15 見舞い
夜会の翌日、私は熱を出してしまった。
それまでほとんど家族としか会わない引きこもりのような生活を送っていたのが、急に大勢の中に放り込まれて、精神的、肉体的にも疲れたのだろう。
(だからって……二日間過ごしただけで熱を出すとか、情けないわ)
ベッドに横になりながら、私はこの二日間のことを思い出していた。
ゲームの舞台でもある王太子妃選考会。
その登場人物と出会い、試験を受けて……そして昨夜の夜会で王太子殿下とのダンス。
(殿下も……覚えていたのね)
二年前の教会での出来事を。
会ったと呼べるほどのものでもない、わずかな邂逅だった。
私はゲームのこともあるし、相手が王太子殿下だと分かっていたけれど、殿下にとっては見知らぬ令嬢の一人くらいだったろうに。
しかも、また会いたかったと言っていた。
あの時の言葉とあの表情は……まるで私に好意があるような。
(そんなはずはない……だってアリスやソフィア様がいるもの)
私は悪役で、途中退場するキャラだ。
――そう、私は実の妹に見つからず、無事家に帰ることが目標だ。
(殿下には……名前を覚えて貰っただけでいいのよ)
自分に言い聞かせるように、私はそう思った。
翌日、熱は下がったものの部屋からは出して貰えなかった。
過保護なのは家族だけでなく侍女たちも同じで、『また熱が上がったらどうするんです』と読書すら禁じられてしまった。
「王太子殿下からお見舞いです」
何もすることがなくソファでぼんやりしていると、侍女が大きな花束を抱えて部屋に入ってきた。
「え……殿下から?」
「はい。お手紙も預かっております」
渡された封筒を開く。
そこには美麗な文字で私の身体を案じる言葉が書かれていた。
「まあ……わざわざ気にかけてくださるなんて」
――というか、私が熱を出したことは殿下にまで伝わってしまったのか。
気を遣わせてしまうなんて……申し訳ない。
「お返事を書いた方がいいわよね」
「はい。ご用意いたします」
そういえば……誰かに手紙を貰うのも、書くのも初めてだ。
悩みながら何とかお礼の手紙を書きあげていると、ソフィア様の来訪を告げられた。
「リナ様、お加減はよろしいのですか」
「ええ、熱もすっかり下がりました。お見舞いありがとうございます」
「それは良かったですわ」
ソフィア様の視線が私から背後の花瓶へと移った。
「まあ、王家のバラ。エルネスト殿下からですか」
「王家のバラ……?」
「ええ。王宮のみで栽培されている品種ですわ」
私は花瓶の花を見た。
淡いクリーム色で、中心にいくほど紅色がかった大ぶりの八重咲きのバラは、確かに家の庭園では見たことがないものだった。
気品あるその姿は確かに『王家のバラ』と呼ぶのにふさわしい。
(王家のバラって……どこかで……あ)
そうだ、確かゲームにも出てきた花だ。
殿下からの好感度が高くなると貰える、特別な花。
……そんな花を私に……?
「リナ様は殿下と親しくなられたようですわね」
ソフィア様が言った。
「親しく……ですか」
「夜会のとき随分と楽しそうでしたわ、殿下が」
楽しそうだった?
「……そうでしょうか。ソフィア様の時の方が楽しそうに踊っておられましたわ」
私の次にソフィア様が殿下と踊った。
幼い頃から親しくしているだけあって二人は息もピッタリで、笑顔で会話も交わしていたようだったけれど。
「私と殿下は幼馴染ですから。でも、ただの友人ですわ」
ソフィア様はそう言って微笑んだ。
「……あの。家族が、ソフィア様が殿下の婚約者になると思っていたと言っていたのですが……」
そう口にしてから、本人の前でそんなことを言っていいのかと気がついた。
「――そうですわね、元々私は殿下の婚約者になる予定でしたわ」
微笑を浮かべたままソフィア様は言った。
「ですが、私と殿下はそれをお断りしましたの」
「……どうしてですか」
「私、お慕いしている方がいますの」
ソフィア様は視線を王家のバラへと逸らせた。
「……エルネスト殿下と婚約しなければその方と結ばれる可能性は……とても低いですけれど。それでも、この想いを持ったまま殿下と婚約なんてできませんわ」
憂いを帯びたソフィア様の横顔はとても美しくて。
お相手への想いが伝わってくるようだった。
「これは私の我儘です。家が決めた相手を拒否することは、本当はできない。けれど……心までは抑えられませんもの」
王侯貴族の結婚は政略結婚だ。
それは高位貴族であるほど、政治に左右される。
けれどそれとは別に人を好きになってしまうこともあるし、そのせいで不幸な結果になってしまうこともある。
――私が実の家族から虐待されたのも、原因は恋人のいた父と私の実母が政略結婚をしたからだ。
「そう……だったのですか」
「それでもこの選考会で他にいなければ、私がエルネスト殿下の婚約者にならないといけなくて」
ソフィア様は私へと視線を戻した。
「ですからリナ様には頑張っていただきたいんです」
「……え?」
「殿下はリナ様のことを気に入っておられるようですから」
にっこりとソフィア様は笑った。
「知識や立ち振る舞いは問題ありませんし、お二人はお似合いですわ」
「え、私……は」
私に……お妃になって欲しいと?
「とてもそんな……」
「あとはその自信のなさを克服していただければよろしいかと」
笑顔のまま、けれどきっぱりとソフィア様は言った。