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電攻閃鬼 刃雷//AFTER  作者: 赤黒伊猫
第零部「電攻閃鬼 刃雷」
1/6

最終話「さらば電攻閃鬼! まだ見ぬ明日への旅立ち!」



-1-



 中央基地(セントラルベース)は完全に破壊されていた。


 乳白色の滑らかな外壁に取り付けられていたタイル状の複合装甲の殆どは乱雑に剥ぎ取られ、ざらついた灰色の下地を曝け出した状態。その上から大小様々の淵を焦げ付かせた貫通孔を穿たれ、背後に広がる荒れ果てた大地と同様に無秩序に抉られていた。


 建物の彼方此方には、深々と刻み付けられた断裂を起点として崩落が発生しており、その内部は延々と漏れ出し続ける黒々とした煙に覆われて窺う事が出来ない。時折、内部で燃え盛る炎が火勢を増して吹き出す。そうして赤の色が基地の外壁を撫でる度、焼け焦げた煤がそこへこびり付き、一層黒く汚していく。


 そして、全ての炎が行儀よく建物の内側で踊っている訳ではない。むしろ、既に数年単位で地上へ陽の光を降り注がせていない灰色に鈍く濁った空すらも染め上げる勢いで、燃焼は広範囲に及んでいるのだ。基地から数メートル離れた地点にさえ火の粉が舞う程の業火が、一帯を巻き込み、包んでいる。


 敷地内のアスファルト舗装は大きく罅割れ、所々では隆起や陥没が生じている。その表面に所々、赤黒くこびり付いた染みがぶちまけられた様になっており、この場に居た者達がどんな運命を辿ったかを如実に物語っている。てらてらと艶めかしく光を反射するそれらは、惨劇の発生からそう時間が経っていない事も示していた。


 黒と赤。破壊的な二色が一帯を蹂躙していた。最早、その建造物からかつての美しく堂々たる佇まいは完全に失われてしまっている。


 周囲へ断続的に響く破裂音は、内装や設備類が炎によって燃え、爆ぜ、一つまた一つと失われていく事の証明に他ならない。あの内部では今、あらゆる物が燃えているのだろう。この基地を構成していたすべての物が。無慈悲に、容赦なく……この世から消失していく。


 不意に、砂を蹴る音が鳴った。


 発生源。燃え盛る中央基地の前で立ち尽くす青年が身に纏うのは、所々を損傷した赤いジャケットと、膝や裾の辺りに()()()()()()()()な破れ跡を残す黒のジーンズ。


 一戦交えて来たかの様な風体。正しく、彼はここより十キロメートル以上も離れた場所で、命のやり取りを前提とした戦いを終えて来たばかりなのだ。荒い息遣いと激しく上下する肩は、彼が一時の休息も挟まずに荒野を駆け抜けて来た事を示している。


 青年の名は、甲牙刃(こうがじん)と言った。



-2-



「――間に合わなかった、のか」


 一連の惨状を目の当たりにした刃は、呆然として呟いた。


 若い、と言って差し支えない年齢だ。短く刈り揃えた黒の短髪の下、内面の意思の強さがそのまま表れたかのような太い眉と鋭い目つき。頬に無駄な肉のない引き締まった精悍な顔立ちは、既に幾多の鉄火場を乗り越えて来た戦士に相応しい面構えである。


 しかし、刃の表情はここに来て、まるで泣きだす寸前の幼い子供の様に歪んだ。瞳に映る炎の揺らめきが、歪む。腹の底から込み上げてくる程の激しい後悔の苦渋が、無力感となって彼を苛む。


「生きている人は、居ないのか……!?」


 無意識の内に漏れ出した言葉。刃はそれを自分の耳で聞き、はっとして駆け出そうとする。


 足が向かう先は、眼前、業火に包まれ崩壊しつつある建造物。そこは刃にとっての第二の故郷であり、大切な仲間達と掛け替えのない時間を過ごした思い出の地だ。


 そう、ほんの数時間前まで……あそこには刃と心を繋ぎ、共に苦難を分かち合った同胞達が存在していた。今日この日まで刃を支え、その背中を守り続けた仲間達。守るべき人々、大切な友人達。


 その全てが今、跡形もなく消え失せようとしている。


「生きている人が一人でも居るのなら、今からでも……!」


 色鮮やかな記憶が彼の脳裏を過り、原動力となって彼の身体を前へと進めようとする。まだ、全て失った訳ではない。一つでも取りこぼさずに済むモノがあるのならば、自分の手で救い出して見せる。


「俺はまだ、君との約束も果たしてはいないのに――ッ!!」


 脳裏を過ったのは、一人の少女の柔らかな笑顔。長きに渡る戦いの日々の中で、常に刃を傍らで支えて来た幼馴染。ほんの数日前にようやく想いを確かめ合う事が出来た、刃が己の不安と弱さを曝け出す事の出来る唯一の人。


 戦いの中で砕けそうになる刃の意思を身体ごと抱き締め、今日この日まで繋ぎ止めてきてくれた……大切な人。そんな彼女はまだ、あの地獄の業火の渦中に居るのだろうか。彼女の柔らかな肌が炎に包まれ、黒く焼け爛れた炭と化す光景を幻視するだけで、皮膚が粟立ち、怖気が走る。


 だが、それでも尚、彼女が生きているのならば。逆巻く炎の向こうで助けを待っているのならば、……俺が、救わねばならない。


 湧き上がった決意は一種の自殺願望にも似て苛烈な想いとなり、彼は衝動に心を任せた第一歩を駆け出そうとして、


《――あの中に生体反応はありません》


 突如として告げられた言葉によって、阻まれた。


 今にも飛び出そうとしていた刃の身体はつんのめる様にして停止。既に勢いの付いていた爪先が炎の赤色に照らされた大地を大きく削り、砂埃を巻き上げながら深い溝を作り出す。


 その時になってようやく刃は、自身の首筋に取り付けられていたチョーカー型の機械に意識を向け、金属としての硬質な冷たさを感じた。刃にとっては長い付き合いになる相棒(サポートAI)の意志が宿る補助装置(デバイス)から繰り返し発せられた言葉は、機械的な冷たい音声として紡がれる。


《繰り返します、ジン。あの建物の中に現在、生命活動を継続している物体は存在しません。私の分析結果ではその事実が、全てです》


「……実際に、この目で確認した訳じゃ、ないだろう……ライ」


 刃は反射的に言い返すが、同時にその反論が到底意味をなさない食い下がりでしかない事も理解しかけていた。思わず、ジャケットの裾を握り締める。


 緊張と焦燥感によってカラカラに乾いて張り付いた喉に、無理矢理唾液を嚥下して刃は尚も言う。言葉が途切れ途切れになる事を自覚しながら。


「お前の、サーチ機能は……強烈な熱量や電磁波の中では精度が狂う事もある。もしかしたら、まだ生き残って助けを待っている人が居るかも――」


《その意見は否定させて頂きます。現在、基地内部の温度は千度以上。人体の生存可能温度を大幅に超過しています。また、内部の電気系統も完全に分断されている事も確認しました。空調他、消火設備、緊急避難用のシェルター等も全て機能は停止しています》


「非常用電源が生きていれば、まだ可能性は……!」


《ありません。該当設備が設置されているA3ブロックからB2ブロックに掛けて大規模な崩壊を確認しています。()は恐らく真っ先に非常用装置も含めた生存用の基地機能を破壊したのでしょう。……格納庫も破壊されている事から、脱出艇も使用できなかったと推察されます》


 相棒……()()はただ淡々と、事実だけを的確に述べていく。どれ程切迫した状況でも常に落ち着き払ったこの態度と、あくまでも冷静な分析の数々に刃は今まで何度助けられてきただろうか。だが、そんな頼もしい相棒が語る言葉は、今の刃にとって余りにも残酷な宣告であった。


《第一、脱出者が居るのならば既になんらかの連絡がこちらに来ている筈です。ジン、残念ですが、彼らはもう》


「――分かっている……!! そんな事は、分かっているんだ……!!」


 刃は膝から崩れ落ち、そのまま感情任せに地面に拳を叩きつけた。輝鉄人間(オリハルコネイター)として改造・強化された刃の膂力は凄まじい打撃力を生み出す。破砕音が響き、乾いた大地が大きく陥没。同時に、衝撃に因って盛大な砂埃が巻き上げられる。


「俺は、こんな力を持っていても……!! 結局、仲間たちを守れなかったのか……!!」


 出撃前に何時も刃の肩を叩いて「留守は任せろ」と力強く微笑む、皆の纏め役の芝亮二。夜を徹して基地設備の点検や、刃が使う装備類を整備してくれた秋葉万葉に、彼女が率いる整備班の皆。日に日に乏しくなる食料を工夫を凝らしてまともな料理へ仕上げ、どうにか皆の士気を保とうと努力していたケイトさん。戦いで孫娘を失った所為で最初は心を閉ざしていたが、それでも刃達が無事に帰還する事を常に祈ってくれていた菊島さん。住んでいた街と両親を奪われ、最年少ながらに辛い記憶を抱えつつも「刃の様になりたい」と力強い目を向けて来たアルフ。


 彼らはしかし、皆、死んだ。刃が間に合わなかったが為に。


「俺は……俺はァ……ッ!! 俺は……無力だ……ッ!!」


 そして。()()()を守ってやれなかった。約束を果たせなかった。もう二度と、彼女の笑顔を見る事は出来ない。彼女の声を聞く事も出来ない。彼女が物資を必死にかき集めて作ってくれた不格好な誕生日ケーキの味を、俺は未だに忘れられないというのに。彼女が口ずさむ懐かしい歌が、まだ何処かから聴こえる様な気がするのに。


「結里花……ッ!!」


 自分の名前が古臭いと、コンプレックスを持っていた彼女。仲間達が欠けていく度に目を真っ赤にして泣き、しかし絶対に前進の意思を絶やさなかった彼女。コーヒーには砂糖を三つ入れてミルクを入れなければ飲めなかった彼女。暇さえあれば基地内を歩き回り、片端から困っている人の助けになろうとしていた彼女。編み物が苦手で、袖の長さが本物の二倍以上あるセーターを作って押し付けて来た彼女。避難民の女性に心無い言葉を浴びせられても、唇をかんでじっと堪えていた彼女。


 思い出が、溢れる。平和だった頃と、戦いが始まってからのそれらが、混じり合い、溶け合い、一つの輪郭を作り上げて……焼け落ちる。


 彼女は、死んだのだ。刃がその死に際に辿り着く事すら出来ずに。


 畜生、と吐き捨てた刃の両目からは止め処なく涙が溢れ、砕け割れた大地に一点、二点と染みを作っては吸い込まれていく。人一人の流す涙や汗程度ではこの不毛の大地を潤す事は出来ない。何度も何度も地面を殴りつけても、大地がひっくり返る様な事は起きない。


 そうだ。泣き叫べば降って来る様な都合のいい奇跡なんて物は、この世界からとっくに消え失せている。刃が今までに経験した数え切れない程の喪失と別れによって、幾度となく突き付けられてきた現実であった。それが今、また、自分の身に降りかかって来ただけの事。


「分かっている……ッ!!」


 分かっていても尚、胸を引き裂く様な哀しみは中々収まろうとはしてくれなかった。


 ただ只管に、辛い。五体から力が抜けていく様だ。最早、刃は拳を握っていない。罅割れた大地の隙間に指を這わせるように、中途半端に開いた手の平を乗せているだけ。


 いっそ、このまま心を止めてしまおうか。心の隙間から這い出した弱気が刃に囁く。


《………………ジン》


 だが、ライが気遣う様に刃の名前を呼んだ。その呼びかけにより、哀しみの渦に沈み込もうとする刃は寸での所で踏み留まった。そうだ、まだ俺には心を繋いだ()()が残っているじゃあないか。責任感、或いは連帯感か。そんな意識が刃の思考を、戦士のそれへと引き戻す。


「……すまない、ライ。閃鬼(せんき)ともあろう者が、こんな事で取り乱してしまって」


 だが、それでも、刃の返答は震えていた。声には平時の張りが無く、目はどこか在らぬ場所を見つめる様に彷徨っている。燃え盛る中央基地の彼方に、仲間達と過ごした日々の幻影を求めるかの如く。


 こんな事ではいけない。ライから、自分へ向けた叱咤が飛ぶ事を想像し、刃は心を整えようとするが、


《いいえ、ジン。私にとってもあの場所は……帰るべき家も同然でした。私だってこんな現状を認めたくはない。失われてしまった物の全てが、……惜しい》


 逆であった。ライは……肉の身体を持たぬ、0と1の集合体(プログラム)でしかない筈の彼は、はっきりと刃を気遣い、仲間達への痛恨の意を口にした。口調だけは落ち着いている。だが、その裏には隠し切れない哀しみが秘められている。


