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Singalio Rou' Se lef  作者: 篠崎彩人
最終章「雪降る野原に、愛を繋いで」

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39/53

短編集「星に浮かぶ瞳」/「ハッピーバースデイ・トゥ・ユー」

◇開幕の序文


 ここまで自分を運んでくれた、

 僕の好きな人と、

 痛みと、

 僕にまつわる全ての環境に、

 心から感謝を捧げます。

 それが、生きていくことだと思うから。


 ’99年、自宅の一室にて


◇ハッピーバースデイ・トゥ・ユー


 パトリック、元気ですか? いい子にしてますか? おばあさまのごめいわくにはなっていませんか?

 一年間もお手紙を出せないでごめんなさい。お手紙はとっても高いの。わかってちょうだいね。でもその代わりね、今度お休みをもらってそちらに帰れることになったの。パットのお誕生日までには帰れるわ。その時にはお祝いをしましょうね。パットの大好きなキュツァ鳥の肉も買って帰るから、楽しみに待ってて。パトリックはお手紙をおばあさまに見せるのとってもいやがるけど、これだけは伝えておいてね。パットはもうすぐ九つで、りっぱなお兄さんなんだから。

 お父さんのぐあいはどうですか。パットがいい子だから、きっと元気ですね。お父さんやパットやおばあさまに会えるのを楽しみにしています。じゃあ、あまり書くこともできないからあとはおうちに帰ってからお話ししましょう。体には気をつけてね。


 お母さんより、愛を込めて


 そう書いたことを思い返してエウルカは満足げな表情になり、郵便受けに入れると、今来た道をそそくさと引き返して行った。会うためには、残りの時間を精一杯働き抜かねばならない。金の入りもあまり良くはないのだが、それでもこの商売にかけては彼女は重大な責任感を背負っている。それは商売というよりも、国から与えられた使命なのだ。

 胸に下げられた宝石を握り、残ったノルマに対するやる気を再充填させる。その宝石の反射光は、まるで生き生きとしてはずむ彼女の心が見えてくるようだ。ふと心にかかったもやが、エウルカの心を捕らえたらしい。ほとんど反射的に、エウルカは空を見上げていた。

 あの人は、今どうしているのかしら……。手で太陽光を遮りながら、エウルカはそんなことを思った。空には思い出がある。子供の頃に空はいつもあった。恋した日々に空は輝いていた。でも、それから先の空は……。

 エウルカは諦めたように首を軽く振ると、空を見上げるのを止め再び歩き出していた。人々の夢。夢見た人たち。ある時期、人々は遥かな無限の宇宙を夢見ていた。宇宙旅行。宇宙人。エウルカも少女の頃から時折そんなことを空想してきたが、それが現実になろうものとは露にも思ったことはなかった。しかし、人類は宇宙船という小さな道具で、宇宙への旅を可能にしようとしていたのだ。

 あの時は生まれたばかりのパトリック——この頃には、本当は女の子を望んでいた夫が、パトリシアという名前を捨てきれずにいて、そこから仕方なく妥協案としてこの名前をつけたのだった——を抱いて、子供のようにテレビの前ではしゃぎ回っていたものだ、それが一家団欒の最後になろうとも知らずに。

『星空を駈ける希望』、ロウ・ズ・エルという、宇宙開拓委員長の演説の中の言葉を採った宇宙船は、人々の期待と眼差しを一身に受けて、轟音と共に天高く飛び上がっていった。

 夫は、何だか不満がまだあるらしく、テーブルに悪態をつき酒とおつまみのスナックを齧って一人でふんぞり返っていた。

 エウルカは、そんな夫を後目に「あーあ、もうちょっと給料がもらえてれば、生で宇宙船が見られたのになあ」と、テレビに映った観衆を見て一人でぐちっていた。その時だった。

 けたたましい爆発音が、直接耳に飛び込んできた。地震が直撃したような、そんな衝撃だった。爆発音が収まるまで、エウルカはパトリックを抱いたまま床に伏せていた。それが収まり、いったん辺りが静まり返ると、今度はパトリックの泣き声が耳をつんざいた。

