終章 それぞれの未来へ
「で?結局あなたはどうするんですか?」
楓にそう問われて涼花はここに残るよと答えた。
「前回と同じでターチェの血が濃いこの身体だとだいぶ長生きするんだろうけどさ、一応今は人間だし。人間として生きるのも悪くないかなって思ってさ。」
そう言う涼花はさっぱりした顔をしていた。
「本当に助かったよ。まさか高英まで動いて事後処理してくれるなんて思わなかった。おかげで清水先生一家の死は事故にすり替わって事件そのものがなくなったからわたしは自由の身だし。何故か一年ちょっとしか通ってないはずの高校を卒業してる事になってて受けた記憶のない試験を通過して、今のわたしの立場は一人暮らしの高卒労働者だしね。流石というかなんと言うか、高英の能力って本当にチートだよね。わたしのことだけじゃなくて他にも色々してるし、これだけの規模の事後処理したら流石のあいつもきつかっただろうに、帰ったらお礼言っておいて。」
そう言う涼花を一瞥して、楓は気が向いたら伝えておきますと言った。
「青木沙依が人間として生きることを決めたあなたへの手向けだと思って助けてやってくれってうちの隊長に掛け合ったんですよ。それでこれだけ徹底的にうちが動いて事後処理するはめになりました。うちの隊長も司令官もあの人に弱いですから、あの人からお願いされたらよほど聞き入れがたい事でもない限りどんな無茶でもなんとかするでしょ。おかげで余計な仕事が増えてとても迷惑でしたので、元凶のあなたに何か穴埋めをしてもらわないと採算がとれませんね。」
それを聞いた涼花は笑って、何かして欲しいことでもあるの?と訊いた。
「今は特にありませんが、今後必要になった際には存分に働いてください。そのためにわざわざあなたの職場を作ったんですから。」
そうしれっという楓を見て、涼花はそれ考えたの成得でしょと言った。
「別に必要でもないのにわざわざ警察管内に特殊犯罪対策課とかいうなかった部署を存在させて、わたしをそこに配属してることにさせてさ、そんなことだろうと思ったよ。ようは情報司令部隊の人間社会出張所で手足になって働けって事でしょ。本当、あいつそういうところ抜け目ないよね。」
そう言いながら涼花は、人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべる成得の顔を思い出して少し腹が立った。根がお人好しで甘ちゃんなのは知ってるけど、あいつのあの態度本当に腹立つよな。助けてもらったのは解るけどあいつには感謝したくない。そんなことを考えながら涼花はふと疑問を感じた。
「さっき高英だけじゃなくて成得も沙依に弱いって言ってなかった?」
その問いに言いましたよと楓がさらっと答えて、涼花は嘘でしょと呟いた。
「いやいや、あいつが動いたのは沙依にお願いされたからじゃなくて、単純に今後こういう事態が起きたときに備えときたいだけでしょ。あいつが誰かを特別扱いするとかあり得ない。そもそも人と深く関わり合うってことがないでしょ。」
そう言う涼花に楓は昔とは違うんですよと言った。
「あなただって知ってるでしょ?隊長は最初から誰とも深く関わらないような人ではなかった。むしろ昔は真逆でした。誰にでも深く関わりすぎて、全てを助けようとして全ては助けられなくて、試行錯誤を重ねながら色々繰り返しているうちにあの人はあんな風に壊れてしまっていた。でもそんなあの人もきっかけと色々な人の助力で今ではちゃんと人と深い関わりが持てるようになったんですよ。時間が経てば人は変わるんです。変わらなく見えてもずっと同じままでいられる人なんていない。そういうものでしょ?」
そう言われて涼花はそれもそうかと思った。自分だってずっと同じじゃない。この身体に生まれた後の短い時間の中でさえ自分は日々変わっている。