 それを悟った刃は、自分だけが我儘な現実逃避に逃げ込もうとしていた事を、恥じた。


 刃は思い出す。今の自分は、人々の命と明日を守る為に戦う戦士なのだ。例え地が枯れ、空が濁り、海が汚れ、自然環境の大半が崩壊し、地球人口の九割近くが死に絶えたこの地獄の様な世界に在って尚、それでも明日を望み、救いを求める声に応え続ける使命を帯びた()()の一人なのだ。


 ならば、今ここで膝を折っている訳にはいかない。そもそも刃がこの場に駆け付けた目的とは、地球脱出を目指す人々を載せた超大型ロケット、及びロケットの打ち上げ基地を護衛する為なのだ。


 崩壊した地球環境の修復は、既に人間が手を出した所で解決出来る様な段階ではない。地上に配備された環境整備用の無人機械と、生物工学(バイオテクノロジー)によって生み出された環境回復用の微小生物の働きによって、地球本来の能力を復活させる事でしか叶わぬ難題だ。


 当然、それには気の遠くなるような年月を重ねる必要がある。故に人類は一時期地上を離れ、衛星軌道上で長い眠りに着く事を選択したのだ。


 ロケットに乗り切れず、また辿り着ける保障もなかった人々は現在世界各地のシェルターの中で超長期冷凍睡眠状態である。無防備な彼らは()に襲われれば一たまりもなく、刃がこの先志半ばで死す事があればそれも時間の問題。更にこの上ロケットが破壊される様な事があれば、人類生存の可能性は大幅に減少すると言えた。


 だから、戦わなければならない。


 仲間達との暖かい生活を失っても、帰る家を永遠に失くしても、刃は己の存在意義を果たすまでは決して戦う事を諦めてはいけない。無力がなんだ。どうせ人間一人分の身体に入る体積なんて限られている。流れる血の重さは数十キロ程度だろう。


 だが、甲牙刃は……彼一人の命を背負っている訳ではない。この地球に生存する全ての人類、その身に流れる血の一滴一滴が、明日に繋がるかどうかの瀬戸際に立たされて居るのだ。刃の双肩にかかる重みは、その全員分に等しい。


 故に――


「俺は、守らなければならない……!!掛け替えのない命を、無慈悲に摘み取り喰らい尽くす『惡鬼帝国(あっきていこく)』の手から……!!」


 ――立ち上がる。膝に力を籠め、身を起こし、大地を踏み締め。己の身体の重みを感じ、それが命の重みなのだと信じ、今もまだこの重みを失わずに居る人々が居るのだと認識し。


《そうです。奴らを叩き潰すのが、私達の使命……。まだ戦えますか、ジン?》


 ライは確かめる様にそう言った。疑問ではない、確認だ。刃は答える。砕けそうになる意思を握り締める様に押し固め、鋼の如くに硬く堅くなれと念じ。


「俺の身体はまだ動く……なら、立ち止まる訳には行かないだろう……!! それに――」


 瞳を曇らせる涙を拭ってみれば、否が応でも目に入る。大地に刻まれた数え切れないほどの爪痕。人よりも、虎よりも巨大な、()()()()によって形作られる足形。()()がここにいた何よりの証拠。


 背後を振り返って見れば視線の先、いつの間にか長大な()が出来ていた。燃え盛る炎に赤々と照らし出される乱雑な棘状の連なりは、()()が持つ象徴が作り出したシルエットに間違いない。


「来たか。いや、俺を待ち構えていたか、惡鬼帝国。――『鐵鬼軍団(てっきぐんだん)』……ッ!!」


 刃は己の周囲をぐるりと取り囲む異形の軍団に対し、今こそ憤怒の眼差しを向けた。



-3-



 惡鬼帝国。そう名乗る異形の集団が人類の前に姿を現したのは、今から約七年前の事である。

 当時、人類の科学文明は正しく円熟期と呼べる時代に突入していた。医療、化学、機械工学、宇宙開発、次世代CPU……様々な分野で、かつては夢想とされていた高度技術すらも確立させるまでに至っていた。


 一方で国家間に於ける政治的軋轢や、そこから生じる長期間の緊張状態は緩まる気配を見せず、各地では局地的な紛争が散発的に勃発。様々な利権と思惑が絡み合った結果、外宇宙への本格的な旅立ちの日も訪れる事はなく、月面都市の計画は凍結され人間は地球上に縛り付けられた。


 母なる星の上、住まう人々の心は荒み、乱れ、持つ者が持たざる者を一方的に搾取するという、旧時代的な体制から、世界は一向に抜け出せないままであった。


 そんな、年月を重ねる毎に疲弊して行く人類史に終止符を打ち、地上の支配者に成り代わらんと、突如として地底深くより蘇った不死身の怪人達……それが惡鬼だ。


 人間よりも遥かに強靭な肉体と、生まれながらに備えた巨躯。身に宿した数々の凶悪な生体兵器(せいたいへいき)によって形作られる異形の姿と、その名の由来ともなった惡鬼ならば必ず備えている()。そして、心臓を貫き、首を切り落としただけでは平然と蘇るという、通常兵器による討伐をほぼ不可能とする不死性。


 惡鬼はその残虐性を思うがままに振るい、都市を焼き、国を滅ぼし、最新鋭の装備を整えた軍隊すらも蹂躙し、抵抗する手段を持たぬ人々を片端から殺戮していった。人類が地球上に誕生して約五百万年、初めて直面した種の存亡の危機である。


 無論、人類はただ狩られるに任せていた訳ではない。多くの犠牲を払いながらも、幾つかの対抗手段を講じて惡鬼達に抗った。そして、その中でも「人類の守護者」として名実共に認められたのが、『輝鉄(オリハルコン)』と呼ばれる膨大なエネルギーを内包する特殊な鉱物と、それ自体を体内に同化し、身体機能を人間の極限を遥かに超越するまで引き上げた改造人間……鬼をもって鬼を征す、人類の牙、『閃鬼』である。


 刃もまた、惡鬼への最大対抗手段……致命物質(ぎんのだんがん)である輝鉄を齢十四にして心臓へと埋め込み、全身に浴びても足らぬ程の血反吐と、想像を絶する様な苦痛に塗れた訓練を乗り越えた閃鬼の一人としてこれまで戦い続けて来た。その期間、合わせて実に五年。青春の大半を戦いに捧げた人生であった。


 そうして、刃と歴代の閃鬼達の奮戦により、惡鬼帝国を構成する四つの軍団の内『怒鬼軍団(どきぐんだん)』『殺鬼軍団(せっきぐんだん)』『凄慟鬼軍団(せいどうきぐんだん)』が今日に至るまでに粉砕された。


 だが、戦いの余波を直接被った地球環境は徹底的に破壊、汚染された。最終的に人類は各都市の跡地に構築された閉鎖型都市の中の生活を余儀なくされる事となる。そして、シェルターへ守られて居ようとも何時惡鬼の軍勢が外殻を突き破り襲い掛かって来るかは分からない……人々は、日々不安と恐怖に怯えて暮らし続ける事となったのだ。


 また、刃が初めて戦場に立った時には五十人以上が残存していた閃鬼達も、激戦の中で一人、また一人と数を欠いていった。北米大陸中央部、()カンザス州の西部に建造された中央基地に籍を置いていた九人の閃鬼も、現在では刃を含めてたった二人へ数を減じた。尤も、その()()()()の閃鬼は先の戦いに於いて数日前に消息を絶ち、依然連絡はない。死亡したのだろうと考える他なかった。


 つまり、この苦境に抗う為の刃は、甲牙刃一振り限り。彼の今までの戦いに於いて多種多様な支援を行ってきた中央基地も破壊された。正しく、孤立無援の状況である。


 加えて、刃と対峙する『鐵鬼軍団』は四軍団の中で最も強兵とされた惡鬼達によって結成されている。それが今や、山となって寡兵の刃へと挑んできている。溢れんばかりの殺意を漲らせ、今にも目の前の得物を食い殺さんとばかりに息巻いているのだ。


《――敵の総数、六百六十六体。彼我の戦力差は絶望的と見て良いでしょう》


 刃と視覚情報を同期するライは、軍勢を前に普段と変わらず淡々と告げた。一対六百六十六。普通ならばどう考えても勝ち目のある戦いには思えない。


 刃の知る限り、敵兵数は生き残った惡鬼の数とほぼ一致する。見れば、鐵鬼に混じって殺鬼や凄慟鬼の生き残りも軍勢の中には含まれている様だ。惡鬼帝国側にとっても最後の総力戦の心積もりで仕掛けて来た事が窺える。


「ああ。それに……どうやら、奴も来ているらしい」


 刃が見咎めた先、軍勢の中でも一際巨大な体躯を持つ惡鬼が、激しい憎悪を漲らせた目玉をぎらつかせている。


 刃はその名前を知っている。これまで幾度となく拳を交え、一度は惨憺たる敗北を喫しもした相手。その逆襲を果たして打ち倒したのもつかの間、遂にリベンジを果たす為に地獄の底から蘇って来た宿敵。


「『覇鉄五人衆(はがねごにんしゅう)』……その最後の一人!」


黒鋼の残罵(くろがねのざんば)……!!》


「おォ、そうだとも……今日こそテメェをブチ殺しに来てやったぜェ、刃……ッ!!」


 刃とライの呼びかけに、割れ鐘の様な濁った声が応え、その惡鬼は進み出て来た。


 身長五メートルはあろうかという巨体は、黒鋼の名が示す通り黒曜石に似た頑強な装甲によって覆われている。全身には鋭利な刃物である突起物が乱立し、その切れ味は戦車の正面装甲を溶けたバターの様に易々と切断する程の威力がある。だが現在、残罵の体表面の殆どは擦り切れ、節くれ立ち、至る所に刻み込み付けられた裂創によって埋め尽くされていた。


 それは残罵のコンデションが劣悪である……という意味ではない。むしろ、その真逆だ。


「どれだけこの日を待った事か……ッ!! テメェ如き、吹けば飛ぶような塵屑がよくも俺様の角をォ……ッ!!」


 残罵は自身の傷跡の中でも特に目立つ、左頬から右目を潰しつつ通過し、頭頂部に掛けて走る裂傷をなぞりながら忌々し気に言い放った。残罵の太い指が左頭頂部付近で止まり指した切株の様な傷跡。そこには本来、右側に生えている物と対応する巨大な角が生えていたのだ……刃に砕き折られるまでは。


「角を折られるという事が……俺様達にとって、どれ程の屈辱か!? 分かるってのかァ人間如きにィ……!!」


「その、()()()の一念を塵屑と甘く見た応報だ。その身に付けられた傷の数々を自慢げに晒していたお前が、今更角の一本や二本に嘆いた所で滑稽なだけだぞ……残罵!」


「ハッ!! 言う様になったなァクソガキがァ……ッ!! だが、テメェのそのクソ生意気な態度が俺様の力を高めた事も事実……。そうだ、テメェに対する憎しみによって研ぎ澄まされた俺様の力ァ……!! 今ここで、ようやくテメェにぶつけられるって訳だなァ!!」


 残罵が発する言葉の一つ一つが大気を震わせる。それ程の大音声の最中に立たされながら、刃は一歩も退く事はなく自分の敵を見据え続ける。刃のそんな態度が癇に障ったのか、残罵はふと思い出したかの様にワザとらしく手を打つと、途端に厭らしい笑みを浮かべて宣う。


「そういやァ……前菜代わりに摘まんだ連中はあんまり弱っちぃんで肩慣らしにもなりゃしなかったなァ……」


 瞬間的に、刃の周囲の空気が冷える。残罵が語った言葉の意味、それを刃は瞬時にして悟った。


 何故、この惡鬼共が身動き出来ない得物も同然のロケットやシェルター都市へと殺到せず、わざわざこんな所で揃って自分を待ち構えていたのか……。現状、惡鬼帝国の支配権を握る残罵の悪辣極まる性根を考えてみれば、直ぐに答えと結び付けられる。


 刃は脳天まで駆け上ろうとする憤激をなんとか押し留め、呻く様に声を絞り出す。


「……なんだと」


 そんな刃の様子に気を良くしたのか、残罵は一層楽し気に語り始める。身振り手振りすらも加え、嬉しくて嬉しくて堪らないという風にニタニタと歪んだ笑みを貼り付け、


「なんせ、軽く手を振るだけでよ……ぱちん、なんて音立てて風船みたいに割れちまうんだからなァ!! だってのに次から次へと挑みかかって来るモンだから、いやァ途中から面倒臭くって堪んなかったぜ……」


 黒鋼の残罵は刃に対する嗜虐心を隠そうともせず、全身の鋭い刃をわななかせながら嗤う。


「どいつもこいつも、言う事は同じだァ。『刃がお前を倒してくれる』、『刃はお前なんかには負けない』、『刃ならきっと』……どいつもこいつも、みィーんな!! 同じ事言いながら爆ぜ死んでいったなァ!! 言葉とは裏腹に目には涙を一杯浮かべて、ガタガタ震えて、おーおー健気なモンでよォ!!」


