02 黒い瞳の少年
「大丈夫?」
どれだけそうしていたのだろう。
声が聞こえて、私はゆっくりと目を開いた。
一人の少年が私を覗き込んでいた。
黒い艶やかな髪に黒い瞳。
(天使、だ)
その少年はあまりにも綺麗で。
いつか読んだ本にあった、神様に侍る天使の挿絵を思い出した。
「大丈夫? 立てる?」
私に向かって差し出された手が……このまま天国に連れて行ってくれそうで。
引き寄せられるように私は手を伸ばしていた。
「君、どうして一人でいるの?」
私を立ち上がらせると少年は私の前に膝をつき、目線の高さを合わせてくれた。
「……」
けれど私は俯いてしまった。
どうして一人でいるのだろう。
どうして……父親は、私を探してくれないのだろう。
あの人が探すはずなどないと分かってはいたが、それでも、ここは家ではないのだ。
少しくらい、私を探しに戻ってきてくれるかもしれないと、心のどこかで期待していた自分に気づいた。
「名前は?」
「……しらない」
「知らない?」
「なまえ、よばれたこと、ない」
「――どうしてここにいるの?」
「……せんれい、するから」
「洗礼式? 君、十三歳なの?!」
大きな声にビクリと身体が震えた。
まともな食事をもらえない私の身体は、妹よりもずっと小さくて。
話し相手もいないから、言葉も舌足らずで。
そんな自分が――身なりも顔も綺麗な少年を前に、急に惨めに思えて。
また顔を伏せた目にじわりと涙が滲んだ。
「ねえ、君……」
「ユリウス!」
女性の声が聞こえた。
「どうしたの」
「この子が倒れていて、それで……」
「倒れていたですって?!」
ふいに甘い香りに包まれた。
「まあ、顔色が悪いわ……大丈夫?」
顔を上げると、少年によく似たとても綺麗な女の人の顔があった。
その後ろに男の人の姿も見える。
「具合が悪くなってしまったの?」
「お母様、この子洗礼式に来たそうです」
「え?」
女性は私をじっと見つめた。
「でもこんなに小さいし、それに名前を呼ばれたことがないって……」
女性は男性と顔を見合わせた。
二人の表情が険しくなる。
怒られる。
怖くなって私は身体を強張らせた。
「ともかく、休息室に運ぼう」
男性の声と共に、私の身体が宙に浮いた。
「これは……軽すぎるな」
私を抱き上げた男性が眉をひそめた。
「……ああ。そんなに怖がらなくていいよ、私たちは君を害したりはしないから」
優しく笑う男性の顔を、私は初めて見た。
私のことなど視界に入らない父親は勿論、家の者もみな私を見る時はその顔に不快な表情を浮かべていたから。
私は男性に抱きかかえられたまま、どこかの部屋に運ばれるとソファに横たえられた。
「気分は悪くない?」
優しい声の女性が頭を撫でてくれる。
その初めて感じる心地よさと、緊張感と疲れで、意識が遠のいていく。
「この子……身体中に傷や痣があるのよ」
遠くから女性の声が聞こえる。
「きっと……ずっと虐待されていたのよ」
「今日洗礼式を行う予定は二人だそうだ」
男性の声も聞こえる。
「一人は男子、もう一人はヴィトリー伯爵の長女だと」
「まあ……まさか伯爵が?」
「……あの家はあまり良い噂は聞かないからな」
「お父様、お母様。この子を連れて帰りましょう」
少年の声。
「きっとユリアと神様がこの子だと引き合わせてくれたんです」
(ユリア……?)
「――そうね、ユリウスの言う通りだわ」
「ああ、この子にしよう」
(なんの……はなし?)
「君は今日から僕の妹だよ」
耳元で少年の声が響く。
心地の良い、その声に。
私の意識は再び闇に沈んでいった。