36 姉妹
アリスが背中に受けた刺し傷は幸い浅かった。
女の力なのと、突然目の前に目的と違う人間が飛び込んできたためコゼットも動揺して力が弱まったらしい。
二日後、私はアリスと面会することができ、そこで本人の口から前世で妹だった亜里朱であることを明かされた。
「そんな……」
アリスから全てを聞いて私は絶句した。
自分たちがゲームの世界に転生したその理由が。
「私、そんなにあなたを苦しめていたの……」
どうしよう。
あの事故の時は咄嗟のことで勝手に身体が動いていたし、前世の記憶を取り戻したあとも自分の行動には納得したけれど。
亜里朱が……そしてきっと他の家族たちにも、ずっと苦しい思いをさせていたなんて。
「あれは事故。どうしようもなかったし、私が先にトラックに気づいていたらきっと私がお姉ちゃんを庇った」
アリスは私の手を握りしめた。
「あのトラックの運転手は運転中に心臓発作を起こして意識を失ったんだって。だからあれは運が悪かった……仕方がないことだったの」
ぎゅ、とアリスの手に力がこもる。
「だから、お姉ちゃんが罪を犯したなんて……私には理解できない」
「アリス……」
「ごめんね、なのに罪をつぐなうためとかいって、十二年も苦しい思いをさせて」
「……ううん、それは大丈夫」
泣きそうな顔のアリスに、首を振って私は笑顔を向けた。
「私は今幸せだし、あなたとも再会できたもの」
「お姉ちゃん……」
「でもどうしよう……亜里朱もだけとお父さんたちもずっと悲しんでいたよね、それに亜里朱まで同じ事故で死んでしまって」
「そうだね……でも、お兄ちゃんが結婚して、子供三人いるから」
「え、お兄ちゃんが?!」
しょっちゅう問題を起こしてお父さんと揉めてたあのお兄ちゃんが。
「お姉ちゃんが死んだのが堪えたみたいでね、真面目に仕事するようになって。よく孫の顔見せに来てるってお母さんが言っていたよ」
「そうだったの……」
私が死んだあとも家族の人生は続く。
――そんな当たり前のことに、私はようやく思い至った。
「もう元の家族は過去のことだし、別の世界のことだもの。きっと幸せにやってると信じようよお姉ちゃん」
「……そうね」
「それにコゼットも捕まったし。もう悪いことは起きないから」
「そういえば、どうして毒じゃなくてナイフだったのかしら」
「毒も持ってたみたいだけどね」
拘束後、コゼットの部屋を捜索したところ毒が入った箱が出てきたという。
私の実の父親、ヴィトリー伯爵は娘がロンベルク公爵家の養女になったことに気づいていたという。
けれどそれを指摘すると虐待が明るみになってしまうため、家族以外に伝えることはなかったのだと。
コゼットは夜会で踊る私の二の腕の痣を見て、私が姉だと確信したそうだ。
自分が虐げてきた存在が、自分よりも上の爵位の娘となり家族に愛され、しかもお妃の最有力候補となったことに嫉妬し、憎み凶行に走ったのだという。
「二の腕の痣といえば……何故か消えていたのよね」
昨夜侍女に指摘されて気づいた。
「……その痣はね、罪を犯した証なんだって」
「え?」
アリスの言葉に瞠目した。
「つまりお姉ちゃんの罪はもう完全に消えたってこと」
「そう……なの。でも……」
消えるような――消して良いものなのだろうか。
私の罪は。
「だからお姉ちゃん、いえリナ様はあとはエルネスト殿下と結婚して幸せになるの!」
殿下と……結婚。
その言葉にぶわ、と顔に血が上るのを感じながら……ふいに冷静になった。
「――ねえ、どうして私なの?」
「え?」
「だってここはあのゲームの世界なのでしょう。私は悪役であなたがヒロインなのに。それにどうして私が第一候補になっているのかしら。それに殿下と二年前にお会いしてるの。そんなエピソード、ゲームにはなかったわ」
「二年前?」
私はアリスに殿下との出会いを話した。
「へえ。それで『帽子の天使』なのね」
「え、どうしてそれを知っているの?」
「それは秘密。でも……そうね、中の人が違うからゲームとは展開が変わったんじゃない?」
「展開が変わった……」
「転生する時に女神に確認したもの。ゲームの世界だけど、ゲームにはない行動を取れば結末を変えられるって」
「そうだったのね」
「それに私にはお妃なんて無理だし」
アリスは苦笑した。
「そう?」
「だって中身は前世のままよ。庶民だった時にお行儀が悪いってよく怒られていたくらいなのに。無理無理」
「それを言ったら私だって……」
「お姉ちゃんはちゃんとしていたし、それにリナ様はどこからどう見ても完璧よ」
「……そう?」
「それに何よりも、殿下の心はもうリナ様にあるじゃないですか」
ぐ、とアリスは身を乗り出した。
「リナ様は殿下のこと、どう思っているんですか」
「え、どうって……」
また顔に血が上る。
口ごもる私を、アリスは前世を思い出させるニヤけた顔で見た。
「何だ、相思相愛なのね」
「そ……ぅ……でも」
「でも?」
「……私、まだ殿下のことをほとんど知らないわ」
素敵な方だとは思うし、間近に接するとドキドキしてしまうけれど。
これが恋心というものかは、よく分からない。
「そうだな、では互いのことをよく知るようにしよう」
突然、話題にしていた当人の声が聞こえて――アリスと二人、ビクリと肩が震えた。