「貴様」


「……あァ、でも。最後にぶっ殺したメスガキだけは面白かったなァ」


「貴様……ッ!!」


「『助けて、刃』だってよォ!! ヒャーッハッハッハァーッ!! ざァんねんだったなァ、甲牙刃くゥん? ()()()()()()だったかなぁ……テメェの大事な大事なガールフレンドは、人類守護のお仕事の為、お出掛け真っ最中のテメェに助けを求めながら挽肉になりましたァ!!」


 その言葉が最後まで残罵の口から発せられる前には、刃の身体は動いていた。


 筋線維が軋む程の力で脚部に溜め込まれたエネルギーが一瞬にして解放され、大気の壁を突き破りながら、砲弾の如き勢いで刃は吶喊した。愛する者を奪い去った惡鬼へと。


「貴様ァ――ッ!!」


「ハッハァッ!! 良ーい形相を見せてくれるじゃねェか、そいつが見たかったのよォ俺様はァ!!」


 残罵の嘲笑も刃の耳には入らない。ただ今は、目の前の惡鬼畜生共をこの手で葬り去る事に全霊を掛けていた。


《ジン、いけない! 冷静に――》


「言われなくても冷え切っているさ、俺の心は……奴らへの殺意でな……ッ!!」


 ライの忠告に短く返答し、刃はそのまま惡鬼の群れへと突っ込んだ。


 迎え撃つ惡鬼の軍勢は、獲物が来たぜ、と言わんばかりに舌なめずりをすると喜色満面となって刃へと踊りかかる。


 ある者は肩から突き出た捻じれた突起物を高速回転させ、ある者は脇腹に生えた蟷螂に似たもう一対の腕を振りかぶり、ある者は胸郭を外殻ごと割り開いて内部の熱線発射器官を露出させ、ある者は太い左腕が裂けその中から飛び出した生体弾(バイオバレット)重機関砲を刃へ向け、ある者は自ら目をくり貫くとお手玉の様に弄び、ある者は背中を割って飛び出した無数の触手鋸を振り回し……、


「邪魔をするな、有象無象の惡鬼共が――ッ!!」


 それら一切合切を、刃は片端から粉砕していく。


 迫る高速回転突起物をかわしてその付け根に貫手を打ち込み基部から抉り出し、空を割いて左右同時に襲い掛かる蟷螂の斧を白羽取りすると力を込めて圧し折り、熱線が発射される直前に胸郭の中央鳩尾へと正拳突きを叩き込んで破砕し、生体弾の雨霰の中を飛び越えその銃身の根本に踵落としを叩き込む事で断裂させ、光線を放ちながら浮遊する眼球へ他の惡鬼から折り取った破片を投擲して潰し、唸りを上げる触手鋸を一挙に絡め捕ると手刀の一撃で根こそぎ刈り取った。


 この間、僅か十秒足らず。これが閃鬼という存在の戦闘能力である。例え徒手空拳であろうとも、五体そのものが何よりも硬い楯であり、鋭い矛と化す……人でありながら人を超越した戦士達だ。


 刃は先達の閃鬼に比べれば最も若く、戦闘年数はその分短い。しかしその反面、誰よりも苦しく過酷な戦いへ休む間もなく挑み続けて来た閃鬼でもある。濃厚な密度の戦闘経験によって鍛えに鍛え上げられた刃は、この最終局面において今までに得た全ての技を用い、その切れ味を思う存分に発揮しているのである。


 だが何よりも……今の刃を圧倒的なまでに強めているのは、愛する者全てを失った哀しみと、それを齎した元凶への止め処ない怒りであるのかもしれない。刃には帰る場所はない。ならば、帰還の為に残す余力などあろう筈もない。初手から全力。燃えよ身体、震えよ心。


「貴様ら全員、地底へ生かして帰さんと知るが良い――ッ!!」


 一方、刃が見せた猛攻勢に対し、血も涙もない筈の惡鬼達はどよめき、一歩後ずさった。異形の装甲を纏う群れに取り囲まれた円の中心部、無惨に打ち砕かれ五体を四散させた惡鬼達の亡骸と、黒く粘質なオイル状の返り血に塗れた刃を遠巻きにする様に、ぽっかりと空間が出来ている。


 刃はその空間の中で周囲に睨みを効かせながら、顔に付いた黒い血を五月蠅げに拭い払うと……再度大地を蹴り、敵群へ猛然と突撃した。


 直後に連続して打ち鳴らされる打撃音、破砕音、阿鼻叫喚の悲鳴。惡鬼達はこと此処に至り、自分達が相手をしているのはただ大人しく食い殺されるだけの得物でないことを漸く認識する。


「こ、殺せッ!! ブチ殺せェッ!! たかが一人に帝国の残る総力を挙げてなんてザマだッ!?」


 惡鬼の一人が恐怖に引き攣った声を上げ、次の瞬間には首から上を蹴り飛ばされて絶命した。


 近代兵器の一切が通用しない惡鬼達の不死性を突き破る事が出来るのは、閃鬼達がその体を通して放出する輝鉄エネルギーの力だ。この特殊な力場が閃鬼の攻撃能力を飛躍的に高め、同時に惡鬼の再生能力を奪い去るのだ。そして、刃の中で荒れ狂う激情に呼応するかの如くに湧き出る輝鉄エネルギーは、彼の身体に光となって纏うまでになっていた。


「こ、この野郎……ッ!? 以前戦った時より、遥かに……!!」


「ああ、そうだ……。今の俺は、貴様ら惡鬼共よりも尚激しい怒りと哀しみに身を焦がす修羅。叫びも涙も、この身を通して貴様らを殲滅する為の殺意と変えて振るっている……ッ!!」


 刃が一言を発する度に一体の惡鬼が死ぬ。その流れは激流の様に速度を増していき、止まらない。


 見る見る内に惡鬼の軍勢はその数を減らしていき、戦闘開始時より半数以下となった所で刃は叫んだ。


「――何時まで後ろにふんぞり返って眺めている積りだ、残罵……ッ!!」


 叫びの向かう先、黒鋼の残罵は同胞達の虐殺劇を醒めた目で眺めながら詰まらなそうに呟く。


「ケッ……所詮は俺様達五人衆に名を連ねる事も敵わなかった鉄屑共。寄せ集めた所で、脳天イキり立ってるテメェ相手じゃあこうなるかァ」


 残罵の態度には動揺と言ったモノが全くない。侮られている、刃はそう思考し、惡鬼の包囲を突き破って今度こそ宿敵の下へと挑んで行く。


「残罵ァ――ッ!! 覚悟ッ!!」


「テメェの嬲り殺しがじっくり見れると思ってたんだがなァ……。やはり、少し位は自分の身体を動かさにゃあしょうがねェってか……!!」


 言葉の直後、残罵の下へ到達した刃が低い姿勢からのボディブローを繰り出す。大地から得た運動エネルギーを脚、胴体、肩、腕と捻りを加えながら増加させていき、インパクトの瞬間に余す所なく解き放つ完璧な一撃である。直撃の瞬間、大気が破裂する音と共に白い傘にも似た衝撃波が生み出され、一瞬にして無散。刃の拳は音速を超過したのだ。


 間違いなく、彼がこれまで経験した戦いの中でも最高の完成度を持つ一撃。それは一直線に、残罵の胴体を撃ち抜かんとして、


「――効かねェなァ……ッ!!」


 ……金属同士を激しく打ち鳴らす様な音が響き、刃の拳は残罵の腹部装甲に減り込んだ。


 だが、それだけだ。刃の全霊を込めた一撃は、黒鋼の残罵に対し痛痒どころか、装甲の表面にほんの僅かな亀裂すらも与える事はない。


「――くッ!!」


 一度で効かぬなら、百度でも。刃はそのまま残罵の身体へ連撃を叩き込んで行く。


 正拳。裏拳。アッパー。打ち下ろし。肘鉄。掌底打ち。直蹴り。回し蹴り。胴廻し。ソバット。


 一撃一撃が数十㎝の鉄板を打ち抜き、引き裂き、破壊する程の威力を持った必殺の技。


 その尽くが、通じない。


「刃よォ……テメェ、俺様を舐めてんのか……?」


 咄嗟に飛び退こうとする刃の頭部を、呆れたような口調と共に無造作に伸びて来た残罵の右手が鷲掴みにする。


「確かに、俺様は一度テメェに敗北した……。だがなァ、それはテメェの仲間がご自慢の()()()()()で有難くもその機会を作ってくれたから……じゃねェのか? あァ?」


「ぐ、がぁああああああああああッ!!」


 残罵としては軽く、ほんの少し力を加えただけ。それだけで刃の頭蓋はミシミシと音を立てて軋んだ。頭部を握り潰されるという激痛に、多少の痛みは意思の力で捻じ伏せる閃鬼と言えども堪らず絶叫を上げる。


「それを、なァにテメェ一人で張り切っちゃってるんだ? あァ? ……テメェ如きが、俺様に勝てる訳ャねェだろうがッ!!」


《ジンッ!! しっかりしてください、今脱出の手立てを――》


「余計な事をしてんじゃねェぞ保護者面ァ!!」


 ライが刃を救出する為、彼の腰部バックパック内に備えられた電磁バリア装置を独自の判断で起動させようとした瞬間、残罵は刃の身体を棒切れの様に振り回すと、地面に叩きつけた。


「――ご、ぁ……ッ!!」


 凄まじい衝撃音が鳴り、刃の身体は二度、三度とバウンドしながら大地の上を吹っ飛んでいく。数メートル程の距離を転がり、ようやく勢いが減じた頃には全身を砂塗れにした刃が、満身創痍となって地面に横たわっていた。


《全身に重度の打撲、裂傷……! 内臓器官の数ヵ所に損傷……ジン、大丈夫ですか!》


「……あ、あ。まだ俺は、死んじゃあいない……ッ!!」


 それでも尚、刃は両足に力を込めて立ち上がる。喉に溜まった血塊を吐き捨て、意思の力を頼りに尚も戦闘態勢を取る。


「ハハハッ!! そうじゃなきゃいけねェ。閃鬼ってのは頑丈な分、長く楽しめる良い玩具だよなァ」


 刃がまだ戦意を失っていない事実を認め、残罵は嗤う。


「だが……一度死んで蘇った俺様の身体は、以前よりも大幅にパワーアップしている……。そうだな……さっきの一撃、以前の俺様ならそこそこ痛がってたかも知れねェが……生憎小石がぶつかった程度にしか感じなかったぜェ」


《……惡鬼の中でも、ごく一部の個体だけに発現する特殊な性質。それがよりにもよって、黒鋼の残罵に起こるとは!!》


「残念だったなァ、絶望したか? だが、まだまだこんなモンじゃねェ。俺様の味わった屈辱……こんなモンじゃあ、まったく返した気にならねェんだよ……!!」


 そう言い放つと、残罵は刃へ向かって歩を進める。勝利を確信した様な悠々とした動作で以て。


「今のテメェには電攻甲冑(でんこうかっちゅう)もねェ。助けてくれる仲間も居ねェ。俺様をもう一度ブチ殺せるだけの力もねェ……。テメェはもう、何一つとして果たせるモノなんかありゃしねェ!!」


 ハ、と嘲笑一つを挟んで残罵は続ける。


「何が人類守護の刃!! 何が惡鬼殲滅の切り札!! 一皮剥いてみりゃあなまっちろい雑魚生命体!! 腹ン中に俺様達の嫌がる石ころ一つ埋め込んで、勝った気になってるのが滑稽でしょうがねェ!!」


「違う……ッ!! 電攻甲冑も、輝鉄も……閃鬼の真の力じゃない……ッ!! 俺達の真の力は……明日を望み、希望を捨てず前進する人間の意思だ……ッ!!」


「人間の意思ィ!! ハーッハッハッハ!!」


 刃の言葉が最高の冗談と感じた様に残罵は嗤う。残罵だけではない、周囲を取り囲み機を窺っていた惡鬼達も同様に大声で嗤い始める。


「テメェの言う()()()()()()()()が今まで何をやって来たよ!? 俺様達が現れる直前まで、自分達で盛大にドンパチやっちゃあ殺し合い!! 地球を好き勝手に掘り返し、好きな様に汚し、浪費し、痛めつけて来たのは何処のどいつだ!?」


「………………ッ」


「その癖、自分達にとって不都合な連中が現れた途端に愛だの友情だの連帯だのとほざきやがる!! その一方で結局ギリギリまで一枚岩には纏まり切れねぇで内ゲバまでやってたそうだなァ!!」


 残罵の言う事は、事実である。惡鬼の出現に際して各国政府がまず行った事は、自国の保護と混乱に乗じた利権の拡大の画策であった。その結果として惡鬼への対策が遅れ、人間達が気が付いた時には殆どの都市が侵攻され、大勢と言う言葉では生温いほどの犠牲者が出る事になったのだ。


