く頭を下げた。
「公爵様にも感謝と祝福をお伝えください」
「ええ」
鷹揚に頷くと、お母様は私を見た。
「それでは帰りましょう、リナ」
「はい」
「お嬢様にも祝福を」
そう言うと、司祭は小さな袋を差し出した。
「ありがとう」
私は袋を受け取った。
この袋の中身は小さな砂糖菓子で、教会を訪れ寄付をした者に配るものだ。
口の中に入れるとほろりと溶ける甘い菓子は、教会で祈りを込めながら作るもので、神の祝福のお裾分けの意味があるのだという。
今日訪れた教会はロンベルク公爵家が支援する教会の一つ。
家が支援する教会を視察するのは夫人の役目で、私も勉強の一環として同行した。
お父様とお兄様は拒否しているけれど、私もいつかは他家に嫁ぐ。
その時のための勉強だ。
ここが本当にゲームの世界ならば、あと二年ほどで王太子妃の選考が始まる。
候補者の条件は、確か十代後半で婚約者のいない貴族令嬢だったから、できればその前にどこかの子息と婚約を結んで欲しいのだけれど……お父様たちの様子を見る限り、それは難しそうだ。
「リナ、疲れていない?」
廊下を歩きながらお母様が尋ねた。
「大丈夫よ」
「まだまだ歩けそう?」
「ええ」
「じゃあ寄り道して行きましょうか。美味しいケーキとお茶を頂けるお店があるのよ」
ケーキ?!
「ええ、行きたいわ!」
大きく頷くとお母様は指を立てて唇に当てた。
「お父様たちには秘密ね」
「ふふ、分かっているわ」
お父様とお兄様は、私が外出するのを嫌がる。
私が拐われないか心配らしいが……『家に閉じ込めたままではリナが可哀想でしょう』というお母様の言葉で、教会に行くことだけは、しぶしぶだけれど認めてくれたのだ。
まともな生活ができるようになって、まだ二年。
公爵令嬢らしく振る舞えるか、他人の目が気になるけれど……でもそろそろ外に出ていかなければならないと思う。
「ショコラのケーキはあるの?」
「ええ、色々な種類があるわよ」
「ふふっ楽しみだわ」
浮かれた心が伝わったのか。
ふいに風が吹き渡り――帽子が飛ばされた。
「あっ」
「リナ!」
私は帽子を追って駆け出した。
外出できるようになった私にお兄様がくれた、大切な帽子なのだ。
ツバが広いせいで、帽子は風を受けてどんどん飛ばされていく。
ろくに走ったことのない身体には辛いが……それでも必死に足を動かす。
やがて止まった帽子に追いついたその傍に、人が立っているのに気づいた。
足元の帽子をその男性が拾った。
「……君の?」
差し出された帽子を受け取る。
「ありがとう、ございます」
お礼を述べて男性の顔を見て――私は息を呑んだ。
紫水晶の瞳が大きく見開かれた。
吸い込まれそうな、その瞳に動けなかった。
「君は……」
やがて彼が口を開いて、私は我に返った。
「あ、ありがとうございます!」
慌ててお辞儀をして身を翻す。
「待って!」
「殿下! こちらでしたか!」
彼と、もう一人の声が遠ざかった。
「リナ」
息を切らして戻ってきた私を見てお母様は目を丸くした。
「まあ、あなた走って……大丈夫なの?!」
「は、い……」
お母様の前までくると、私は荒く息をついた。
「リナ……大丈夫?」
「はい」
息を整えると私はお母様を見上げた。
「本当に? まあ、汗までかいて……可哀想に。ケーキはやめて帰りましょう」
私の頬に手を触れたお母様は、泣きそうな顔をしていた。
……お母様も相当な過保護だと思う。
「いいえ、走ったらお腹が空いたの。ケーキを食べたいわ」
「まあ」
私の言葉に目を丸くしてから、お母様はようやく笑顔を見せた。
馬車に揺られながら、私は先刻会った顔を思い出していた。
月の光を集めたような銀色の髪。
王家特有だという、切れ長の紫色の瞳。
そして均整のとれた綺麗な顔は……前世、ゲーム画面でよく見た顔だった。
(どうして……あの人がここに)
まさかこんな所で出会うとは思わなかった。
ゲームで彼に選ばれるために努力をした、王太子殿下その人に。
(本物は……ゲームよりずっと綺麗で素敵だった)
あの紫水晶の瞳を思い出すとドキドキしてしまう。
お兄様も綺麗だけれど、花のような柔らかな綺麗さで。
対して殿下はその色彩のせいか、石でできた彫刻のような硬さを感じる綺麗さだ。
ゲームでの性格も沈着冷静、滅多に感情を表に現さない『氷の王太子』と呼ばれるような人だった。
……そんな彼が少しずつヒロインに心を開いていく、いわゆるツンデレな所が人気だった。
それにしても……ゲームでは、リナが殿下と会ったことがあるなんてエピソードはなかったはずだ。
ゲームのリナと私は別の性格になったからか……二年前のことだから出てこなかったのか。
(本当に、殿下って存在したのね)
私にとって、この世界は家と教会しか知らない。
もちろん知識として国があって、国王がいて王侯貴族がいるというのは知っているが。
どこか現実感がなかったのだ。
本当に……この先、ゲームのようにお妃選考会が始まるのだろうか。
あの殿下は誰を選ぶのだろう。
そこまで考えて、何故か胸が少し痛くなった。