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Singalio Rou' Se lef  作者: 篠崎彩人
第二章「縷々たる日」

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第八幕「甘く匂うもの」

 言葉の壁を越えるのは辛いことであるが、痛みという苦しみを越えるのもまた、辛いことだ。私はどれだけ走ったのか知れないが、足の具合は丁度今、最悪であるようだ。血の流出が止まったのはわかる。だが、足の痛みがあまりにも激しい。体内の神経が地表に直接触れているのではないかというほどの、いまだかつて体験したことのない激痛だ。

 だが今は、こんなことに神経を奪われていてはいけない。 アイカをどんな手段を講じてでも、見つけ出してそして抱き締めてやらなければならい。そのためなら、この足の一本ぐらいどうなったとしても構わない。今この場で獣たちに生きたまま、この足が喰われようとも、アイカのためであるならば一向に構わない。

 しかし、見つけるための手掛かりという物が、本当に何一つない。 私は、一体何処をどう駆けて、あの洞窟らしき所まで至ったのだろう。

 私が、駆け続けながら流していたであろう流血の匂いを辿る、という術も一時は考えた。だがそんな物は今では無効だ。逢か昔に、雨が何事もなかったかのように洗い流してしまっているだろう。

 降り頻る雨が、徐々に私の体温を奪っていく。意識の確かさも今はない。視界という物が存在しないので、目に見える物のぶれ等はないが、耳に聞こえる雨の音が、まるで心地良い川のせせらぎのような音に薄れてきている。足下も危うい。私は、もはや方向を定めて歩くことはできなくなっているようだ。

 途端に私の体は、一本の木にぶつかり、容易にその場に倒れ込む。その拍子に、頭を地面に強く打ちつけてしまった。またしても、それもまた激痛であるはずなのだが私の体はもうその痛みを捉えることができない。子供の頃、何か温かい人に揺さぶられていた時のような、穏やかで静かな揺れを感じるだけだ。

「アイ……カ ……」

 そう咳いてみるがそれはもう言葉にはなっていなかったかもしれない。喉のかなりの部分が、渇きで機能しなくなっている。雨が、口を開ければ自ずとその中に入り込んでくる。そして喉に流れ込みそこに水が溜まって、口を開け発声をすることすらままならなくなってしまった。

 ならばもう、あえて何もするまい。私は、アイカとの過去の楽しかった日々を、心の中で反芻していた。アイカの締麗な歌声、アイカのかわいい笑顔、アイカの仕草、アイカが私におぶさられている時の、背中に掛かるアイカの寝息..…。私は、彼女のおかげで素晴らしい時を過ごすことができた。だが私は、彼女を幸せにしてやることができたろうか。私の愛は、それに値するだけの幸せを、彼女に与えることができたのだろうか。

 彼女は今、どうしているだろう..…。私と同じように、天を仰いでただ死の訪れを待ち続けているのだろうか。それとも、そんなことは知らず、死の前の安らぎに、辛く傷ついてきた心を癒しているのだろうか。それとも、ひとりぼっちの恐怖の中で、いつまでも私を捜しているのだろうか。それとも、細々と、最後の命を燃やしながら、何処かで私が迎えに来るのを待っているのだろうか……。

 しかしもう私は、君を迎えに行くことはできない。許してくれ。最後にこんな別れ方をしなければならなくなったことを、私の完全な過失から、こんな叔しい人生の終わり方をさせねばならない ことを、どうか、許してくれ…。

 私の意識は、感覚に支配され始めた。甘い快楽が、心も体も埋め尽くしていった。

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