 刃の両親も……その過程で亡くなった。もう少し早く、避難警報が出ていれば防げた筈の死であった。


 彼の生まれ故郷である日本という国も、もう存在しない。二年前、追い込まれた各国政府が行った暴挙……重力崩壊弾による自爆戦術によって、惡鬼帝国の大軍勢と刺し違える形で他の幾つかの国と同様、国土の大半諸共消し飛んだ。


 人類が真の意味で手を取り合ったのは、それだけの犠牲を払った事で人間同士で争っている余裕を失くし……お互いに身を寄せ合う事をようやく選択出来てからなのだ。


「言ってみりゃあ、テメェらも可哀想な奴らだよなァ!! まだ若ェウチから身体を弄繰り回され、戦う為に楽しみもなにもかも取り上げられて!! 御大層なお題目を綺麗なおべべみてェに着せられて、やってる事は単なる人身御供よ!! 今だってそうじゃねェのか!? テメェを一人この汚れ切った地上に残し、他の連中はぐっすり高鼾(たかいびき)! 挙句の果てにャ宇宙へトンズラこくと来たモンだ!!」


 故に、残罵……惡鬼が嬉々として語る指摘の数々は、決して間違ってはいないのだ。


 刃自身、戦いの中で己の運命を呪った事は一度や二度ではない。失われていく物への後悔と、その過程で見せつけられた人間の暗黒面。救えなかった人々の身内から投げ付けられた罵声、怨嗟の声。届かなかった手の先に横たわる、まだ幼い少女の姿。自分の利を優先し、他人を蹴落とそうとしたある男の余りにも虚しい末路を思い出す度に、何故俺は戦っているのか、という自問が胸に湧き上がる。


 人は、人間の意思とは決して輝かしいだけの物ではない。人間が滅びに瀕している現状は、人間自らの身から出た錆、自業自得に他ならない。


 もし、惡鬼が現れなかった歴史があるとして……同じように世界が荒れ果てる可能性は十分に有り得た。そんな事は分かっている。わかり切っていた。


「だからよ!! こうして俺様達が、テメェら人間共に代わってこの地球を好きにした所で――」


「――違う」


 だが。それでも。


「違う。人間は……人間は、お前が言う程どうしようもなくなんかない」


「何を根拠に言いやがるッ!!」


「俺がこれまでに出会ってきた人々の、全てだ」


 刃はそれでも尚、人類に絶望していない。吐き気のする様な暗黒面をまだ若い人生に注ぎ込まれ、数多の絶望をその身に味わってきても尚……人類が紡いできた昨日までの歴史と、これから作り上げていく明日からの未来に希望を捨ててはいない。


「人は、人の心は……砕けやすい。苦難に打ち負け、絶望から自棄に走り多くを巻き込んで滅んでいく者。最期まで自分の身を可愛がるだけで、他者の犠牲を一切顧みなかった者。大勢居たさ……俺自身もまた、それらに人生を狂わされ、尻拭いをさせられているだけなのかも知れない」


「ほォ、よーく自分の状況が分かってるじゃあねェか!! なんなら、どうだ? いっそテメェの手で俺様達と一緒に残存人類をブチ殺しにいくかい? ヒャッハッハー!!」


 哄笑する残罵の提案を、刃は頭を振って否定した。


「それだけは出来ない。何故なら、俺もまた人間だからだ。怒りと哀しみ、絶望に身を焦がし、感情のままに拳を振るう事を終ぞ止められなかった生物だからだ……この身の殆どを人工物に置き換えられたとしても」


 だが、


「愛する事は、忘れられなかった。両親を、友を、国を、仲間を失い心を閉ざそうとした俺に、それを思い出させてくれたのもまた人間だ。俺の大切な……仲間達なんだ!!」


 刃は決然として叫ぶ。心に刻んだ数々の想い出を……何物にも代えがたい儚く、しかし輝かしい日々の情景を否定させまいと強く握り締め、惡鬼へと叩きつける。


「互いに傷付け合い、他者を妬み憎み、自分のエゴの為に全てを蔑ろにするのが人間の一面ならば……互いを思い遣り、他者を愛し守り、誰かの為に自分の命を捨ててまで尽くそうとするのも人間の一面ッ!! 俺はそのどちらもこの目で見て来たッ!!」


 その上で、


「俺の傍に居た人達は皆、自分以外の誰かの為に命を掛けて戦える人間だった! 明日に描いた希望を実現する為、一歩でも近付こうと努力を重ねていた!! 過ちを犯した人々も、振り返れば彼らの守りたい物の為に必死であっただけだ……皆、ただ生きていたかった!! 大事な人との時間を、守りたかっただけなんだ……!!」


 残罵の表情が歪む。何を言っているのか理解できない、という風に。


 それを確認した刃には、もう迷いはない。


「お前には理解できないだろう、惡鬼共。力による支配以外に選択肢を持たぬお前達には。だが、人は拳を交える以外にも、その手を開いて握り合う事が出来る! 罪を背負い、二度と繰り返さぬと誓い……それでも幾度となく躓き!! 過ちを繰り返したとしても、失われる物を悼み、犠牲を否定し、救おうとする!!」


 刃の言う言葉は……矛盾に溢れている。だが、その矛盾こそが人間の本質なのだ。


 度し難い程の愚かさと残酷さを持ちながら、一方で宝石の様な輝きを放つ意思も兼ね備えた生命体。自分の為に全てを犠牲にするかと思えば、たった一人の為に何もかもを投げ捨ててでも守ろうとする奇妙な生物、それが人間。


「人間は素晴らしい生物なんかじゃない。滅ぶだけの理由もあるのだろう……だからと言って、それを他者から強要される謂れはない!! ましてや、その命を無価値として踏み躙られていい理由などありはしない!!」


 刃は言う。人の心を持たぬ惡鬼共へ向け、堂々と胸を張り、真っ直ぐに、


「全ての人が愚かなだけの存在なら、俺達はとっくにお前達に滅ぼされていただろう。だが、そうはならなかった!! 俺達閃鬼が居るからじゃない、俺を産んでくれた両親が!! 支え、共に戦ってきた仲間達が!! 人間と言う生き物が、滅びに抗い一つに纏まったからこそ、今この場に俺が居るんだ!! 自分の内にある愚かさもエゴも、乗り越え克服して進んで行けるのが人の歴史だ!!」


 だから、


「生きたいと願う人々の想いを、踏み躙り喰らい尽くそうとする貴様ら惡鬼達を、俺は叩く!! 矛盾を抱えようとも、俺は人から産まれ、人として生き、人と共に歩む、人の心を持つ閃鬼・甲牙刃だからだ!! 故に、この命尽きぬ限り、例え五体全て失おうとも……!!」


 宣言する、高らかに。


「人類守護の刃は、折れないッ!! この背に負う人々の命を守り切るまではッ!!」


 それが、刃の意思。最期まで戦い、生き抜く事を諦めぬ、一人の閃鬼が掲げた理想だ。


 例えその果てに待つのが、枯れ果てた大地へただ一人置き去られる末路だろうとも、惡鬼に腸を引き摺り出され身体を貪り食われる凄惨な死だとしても、刃が人命を守る事を止める理由にはならない。


 いっそ狭窄的とすら誹られかねない程の愚直さ。だが、それが刃が今までの戦いを通して己に見出した生き様であり……誇りだった。


 そして、その全てを正面から受け止めた黒鋼の惡鬼は、


「――ハン。……御託は、そこまでかよォ?」


 下らない、と。あからさまに失望したという様子で告げる。


「ご高説有難うよ。思わず涙が出てくらァ、退屈でよ。……人類守護の刃は折れない? 俺様一人に死にそうになってる様な奴が、ずいぶん大きく出たもんだ」


 残罵は自身の周囲に控える惡鬼の軍勢をぐるり、と指さし、


「テメェに半分近く減らされたとはいえ、鐵鬼共はまだまだ居るんだぜェ? その体で今からもう一度戦ってみるか? ……尤も、途中で死んじまいそうだけどなァ」


 残罵の言葉と同時、鐵鬼軍団はゆっくりと刃へと包囲の輪を狭めていく。


 徐々に迫りくる惡鬼達を見据え、刃はライへ向けて問うた。


「ライ、俺はあと何分戦える?」


 刃は、己の体内から感じる不穏な脈動をとっくに感じ取っていた。身体が、焼ける様に熱い。その理由が先程までの激しい戦闘行為から生まれた運動熱だけでない事を、刃は知っている。


《……長く見積もれば丸一日だって戦えるでしょう。ですが、それは輝鉄エネルギーの放出を規定量以下に抑えた場合です。このまま限界を遥かに超える出力で戦闘を続ければ、三分と持たず貴方の身体は飽和するエネルギーに耐えられなくなり――》


 言いよどむライの言葉を引き継ぐように、刃は呟いた。


「……死ぬ、か。輝鉄が生み出す超人的な力、それが齎す代償としての死に様は……文字通りの()()()()


 刃にとっても、その光景は一種のトラウマでもあった。志を同じくした閃鬼の一人が、自身の身体の限界も厭わずに戦い続け……遂には惡鬼の軍勢一つを道連れに消滅死を、目の当たりにしているのだ。


 夜空に咲いた大輪の花。命が燃え尽きる瞬間の最期の輝き……閃鬼の死に様。限界を超えて尚戦った閃鬼の末路は、余りにも残酷で容赦のない死だ。


 だが。


「アイツは……最期の瞬間まで笑っていた。そしてこうも言った……後悔はない、と」


 刃の見届ける中、その閃鬼は笑みを浮かべながら、逝ったのだ。「後は任せた」と。刃達の方を向き、己の結末を悔やむ素振りすら見せず、猛々しく笑いながら……爆ぜた。


「ならば、俺もそうするまで」


 それが、閃鬼の死に様ならば、望む所だ。一体でも多くの惡鬼を道連れに、地獄の門をぶち破って乗り込んでやろう。


《……ジン。消える時には、私も一緒ですよ》


 ライも覚悟を決めた様だ。閃鬼の爆発に巻き込まれれば、彼の意思が宿る補助器具も無事では済まないだろう。その上で、彼は恨み言の一つも言わずに刃に付き添う事を決めたのだ。


「有難い。あの世なんてモノがあるのかは知らないが、そこまでお前が付いて来てくれるなら心強い事この上ない。……とは言え、その前にこの惡鬼共を残らず片付けなければ、死んでも死にきれないが、な」


 ここに来て、刃の心は凪の状態にあった。避けられえぬ死を前にした諦観が生むモノか? 全てを失った現状が生む自暴自棄か? 否、死を見据えそれでも最後まで足掻こうとする心意気が生み出す覚悟に他ならない。


 鐵鬼軍団の足音がすぐそこまで迫っている。先に散っていった閃鬼達や、仲間達の下に逝く時が迫っているのだろう。だが、今は戦いの時だ。刃は血に塗れた全身に気を通し、迎撃態勢を構えた。


「さぁ、来るなら来い惡鬼共ッ!! この俺が生きている限り、ここから先へは一歩も通さんッ!!」


 そして、その声は天から届いた。


「――よく言った、甲牙刃ッ!! それでこそ、私が認めた後継者ッ!!」



 -4-



 凛、と何処までも響き渡る様な、鈴の音を思わせる涼やかな女性の声。


 刃は、その声を知っている。初めて戦場に立ってから数え切れない程の回数聞いたその声。常に刃達の先頭に立ち、何処までも強い心の支えになった声。もう二度と聞く事はないと思っていた声。


「……まさか、生きていたのかッ!?」


 そこに居る全員が声の主を探し、空を見上げた。果たして、そこに彼女は居た。


 風に靡く漆黒の長髪。釣り上がった形の良い眉に、激しい炎の様な輝きを灯した両の眼。高く通った鼻筋と、その下に浮かぶ傲岸不遜な弧を描く唇。均整の取れた肢体を包む、彼女のトレードマークである白のスリーピーススーツと、その上から羽織った同色のロングコート。


「ば、馬鹿なッ!? テメェは……反物質ロケットと共に、粉微塵になって死んだ筈の……ッ!?」


 残罵が初めて動揺を露わにして絶叫する。恐れ知らずのこの惡鬼ですらも圧倒する程の影響力を持つ、その女性の名は――


「――十条烈華(じゅうじょうれっか)先輩ッ!!」


「そうッ!! その通りッ!!」


 鮮やかに、猛々しく。肯定の意を返した()()()()()()()は、大気を割きながら一直線に地表へと落ちてくる。その向かう先には……他でもない、刃の姿がある。


「刃ッ!! 私を受け止めろッ!!」


「――ッ、り、了解ッ!!」


 自身に向けて飛んできた無茶とも言える指令に、刃は二つ返事で了承。痛む身体を堪え、烈華を受け止める構えを取るが、


「――阿呆、半死人にそんな事をさせるか。自分で着地出来る」


 するり、と。刃の直ぐ傍を通り抜け、羽毛が落下するような軽やかな動きで、物音一つ立てる事なく烈華は着地を果たした。その様子に呆然とする刃へ、彼女は力強い笑みを向け、