「いったい何だったんだ……?」

 夫は酒びんが倒れて全てこぼれて台なしになってしまったのにも気づかずに、唖然として立

ちつくしていた。

 エウルカはそれに答えずに、泣き続けるパトリックをあやしながら、視線をテレビの方へと戻した。

 そこには、それが当たり前だとでもいうように、何の映像も映っていなかった。

「こりゃあ、大変だ!」

 夫の言葉に振り返ると、彼は二階の自室に駆け上がっていった。エウルカは何が起こったのかさっぱりわからず、ただ茫然自失とパトリックをあやし続けた。

 しばらくすると、夫がいつもの仕事着姿に着替え終えて戻ってきて、玄関から外へ出ようとした。エウルカはそこで突然動物的な不安に襲われ夫に叫んでいた。

「どこに行くの? 外は危険よ!」

 しかし、夫はそれに構わずに行ってしまった。

「君はここにいるんだ! すぐ戻る!」

それきり、エウルカが夫の健康な姿を見ることはなかった。


 言われた通りにエウルカは待った。

 一ヵ月待った。

 二ヵ月待った。

 三ヵ月……待った。

 しかし、夫は帰って来なかった。

 エウルカは不安で不安で毎日泣きながら眠った。


 テレビ放送は復活した。エリクエク・エスタルの国営放送だ。放送は、三ヵ月経った今でもあの宇宙船爆発事故のことで持ちきりだった。

「宇宙船爆発により蒸発した大陸に海水が流れ込み、水位が著しく低下したため、今では海洋生物の五○パーセントが、死滅したと科学者たちは見ています」

「アーキ側のこの事件の責任追及のため、アーキ側に対し世界ではあわただしい抗議の動きが見られます。人々の間では戦争を危棋する声も上がっています」

「世界の空は浮遊性有害物質ディオニス=キプスに徐々に犯され始め、あと一ヵ月もすればエリクエク・エスタル上空を覆い始めるだろうと見られています。政府側は、……」

 ニュースキャスターの夫が映ってはいまいかと期待してみるテレビだったが、その期待はことごとく裏切られるのだった。こんな暗いニュースばっかり。その上あの人は帰って来ない。変な事件に巻き込まれてなけりゃいいけど……。不安は募る一方だった。


 しばらくして、夫が帰って来た。ひどく体はぼろぼろになっていた。見るなり、エウルカは絶叫して気を失った。


 そして次に目が覚めたのは、薄暗い白い部屋のベッドの上だった。窓から外を眺めると、一面鮮やかな夕焼け空が広がっていた。とても鮮やかな夕焼けだった。

「わあ、締麗……」

 エウルカは自分の置かれた状況も考えずうっとりした。だが、夢心地はすぐに打ち切られてしまった。

「世界はもう地獄ですよ、奥さん……」


 エウルカは我に返ると、自分が仕事場に戻って来ていることに気づいた。久し振りに我が家へ帰ろうというのに、気分は沈んでしまっていた。これから来る幸せを思い浮かべ、自分を奮い立たせると、エウルカは自分の成すべきことをしに行った。

 歌うこと。それはどんなに素晴らしいだろう。辛いことも、悲しいことも、歌を歌うだけで全て洗い流されていく。引っ込み思案だった小さな少女の心を、どんなに励まし羽ばたかせてくれたことだろう。エウルカは、今もこうして歌いながら、自分の中でもその行為を賛美していた。

 しかしその彼女をまるで神を崇めるように、狂信的にとりつかれたように焦点の定まらない聴衆の瞳が、彼女には悲しかった。ほんと、これじゃ偶像か道化ね。それがあながちはずれでもないことは、もっと悲しかった。

 こんなことを、夢に思い描いていたんじゃない。彼女の心は昔から定まっていた。歌で人々の心を潤したい。歌うことで人々に辛さや寂しさを和らげてもらいたい、幸せを分かち合って欲しい……。そうした思いがあったから、ずっと "歌姫" になる日を夢見て生きてきたのだ。

 歌姫。シンガリオ・ロウ・ザ・リーフ。この国、エリクエク・エスタルで最も名誉ある地位。この国には、栽培に適した土地、また産業の発達、その他の鉱物や資源など、他の国との交易となりそうな物に乏しかった。それ故にこの国に発達した物は、人々の内側から発する物、その一つの形としての音楽、特に歌だった。

 他の国は、そうした人の心を浄化し潤してくれる物、いわゆる美と名づけられるものについて乏しかった。特に『力と炎の礎』、アーキ・ファルファという一帝国は、技術至上主義を掲げそうした物にひたすらに情熱を注ぎ込んできたため、この美の国と出会うまではその存在にすら勘づいていなかったほどだ。

