第三幕「願い」
結局、アイカの食べ切れなかった鳥肉で久し振りの食事ができた。そしてその後、いつものように歌を歌って、話を聞かせて、やっとおしゃまなお姫様を寝つかせた。あとは私が寝るだけだ。
アイカと一緒に布団代わりの私の白マントにくるまって寝そべりながら、見る物もない上のほうを眺める。そこは霧に覆われただただ暗闇が広がるばかりだが、この霧の向こうには、果たして何があるのだろうか……。
この世界は、少なくとも記憶に留め残している内では、私の経てきた空間は、その全てが霧に覆われていた。出会った人間は恐らく、アイカと私の保育者のみだろう。 私にそれなりの教養があること。うろ覚えながらそれと思しき人物が、私の記憶の片隅にあることから、保育者がある時期に私の傍にいたということは窺い知れる。
扶養への感謝こそすれ彼を心の頼みとはしていない。記憶の中に、それもまた虚ろな印象しか持たぬ人物だ、寄り纏ることはできまい。私が寄る辺としているのは唯一アイカだけだ。私の時空を人の人たる生き方があるものとして強く印象付けているものは、まずこの子を措いて他にはなかろう。
一生の星霜をこの子を守るのに捧げるのもまた一つ人道かもしれないが、それを敢えて放棄してまで私は自分の信じた道を歩もうと意を固めた。この霧を晴らそう。それが私の、苦悩を重ね、信じるに至った人道だ。それは、もう戻らない時を作ってしまうのかもしれない。しかしそれが人生だ。 私はこの霧を晴らす。 私の存在する意味を、この両の目に焼き付けるために。美しく眩い壮大な希望を、アイカの未来とするために。そして僕は、君の喜ぶ顔が見たいから……。この声が枯れてアイカと話ができなくなろうとも、この耳がアイカの歌声を聴けなくなろうとも、この喉が潰れるその時まで、僕は歩き続けて行こう。そしていつの日か、この霧を晴らすことができたなら……。
アンニュイが、希望に打ち消されて行く。さらなる追撃のため、無意識にアイカの寝顔を見る。暗さ故にはっきりとは見えないが、すうすうと小さく寝息を立てて眠るアイカの平和な寝顔は、こんな荒んだ世界には相応しくない気がする。いや、混沌の内にこそ、天使はいてくれるのか。私は、この子という存在への感謝と愛おしさから思わず、締麗な髪の流れるアイカの小さな頭を、起こしてしまわないように軽く弄った。私は、この子だけは、アイカだけは、私が、世界がどうなろうとも、幸せになって欲しいと心から願った。そう、そしていつの日か、この霧を晴らすことができたなら……。