「だが、心構えは悪くない。私が居なくなった後も腑抜けては居ない様で重畳……」


 そこでふ、と力を抜いた笑み……彼女が平時に仲間達へと向ける柔らかな口調で続ける。

「……待たせてしまったわね、刃。ずっと貴方一人に重荷を背負わせてしまって、御免なさい。だけど、ここからは一緒よ。さぁ――」


 言い終えた途端、スイッチが切り替わる様に烈華は表情を改める。その相貌、まごう事なき歴戦の勇士に相応しい。


「――目に物見よ惡鬼共ッ!! 閃鬼・十条烈華、これより戦線に復帰するッ!!」


「先輩……。は、はいッ!! 閃鬼・甲牙刃、心より帰還をお待ちしておりました!! ……よくぞ、ご無事で!!」


 決してあり得ぬと諦めていた仲間との再会に、思わず刃は感極まった声を上げた。一方の烈華は、彼女にとっては愛弟子とも言える刃の様子に苦笑しつつ、一度頷きを挟んだ上で、語り始める。


「反物質ロケットの操縦権を無理矢理奪い取り、外宇宙の彼方へと進路を変更した上で起爆させたまでは良かったんだがな。想定以上にその衝撃波が大きく、私はそのまま吹き飛ばされてしまったのだ」


「それを、どうやってここまで……」


「簡単な事だ。宇宙に漂うデブリを足掛かりとして蹴りながら、この地球へ進路を取り帰還したまで。作用反作用の法則に従えば不可能ではない」


《む、無茶苦茶な事をあっさりと……》


 ライが上げた声に烈華はクク、と可笑しそうに笑い、


「久しぶりだなライ。私が居ない間、刃の面倒を焼かせて済まなかった」


《ええ、お久しぶりですレッカ……そちらは相変わらずの様で何よりです》


 皮肉交じりのライの言葉に、当然だ、と臆面もなく返す烈華は、しかし一瞬だけ表情に翳りを差した。


「尤も……その間に掛け替えの無いモノを失ってしまったが、な」


 烈華はつ、と中央基地の残骸へと目を向け


「……もう少し早く帰還出来ていれば、と我が身の不肖を恥じるばかりだ。遅参の失態、面目次第もない」

 

 凛とした態度は崩さず、しかしその相貌に色濃い苦渋と後悔の念を滲ませながら烈華は漏らした。彼女にとっても中央基地は帰るべき場所であり、大切な仲間達との時間を過ごした掛け替えのない場所なのだから。


 刃は一瞬何を言うべきか迷い……結局、率直な意見だけを口にした。


「……いえ、先輩と再会できた事が、俺にとっては何よりの吉報です」


「フ、殊勝な事を言ってくれる。……さて、では遅れた分を今からでも取り戻すとしようか」


 振り向いた烈華は、笑っている。力強い笑み……見る者全てを鼓舞し、足を前へと進めさせる様な表情。それを確認した刃の心から、迷いは消える。


「――はいッ!!」


 だからこそ、返答は了承一言で良い。


 遂に再会した二人の閃鬼は揃って踵を返し、惡鬼共へと向き直った。そこで漸く動揺から回復した残罵は、これ以上にない程鬱陶しそうに顔を歪める。


「……まさか帰って来るとは思わなかったぜ、阿婆擦れが……! だが、今更一人増えた所でどうにかなるとでも思ってるならおめでたい事だな!!」


 先程までの狼狽は消え失せ、残罵は本来の余裕を発揮し始める。実際問題、状況は依然不利なのだ。三百余りの鐵鬼と、惡鬼最後の最強戦力・黒鋼の残罵。その巨躯が生み出す圧倒的な威圧感を浴び、しかし烈華はどこ吹く風。


「ほう、どこぞの死に損ないによく似てると思ったら本人か。大人しく地獄の底で眠っていれば良いものを、往生際の悪さは筋金入りか」


 あからさまな挑発に、残罵の口端が引き攣った。歪んだ笑みの形に。


「……いっそ懐かしさすら感じるぜェ、その言い草によ。良い機会だ、テメェらの腸を引き摺り出してから一緒に喰ってやるよッ!! 俺の腹の中で二度目の再会をヨロシクしやがれッ!!」


 その言葉を皮切りに、惡鬼達は一斉に襲い掛かって来た。幾百もの足音が地鳴りにも似た振動を生み、津波の様な激しさで以て向かってくる。


 流石の刃もこめかみから一筋汗を垂らし、烈華に忠告をする。


「先輩、油断なさらず。奴は以前戦った時よりも遥かに強大な力を得ています」


「それは見て分かる。だが、問題はあるまい……私とお前の二人が揃っている以上、負けはない」


 現状を顧みれば無謀としか言いようもない言い草に、しかし刃はこの上ない安心感を得る。何時だってこの先輩は自信に満ち溢れ、自分達閃鬼の先頭に立って行く道を導いてきたのだ。


 ならば、ここで諸共に散ろうとも後悔はなし。二人で命を掛ければ、あの残罵とて地獄へ道連れにする事もきっと叶う筈だ。


 だが、そんな刃の想いを裏切り、烈華はさらに告げる。


「おい、何を死を覚悟した風な面で満足している。私達はこの戦場を生き残るのだ」


《……レッカ。その発言は現状から判断するに、幾ら何でも難しいと思いますが》


「ライ、お前は刃に比べると悲観主義が行き過ぎていかん。なに、心配せずとも勝機は我らに在り。その為に、ちょっとした手土産も用意してきた」


 烈華は不敵な笑みを浮かべると、真っ直ぐに天を指さした。


「刃! あそこには何があると思うッ!?」


「はいッ! ――天がありますッ!!」


 几帳面に返した刃に一瞬目を丸くした烈華だが、直ぐに微笑み直すと言葉を続ける。


「その先に、だッ!! 言うなれば、一発逆転の切り札よッ!!」


 烈華の言葉に、まさか、と刃は驚愕する。閃鬼達の最終兵器とも言える()()は、凄慟鬼軍団の将、ナイアルラトホテプがその身と引き換えにした最期の秘術によって暗黒星雲空間へと引き摺り込まれ、完全に消失した筈だ。


 あれから何度もその存在を乞い、願い、しかしそれが叶わぬ事で、ただでさえ地獄の様な苦境であった戦いは、更に困難な物に変貌したのである。


 だが烈華は、当たり前の様にそんな過去を否定する。


「なに、宇宙旅行の帰還がてらに野暮用を済ませて来たまでッ!! 信じられんと言うならばその名を呼んでみよッ!!」


《……これはッ!? ジン!! 衛星とのアクセスが確立されました……どうやら、レッカの言っている事は本当の様です!!》


 ライが驚愕と共に告げた言葉。その意味を知らぬ刃ではない。


 故に、呼ぶ。迷いも不安も疑念もなく、それは必ず起こるのだという確信を抱き。


「行くぞ、刃ッ!! 我らの輝きを連中に見せつけてやろうッ!!」


「了解ッ!! 行くぞ、ライ……!!」


 二人の閃鬼は高らかにその名を呼ぶ。それは、閃鬼の最終兵器、極限武装。


「――着光(チャッコウ)ッ!!」


「――装光(ソウコウ)ッ!!」


 ここに、人の心を持つ鬼が纏う輝きが、再び降臨する。


 -5-



 瞬間、天から凄まじい閃光が迸る!! 地球上を覆う分厚い雲に大穴を打ち抜き、一直線へ地表へと駆け抜けた光が、二人の閃鬼を包んだ!!


 電光、稲光、放電!! 落雷の様な轟音が天に響き、辺り一帯がホワイトアウトする程の光量に染め上げられる!! 惡鬼達は彼らにとって最悪の展開が訪れた事を恐れ、二の足を踏む。


 「――ハッタリだァ!! ある訳がない、来る訳がないッ!! この期に及んで、そんなご都合主義が……!! こ、殺せェ!! ブチ殺しちまえェッ!!」


 その中でも残罵は、閃鬼が起こす()()を否定する。気勢を上げ、攻撃の意思を取り戻した惡鬼の軍勢と共に光の中へ突っ込んで行く!! だが、それは……!!


「――螺旋蹴撃(ラセンシュウゲキ)ッ!!」


「――閃光爆撃(センコウバクゲキ)ッ!!」


 ほぼ同時に叫ばれた、その名前!! それが示すモノの圧倒的な威力によって、二人の閃鬼へ挑みかからんとしていた惡鬼の軍勢は一斉に吹き飛び、砕け散った!!


 バラバラと、粉微塵にされ散らばる惡鬼達の残骸……その真っ只中で同胞の千切れた腸を全身に浴びた残罵は、見開いた両目にその姿を焼き付けた。


「あ、ああぁ……ば、馬鹿な……!! そんな、馬鹿な事が……!!」


 残罵は、見た。先程までの感情全てを消し去る程の驚愕と……恐怖によって色を失った表情で、それを見た。


 その視線の先、そこに居た筈の二人の閃鬼の姿はない。否、その姿は、一瞬の間に様変わりしていたのだ。


 残罵は、全ての惡鬼はその名を畏怖と共に記憶に刻んでいる。彼らがこの世で唯一恐れ、なんとしてでも排除せんとした人類守護の刃……その全能力を引き出す為の輝鉄の鎧(オリハルコンアーマー)!!


「――電攻甲冑だとォ――ッ!!?!」


「そうッ!! その通りッ!!」


 応えた烈華が纏うのは、白銀の鎧。その横に並び立つ刃が纏うのは、赤銅の鎧。


 これが、これこそが電攻甲冑。専用衛星から粒子化された状態で撃ち出され、コンマ1ミリ秒という刹那に閃鬼の身体を鎧う、輝鉄で鋳造されし最強の楯にして矛。正しく惡鬼を征伐する為の最大戦力。


「これぞ、電攻閃鬼・烈火ッ!!」


「同じく、電攻閃鬼・刃雷ッ!!」


 銀の炎と、紅い稲妻! ここに二人の閃鬼は、その真価を発揮する為の力を取り戻したのだ!!



 -6-



「フフ、この感覚……懐かしい限りだな、刃」


 纏った装甲の感触を確かめる様に、烈華は右の掌を軽く開閉する。やがて満足がいった、という風に頷くと刃へ向き直った。


「はい、先輩……!! これなら、行ける……!! どうだ、ライ!?」


 対する刃も応じ、両の手を打ち合わせ全身に力が漲る事を確かめると、己の相棒へ評価を求めた。


《コンディション・オールグリーン……最大稼働になんら支障なし!! 全力で行けます、ジン!!》


 ライは電攻甲冑の制御システムにアクセス、その稼働状況に何一つ問題がない事を確認すると太鼓判を押した。


 先程まで刃の体内で行き場を失くし暴れ回っていた輝鉄エネルギーも、電攻甲冑へ流れ込む事で安定した流れとなり、刃の身体に掛かる負担は最小限に抑えられている。


 反撃の準備は整った。故にここからは鬼退治の時間。刃達を取り囲んでいた筈の惡鬼の大半は、並び立つ二つの輝きを前にすっかり腰が引けた状態となり、遂には堪え切れなくなった一体が踵を返して逃走を図った。


 だが直後、その惡鬼は全身を黒光りする刃に刺し貫かれ……ブツ切りの状態に引き裂かれた! 悶絶しながら地に落下した惡鬼を更に踏み躙り、怒声を上げたのは残罵だ。


「な……にがッ!! 何が、電攻甲冑ッ!! 何が閃鬼だクソッタレがァ!!」


 黒鋼の残罵は退こうとしない。この惡鬼にとって退却とは即ち己が存在の否定、力を信条とし他者を踏みつけにして今まで生きてきたモノとしての決して譲れぬ一線であった。


 実際に残罵にはそうするだけの力があり、一度敗れた後に復活を果たした今では、間違いなく惡鬼帝国最強の戦闘者である事は疑う余地もない。


 だからこそ、この惡鬼は輝鉄の光を恐れはすれど背を向ける事は許さない。己自身にも、他者にも。


「俺様は強いッ!! 俺様は負けんッ!! 人間如き塵芥にィ……ッ!! 電攻閃鬼何するモノかァ――ッ!!」


 叫びは咆哮と化し、天を揺るがせる程の衝撃波となって周囲一帯を圧倒した。残罵の背後に立つ惡鬼達は悟る。今この場から逃げ出した所で、この怒り狂う鬼神に嬲り殺されるのがオチだ、と。


 もう後がないのは惡鬼も人間も同じ。奇妙な均衡が最終局面に於いて訪れた瞬間である。


「――殺せェッ!! 野郎共ッ!! 殺戮、撃滅、――抹殺ッ!!」


 指令が轟き、惡鬼は一塊の殺意となって二人の電攻閃鬼へ殺到する!!


 そして、押し寄せる敵の軍勢に対し……人類守護の刃は一歩も退かない!!