 それは世界という世界に広まった。他の国の技術と組み合わせ音を機械に記録できるようになってからは、その急速な浸透ぶりは目覚しい物だった。そうした経緯が、 エリクエク・エスタルを巨大な都市へと発展させたのだ。

 誇り高い、守るべき文化なのだ。そう信じてきた。憧れていた。だが彼女の手にそれが届きそうになった瞬間、そのガラスのような澄んだ文化は、あまりにもひび割れた、その目的を失った物となってしまった。

 世界の閉塞の時代。美しき惑星の肉体が、赤黒い血で覆われてしまっている時代。ありとあらゆる生命が、その活動を内へと押し込められてしまった。国と国とでお互いに補完しあうことが封じられ、人々は自分の国の中にのみ生きていくことしか叶わなくなってしまったのだ。そして恐らくは永久に。

 自らの力だけでは生き延びていくことの叶わない、脆弱で巨大な子供。透き通ったガラスの体の中から優しく灰かな光を放つ、哀れで儚い少年。それが痛みに包み込まれた世界に突然投げ出された、この国の姿だった。食べていくための食物もなく、現在の発展を維持するだけの力も資源もない。あるとすれば、時折見ては忘れかけていた笑みを再び取り戻す、人々の内の弱々しい炎だけだった。

 数少ない希望を絶やさないために自らを提供するのが、今の彼女の仕事だった。だが、そこにある隠すことのできない違和感は、彼女に自分が何処か別の場所に遊離しているかのような感覚にすら陥れ、彼女に苦しみとむなしさを与えるのだった。

 それでも彼女は耐え、餌にすがる虫のような弱者に向けて、必死の対話を試みていた。人々の再生を強く願う思いを訴えていた、エイラさんなら、きっとそうしていたでしょうから。彼女は憧れの歌姫のことを思った。彼女もまた、弱者の一人だった。


 あれから何日間か仕事を続け、精も根も疲れ果てたようになって、エウルカは帰路についていた。何だか、枯葉になっちゃったみたい。思春期にダイエットの効果でやせすぎてしまった時、通っていたアートルラム女子聖歌学校の同級生に全く同じように形容されはやしたてられたのをふいに連想して、エウルカは何だか悲しなって、苦笑ともため息ともつかない息を漏らした。エイラ先輩にも、こんな辛いときがあったのかな……。聖歌、つまり宗教歌を歌っていたからといって彼女が特別敬虔な信者というわけではないが、それでもやはり人である以上彼女にも心のよすがはあるのだった。

 以前は舗装されていて、見たりその上を友達と買い物をしながら歩いたりするのが楽しみだった街の歩道も、彼女が親からお金をくすねては毎日のように通いつめていた歌劇場へと続く、おしゃれな街路樹が並んだ色鮮やかなくねくね道も、帰り際訪れてみたが、あまりの変わりように驚きつつも試しにその上を歩いてみたが、やはり昔のような心弾む気持ちがわき起こっては来なかった。もう、ショーウインドーに可愛らしいスカートや羽根つきの大人びた帽子やずっと欲しいと思っていたネックレスや子供の頃だだをこねてねだり続けてもどうしても買ってもらえなかったくまのぬいぐるみは、どこにもない。もう、歌劇場に行くまでのくねくね道で一緒にけんけんぱをした仲の良かった友人たちは、何処にもいない。

 少し出てきた風に舞い上げられた木の葉が、彼女の頬をちくりと刺して通り過ぎていった。彼女はなんども少し刺されただけの頼をさすった。なぜか、その頬は濡れていた。

「……あれ? なんでだろ? 今ので血が出て来ちゃったのかな? あれ? あれれ? おかしいや、そんなの。あはは。おかしいよねそんなの、おかしいよ、そんなの……」

 彼女はその頼を押さえたまま、一人けんけんぱを始めた。


 エウルカは、窓の方に寄りかかり、誰の視線も見ないようにして、アーキ・ファルファ製の国内用高速ワンウェイ・リフトのシートに腰掛けていた。といっても、乗客は彼女のほか二人しかいない。五十人はゆうに座れるだけのスペースを持ったリフトの中の空間が、まるきりそこだけ静止してしまっているようだ。

 なんとなく耳障りな音があるのに気づいて、エウルカは視線をリフト内に泳がせてみた。同世代ぐらいに見える若い女性が、泣き叫ぶ赤ん坊をあやすのに苦心している。町に買い出しに出てきたのだろう。座席の横には買い物袋が山と積まれていた。

