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異世界へ

 ぼくは現実から目を背けるように、家を出た。

 ひとつのガラス玉を手に握りしめて、小雨が降る外をあてもなく歩き始める。

 雨粒が肌を冷やしていく感覚に、普段は煩わしいと感じていた雨も、今なら心地よいとさえ思えた。

 のぼせたかのように火照った頭が、温度を失っていき、はっきりとした意識を取り戻していく気がした。


 幸いだったのは、あの惨状を知る者はぼく以外にいないということだ。

 大学生になってから一人暮らしをはじめたことや、偶然隣室が空き部屋だったこと、そして大学の夏期休暇中に現れはじめた異変のせいで友人と一切の連絡をしていないこと、これらが運良く重なったおかげだ。

 まあ事態の解決にはなっていないが……それを考えるのは心のゆとりが出来てからでいい。

 何よりぼくは落ち着きを取り戻すために、今こうして雨に打たれているのだから。


 あてもなく、とは言ったものの、傘も差さずに部屋着で歩けば、道行く人に不思議な目で見られるのは避けられない。

 自然と足は、人通りの少ない細い路地に向かっていく。

 それからポケットに入れていた握りこぶしを、その中身をたしかめるみたく、胸の前で少しだけ開いた。


 亀裂の走るガラス玉が、手のひらの影から顔を覗かせた。


 ぼくはすぐに目を閉じ、こぶしをポケットに戻した。

 あまり直視していては、無意識にまた()()()()()()()()()()()()気がしたからだ。


 そう、そうだ。

 ガラス玉が、部屋の有様を変えてしまった。

 それを裏付けるように、ガラス玉はひび割れていた。

 全力で腕を振るって、投げつけたとしても決して成し得ないだろうことが起きてしまった。

 まるで――超能力でも使ったかのように。


 そう意識してしまうと、また頭に血がのぼる感覚が蘇ってきた。

 ぼくは呻いた。ずきっ、と一瞬だが、激しい頭痛に見舞われた。

 耐えられなくなって足がよろめく。

 近くの電柱に寄りかかって、数倍にも重たくなったように感じる頭部を預けた。


 硬く冷たい感触が、脳髄の熱を奪っていく気がした。

 そうしてまた冷静になりつつあるぼくは、視界のなかで1匹の白猫を捉えた。

 少し離れたところで、道の真ん中に立つそいつは、ぼくを見つめていた。

 首輪は付いていないらしい。だが、野良猫にしては、汚れを知らないほどにその毛並みは美しく綺麗だった。

 雨が降りしきる住宅街の、灰色の景色には、ひどく似つかわしくない姿である。


 どこか浮いた存在に思えるその猫は、やがてくるりと反転したが、ぼくの動向を見守るように、顔だけはこちらを向いていた。

 遊び相手が欲しいのかもしれない。

 だがぼくは、今はそんな気分ではない。

 道を変えようか――そう考えたが、歩き続けたところで心が晴れるわけでもない。

 だったらこの猫に付いていくのは、ひとつ、気分転換になるだろう。


 気怠い身体を引きずって、ぼくは一歩を踏み出した。

 白猫はそれを確認すると、満足げに瞬いて、先を行く。

 ぼくは付いていくことにした。


 途中、白猫とぼくの散歩に奇妙な目を向けてくる人たちとすれ違って、細道を進んでいくと、人気が減っていくのがわかった。

 今では、雨が降る閑静な住宅街とはいえ、人々が生活を営む音がまったく聞こえない。

 不気味な雰囲気を感じながら、それでも優雅に歩み続ける白猫のあとを追っていく。

 しばらくしてぼくたちが立ち止まった場所は、寂れた小さな公園だった。

 座ったら折れてしまいそうな朽ち木のベンチと、ペンキの剥げた滑り台しかない。

 ポールが立つ入り口らしきところで、白猫とぼくは横並びになった。


 ぼくは白猫を見る。

 白猫もぼくを見ていた。まるでぼくの意思を確認するように。

 しかし目が合っていたのはわずかな時間だ。

 なぜならそいつは、僕の嫌そうな顔に取り合わず、正面を向いて公園に入って行こうとしていた。

 仕方なく思い、ぼくも行く。


 そして白猫は姿を消した。


 消えた。

 跡形もなくなった。


 あまりの出来事に、ぼくの頭が真っ白になる。

 しかし既に足は前へ出ていて、働かない頭では身体の制御が効かなくて――あっという間に、ぼくも公園の敷地に踏み入れた。

 視界が色褪せ、景色は捻れて渦を巻く。

 きぃんと耳鳴りがした。

 平衡感覚がなくなった。

 それから回したゼンマイが戻っていくかのように、勢いよく景色が形を整えていく。

 天高く昇る太陽と、澄み切った青い空。

 あたたかな風が吹き、上品な花の香りが運ばれてくる。

 緑豊かな木々に囲まれながら、柔らかな土壌を踏みしている。

 正面、視線の先には、白亜の宮殿が如き絢爛豪華な建造物が現れていた。


異世界へやってきました

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