本編/ 第三幕「微熱」
「あの人と最後に別れる前に、こういう話を聞かされたんだ。僕は全くその星の人々とかかわらなかったと言っていいから、あまり実感が持てる話じゃなかったんだけどね……」
「前にも言ったように、僕はあの人と再会してから、すごく楽しかった。子供の頃以来だったと言っていい。でも、それはそう長くは続かなかったんだ。ここから先は、まだ話したことがなかったよね? あの人は、急にこの話をし始めたんだ。今までになく深刻な顔をしてた。それは、今まで教えられてこなかったあの星の本当の歴史だった」
「人々はある時まで全く何でもなかったんだ。ごくごく平和に暮らしてた。今の僕たちのようにね。だがある時、人々は変わってしまった。人そのものが。人々は突然お互いが心の中で考えていることがわかるようになってしまったんだ。原因は、ある国が作りだした人の体を変えてしまう兵器だった」
「その国は、アーキ・ファルファ帝国、あの『星空を駈ける希望』計画の国だけど、あの計画が本当にどうなったかというと、僕が今まで言って来たことは……実は全部嘘なんだ」
「僕がその計画の宇宙船パイロットだっていうのも嘘。君の星に偶然不時着したっていうのも嘘。だから誰も迎えになんか来てくれやしないんだ、本当はね。僕が星々の瞬く宇宙を見たなんていうのも嘘。僕はただ、気がついたらこの星にいたというだけなんだ。それに君が見たことがなかったっていうあの空にしたって、僕は本当は今まで見たことはなかったんだ」
「いや……そうでもない。見たといえば見たな。でも僕の見たその空はこの星の空のように締麗なものなんかじゃ全然ないんだ。ただ青いだけ。いや、実際の空は、醜くて血のように赤いだけの空になってしまった」
「なんでかっていうと……宇宙船は嘘じゃなくてちゃんとあった。立派で、頼もしくて、僕は写真で見ただけだったけど、本当に素晴らしいと思ったよ。人類の最高の知恵の結晶にして最高の輝かしい希望だった」
「人々の空が爆発した。みんな何が起こったのかと思ったろうね。人々の明るい未来は、数秒で打ち砕かれてしまった。宇宙船『ロウ・ズ・エル』が宇宙までも出ないうちに大破してしまったんだ」
「ひどい有様だった。全世界を、今までありえなかった規模で猛毒の化学物質が覆った。アーキ・ファルファの科学者たちは、莫大なエネルギーを発する代わり人類に致命的な危険性のある物質を極秘裏に使っていたんだ。ただその国の王の言った期限に間に合わせようということだけのために……。それもその危険性を把握していたために、字宙船の発射はその国からあまりに離れた場所で行われていた。その時点でもう、全世界の人々の半数以上が、亡くなってしまったんだ……」
アイカの小さな肩が、そこで微かに動いたように見えた。だが、その後の均一な寝息は、やはり彼女は寝ているのだと私に認識させる。
起きてもいない人間に向かって話しているのかといえば、それは嘘になる。私は、自分自身と対話をしているのだと言っていい。自分の今ここにいる意義を再認識しようとしているのだといえば聞こえも良いが、実際の所この落ち着く間もない現状を幾分でも打破したいがため、またただ単純に自分の過去とアイカをよすがとしたいがため、声にまで出して過去を顧みているというのが本音に近かろう。
話にいくつか彼女を傷つけるような要素があったことに少し罪悪感を感じたが、それらを塗り替えてきた嘘はやはり、今までを生きていくための締麗な冗談だったといっていいことに違いない。私は、話を続ける。
「……空が赤くなってしまったのは、その物質のせい。理由は単純さ。その物質が赤いから。血よりも、他のどんな赤いものよりも」
「こういうのも変だけど、人々に余裕さえあれば世界戦争が始まっていただろう。しかし、人々は生きる道を探すのに手一杯だった」
「残された人々は必死で生きる道を探した。まだ人々には高度な科学力が使えた。それでもって人は、発達した地域の人々は、強力な防壁を都市の周囲に張り、そして防壁内部の空気を清浄することに成功した。もともとは対ミサイル用のもの、ああ、ミサイルっていうのは、人を簡単に殺せちゃう恐ろしい兵器なんだけど、対ミサイル用としてもともとあった物だから、その人たちは運良く迅速に環境の危機に対応できた」
