05
「……へ?」
お兄様と同じソファに、けれどなるべく近づかないように不自然に端に寄って座っていたアリスはきょとんとして――しばらくの間の後、口をぽかんと開け令嬢らしくない声を出した。
「よ、嫁?!」
「母上」
お兄様が眉をひそめた。
「まだそれを伝えるのは早いと言いましたよね」
「ふふ、ごめんなさいね。でもダンスの練習の時の二人を見ていたらやっぱりお似合いだなって思って」
悪びれた様子もなく、お母様は笑顔のまま答えた。
「え? ……え、うぇ?!」
「アリス」
パニック寸前のアリスの手をお兄様が取った。
「私の妻になるのは嫌かい?」
「つ……ま」
大きな青い瞳が更に大きく見開かれた。
「えっ、でもっ私?! あのっ身分が……!」
「ちょうどいいのよ。下手に力のある家だと我が家の権力が強くなってしまうもの」
お母様が言った。
――私もお妃教育で教わった。
ロンベルク公爵家は教会派の筆頭貴族。しかも夫人は元王女で母国との関係も深い。
その家の娘が王太子妃、そして王妃になるということはロンベルク家、そして教会派の権力が更に強くなるということだ。
だから次期当主であるお兄様が誰と結婚するかは大きな関心事なのだと。
アリスの家は何の権力もない、地方の小さな農村地の子爵家。
確かにアリスが嫁げば、公爵家の力がこれ以上強くなることはない。
「お姉ちゃん!」
家的にもありなのかと納得していると、アリスが助けを求めるように私を見た。
「私にはそんなの無理だってお姉ちゃんからも言って――」
「アリス」
お兄様がアリスの顎を掴むと自分へと向かせた。
「私の質問に答えてくれないの?」
「ひぃ」
色気をダダ漏れにさせたお兄様に顎クイされたアリスの喉から、全く色気のない悲鳴が漏れる。
なおも私へと視線を向けようとするアリスの顎を掴む手に力を込めると、お兄様は更に顔を近づけた。
緊張と、恐怖心もあるのか声も出せなくなったアリスを見つめてふっと笑みを漏らすと、お兄様はアリスの額に口づけを落とした。
「――」
ピシリと音がしそうなほど固まると……アリスの身体がふらりと揺れた。
「アリス?!」
「あらまあ」
慌てるお兄様と意識を失ったアリスを見てお母様が目を細めた。
「アリスには刺激が強かったのね。ユリウス、部屋に運んであげなさい」
お兄様を促し自身も立ち上がるとお母様は私を見た。
「リナは殿下のお相手を。少し失礼いたします、殿下」
「……ああ」
呆気に取られたようなエルネスト様にお辞儀をすると、お母様たちは部屋を出ていった。
「――ええと、お見苦しいところをお見せいたしました」
私はエルネスト様に頭を下げた。
「いや……意外だな」
「え?」
顔を上げるとエルネスト様は小さく笑みをもらした。
「ユリウス殿は女嫌いという噂があったが。意外と情熱的だったのだな」
「お兄様が……女嫌い?」
え、それは初耳なのだけれど。
「社交の場で多くの女性から声を掛けられても全く相手にせず、特定の相手がいるとの噂も聞かないからそんな噂が流れているんだ」
「そうだったのですか」
私やアリスには優しい態度しか見せないけれど……外ではそんなだったなんて。
「――だから私は、ユリウス殿は君と結婚するつもりだったのだと思っていたんだ」
「ええ?!」
(私とお兄様が?!)
エルネスト様の言葉に私は目を見開いた。
「ロンベルク家は君を決して社交の場に出さないし、ユリウス殿の婚約者を探しているという話も聞かなかったしな。それに選考会の時、何度も君を返すよう要請があったしユリウス殿自ら離宮まで乗り込んできただろう」
「それは……」
「だから、ロンベルク家は君とユリウス殿を結婚させるつもりだったのではないかと」
私をじっと見つめてエルネスト様は言った。
確かに、この国の決まりでは兄妹であっても血の繋がりがなければ結婚はできる。
けれどそんな話は一度も聞いたことがないし、それにお兄様は私に対してそういった気持ちは全くないと思う。
「それは、ありませんわ」
「君が聞いていないだけなのかもしれないだろう」
「お兄様や家族が私を外に出したがらないのは、彼らにとって私は庇護すべき存在だからです」
初めて出会ったときの私は……とても小さくて、ボロボロだったから。
彼らにとっては、私はいつまでも小さくて弱い存在なのだ。
「――まあ、そういうことにしておこう。ところでリナ、もう一つ気になることがあるのだが」
ふいにエルネスト様の顔が近づいた。
「さっきアリス嬢が君を『お姉ちゃん』と呼んでいたが」
あ……そういえば。
「確か選考会の時の資料によれば、アリス嬢の方が生まれは早かったはずだが」
アメジストのような瞳がじっと見つめる。
「どういうことかな?」
「……ええ、と」
「ロンベルク家の者たちはそれを気にしていた風もないし、それに選考会の時も気になったが君たちは距離が近過ぎる」
エルネスト様には私とアリスの前世のことは言っていない。
――家族にも明かしたのだから隠す必要もないのだろうけれど、わざわざ言うタイミングもなかったし……。
「リナ。私たちは夫婦になるんだよね。夫婦に隠し事はなしだよ」
にっこりと笑う、エルネストさまの笑顔が怖かった。




