21 傷痕
「殿下」
リナの部屋にある応接室に座っていたエルネストと、後から来たソフィアは寝室から出てきた医師に顔を向けた。
「リナ嬢は」
「お休みになっておられます」
「怪我の様子は?」
「打撲の跡が強く残っており、数日は痛みが続くでしょう。……それで、少しお耳に入れたいことが」
「何だ」
向かいに座るよう促すと、腰を下ろして医師は声をひそめた。
「リナ様の背中には、幾つもの傷跡がございました」
「……何?」
「古いものですが……あれは恐らく、棒状のもので打たれたものだと」
ソフィアは息を呑んだ。
エルネストも目を見開いている。
「背中以外は見ておりませんが、あれが虐待や懲罰のものである場合、他の箇所にもある可能性がございます」
「――リナ嬢がロンベルク公爵の養子となったのは四年前だったな」
エルネストはソフィアに尋ねた。
「はい」
「養子となる前に虐待を受けていたと言うことか」
「そうですな、あの痕はここ数年で出来たものではないでしょう」
「……だから公爵はリナ嬢を社交の場に出さなかったのか?」
「その可能性はありますわね」
エルネストの言葉にソフィアは頷いた。
ロンベルク公爵家が養女を迎えたという話は社交界に広まっていた。
元々公爵家には娘がいたが、病弱で十二歳で亡くなったという。その代わりとして孤児院から女児を引き取ったと。
けれど公爵は、決して養女を外に出そうとしなかった。
淑女教育が終わっていないと言うのが表向きの理由だったが――もしもリナがそれまで虐待を受けていたのならば、理由はそこにもあるかもしれない。
信仰心に篤いロンベルク公爵家だ、傷ついた少女を全力で守ろうとするだろう。
(それが私にとって良かったのか……悪かったのか)
公爵令嬢ともなれば、それが養女であっても早くに婚約者が出来るはずだ。
けれど十七歳のリナに未だ婚約者がいないのは、おそらく彼女の身体の傷と関係があるのだろう。
二年前、教会で遭遇したリナに一目惚れをした。
貴族令嬢だとは分かったが、名前まで分からず……その時教会に来ていたロンベルク公爵令嬢の可能性が高いと思ったが、当人が社交の場に出てこないため確認のしようがなかった。
一目惚れしたとはいえ、エルネストは未来の王妃として相応しくない者を迎えるなどという愚かなことをするつもりはない。
だから今回の選考会を考え、強引にリナをこの場へ召還したのだ。
今のところ彼女の妃としての素質に問題はなく、エルネスト自身、リナにますます惹かれて行くのを自覚していたが。
(まさか……彼女を傷つけてしまうとは)
己の計画が招いた結果にエルネストは深くため息をついた。
「殿下……」
「ソフィア。リナ嬢の心のケアを頼む」
エルネストはソファから立ち上がった。
リナのためのお妃選考会とはいえ、他の令嬢にも可能性がある以上、エルネストがリナにばかり目をかける訳にもいかない。
「かしこまりました」
ソフィアは深く頭を下げた。
「アリス、大丈夫?」
「うん……ありがとう」
部屋まで送ってくれたジャネットと、もう一人の子爵令嬢であるデボラに、アリスは笑顔を作って向けた。
「ごめんね、私のせいでアリスとリナ様が……」
「ジャネットのせいじゃないよ」
「そうよ、アデール様が悪いのよ」
デボラが頬を膨らませた。
「どうせあんな人、お妃になんて選ばれるはずがないのだからさっさと帰しちゃえばいいのに」
「まあ、反省しなかったら候補から外すって殿下も言っていたし」
「反省するわけないじゃん。前もお茶会で……」
王都に住むデボラとジャネットは前からアデールに色々と言われていたらしい。
ひとしきり愚痴ると二人は帰って行った。
「はあ……」
一人になるとアリスは大きくため息をついた。
「お姉ちゃん……ごめんなさい」
また自分を庇って傷つけてしまった。
「リナお姉ちゃん……」
本当は今すぐ部屋に行って、目を覚ますまで側にいたい。
そうして全てを明かして――妹だと、名乗り出たい。
(でも、まだダメなんだ……その時が来るまでは)
悲劇の悪役令嬢と言われたリナの、運命が大きく動く時まで。
彼女を縛る呪いが解けるまでは自分のことは明かしてはならない。
そう約束したのだから。
「お姉ちゃん……大好き」
呟きが静かに部屋に響いた。