07
「そんなの無理い」
夜、アリスの部屋を訪ねてお兄様から聞いた話を伝えるとベッドの中で丸まっていたアリスは呻いた。
「おうちに帰る……田舎暮らしでいい……」
「……そんなにお兄様と結婚するのは嫌?」
「だって心臓が持たないもの!」
アリスはガバッと上体を起こした。
「ユリウス様と近づくだけでも緊張するのに……け、結婚とか! 無理だし!」
「でもお兄様のこと、好きでしょう」
「そういう好きとは違うから!」
「――お兄様もアリスのこと、そういう好きではないみたいだけど結婚したいって言っていたわ」
貴族の結婚は基本政略や利害関係で決まる。
私とエルネスト様の場合は……エルネスト様が私に一目惚れしたのがきっかけだったようだけれど、それでも私に何か問題があれば婚約者として選ばれなかったはずだ。
「それに家に帰ったとして、アリスはこれからどうするの? 誰か結婚相手がいるの?」
「……いないけど、多分近くの領地で嫁を探している貴族か、貴族と繋がりを持ちたい商家とかに……」
「それなら優良物件のお兄様と結婚できるチャンスを逃す手はないんじゃないの?」
身分が低いとはいえアリスも貴族の娘。
この国では、貴族の女性の幸せは結婚相手で決まってしまう。
地位もあり性格も良く、顔も好みの相手と結婚できるのはアリスにとっても良いことだと思う。
「……確かにユリウス様は最高のお相手だろうけど。でも私には釣り合わないし!」
「あら、アリスの身分がちょうどいいってお母様が言っていたじゃない」
「そ……うだっけ」
「それにお母様なら姑問題は起きないわ」
「そう、かな」
「さらに私とまた姉妹になれるし!」
姉と妹の立場は逆になるけれど。
「あ……それは魅力的……」
「お揃いのドレスを着て街でスイーツ巡りとかしたいなあ」
「うっ……」
前世で『双子コーデ』やってみたいって言っていたものね。
「それにアリスが田舎に帰ったら滅多に会えなくなるじゃない」
これはお兄様のためではなくて、私の下心。
もしもアリスが平民と結婚したら――きっと妃になる私と会うことはもう出来なくなる。
「せっかく『亜里朱』と再会できたんだもの。会えなくなるのは嫌だなあ」
「里奈おねえちゃん……」
アリスの瞳が潤んだ。
「アリスはいいの? 私と会えなくなっても」
「よくない!」
「もしもあなたが商家の人と結婚して平民になったら、私たちもう会えないわよ?」
「はっ……」
アリスはその顔を青ざめさせた。
「お妃になったら会える人は制限されるんですって。前世で姉妹だったから会いたいなんて言っても通らないわ」
「お姉ちゃんと会えなくなるのは嫌!」
抱きついてきたアリスを抱きとめる。
「でも公爵夫人で私の義姉になれば王宮にも行きやすくなるわよ」
顔を上げたアリスの顔を覗き込んだ。
「確かに公爵夫人になるのは大変よ。お母様も忙しそうだもの」
教会派の他の婦人たちをまとめ、情報交換をし、監査も兼ねて教会や孤児院へ通う。
あれらをこなせるようになるまで、きっと苦労も多いのだろう。
「アリスが苦労をするのは心苦しいけれど、でも得られるものも沢山あると思うから」
「得られるもの? 権力とか?」
「綺麗なドレスや宝石もね」
「――そんなものより、お姉ちゃんと過ごせる時間の方が欲しい」
ぎゅう、とアリスは腕に力を込めた。
「三十年、だよ。お姉ちゃんにまた会えるまでかかったのは」
この世界に生まれたのは十七年前だけれど――アリスは前世で私が死んだ後も生きていたのだ。
「三十年……それは長いね」
「ホント、長かった」
「じゃあやっぱり、これから少しでも一緒にいられるようアリスはこの家にお嫁に来なくちゃ」
「……う……」
「アリスが引っかかっているのはお兄様のことだけ?」
「そ、う……かな」
逸らしたアリスの視線がふらふらと揺れた。
――この目の動きは前世の、何か隠し事をしている時の癖だ。
「やっぱり公爵夫人になるのは重荷?」
「……それは、まあ……」
「後は? 何を悩んでいるの?」
アリスの視線が私へと向いた。
「私はアリスにこの家にお嫁に来て欲しいけど、本当に無理ならば……」
「――もう少し、考えたいの」
再び視線を逸らすとアリスはそう答えた。