「迎え撃つぞ、刃ッ!! 電攻閃鬼・烈火、押し通るッ!!」


「了解、先輩ッ!! 電攻閃鬼・刃雷、罷り通るッ!!」 


 戦端が切って落とされた数秒後、烈華の下へ敵の第一陣が辿り着く。


「その首貰ったァ――ッ!!」


 がばり、と大口を開いた惡鬼の口腔奥からおどろおどろしい形状の三角矛が飛び出す! 目にも止まらぬ速さで烈華の首元を狙う一撃は、しかし、快音一発を鳴らしてあっさりと弾かれる!


「遅いぞ」


 そのまま烈華は三角矛の柄を掴むと、やにわに振り回した……惡鬼の身体ごと! 当然、射程範囲内に居た惡鬼達は高速で振り回される同胞の身体に激突し、数体纏めて身体をくの字に折りながら吹き飛ぶ!!


「ほう、案外無用の長物という訳でもないな。実に使いやすい」


 仮面の奥でにやり、と微笑んだ烈華はしかし直ぐに手を離してしまった。


「だが、デザインは趣味が悪すぎる。私が使うには適さんな」


「うげェ――ッ!?」


 急に拘束から解放された三角矛惡鬼は、ドップラー効果を起こす悲鳴を上げながらあらぬ方向へ飛んで行く。烈華はそちらへと無造作に右手を向け、叫ぶ。


閃光撃(センコウゲキ)ッ!!」


 すると烈火の右腕装甲から鏃型の輝鉄エネルギーが三点バーストで射出! 吹っ飛ぶ三角矛惡鬼へ直撃すると、その五体を爆発四散せしめた!!


「他愛もない……さぁ、次はどいつだッ!!」


 言うが早いか自ら敵群へ飛び込んで行く烈華。その様子を尻目に刃もまた、己の敵と向き合っていた。


「せッ閃鬼の……心臓ォッ!! 皮ごと身ごとボリボリ喰ってやるゥッ!!」


 一見して風船の様な姿形をした惡鬼。しかしその中心部には血走った巨大な眼球と、その上下左右に大きく開いた乱杭歯だらけの口が涎を撒き散らしながら存在している! 飛び散った涎は大地に落ちると、鉄が焼ける様な音を立てて地表を大きく抉った。


《腐食性の液体と推測、接近戦は危険ッ!!》


「だが、退けばそれだけこちらの戦闘領域を失うッ!! 要は、触れなければ良いッ!!」


 刃は構わず踏み込む! その行為は当然、降り注ぐ腐食唾液に自ら身を晒す事に他ならないが、刃は右掌を正面に翳すと叫ぶ!


刃雷防壁(ジンライボウヘキ)、展開ッ!!」


《了解ッ!!》


 すると、刃雷の掌から高密度に圧縮された不可視の防護壁が出現! 腐食唾液は防護壁にぶつかると、一瞬にして蒸発してしまった。


「ゲゲッ!?」


 攻撃を無効化され慌てる眼球惡鬼。刃はその隙を逃さず更に一歩を踏み込み、目の前の大目玉へと正拳突きを叩き込んだ!!


「がびゃッ!!?!」


 眼球惡鬼の断末魔! 粘質な破裂音が響き、その五体が爆発四散!


 惡鬼の体液に塗れた右腕を刃は一振り、余計な汚れを払うとすぐさま横合いから迫っていた別の惡鬼に横蹴りを叩き込む!


「おぶゥッ!!?!」


 その一撃だけで惡鬼は大きく身を捩らせた。しかし、刃は蹴り足に感じた感触が余りにも柔すぎる事に危機感を覚える。


「これは……!」


「ぐ、ぐぶぶ……お、おでの肉体はァ……あらゆる打撃を絡め捕るゥ……!!」


 刃の叩き込んだ蹴りは、まるで泥沼の様に肉を歪ませた惡鬼の胴体に絡め捕られていた! 泥沼惡鬼はごぼごぼと不明瞭な声を上げながら、更に刃の身体全体を引き摺り込もうとする。


 だが、刃は慌てもせず現状を把握するとライに指令を飛ばす!


「ライ、脚部ブースターを一瞬だけ点火ッ!!」


《了解ッ!! 最大出力で稼働させますッ!!》


 ライの言葉が放たれると同時、刃雷の足裏に備えられていた跳躍用ブースターが作動、点火! 数十メートルもの跳躍を可能とする程の凄まじい運動エネルギーが解放され、それを体の内側からモロに喰らった泥沼惡鬼は一瞬身体を数倍の大きさに膨らませると、


「ぶ、ぶくらんぼべッ!!?!」


 破裂! 戒めから解かれた刃はそのままの勢いで大きくバック転をかますと、腰から拳銃型の武装を引き抜いて泥沼惡鬼へ照準、躊躇う事なく引き金を引く! 放たれるのは高圧圧縮された輝鉄エネルギーの弾丸だ! 着弾と同時、泥沼惡鬼は一言も発する余裕もなく完全に蒸発死!


「オマケをくれてやるッ!!」


 刃は空中でもう一回転、姿勢を制御しながら近くの惡鬼へと向けて手当たり次第に銃を乱射! 豪雨の様な猛威に晒された惡鬼達は数秒足らずで全身を崩壊させて灰と化す!!


 それだけでは終わらない。刃が着地を目指す先、そこに待ち構えていたのは両腕が巨大な楯の形に変質した惡鬼だ。ライは瞬時にしてその強度を算出、刃へ告げる。


《超高密度に複合形成された防壁と推測、刃雷の通常打撃による破壊は不可能!》


「ならば技を放つまで!! 迅雷(ジンライ)双蹴撃(ソウシュウゲキ)ッ!!」


 刃は身体を捻ると、大きく膝を曲げた姿勢を取る! そのまま大楯惡鬼への激突する寸前、両方の足を交差させる様な形で同時に打ち込む! 鳴り響く破砕音ッ!!


「バカなッ!? お、俺の自慢の楯がァ~~ッ!?」


 無惨に砕け散った両腕を眺め、泡を食う大楯惡鬼。そのガラ空きになった顔面に刃は手刀を叩き込み、股下まで一気に両断!!


「如何なる楯も、雷の如き刃を阻めはしない!!」


 大地に帰還を果たした刃の背後、ぴたりと寄り添う様に烈華が立つ。背中合わせの姿勢で二人の閃鬼は惡鬼共を前に、一瞬だけお互いの視線を合わせ、頷き合う。


「こうも数ばかり多いと些か閉口する。アレをやるか、刃!!」


「了解ッ!! タイミングは任せますッ!!」


「善しッ!! やれ、刃ッ!!」


 烈華の号令を聞き、刃は垂直跳躍! そのまま体を一回転させながら拳銃型武装を乱射する!


 その威力に惡鬼の軍勢が怯んだ隙を見計らい、烈華は両腕を組み合わせると、その間に輝鉄エネルギーを放出! 逃げ場を失ったエネルギーは加速度的に肥大化し、やがて巨大な光球となって烈華の手の内に現れる!


「この位で良かろう、では……撃てッ!! 刃ッ!!」


 万歳の姿勢! 光球を天へと差し出す様に烈華は撃ち上げた! 一見してエネルギーの浪費に見える行為、しかし刃はその意図を先刻承知として、高速で飛んでいく光球に銃口を向けると……射撃!! それ即ち、破裂寸前の風船に針を勢いよく突き刺すのと同意義!!


 刃が撃ち出した弾丸を受け止めた光球は、直後に炸裂!! 輝雨エネルギーを文字通りの豪雨として周囲一帯へと降り注がせた!!


 眩い光が惡鬼達の目を焼き……同時にその身体自体も消滅!! 光が消えた後には、刃達を取り囲んでいた惡鬼達の灰となった姿!!


「これぞ、必殺ッ!! 雷火光弾雨(ライカコウダンウ)ッ!!」


 烈華がそう締め括った所で、残す惡鬼はただ一体のみ。


「形勢逆転という訳だな、残罵よ」


「つ、使えねェ鉄屑共がァ~~ッ!!」


 全身から苛立ちを撒き散らす残罵はしかし未だ無傷。刃と烈華が放った技の余波を受けてそれなのだ。残罵自身が誇る肉体の頑強さは、決して伊達や酔狂の類ではない。


「同胞を全て失い、それでも尚……己の都合しか頭にないという訳か……ッ!!」


「同胞だァ!? クッソクッダラネェ事を言いやがるッ!! 俺様にとっての絶対的な価値は、強さよ!! 俺様に及ばん存在なんぞ、所詮は吹けば飛ぶ様なゴミも同然ッ!! 最初から居ようが居まいが変わらねェ――ッ!!」


 裂帛の気合と共に、遂に黒鋼の残罵が攻勢に出る。大きく振りかぶられた拳は、風を裂き唸りを上げて二人の閃鬼へと迫る!!


「散開ッ!!」


 烈華の号令と共に合わせて飛び退く刃。その体を掠めて打ち下ろされた残罵の拳は凄まじい轟音を立て、大地を()()()……数十メートルにも及ぶ巨大な断裂として!


《なんという、馬鹿力だ……!!》


 ライが思わず戦慄の声を上げる。電攻甲冑とて直撃すれば、五体を砕かれかねない一撃。紛れもない脅威である。


「残す敵は黒鋼の残罵ただ一人……。しかし、それは単純に状況が好転したという事ではない、か……!!」


「真正面からの組み打ちでは勝機薄しッ!! 速度にて翻弄し、隙を突くぞッ!!」


「了解ッ!!」


 烈華の作戦案に応えると同時、刃は電攻甲冑の運動系統をフル稼働させて駆け出した!


 身を浅く沈めた前傾姿勢。一歩のストロークを長く取り、全身を前に投げ出す様な形での、速度重視の走行フォームだ。


 刃雷と烈火の脚部装甲が、けたたましい音を立てながら大地を蹴り、駆ける。その背に白い雲さえ引きながら、黒鋼の残罵を翻弄する様に前後左右上下……縦横無尽に立ち位置を変えながら攻撃を送り込む!


「小賢しい羽虫がァ――ッ!!」


 音すら置き去りにする程の猛攻を前に、残罵は真っ向から迎撃を開始! 大地が揺れる!! 残罵の大木の様な両足が地面をがっしりと掴み、微動だにしない!! 傷付いた黒曜石めいた装甲が鋭い金属音を立て、激しい火花を散らす!!


 やがて残罵を取り囲む様に球状の薄ぼんやりとしたドームの様な物が形成され始めた……刃と烈華の送り込む攻撃の残像と、それを迎撃する残罵の腕が作る残像が溶け合い、一つに見えているのだ!


「クッソッタレガァアアアアアアアアアアアアッ!!!!」


 激音の多重奏が、荒野の上で打ち鳴らされる。


 何時しかそれは長く引き伸ばされた一つの高音として存在するまでになり、その頃になると残罵の動きからは徐々に精彩を欠く様になっていく。そうなれば閃鬼が放つ二振りの猛攻撃は、百発に一度。五十発に一度。三十発に一度……という様に残罵の迎撃をすり抜け、胴体や顔面へと突き刺さる様になっていく。


「ちょこッ!! まかッ!! とッ!! テメェッ!! らッ!!」


 残罵の放つ罵倒が途切れ途切れになっていく。遂に攻め手側が競り勝ったのだ!


 ここに至って烈華は短く、抜刀、と刃へ告げる。その言葉は即ち、惡鬼へ死を齎す最終通告も同様。


 刃は視界を高速に流れていく景色の中で決して動きを鈍らせる事なく、するり、とその刃を抜いた。刃雷の左腰から取り出されたのは一本の長剣。飾り気のない無骨なその名は、


「――電攻剣(デンコウケン)ッ!!」


 刀身を特殊な製法によって鍛え上げられる輝鉄で構成された、閃鬼が所持する以外この世に二振りとない鬼殺しの聖剣である。


 満足に陽光も差さぬ荒野の上にあって尚、内から滲み出る様な光を発する剣の存在に気が付き、残罵の動きが怯えた様に……加速する。惡鬼の強靭な筋線維でさえ軋み、断裂していく程の無理を通した限界以

上の超過駆動。残罵がそうした理由は単純明快。輝鉄エネルギーそのものも同然の刃から一撃を喰らう事は、肉体に修復不可能に近い致命的なダメージを負う事を意味しているからだ。


 だが、鬼殺しの戦士は容赦しない。


「この輝きを目にし、怯えて竦んだか、惡鬼ッ!! ――隙有ィッ!!」


 烈火の左手首装甲裏から電攻剣を抜き放った烈華は、返す刀で残罵へと斬り掛かった!! 残光を曳き唐竹割り一閃に叩き込まれた斬撃は、残罵の防御すらも真っ向から断ち割ると、


「――烈火鮮撃(レッカセンゲキ)ィッ!!」


「ぃ、が、ぎゃァ――ッ!!?!」


 頭頂部から股下まで掛けて、一直線に断ち切った!!


 勝負有ったか……否! それでも残罵は己の生存と勝利を諦めず、執着する!!


