「花火」
報告しまーす! エーと、あたしAMHー0 0 2 Tは今、みんなと一緒に山道を——座標でいうところの、N40.2、W55.3です——歩いているところです。 指令塔のみなさんが心配していた、N39.9、W54.7の崖のぼりの所で落ちてしまった人は誰もいませんでした。みんな無事です。嬉しいなあ! これからN41.6、W55.5の川を渡ります。みんな無事に渡ってくれるといいんだけど。では報告を終わります。以上AMHー002Tから指令塔へ。がんばります!
キャステは手首の外側についた小さな黄色のスイッチを押して、下腕部に内蔵された音声記録装置に吹き込んだ報告を、アーキ・ファルファの指令塔に転送した。グイングインと腕の中で何かが回転するような音がして、しばらくしてから報告が完了したことを知らせるチリリンという軽快な音が、キャステの耳に心地よく響いた。キャステは少し自分の過去のことを思った。この涼しげな音は、母国のアーキ・ファルファでの、自分の家の季節の風物を模した音色なのだ。
キャステは生まれこそアーキだったが、しかしその環境は他の周りの子供と比べて違っていた。だんだんと他の文化、食の文化や芸術の文化など、自国に於いて乏しかった物もろもろについて、アーキ・ファルファは子供がするのと同じくらい夢中になって吸収していたのだが、それでもまだその扱いについてあまり慣れてはいなかった。そんな環境にあってキャステが思う存分芸術に触れることができたのは、エリクエク・エスタル出身の母の影響にほかならない。
『輝ける真実の光』という名を冠する国は、他国から引っ張りだこの状態だった。この国で歌姫と呼ばれる地位につく女性たちが、その最たる物だった。他国からの要請に迫られ、また異文化への興味などから、他国に移住する彼女たちの数は徐々にその数を増してきていた。もちろん諸国は彼女らを歓迎し、一時期はそれが加熱しすぎて「いつかは歌姫」と謳う熱狂的な男性が増えてきて、それに業を煮やした地元の女性たちが腹いせに他国へと移住してしまうという始末だった。そういう顛末で、なぜだか女性という種族の中でだけ丁度良く国際化ができてしまっていたのだった。
それでも親にエリクエク出身者を持つ子供は、アーキの中では珍しかった。そして彼女の母親は移住してくる時に自国の様々な品々を持ち込んでいたため、キャステはおもちゃ貧困にあえぐアーキの中にあってそれに飢えを感じたことがなかった。といっても、そもそも子供というものはそれがないならないで自分で作りだしてしまう遊びの天才発明者ではあるが。
風に揺られてさきほどのチリリンという音を出す、糸に吊るされたまん丸い水晶球も好きだったが、可愛らしい音楽が封じ込められた赤い宝石が、キャステのいちばんのお気に入りだった。これは母親が仕事の時に首にかける代物であったらしいが、いつの間にかキャステが遊ぶ時に首からかける物に変わっていた。一日中、その宝石に音楽を奏でさせて外をスキップしながら歩き回るのだ。実際の所、音楽の伝道者は彼女なのかそれとも彼女の母親なのかは、よくわからなくなっていた。ただ片時も肌身離さず持っていたそれが、心ない人に奪われたりしなかったのが不思議だった。きっと、その宝石の旋律にはどんな人間の心も和ませてしまうような、素晴らしい魔法があったのだろう。
こうしてアーキのためにとある場所に赴く旅路の中でも、その宝石はちゃんと首から下げられていた。もちろん、音楽は凍りつくような赤黒い周囲の空気をほぐして鳴り響いていた。それは丁度、彼女の弾けそうな気持ちが表れているようでもあった。ちゃんとこのお仕事さえ済ませちゃえば、お母さんに会える!
