ようこそ新入り
「そういえば自己紹介をしていなかったな」
老齢な男を先頭に、空間にゆとりのある豪奢な廊下を、ぼくたち四人は順序なく思いのまま歩いていると、先頭の彼は今更なことを口にした。
「わたしは当学院の学長であるリック・クォーツという。ぜひ仲良くしてくれたまえ。ああ、諸君は名乗らなくていい。老いぼれの頭では記憶できることが限られているからね。必要があればその都度訊くとするよ」
クォーツの冗談めかした言い分に、ぼくは口元をゆるめた。
まあ、組織の頂点に立つ人は、大体がそうだろう。わざわざ全員の名前を覚えようとする奇特な人は少ない。
違う世界でもそれは同じらしいとわかれば、よりクォーツの文句に面白みが増した。
そのあと、先刻までいた教室と似たようなつくりの空間を何度か通り過ぎるとき、ぼくは中の様子を覗いた。だが、誰もいないようだった。
学院とは言ったものの、人気が少なく感じた。
「この建物の役割はほとんどが象徴に過ぎない。使う機会は少ないのだよ」
クォーツはそう説明した。
ではいったい、彼はどこを案内しようというのだろう。
やがて建物の造りが変わり、純白の壁は、外の景観を取り入れるガラス張りとなる。
ガラスの向こうは、ここが大自然に建つことを忘れてしまうほどの、整備された土地が広がっていた。
石造の建築や、ログハウス風の家屋が見える。それから噴水、密集した木々、表現するのも難い芸術品など、一見しただけでは、その全貌を窺い知ることはできないほどに広大だ。
また、打って変わって、人影がそこかしこで見かけられ、活気に満ち溢れていた。
ぼくが外の光景に目を奪われていると、クォーツが話した。
「実は諸君が入ってきた玄関は、裏口だった。この建物にとっては、こちらが正面であり、その先に広がるのが本来の学び舎だ」
暖かな風が、ぼくの頬をなでる。
ガラス戸が開け放たれていた。
そしてふたりの人物がやってきた。どちらも、覚えのある顔だった。
柄物シャツにサスペンダーを付けた派手な成りの青年と、肩や胸元がゆるく目のやり場に困る服装の女性だ。
クォーツは彼らに、あいさつをするよう仕向けた。
先に青年が口を開く。
「俺はジョン・マクマーレン。マクマーレンは長ったらしくて言うのも言われるのも嫌いだ。気軽にジョンと呼んでくれ」
ジョンのあとに、女性が続く。
「わたしはティア・コロフィ。こんな服装だからって、だらしない女だと勘違いしないでね。その手の男はことごとく痛い目に遭っているから」
どうやら女性のほうは、過激な性格をしているようだ。
ぼくはジョンについていこうと、密かに決める。
「この先の案内は、ふたりに引き継いでもらう」クォーツは言った。「彼らは諸君の先輩であり、育て親となるだろう。悩みや困りごとはふたりを頼りたまえ。わたしはここで、失礼する」
クォーツはその場をあとにした。
ジョンが親指を立てて、行こうぜ、と外を指す。
それからぼくたちは、寮があるということで、まず遠くに見えている木造の家屋に足先を向けた。
ジョンによると、ほかにいくつかある様々な造形の建物は、ほとんどが学生寮らしい。
ただしぼくたちが入って良いのは、これから行くログハウスだけである。
「君たちがもつ離れたところの物質を操るチカラは、サイキックという。だから俺たちはサイキッカー。そしてサイキッカーの寮はあそこと決まっているのさ」
道すがらでジョンが教えてくれる。
彼は噴水のほうに注目するよう指示を出した。
「噴水を囲んでいるおかしな集団があるだろう。あいつらはクリアボヤンス――予知や透視をする連中だ。あまり関わらないほうがいい。服の下を覗いてくる変態が多いからな」