「こ、れしきィ……これしき鈍ら刀で俺様の命がァ!! 断ち切れるかァ――ッ!!」


 なんと、残罵は左右に断裂せんとする自身の身体を自らの手で掴み込み、傷口同士を圧し当てる事で再生を図ろうとする!! ズタズタになった神経を擦り合わせる様な行為、当然凄まじい激痛に襲われて然るべき!! それでも、この惡鬼は生きようとする……。掲げる信条、強者が勝利する事を証明する為……自分自身が究極の絶対強者である事を知らしめる為!!


 そして……その執念が一つの奇跡的な結果を齎す!! 惡鬼として本来ならば決して癒える事のない、輝鉄エネルギーによって受けた損傷が……徐々に塞がりつつあるのだ!!


「ぐ、ぁ、ひ、ィヒャヘァハハアハハハハハハハハハァアッ!!!! どうだァ!! これが、これが俺様だッ!! 俺様は死なねェッ!! テメェら如きに、俺様が殺されるなんて事は、例え天地がひっくり返ろうが――ぁ?」


 縦に裂けた口を大きく開き、大笑する残罵の言葉が……途中で止まった。何時まで経っても、身体の修復がある一点で押し止められているのだ。


 残罵はぽかんと口を開き、首を傾げ、足元側へと視線をやり……銀色の輝きを目の当たりにした。


 そこには、残罵の胴体、剥き出しになった心臓部!! 傷を塞がんとする胸の隙間に、烈華が両腕を差し込んで大きく広げているのだ!!


「て、テメェエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!!?!」


「――己が死から目を逸らし、力に酔い痴れた因果応報という奴だ。さぁ、御膳立てはしてやったぞ……殺れィ!! 刃ッ!!」


「――応ッ!! 今まで奪ってきた命の報いを受けろ、残罵ァ――ッ!!」


 烈華の背後から、大量の輝鉄エネルギーを流し込まれた事で激しくスパークする電攻剣を構えた刃が飛び出した!! 残罵の両目に、猛スピードで接近してくる紅の装甲が映し出される!!


 この瞬間、傍若無人にして残酷無比な惡鬼、黒鋼の残罵は……地底に生を受けてから最初で最期の涙を流した!! 避けられぬ完全なる死を前にし、哭き叫んだ!!


「止めろォ――ッ!! し、死にたくねェッ!! 死にたくねェ――ッ!!!!」


(ジン)ッ!! (ライ)ッ!! ()ッ!! (ザァン)――ッ!!」


 咆哮!! 一閃!! 刃は全ての力を籠め、両腕にしかと握った鬼殺しの剣を……迷う事無く残罵の心臓へと、突き立てた!!


「ァァアアアアガアばばがばあぎゃがあががががガガガガガガ――ッ!!?!」


 刀身を通して流し込まれていく、輝鉄エネルギーの奔流!! 残罵は激しく痙攣し、全身の穴と言う穴から眩いばかりの光を放出!! 心臓から血管を通り、体中余す所なく輝鉄エネルギーに満たされた残罵は……!!


「ヂグジョォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」 


 怨嗟に塗れた断末魔を轟かせ、弾ける光と共に爆発四散!! その五体を完全に炸裂させると……消滅!!


 ここに、最後の惡鬼が討ち取られ……惡鬼帝国は壊滅した!!


 長い戦いの果てに人類は、閃鬼達は……遂に勝利を掴んだのであった!!



 -7-



 風が一陣、吹いた。


 西から吹いた突風は、しかし木の葉を揺らす事はない。


 荒野の上をただ駆け抜け、やがてどこかへとあてもなく消えていく。


「………………」


 戦いを終え、電攻甲冑を脱いだ刃は……頬を叩いて去って行った風の行く方を眺めた。


 その先には、何もない。只管に平坦な大地が、地平の果てまで続いていくだけである。


「もう、良いの」


 傍らに佇んでいた烈華が、刃へ問い掛ける。彼女は、刃が喪われた仲間達の弔いを済ませるまで、黙ってそこに居たのだ。彼女なりの気遣いであった。


 刃の前方、焼け落ちた中央基地から拾い集めて来た幾つかの物品と、それを寄り掛からせるようにして屹立する鉄パイプで形作られた十字架が存在している。十字架の下には、基地内から見つけられただけの遺体が丁寧に布でくるまれ、収められている。


 その中に、自身の想い人が混ざっている事を……刃は受け止めた。受け止める他なかった。どれだけ嘆き叫ぼうとも、もう彼女は戻って来ない。仲間達も、帰っては来ないのだ。


 ならば、弔う。魂よ安らかなれと、生き残った者の務めとして一心に祈る。それだけが、彼らに対してしてやれる唯一の事ならば……未練で汚す訳には行かない。刃は堪え、祈った。


 故に刃は、最後にもう一度だけその墓標へ向き直ると、合掌。そうして数秒ばかりの黙とうを捧げると、再び烈華へ向き直った。彼の眼差しには、別れを済ませた事に因る決然とした意思が宿っていた。


「……はい。お待たせしてすみません、先輩」


「構わないわ。……本当なら、ちゃんとしたお墓を建ててあげたいんだけど、ね」


 烈華の口調は平常に於ける柔らかな物に戻っていた。その事が刃に、戦いが終わったのだ、という実感を今更ながらに呼び起させ……もう二度と戻らない者達の存在を一層強く想起させる。


「くっ……今、別れを誓ったばかりじゃないか……ッ」


 一瞬だけ、視界が歪む。眦から雫が落ちる前に刃は天を見上げた。視線の先には空高く昇って行く、一筋の光がある。刃達が守り切る事で打ち上げに成功した地球外脱出ロケット、その最後の一体が今飛び立ったのだ。


 ロケットは衛星軌道上をゆっくりと周回し、やがて地球環境が回復した後に地上へ降り立つ。そうして各地のシェルターから目覚めた人々と共に、また一から新たな生活を作り上げていく事になるだろう。


「あの中で、人々が眠っている……。平和な明日を夢見て、その日が何時か来ることを信じて」


「ええ。私達は、彼らを守り切ったのよ……刃」


 烈華の口調には達成感が滲んでいる。だが、勝利の華々しい余韻はない……それは刃も同じだった。


「ですが……余りにも多くの物が、失われました。二度と戻らない物が、多過ぎる」


 今の地球上を動く物は、生き残った極僅かな動植物や昆虫類……それを除けば二人の閃鬼のみ。人類の文明は、実質的に滅びたも同然なのだ。


「俺は、……悔しい。この期に及んで、自分自身の無力さが堪らない。もっと何かが出来たんじゃないか? もっと多くを救えたんじゃあないか……」


「思うだけなら、それは自由よ。それは私だって感じている事だもの。だけど……今この世界を否定した所で、何もかもが魔法の様に蘇って来るわけではないわ」


「……はい」


 人は死ぬ。物は壊れる。繕う事は出来ても、失われた物はもう戻らない。


 数百年後に目覚める人々の歩みも、順風満帆とは行かないだろう。また多くの過ちを繰り返し、その過程で失われる物が数多く出る事だろう。


 それでも……明日を信じて歩く人々の未来を守れたのだと、信じる。信じていたい。


「俺は、またこの地球が命と人々の営みで賑わう未来を……何時かに託す助けが出来たのだろう」


 尤も、それを見届ける事は刃には出来ない。閃鬼と言えども永遠の寿命を持つ訳ではなく、むしろ体内に埋め込んだ異物の影響は、純粋な生物としての在り方を大きく逸脱するものだ。


 数年の内にという訳ではないだろうが、恐らく人として満足に生き永らえる事は出来ないだろう。その死に様も、どういう形になるのかは想像が付かない。


「とは言え、少なくとも……この命が燃え尽きるまでの間、何をしたらいいのかは分からないかな」


《いっそ、世界一周でもしてみますか? ジン》


「はは、それも良いかも知れないな」


 冗談めかしたライの提案に、案外それも悪くないんじゃないかと刃は考える。


 人々は眠りについている。シェルターは完全に封鎖されて居るので刃がその内部を尋ねる事は出来ないが、外から眺める事くらいは出来るだろう。


 世界は荒れ果てている。生き残った生物と会える可能性は極僅かだが、その偶然を期待して歩いて行くだけでも時間を潰す事は出来るだろう。


 戦いのみを目的として生きて来た閃鬼に、やるべき事はもう何一つないのだ。降って湧いた()()を過ごす方法としては、まぁ、悪くはない。


「なぁに、刃? 貴方、生き残った先の事をなんにも考えてなかったの?」


 呆れた様な苦笑いを向ける烈華に、刃もまた苦笑で応える。照れ隠しに頬を掻きながら、


「必死、でしたからね。特にここ最近は、どういう死を迎えるのかばかりを考えていた位です。……よもや、先輩はともかく俺が生き残るなんて数年前には想像もしていなかった」


「ふふ、そうねぇ……私が出会った中でも一番泣き虫で、一番手の掛かった弟子は貴方だったものね」


「な、先輩……!? 急に何を言い出すんですか!?」


《そうですね。私も昔は散々苦労させられました。血気盛んな割に周囲が見えていなくて、なんて未熟な戦士だろうと貴方に出会った当初は気が重くなりましたよ》


「ライまで……二人して人の過去を腐すのはあんまりじゃないか?」


 思わぬ所で喰らう羽目になった黒歴史の掘り返しに、刃は戦士としてではなく、年相応の青年らしい反応を見せた。恥ずかしさから赤く染まった刃の頬に、不意に近付いて来た烈華が手を添える。


「せ、先輩……?」


 ひんやりとした感触。近くで見ると、烈華が非常に整った顔立ちの異性である事を意識せざるを得ない。


 不覚にも上擦った声を上げてしまった自分を少し恥じ、刃は唐突な行動を取った烈華に問う。


「あの、どうしたんですか……?」


「ん? ……んー、昔を少し懐かしんでいただけよ。私が出会った頃はまだガキンチョだった貴方も、こうして見るとちゃんと一端の面構えをする様になったんだなぁ、って」


 クスクス、と笑う烈華に一層気恥ずかしさが募る。男という生き物は自分の未熟だった時代を語られる事に、瘡蓋を弄られるが如きむず痒さを感じてしまう性質なのだ。


「……褒めているのですか、それは」


「褒めてるわよ、これ以上にない位。……刃、立派になったね」


 目を細めた、優しい笑み。


 思えば、平時に於いてもどこか余裕と威厳に溢れていた彼女が、この様な無防備な表情を見せるのは何時ぶりだろうか? 刃が記憶を探る限りでは、そんな事は一度もなかった様に感じる。


 掛けられた言葉の嬉しさより、若干の違和感が勝り、刃は烈華にもう一度問い返そうとするが、


「あの……そうだ。先輩はこの後なにをするつもりで――」


「――ごめんね、刃」


 短く呟かれた、謝罪の意味を考える前に。


《ジンッ!? レッカ、一体何をして――!?》


 鳩尾に走った鋭い痛み。遠のく意識の端で、相棒の困惑した叫び声が聞こえている。


 霞む視界の中、力のない笑みを浮かべた烈華の姿が見える。


 先輩、と刃は呼びかけようとして……叶わず、そのまま意識を失った。



 -8-



 目が覚めた時、刃は薄暗い空間に居た。


 柔らかな物に背を包まれ、仰向けになった姿勢。


 閃鬼として改造された刃の脳は、如何なる深い眠りからでも即座の覚醒と行動を開始する事が出来る。故に、咄嗟に身体を跳ね起こそうとし……直後、何か硬い物に額を激突させて悶絶した。


「――がっ!? な、これは……一体!?」


《ジン!? 目が覚めたのですか!?》


 首元から聴こえる相棒の声。それに応えようとした刃は、自分の身体が棺桶の様な狭い空間に押し込められている事を悟る。丁度、人一人が入れば殆ど隙間の無くなる程の狭さ。


「誰が、これを……?」


 呟いた疑問に答えたのは、ライではなかった。


「私よ。おはよう、刃。気分はどう?」


 耳元から響いた、女性の声色。聞き間違えようもない、それは先程まで共に会話をしていた筈の仲間……烈華の物であった。


「先輩!? 何故、俺をこんな所に!?」


「その様子だと、元気そうね。予想よりも長く眠っていたから不安になったけど、良かったわ」


 烈華の口ぶりは、刃の意識を奪い、ここへ押し込んだのが彼女である事を裏付ける物。当惑に思考が埋め尽くされそうになっていく刃に対し、烈華は一方的に話を進める。


「一個ずつ疑問に答えるわ。まず、ここはかつての米国政府が保有していた私有地の地下……政府高官のみが立ち入る事を許され、一般市民からは完全に情報をシャットアウトされた空間よ」


 そして、


「貴方が今居るのは、そこで秘密裏に建造されていた個人用の地球外脱出用ロケット。大方、いち早く惡鬼の脅威に気が付いた大統領か官僚辺りが、自分の為に造らせた物でしょうね。尤も、これが実際に使用される前にこの国の政府は崩壊してしまって、誰の目にも触れないまま封印されてしまった様だけど」


