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16

「キャー!」

ジャネットの悲鳴が広間に響き渡った。


「ふん、あんたにはそれがお似合いだわ」

空のグラスを手にしたセリーヌが見下すようにアリスを見ていた。


視線を自分の胸元へと落とすと、青いドレスに紫色のシミが広がっていた。

「え……」

鼻につく匂いに、アリスは自分がワインをかけられたのだと理解した。


(ありえなくない?!)

王宮で、しかも王太子の婚約発表式という場で、侯爵令嬢が。

いくら気に入らないからといって――人にワインをかけるなんて。

「アリス!」

呆然としていると、ジャネットの悲鳴で集まってきた人垣の間から飛び出してくる人影が見えた。


「……ユリウス様」

「大丈夫か……」

駆け寄ったユリウスは、アリスの姿を見て目を見開いた。

「何があった」

「アリスが、突然ワインをかけられて……!」

デボラの声にその視線の先へと頭を巡らせ、グラスを持ったセリーヌの姿を認めたユリウスの瞳が――スッと氷のように冷たくなった。


「――ユリウス様」

ユリウスに見据えられ、セリーヌはビクリと震えたもののすぐに口を開いた。

だがセリーヌが言葉を口にするより前に、無視するようにユリウスは背を向けた。


「離れなければよかったな」

ユリウスはアリスの顔を覗き込んだ。

「顔色が良くない。怪我はないか」

「は、はい。ワインがかかっただけですが……ドレスが」

ドレスは胸元からスカート部分にかけて広くワインがかかってしまっている。

――この染みは落ちるものなのだろうか。

ジャネットによると、このドレスの生地は外国産の貴重な植物で染めているらしかった。


「ドレスなどまた作ればいい」

そう言ってユリウスはアリスの手を取った。

「帰ろう」

「……はい」

「ユリウス様!」

歩き出そうとしたユリウスに向かってセリーヌが叫んだ。

「何故そんな身分の低い者を相手にするのです! リナ様を利用してユリウス様に近づくような者なのに!」


「何だと」

振り向いたユリウスの顔は無表情だった。

美形の無表情ほど美しく、恐ろしいものはない。

――その下に強い怒りが秘められていると尚更だ。

その、家族やアリスの前では決して見せないユリウスの怖さに、怒りを向けられた訳ではないアリスでさえ身が縮みそうになった。


「何が根拠だ」

冷え切った声が響いた。

「……そ、それは」

震えながらユリウスを見つめてセリーヌは口を開いた。

「そこの者が……リナ様の恩人だなどと。きっとリナ様を騙しているのですわ」


(この人、よく喋れるわね)

周囲が氷よりも冷たいユリウスの怒りに怯える中、その怒りの先であるセリーヌは声を震わせながらも目を逸らすことなく言葉を発している。

その精神力にアリスは感心してしまった。


「ほう」

聞いたこともないようなユリウスの低い声が聞こえた。

「妹を、このアリスが騙していると?」

「ええ」

自信満々の顔でセリーヌは答えた。

(ああ、面倒なタイプだな)

セリーヌは思い込みが激しいのだろう。

こういう相手は一度目をつけられると厄介だ。

(もう帰りたい……)

「アリス様はそんなことをなさいませんわ」

心の中で泣いているとソフィアの声が聞こえた。


「お妃選考会で一ヶ月ご一緒しましたけれど、友人思いのとても素敵な方ですわ」

現れた、自分よりも身分の高いソフィアの言葉に、一瞬セリーヌはその顔を歪めたが――すぐに笑みを浮かべた。

「あら、ひと月で分かるのですか」

「ええ。参加されなかったセリーヌ様には分からないでしょうけれど、相手を理解するには十分な、とても充実した一ヶ月でしたわ」

ソフィアの言葉に人垣の中で頷いた者がいたので見ると、選考会に参加していた令嬢だった。

――確かにわずか一ヶ月とはいえ、同じ建物内で集団生活をすれば社交の場では分からない姿も見えてくる。

色々事件があったとはいえ、途中からほとんどリナに決まっていたのが皆分かっていたし納得していたのもあって、最後は和やかで親密な雰囲気だったのをアリスは思い出した。


「それにアリス様はもう三ヶ月以上、ロンベルク公爵家で暮らしているのですもの。アリス様が素敵な方だというのは私よりもユリウス様の方がご存じですわよね」

「ああ」

ソフィアの言葉とユリウスの肯定に周囲から大きな騒めきが起きた。


「公爵家に?」

「そういえばユリウス様、あの令嬢をエスコートしていたわ」

「まさか、あの令嬢がユリウス殿の……」


「何でそんなこと言うんですか?!」

「あら本当のことですもの」

ソフィアは抗議したアリスを見返してふふと笑みを浮かべた。


「暮らしている……ですって」

セリーヌはその瞳に驚きの色を滲ませ――すぐにそれは怒りへと変わった。

「子爵だなんて、そんな身分の低い卑しい者を公爵家に住まわせるのですか」

「バルゲリー嬢。私は子爵が卑しいとは思わない」

ユリウスが口を開いた。

「それに、そうやって下の爵位を見下す君の方がよほど卑しいと思うが」

「――っ」

かあっとセリーヌの顔が赤く染まった。


「そんなこと、ありえませんわ」

「公の場で大声で人を卑しめる者が高貴な者とは思えないな」

「卑しめるなど。私は本当のことを言っただけですわ」

「本当のこと? 君の言うことはデタラメばかりだ」

「公爵家と子爵家では釣り合いが取れないのは本当のことですわ」


「面倒ですわねえ」

ソフィアがため息混じりに呟いた。

「……確かに、昔ながらの考えを持つ方々にとっては結婚相手の家柄は大事なのでしょうけれど。個人を否定するのはおかしいですわ」

この国で長く続いてきた貴族制度において爵位が重要なのはアリスも分かっている。

けれど今、エルネストを中心に若い世代では、爵位に囚われず個人の能力で評価すべきだという考えが出てきているのも、リナから聞いて知っている。

貴族が嫌いだというユリウスもそちらの考えに近いのだろう。


けれどセリーヌや、この場にいる他の貴族たちの多くはまだ身分意識が強い。

彼らにとって、子爵令嬢であるアリスが公爵家のユリウスと親しいのは不快であろうことは、こちらへ向けられる視線がアリスが子爵家の娘だと分かった途端変わったことからも感じる。


(何かすごい能力があるとか、実は特別な血筋だったとかじゃないと認めないんだろうなあ。でも私はいたって普通だし……)

『そう、特別な存在になればいいのね』

「え?」

アリスの頭の中に女性の声が聞こえた、次の瞬間。


その身体が金色の光に包まれた。

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