そう聞いて、赤毛の少女がさっとぼくの影に隠れて、抗議を挙げた。
「プライバシーも何もないじゃない。どうしろって言うのよ」
「過度な警戒は不要だ嬢ちゃん。連中が透視をするときは、穴が開くほどに凝視してくる。そして裸を見ようとして臓物が見えちゃったなんてことはよくある話だ。普通に歩いていれば問題はない」
「動いていればいいのね」
「クリアボヤンサーの前ではな」
少女は安心したように一息ついた。
ぼくはそのあわただしい様子に、笑みがこぼれる。
だが誤解を生んでしまったらしい。彼女は眉根をひそめてぼくに怒った。
「ちょっと、おかしいことなんてないでしょ。乙女にとっては死活問題よ」
「ごめん、そんなつもりはないんだ。ただ、ちょっと、そうだな」ぼくは適当な英語がないか考えるも、すぐには見当たらず、結果として少し恥ずかしいことを言わされる羽目になった。「……可愛らしいな、と思って」
「へ、へえ」
彼女は気まずそうに目を逸らした。
そんな反応をされてしまったので、ぼくは余計に羞恥心がくすぐられた。
ぼくたちのあいだに形容しがたい空気が生まれ、いよいよ顔が熱くなってきたころ、ジョンが咳払いをしてそれを打ち消した。
ありがとう、ジョン。そしてすまない、ジョン。ぼくは目を伏せて感謝の念を彼に送った。
しかし丁度良い機会だったので、ぼくは彼女の名を尋ねることにした。肩を貸してくれたときからずっと、ぼくは知りたいと思っていたのだ。
「ねえ、君の名前を教えてくれるかな」
彼女は冷めやらぬ気恥ずかしさを隠すみたく、ワイン色の艶やかな髪を整えながら答えてくれた。
「イヴ・チューリングよ。あなたは?」
「ぼくはマナミ・アイカワ。イヴ、さっきはどうもありがとう」
「大したことじゃないわ。ただかわいそうだったから。マナミの腕は、もう平気なの」
「どうにかね。痛むけど、やっと感覚が戻ってきたところだ」
ぼくは多少の痛みを気にせず、手や腕を動かしてみせた。
イヴは納得して、良かった、と呟いた。
ぼくたちはその後も、ログハウスに着くまでのあいだ、たわいのない会話をした。
到着してからジョンが、ぼくを指名してきた。
「マナミ、おまえはイヴと喋ることに夢中で、俺の話を聞いていなかった」
ジョンの言うとおりだった。
彼は怒っている様子ではなかったが、あとに続く台詞をおそれて、ぼくは唾を飲み込んだ。
「扉を開けてこい」
実に簡単な命令だった。
ぼくは戸惑いつつも、返事をした。
ティアのにやけた顔に引っかかりを覚えたが、ぼくは輪を外れて、寮の扉の掴みに触れた。
ばちっと、冬場の静電気が起きたときと同じ衝撃が指に走る。
ただしその痛みは、静電気の比ではなかった。
指が吹き飛んだのでは、と錯覚させるほどの鋭い激痛が骨の髄まで響いてきて、ぼくは悲鳴を上げずにいらなかった。
思わず、扉の前で膝をつく。
ティアの楽しげな笑い声がして、ぼくは罠に嵌められたのだと理解した。
これが青春の対価だったのだ。
涙目になりながら、ぼくはジョンに助けを求めた。
「こんなもの、どうやって開けたらいいんですか」
「随分と諦めが早いな」ジョンもまた、ティアと一緒になって笑顔である。「これは新入りへの洗礼だ。誰もが同じ痛みを経験する。そして学ぶ。頭を使え、マナミはサイキッカーだろう」
ぼくにわかったことはひとつある。
ジョンの育成方針は、習うより慣れろ、らしい。
ドアノブと睨み合い、こいつを捻る方法を思索していると、突然ひとりでに回り出して、扉が開いた。
ふん、と誰かが鼻で笑った。
ぼくは振り返る。