「しばらくは平穏が戻った。そして人々は透明な防壁を通して見える赤い空がとても気持ちが悪いと思った。それで防壁の内側に、かつてあった青い空が見えるようにした。でも、それは美しくはなかった。僕が見たことがあるのは、この空と、赤い空だけなんだ。きっともともとの青い空は、この星のと同じくらい椅麗だったんだと思うよ」
この星……。そう、彼女は、物心ついたときにはこの星にいて、私がかたわらにすでにいたと言っていた。この星……。私は、何故ここにいるのだろう。私自身わからない。そして、彼女は一体何なのだろう。
「……この後で僕が生まれたんだ。悲しかったよ、生まれたときから、エリクエク・エスタルの王、王妃だったらしい親には忙しくてすこしも構ってもらえずに。それでも、僕は大きな木に見守られていたから平気だった。親の最高のプレゼントだったよ」
「そんなある日だった。本当に唐突だった。エリクエク・エスタルが、他の遠い地域の国々と連絡が取れない中で、宇宙移民計画という、一度この星を捨てなくてはならないと考えた科学者たちが、利用可能だと考えられた近い星に移民しようという計画を進めていたときだ」
「雪が降ってきたんだ。僕は綺麗だと思った。そう、雨や雪は、たとえ戦争になって防壁を長期に渡って張らなくちゃならなくなってもいいように、防壁を通過できるようにしてあったんだ。あの人も、エリックもそれを見上げていた。泣き出しそうな笑顔をしてね。僕は笑った。『どうしたんだ? 目にゴミでも入ったのかい?』って、いつものように悪ふざけでからかってやりながらね」
「その日が、あの星の平和な日々の終わりだったんだと思う。これが、さっき言った人体を変えてしまう兵器だったんだ。アーキ ・ファルファが宇宙船を狙って、エリクエク・エスタルを潰しにかかったんだ」
「人々は、お互いの心が読めるようになった。人々は驚愕した。疲れ切ったお互いの心のあまりの重さに。お互いの傷のあまりの深さに。そう、他人の心がわかるようになった人々は、それは本来喜びであるはずが、逆に他人の苦しみまで共有しなくてはならなくなった。一人分ですら抱えきれなかった物が、何重にも折り重なって罪のない人々を圧迫した。そして人々は、内面への激しい攻撃に対処できなかった」
それから……。それからは、私は知らない。あれから人々はどうなったのか、あの星は、今も呼吸を続けているのか。そして、私自身、あれからどうなったのだろう。この星で目を覚ますまで、私は何をしていたのだろう。
「そうだ……あのシンガリオ・ロウ・ザ・リーフの人たちがいたんだ……」
あの人々の仕事が、あれからの人類を救える物だったかもしれない。私には、知る由もないが。
私にとっての救いは、癒しは、たとえこの子がなんであろうとも、他にはなく全てアイカの中だけにある。星空の星は相変わらず、寂しげに絶え間なく己の体を燃やし続ける。アイカの寝顔も、いつもの様子で穏やかなものだ。
「この子には、感謝をしなくちゃいけないな……」
この子のどんな些細な仕草も、何気ない表情も、私の心をいつでも和ませてくれる。この子が一体何であるか、そんなことは考えるべきではないのだ。この子のそばにいて、この子を愛して、この子のことを考えて、それだけでただひたすら生きて来れたという事実、それだけで、私にはどうしようもないくらいに十分だ。私は、生きたのだ。
力なくその場に大の字になる。こうしただけで、私は小さな命を奪ったかもしれない。ただ大きいというだけで、命を惨たらしく奪う権利もないというのに。小さくて貴重な命。何処にでもあるか弱い命。それでも私は生き抜いてきた。呆気なく、冷徹な力に押し潰されそうになっても、それでも私は今まで自分の存在を保ち続けてきた。強力無比な、運命という脈々と続く大河の名の下において。
静かだ。 聞こえてくるのは、私の匂うくらい確かな呼吸音と、アイカの控えめな寝息だけだ。静けさに瞼を任せて、静けさに身をたゆたわせ、静けさの中で、私は何処までも続いてくれるような、温かい人の肌触りのような夢を見た。白く、濁りなく、底知れない霧の奥深くへ、私は感謝を振りまきながら、アイカと手を携えて待ちきれないように進んで行った。