「……そんなモノに、何故俺を!?」


 刃は思わず叫び声を上げた。対する返答は、息を吐く様な音。烈華は苦笑したのだ。


「刃。……私は、貴方に未来を上げようと思うの」


「な……ッ!?」


「今から、このロケットを発射するわ。先に打ち上がったロケットの後を追う形で、この機体も衛星軌道上を周回……少し落下時期はずれ込むと思うけど、貴方は貴方の守った未来を、その目で実際に見る事が出来る」


 そこで一息分の間が入り、


「私は、そうは行かないけどね。打ち上げの為にこちらから操作をしなきゃいけないし……同じ様なロケットは、もうないもの。他のは皆壊れているか、建造途中で役に立ちそうにないわ。あ、貴方が乗っているロケットは機能には問題がない物をしっかり選別したから、安心してくれて大丈夫よ」


 刃は漸く烈華がやろうとしている事を認識し、慌ててライへ指示を飛ばす。


「ライ!! どうにか、俺を外に出せないのか!? このロケットを飛ばせる訳には……!!」


《既に試してみましたが、こちらからのアクセスが拒否されています!! プロテクトを解くにも、間に合いそうには……!!》


「……ごめんね、勝手な事をして」


 ぽつり、と呟く様に発せられた言葉に、刃は食って掛かる勢いで反論する。


「何故ですか!? 俺は……俺は、貴方一人を地上に残していくつもりなんてない!! 否、そもそもこんな事は望んじゃ居なかった!! 俺は、例え荒野の上で誰にも看取られずに果てようとも……」


「……はは、言うと思ったわ。だから、無理矢理詰め込んだんだけどね。手荒な真似をしてしまったのは謝るわ」


「そんな事はどうでも良い!! 今すぐにここから出すんだ!!」


「それは、出来ない」


 先程までの、彼女にしては異様な程に力のない言葉とは裏腹。その言葉だけは確固たる断定の口調で以て紡がれた。


「私は……貴方から戦い以外の全ての選択肢を奪った。そうせざるを得ない状況で、貴方自身がそう望んだとしても……」


「馬鹿な……! それを、貴方が言うのか!? 全てを失った俺に、生きる為の力と意思を与えてくれた、他でもない貴方が!?」


「だからこそ、よ。私は貴方から奪った物を返してあげなければ……いえ、違うわね」


 一瞬、そこに自嘲の響きを伴い、彼女は言った。


「……私が、そうしたいだけ、か。そうね。これは結局、私の我儘だわ。あのね? 刃。私は、貴方に感謝され、尊敬の眼差しを向けられる度に……ずっと――ずっと、罪悪感ばかりを感じていた」


 唐突な告白に、刃は頭が真っ白になったように感じる。あの先輩が? 掛かる困難の全てに真っ向から立ち向かい、その尽くを粉砕し、どんな哀しみも乗り越えて来たとしか思えない十条烈華先輩が、俺に対して「罪悪感」を?


 二の句が継げずに黙り込んだ刃に対し、烈華は続ける。


「あの日、憶えている? 貴方と初めて出会った日の事。あの日私は、出動命令を受けて飛び出し……誰一人として救う事は出来なかった。瓦礫の下に隠れていた、貴方以外は」


 刃は、憶えている。父を殺され、母の骸を見せつけられ、自分自身も瓦礫に圧し潰され死を覚悟していた時の事を。そこから救い出してくれた、白のスーツ姿。凛とした表情の、女戦士の横顔を。


「実を言うとね、私の初陣だったのよ……あの時は。体面ばかりは繕っていたけど、中身はまだ十八を過ぎたばかりの小娘……貴方とそう変わりのない、ただの子供。それが何時の間にやら、多くの人々の先頭に立って敵陣に切り込んでく女武者扱いだから、分からないものよね」


 彼女は、常に強く、気高く……堂々としていた。しかしその裏では、決して誰にも打ち明ける事の出来ない不安と恐怖と戦っていたのではないか? いつの間にか烈華の口調に震えが伴う様になっているのを刃は聞き、彼女が隠し通して来た内面を垣間見た事に愕然とした。その事に、自分が今まで何も気が付かなかった事にも。


「自分なりに、やって来たわ。でも、誰も守れなかった。司令が……父さんが死んだ日、私、部屋に閉じ籠って一晩中泣いてたの、知らないでしょう? ロバートやアリスが死んだ時も……彼らだけじゃない、多くの仲間が散っていく度に私は隠れて泣いていた。誰にも、見せられないもの」


「先輩……貴方は……」


 ようやく口を開く事が出来た刃の問い掛けに、烈華は少しだけ、笑った様だった。


「でもね、後悔をしてる訳じゃないの。だって、それが私の役目だったから。……だから、あの戦いで貴方が惡鬼の軍勢を前に切った啖呵を聞いた時に、凄く誇らしく感じたの。私が守った命が、こんなにも素晴らしい男の子に育ったんだなぁ、って……」


 でも、


「そんな彼を、誰も居ない荒野の上で死なせるなんて……どうしても、出来なかった。貴方はきっと、あのままなら私に付き合って一緒に地球上を放浪してたでしょう? ……正直言うとね、私はそれでも良かったの。むしろ、貴方と二人っきりなら望むところだった」


 下手をすれば、愛の告白とも取れかねない言葉。刃はその意味を考えようとし、止めた。今この場でその是非を語った所で意味はなく、何もかもが手遅れだろう。故に刃は”閃鬼・甲牙刃”として答える。


「……ええ、俺は貴方となら例えどんな地獄だろうとも、後悔はない」


 それは、刃の偽らざる本心だった。彼女が着いてこいと言えば一も二もなく従っただろうし、その果てに身体が限界を迎えて斃れようとも、それが間違いだったとは絶対に思わなかっただろう。


 烈華も刃の言葉を本音と捉えたらしく、頷き一個分の間を空けてから、言う。


「貴方はそう言うわよね……だからこそ、出来なかった。こんな、最後まで自分の内面を曝け出せもしない女が、これ以上貴方の人生を奪う訳には行かない」


 そこまで言って、烈華は大きく息を吐きだした。


 胸のつかえがとれた様な、言ってしまった、という諦観を含んだ、長い息吹。


 そして、再度息を吸うと……その頃にはもう、彼女の声は震えていなかった。


「刃。私を恨むなら、恨んでくれていいわ。どんな言葉を投げかけてくれても構わない。だけど……お願いだから、生きて。貴方の目で新しい世界を見て、貴方の為に貴方の……甲牙刃の人生を、生きて。尤も、再生した地球が今より酷い世界になっていたら……私は最低の御節介の、勘違い女だけどね」


 でも、貴方ならどんな世界でもきっと大丈夫。そう締め括った烈華の足音が唐突に鳴り、徐々に遠ざかっていく。


 彼女は話すべき言葉を話し尽くしたのだ。これからロケットの発射設備へと向かい、刃の乗った機体を打ち上げる準備に移るのだろう。


 故に、これが彼女へ言葉を送る最後のチャンスだと、刃は思い……口を開いた。


「――先輩ッ!!」


 こつり、と。竦んだ様に、烈華の足音が止まる。


「……なに、かしら?」


 彼女はきっと、これから放つ刃の言葉の何もかもを受け入れる覚悟だろう。死ねと言われればロケットを打ち上げた後、間違いなく死ぬ。そんな予感を感じ、しかし刃はその様な事は言わなかった。


 代わりに、言う。嘘偽りのない、自分の気持ちを、言葉に込める。


「……先輩」


 口の中で転がしたその響きが、以前と変わりのない物である事を確信し、刃は続けた。


「俺はそれでも、貴方に出会えてよかった。貴方が俺に教えてくれた事、貴方と共に戦ってきた日々。その全てが、本当に大切な……輝かしい想い出です」


 だから、


「俺に、貴方の想いを否定するつもりはない。だけど、俺が貴方へ感じている恩義も……否定しないでくれ。貴方が救ってくれたお陰で、俺はここまで生きて来られた。掛け替えのない日々を過ごす事が出来たのだから」


「………………っ!!」


「話してくれて、有難う。それが貴方の望みなら……俺は、それを受け止めようと思う。新しい世界で、新しい人生を送るという、貴方からの最後の贈り物を。だから、俺を送り出す時は……笑ってくれ、先輩」


「……そ、っか」


 ず、という何かを啜る様な音を、刃は聞かなかった事にした。彼女が内面を曝け出し、それでも最後まで刃に見せまいとした物を敢えて追及する気にはなれなかった。


 そして、烈華は……かつん、と甲高くブーツの踵を鳴らし。


「――ならば、甲牙刃!! お前に最後の指令を与える。新世界へと降り立ち、新たな人々の営みをその目に焼き付け……守護せよ!! そして、その中で――」


 一度、言葉が途切れた。刃は、待つ。烈華は、続けた。


「――お前も、幸せになってくれ」


 それが、十条烈華の願い。ならば、甲牙刃の返答は決まっていた。


「――了解ッ!! 甲牙刃、全身全霊を以てその任務に励みますッ!! ……おさらばです、先輩ッ!!」


「ああ、さらばだ……刃ッ!!」


 その言葉を最後に、烈華は去って行ったのだろう。足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。


 暗闇の中、刃はそれまで黙ってやり取りを聞いてくれていた相棒に語り掛ける。


「……勝手に決めてしまって、すまん。ライ」


《……いえ、私はどうせ貴方と一蓮托生。それに、個人的に新しく築かれる生態系や文明には興味が惹かれます。考えてみれば中々面白い機会、精々貴方と共に楽しませてもらうとしますよ》


「そうか……ふ、お前らしいな」


《貴方も筋金入りのお人好しですよ、ジン。そして、酷い朴念仁だ。……彼女は、貴方の事を――》


「分かっている。分かってる、つもりだ。……だけど、俺には」


《……そうですね、すみません。私も詰まらない事を言いました。》


 その言葉の直後、刃の乗るロケットが静かに振動を始めた。同時に、何かが噛み合うような金属質の音が響き……ゆっくりと何処かへ移動していく様な慣性が感じられる。


「打ち上げ、か……っと?」


 不意に、刃は自分の身体に妙な倦怠感を覚えた。


 全身から感覚が消えていく様な、眠りに落ちるのにも似た不快感の無い気怠さ。


《超長期睡眠用の処置が為されている様です。恐らく打ち上げ前に貴方は眠りに落ち、目が覚めたらそこが新たな世界という訳ですね》


「そう、か……なら、ライ……後の事は、頼んだ……」


《やれやれ、百年以上かかる目覚まし役ですか。まぁ、良いでしょう。貴方の寝顔を眺めながら、以前に取り込んだ小説のデータでもゆっくり読むとしますかね》


 ライの声が徐々に遠ざかっていくような、感覚。舌がゆっくりと痺れる様になっていき、言葉を発するのも億劫だ。


「は、は……そう、いえば……戦いっぱなし、で……そんな時間は、なかった、な……」


《……そろそろ、無理に起きているのも良くないでしょう。では、おやすみなさい。ジン》


 我が子を寝かしつける様な、優しい声色。刃は相棒の気遣いにふ、と笑みをこぼし、従う事にした。


「ああ、おやすみ……ライ」


 言い終えた直後、完全に刃の意識は闇に落ちた。


 そうして浅く寝息を立て始めた相棒に、ライは語り掛ける。


《お疲れさまでした、ジン。貴方の未来が、幸福である事を今から祈っていますよ……》



 -9-



 ……ロケットは打ち上げられた。


 星条旗のペイントを施された派手な色彩の機体は、雲を突き抜け、重力圏を脱し、蒼から果てしなく広がる黒一色の空間へと放り出される。


 そのまま、細かく姿勢制御用の噴射を繰り返し、安定した軌道に乗ったロケットは……ゆっくりと漂い始める。


 その内部では、長く、苦しい戦いを終えた一人の閃鬼が眠っている。


 まだ見ぬ明日を夢見て、一時の休息に心を委ね。


 ただ、静かに、穏やかに……眠り続けている。



 -電攻閃鬼 刃雷……完-



 そして、物語の舞台は、千年後に移る。

お読みいただきありがとうございます。

今後、暇を見つけて投稿していきます。

何度か描写を修正・追加するかもしれませんのでご了承下さい。


20180424:誤字修正と、物語に影響を及ぼさない範囲で一部文章の書き換えを行いました

20180425:誤字修正と、極僅かな文章修正を行いました ストーリーに変更はありません

20180426:試験的に文章の間に間隔を付けてみました

     また、一部の大きな数字を分かり易さ優先として漢数字から算数数字に変更

     横文字文化に中々慣れない……

20180518:感想でのご意見・指摘を参考にさせて頂き、一部描写の追加と書き換えを行いました

     主に、主人公の心理描写の追加と、名前の無かったキャラクター達の描写追加です 

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