何に腹を立てたのか、キャステはむっすりとふくれ顔で、肩を、純銀の鋭く光る鋼鉄の肩をいからせながらひとり草原の中を歩いていた。何よ何よ何よ! どうしてあんなに冷たくなれるのかしら! 「済んでしまったことはしょうがないのよ」だって! アイセルったらちょっと番号が上だからって調子に乗ってるんじゃないかしら! 彼女なりにいろいろな物を抱えているらしい、ここはそうっとしておいてあげよう。
だんだん前方に深くて暗そうな森が見えてきて、キャステは少し身震いした。ただでさえ、もう仲間の所に合流しようとか、 アイセルと仲直りしたい——本音のところではそうなのだが、彼女はそれを認めるはずがない。彼女が言うには、もう反省した頃だろう、許してやるかということだそうだ——とか、そんなことを考えていた矢先だったので、いつもの彼女だったら、回れ右して仲間たちの所へ戻っていただろう。だが今日の彼女はいつもとは違った。何しろ、あんなに衝撃的で悲しい光景を見てしまったのは、初めてのことなのだ。
アイセル……。あんながんこなおじさんとわからず屋のおばさんに育てられちゃったから、あんなへそ曲がりな子になっちゃったのね、かわいそうに……。なにか、先ほどと少し考え方を変えながら、キャステは親友のことを考えている。 いつもなら見かけただけで飛び退いてしまいそうな、だいの苦手の緑の光の粉を飛ばす小さな飛び虫のそばを通った時も、彼女はてんで気づかぬ風だ。通り過ぎて行く彼女を、虫も不思議そうな目で見ている。
森に入ってあたりの視界は急に暗がりに覆われた。しかし、それは結局彼女の連想癖の手助けをしただけのようだ。子供の頃から——といっても今でも十分それと呼べるが——、キャステは外で遊び回る子供だった。自分の親が両方とも外出がちだったことや、旧友のアイセルの家の親は異常なまでの技術狂で、機械いじりばかりしていて二人に構ってくれないどころか追つ払おうとするしまつだったことなどがあって、二人の居場所は、必然的に太陽の、不健康な録画された偽りの太陽の下に限られた。キャステもアイセルも、他の全員の子供たちと同様、この太陽が好きではなかった。ひらけた遊びの舞台に明るい光を添えてくれるこの子供の味方であるはずの物は、その嘘も、やはり同じく子供によって見つけられてしまうのだ。
そこで二人はちょくちょくと、この太陽を遮れる場所へとおもむいた。遮れるなら何処でも良かった。「ネズミごっこ」と称されたそれは、縁の下からのき下から、木のかげや、先ほどの飛び虫に顔面に飛びつかれたこともある草原の中や、時にはその名の通り下水道にまでおよんだ。泥んこになって随分と怒られた気もするけれど、その時のウキウキする気分は、今も彼女は忘れてはいない。
たしか、あれはそんなことをしていたある肌寒い日の夕方のことだった。さんざんいろんな所をうろつき回って、しまいには自分たちが何処にいるのかもわからなくなって、それでも熱中してさびれた裏通りの一つを入った所にある鉄とかび臭い廃ビルの中で、ガンガンと階段を踏みならして遊んでいた。そうしているうち、突然見知らぬ何者かに肩に手を置かれた時は、さすがのキャステも背筋に寒いものを感じたが、その人の妙に温和な顔と、そして何よりその言葉が、キャステを安心させた。
「ねえ、お嬢ちゃんはお母さんに会いたくないかい?」
そのあと、アーキの外の世界を見せてくれるということや戦争ごっこをさせてくれるということに、二人はすっかり興奮してはしゃぎ、そして……、そして、二人は今に至っている。眠らされて、目覚めたとき体じゅうに妙な重くて機械のようなものがついているのをキャステは変に思ったが、正常な判断をするには興奮しすぎていて、キャステはそれどころではなかったのだ。ここ数日は本当に全く顔を見せてくれない母親に、少しでも早く会いたかったのだ。キャステは、ネズミごっこの時たとえ太陽を遮れるからといって決して行かなかった、暗くて寒い我が家に、家族みんなが揃って集まるところを想像した。それだけで、キャステは胸が高鳴って嬉しくなってきてしまうのだった。
あの時、何でアイセルは一緒にアーキの外に行くって言ってくれたのかな……。本当に戦争ごっこをしたり外の世界を見たりしたかったのかな。あの時、仲間のみんなが川を渡る時に流されてしまった時、アイセルが見せたあの辛そうな瞳は、ただの冷たい人間のそれとは全然違う気がする。
「ちょっと、大人げなかったかな……」
あまり反省していないような口調で、彼女は後悔を口にした。そういえば、随分と森の深くに来てしまったようだ。あたりの空気も大分冷え込んできている。やれ戻ろうかと回れ右しようとした時、彼女の体はバランスを失った。
「れれっ?」
ドシンっ、と思いきり良く尻もちをつく。慣れない体が彼女の自由を奪っているのだ。
「つつっ……」
年がいもなく、尻から腰にかけてからだがズキズキと痛む。そんな自分がおかしくて、彼女は思わず年老いた自分を演じながら起き上がる。
「どっこいしょ……あ、れ?」
彼女は自分の年寄りじみた発言をすぐに後悔した。起き上がり目を向けたそこには、不安げな表情の青年が彼女をじっと警戒して見ていた。
何より彼を安心させたのは、キャステの首に下げられた宝石から流れ出るその懐かしい音色だったらしい。キャステが見るうちにもその青年のかたく強張った顔は和らいでいった。キャステの方はといえば、表情をころころと変える青年を前に、いったい何をしたらいいものか考えあぐねている様子だ。いまだに絶えず強張った笑みを浮かべている彼女の表情は、今の青年の微笑みとはひどく対照的だ。
だがそんなキャステにも、次の言葉を告げるチャンスが訪れた。
「あ、あー! そ、その宝石って……あたしのに、そっくり……」
そう、奇遇にも青年の首にかけている物もまた、キャステの物に瓜二つの宝石だったのだ。
ぐう……。時刻が今実際にどうなのかはわからないが——キャステは、さっき見ていた空がずっと赤かったので、本物の夕方はずいぶんと長いなあと思っていて、時刻の感覚をもう失っていた——、でも確かに彼女の高度に精密な腹時計は、ちゃんと時を刻み続けていたようだ。聞き間違えようもないこの可愛らしい小さな音が、その動かぬ証拠だ。キャステは、何も金属などのついていない自分のお腹のあたりを軽くなでた。ああ、何でもいいから、いややっぱりキュツアーが一番だけど、とにかく何か食べたいや……。
キャステはそーっと青年の方を見ると、やはり今回も彼女の失態は見つけられてしまったらしい。今までブルースハープを自由自在に吹いていたはずの口元は、今度は微笑みという別の音色を奏でている。キャステはちょこっとドキッとした。しかしそれ以上に、彼女の胸は恥ずかしさで一杯だった。少し芽生え始めたそんな女心をまるで知らぬ風に、彼女のお腹は厳しくしかるべき処置を要求するのだった。ああんもう、キュツアーなんていらない!