「うるせえぞバカ野郎!」

 突然濁った目の中年男性が声を張り上げた。たぶんこの人はいつだからというんじゃなく、お酒を飲んで酔いつぶれた人だろうな。世界に振り回されているのね。かわいそうに……。服装が意外ときちんとしているのが、その泥酔の程度を際だたせていた。

 目を戻すと先ほどの若い母親が、その男に向かってしきりに頭を下げている。男はまだ何か小声でぶつくさ言ったが、それきり大声は立てずいびきを立てて眠ってしまった。

 エウルカの興味がそれるのと同時に、彼女の目はまた窓の外に向けられていた。リフトはきしる音も立てず、静かに動き出した。

 リフトが高い位置にあるのでこの窓からは町を一望できるのだが、エウルカはそんな気分ではなかった。彼女の心は、今はまだ遠い故郷に向けられることもなく、何かに高ぶることもなくただ静かに彼女のうちに佇んでいた。

 しばらく、リフトに揺られて長くけだるい時間が過ぎる。今はエウルカも少し落ち着いて、温かい我が家のことを思った。パトリック、どれくらい大きくなったかな。元気かな。お母様も健康でいらっしゃるかしら。あの人は、幸せにやっているかな……。

 パーティ、パーティをしてあげなくっちゃ。とびきりおいしい料理を作って、パトリックと一日中遊んであげよう。エウルカの顔にもやっと安堵の表情と微かな笑みが浮かんだ。

 キュツァ鳥を買っていなかったことや、パトリックが母親に手紙を見せたかなどということを考えるうち、視界に揺れる白い物があるのに気づいた。それが何であるか見定めるのには、それほど時間がかからなかった。

「雪……、雪だ……」

 可愛らしい小振りな雪が、ゆっくりと舞い落ちている。そう前から降っていたのではないらしく、町はまだ乗った時に見た姿からあまり変わった様子にはなっていない。

「わあ。椅麗だなあ……」

 さっきまでの母親を意識した考え方はうすれ、彼女の心は少し、少女というよりは子供の方に傾いていた。窓に手をついてうっとりと眺めている。

 そう、こんな雪が降った日だったっけ。あたしが必死で泣きじゃくってて、お母さんがなだめてくれてた時、お父さんは、顔が見えなくなるくらい、おっきなおっきなくまのぬいぐるみを持って帰って来たんだわ。あたしの誕生日に、二人して雪を頭から肩から体中にどっさりかぶって! あたしはそれで嬉しくて嬉しくてしょうがなくって、そのくまのぬいぐるみを持って外に駆け出して行って、結局泥んこにしちゃったんだっけな。でもお父さんは言ってくれたわ、「お前がそうやっていつも元気いっぱいでいてくれるのが、パパたちへの最高のプレゼントだよ」って、頭をなでながら。

 エウルカの暗い気持ちは、全部雪に洗われてしまったようだ。そうだ、パトリックの誕生日もあたしのあの時のと同じくらい、とびきり素敵なのにしてあげよう! めったにかまってあげられないんだもの、少しくらい貧しくたって、ぱーッと盛り上げてあげなくっちゃ!

 そう思いながら、エウルカは、いつものように頭の中で手紙を書いていた。経済上の理由で、また、この国の窮状のために、手紙は彼女には簡単に手の届くものではないのだ。それでもいつでも彼女は、パトリックへ宛てた手紙を、頭にいくつも持っていた。いつかそれらを全部書くことのできる日を、エウルカは夢見ていた。

 頰にまた液体が伝っているのを、彼女は気づいていた。 だが、 今度のそれは暖かい滴だった。


 パトリック、見ていますか? お星様を見るのが好きなパットですもの、きっと好きになるわ。ほら、締麗でしょう? これは雪っていうのよ。ひとつ手にとってごらん。とても冷たいでしょう? でも、見ているととってもあったかい気持ちになるでしょう? きっとこれはね、神様が言って下さっているんだわ、「小さなことにくよくよするんじゃない、いいこともいっぱいあるんだぞ」って。雪には神様の真心がつまっているのよ。あたしたちが元気に生きていけるように、あたしたちが幸せに暮らせるようにって。それとも、パットがいい子にしてたから、神様が贈り物をしてくれたのかもしれませんね。

 うふふ、パトリック。きっと手紙じゃ物足りないわね。おうちにもうすぐ帰るから、ちゃんとそれまでいい子で待ってるんですよ。じゃあ、さようならパトリック。


 あなたのお母さんより、愛を込めて

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