上背が高く褐色の肌をもつ男が、こちらを見据えて、真っ直ぐに伸ばした右腕を捻っていた。
彼は、今回クォーツに合格を認められた四人のうちのひとりだ。
「くだらねえ」褐色肌の男は、右腕を下ろしてズボンのポケットにしまった。「サイキッカー以外を入れないための小細工だろう。馬鹿かおまえは」
ぼくは立ち上がる。
さすがに、不愉快だった。
「そんな言い方をしなくてもいいじゃないか。改めてくれ」
「黙れ。ろくにチカラも使えねえ奴が、指図するな」
「なんだと」
「いいから、どけ」
男は半開きの扉に手をかけて、ぼくに脇目も振らず、寮の中へ消えた。
ドアノブ以外は、帯電をしていないのだろう。
ジョンがぼくの隣へやってきて、肩に手を置き、小さく囁いた。
「どうやら彼のほうが賢くて、チカラの扱いも上手らしい」
ぼくは唇を噛んだ。
すべて、事実だったから。
イヴは肩をすくめて、ぼくを励ましてくれた。
「気にしちゃだめ。だってわたしたち、まだ初日よ」
優しいイヴだから、この発言に他意はないだろう。
しかしぼくは、自分が惨めに思えて、彼女の慰めを素直に受け取れなかった。
そんな小さいプライドを持っていると悟られぬよう、ぼくは努めて笑い、彼女と共に寮の中へ入っていく。
足を踏み入れてすぐ、ぼくの鼻先を掠めるものが、眼前を横切った。
おわっ、と情けなく声を上げるぼくの横で、イヴも同様の反応をみせた。
だがお互いの意識は、目に映る光景に夢中であった。
ログハウスの内装は、一般的な住居とは大いにかけ離れており、一階に相当する空間はすべてひと繋がりに――つまり広間だけのつくりになっていた。
そこにはもちろん、寮に住まう人々が不自由なく暮らすための、豪邸さながらの調度品がたくさん揃っている。
目を光らせるには十分な贅沢の数々だ。
ただし、ぼくたちが感動したのはその点ではない。
なぜなら、贅沢品など二の次だと思わんほどに、広間では様々な物が宙で浮き、踊っていたからだ。
カードや水晶、色とりどりの帽子、水の入ったグラス、果ては椅子に座る人までもが、優雅に空間を漂っており、一種のエンターテイメントを繰り広げていた。
「新入りだ!」
後ろでジョンが声を上げた。
すると寮でくろいでいた彼らは、ぼくたちに注目を集めて、口々に言葉をかけてくれる。中には同じ、学院の一年生もいた。
近くにいた人とは、握手で挨拶を交す。
それでもなお、彼らが操っているのであろう私物は決して動き止めなかった。
皆がサイキッカーとして、ぼくには及びもつかない卓越した技術を持っている証左だ。
「ようこそ、我らの家へ」と、ティアが前に出て向き直った。「まずはこれね」
ティアは、これもやはりチカラを使って、四人の前に小さなグラスを運んできた。
各々が受け取ったことを確認し、彼女はどこからか一本のボトルを取り出して、蓋を開ける。
それから中身の、琥珀色の飲み物を注いでくれた。
きついアルコールの臭いが鼻腔を刺激したので、ぼくはこれの正体と、ティアの続く一言を察する。
「歓迎の一杯を」
ジョンとティアも、グラスを片手に持ち、笑顔で掲げる。
ぼくは覚悟した。横目でイヴを見れば、彼女も同じ気持ちだったのか、たしかな決意を瞳に湛えてぼくに頷きかけた。
ジョンが指揮を執る。「乾杯」
ぼくたちも答えた。「乾杯」
高濃度の酒精が喉を焼く感覚に、顔をしかめる。
そのあとと言えば、先輩方の魔の手により、口の中の酒を酒で洗う羽目に何度も遭った。
ぼくたち新入りは、こうやって熱烈な歓迎を受けたのだった。
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