少しその後沈黙が流れた。それというのにも訳がある。二人は言葉で何かを交わすことが許されていない、つまり、二人とも別の言語を持っているのだ。先ほど出会ってから二人が理解し合ったことといえば、二人がエリクエク・エスタルの宝石を持っていること。この青年はエリクエクの出身らしいが、キャステは生粋のアーキ人だということ。それだけだった。そして会ってから今までは、キャステはこの青年の奏でる、自分の宝石の曲と全く同じものを聴いていたのだ。別に、聴き惚れていたとか、青年に見とれていたとか、そういう風ではない。アイセルの所へ戻ろうと考えていてそわそわしていたが、外の世界を見に来たからにはやっぱり、この青年には目を離せないところがあったし、あの宝石は何だろうと考えていたことなどがあって、キャステはどっちつかずの状態だったのだ。
しかしこの恥ずかしい腹時計の音は、良いきっかけかもしれない。そう思った彼女は、ここで帰ることに決めた。
「あ、あたし帰ります! どうもありがとうございました!」
アーキの言葉を修得していたので、エリクエクの言葉はあまり話さなかった母からかろうじて習っていたエリクエクの基本単語を駆使して、キャステは何とか意志を伝えようとした。下げた頭をそーっと上げると、少し青年は寂しげな表情をしていたが、意志は通じたらしく、何かひとこと言って納得したように領いて見せた。きっと別れの言葉だろう。何だか母親からも同じような言葉を聞いたことがあるような気がして、キャステは急に寂しくなった。ううん、そんなことない! これから、この仕事を終わらせちゃえばすぐに会えるんだから! キャステは自分を奮い立たせた。
仕事……。はるかかなたのエリクエク・エスタルに 「行く」こと。そうとだけ言われている。それが戦争ごっこだと、そう言われている。それって、おもしろそうじゃない? だって、戦争ごっこって、ただ戦争のふりをし合うってことなだけでしょ?
キャステは、今キュツアーのことを考え、それをどうやって食べれば良いものかと思い始めた。キャステは自分に口がないことを知っている。そう、そんなもの最初からないんだ。でも、じゃあこのキュツアーっていったい何? 何で、あたし食べられもしないのに大好きなの? それに、お母さんと一緒に歌った、あの歌は、ロがあったから歌えたんじゃなかったのかしら? でも、あたしには口なんて初めから……あれ? あれれ? あれれれれ?
突然、後ろから誰かに抱き締められた。身体全体を覆う鋼鉄越しに、その人の体温が伝わってくることはなかった。だが、確かに、こんなことがむかし間違いなく、いつか、どこかであったことを思い返した。誰か、大人の、温かい人に、こうして抱き締められた記憶が、片隅に埋まっているのを、彼女は思い返していた。
ほろり、と小さな液体が、今では冷たく光るだけの頬を滑り落ちた。彼女は、それが何なのか知らなかった。でも、それを流したくないということは、彼女の胸に刻まれていた。そうだよ、だって約束したんだもの、あの時、もう一人で生きて行かなくちゃいけないんだってわかった時、ちゃんと約束したんだもの。あたし負けないよ、あたしは、大丈夫だよ、お母さん……。今では意味もわからないこの単語を、キャステは何度となく繰り返した。
森を抜けた時、弱々しい風と同時に視界がもうすっかり暗くなっているのを感じ取った。夜、だ。これもアーキの中と変わんないんだなあ……。意外に外の世界に平凡を感じて、彼女は少しがっかりした。しかし、自分がその中に立っていることをすっかり忘れていた草原は、彼女の期待を裏切るどころか、それ以上に、素晴らしい物だった。
「うわあ……」
あたり一面、見渡す限りに、緑の灯りが明滅している。それが何による夜の芸術であるのかは、彼女には一番よくわかっている。こんな光景を一度でも見せられていたなら、彼女が彼らを嫌うことはなかったに違いない。
「アイセルにも、見せてあげたいな……」
その彼女の言葉に呼応するように、夜空に一筋の光が舞い上がっていくのを、彼女は見た。まるで、夜の中の数少ない光を集めた、全ての人々への、微かな灯火のようだと、彼女は思った。