「では、わたしはそろそろ行きます。また会う機会がそうそうあるとは思えませんが、何かあったときはまた。せいぜい今の人生を謳歌してください。」
そう言って楓は歩き出した。少し行って思い出したように振り返る。
「あなたが山邊陽陰だった頃の話しですが、あなたが本気でわたしを手に入れようとしていたことは解っていましたよ。あんな回りくどいことをしてわたしが自分からあなたの元に来るように仕向けないで、真正面から真剣に向き合ってくれていたなら、わたし達の関係は違ったものになっていたかもしれないですね。今の人生の教訓にでもしてください。」
それだけ言って今度は本当に去って行く。その後ろ姿を見送って涼花は苦笑した。よく言うよ、どうせそうしてたって靡かなかったくせに。そんなことを考えて、これも決めつけで本当は本当にそうだったのかもな、と思ってため息をついた。自分は生きることだけじゃなくて何に対しても最初からすぐ諦めて真剣に向き合ってきたことなかったんだなと考えて、涼花はそれに気づけたんだから今度の生は少しくらい真剣に生きてみようかなと思った。
○ ○
「卒業おめでとう、香澄ちゃん。」
高校の卒業式を終え、俊樹と二人で喫茶店琴葉に赴くとマスターにそう言われ、香澄は満面の笑みでありがとうと言った。卒業祝いと言ってマスターがケーキをテーブルに置き、香澄は諸手を挙げて喜んだ。
兄妹並んでカウンター席に座って注文をする。
「マスター、本当にここ閉めちゃうの?」
香澄がそう訊いて、マスターは笑ってここはもう必要ないだろ?と答えた。
「確かにわたし達の仕事の基板はここじゃなくなったけどさ、なんか寂しいな。ここはわたし達の家みたいなものだったし、マスターはもう一人のお父さんみたいな感じだったし。」
そう言う香澄にマスターは、そう言ってくれてありがとうと言った。
子供の頃から実家のように過ごしてきたこの場所がなくなるということは俊樹にとっても寂しい事だったが、俊樹はそれを口にしなかった。口に出したら色々と抑えきれなくなる気がして口に出せなかった。震災を機に実の息子から連絡が来てそれ以来ちょくちょく会うようになって、時間をかけて考えて息子の誘いに乗ってそちらに行くことに決めたマスターを止めることなんてできない。今まで好意で父親代わりをしてくれていたこの人を困らせられない。そんなことを思って俊樹は胸が苦しくなった。
「別にここがなくなるからって縁が切れるわけじゃないんだから、いつでも頼っておいで。辰也の奴も震災で本当に帰ってこなくなっちまったし、お前らにはまだまだ俺が必要だろ?お前らは俺の子供みたいなもんなんだからさ。結婚するときとかちゃんと呼べよ。」
優しい眼差しでそう言われて俊樹は泣きたくなった。
「香澄が一足先に来月から社会人って不思議な気分だな。」
俊樹がそう言って、香澄はお兄ちゃんもあと一年じゃんと言って笑った。
「本当に進学しなくて良かったのか?お前の成績で高卒とかもったいないだろ。親父が死んだからってうちに金がないわけじゃないし、進学諦めなくてもいいんだぞ。」
俊樹のその言葉に香澄は別に進学を諦めたわけじゃないよと言った。
「進学したら浩文さんと同じ職場で働けるようになるのが遅くなっちゃうし、高校在学中に予備試験突破したし、この調子で司法試験突破する予定だから別に進学する必要ないだけ。本当は高校在学中に司法試験まで突破したかったんだけどさすがにそれは無理だったや。でも次は絶対受かってみせるんだからね。受かって浩文さんの役に立つんだ。浩文さんのために頑張って受かったよって言ったら褒めてくれるかな?」
そう浮かれて話す香澄に俊樹は呆れたような視線を向けた。
「お前どっからどう見ても頭悪そうなのに。っていうか本当バカなのに、無駄に勉強はできるよな。」
それを聞いた香澄がお兄ちゃん酷いと頬を膨らませ、俊樹はいつまでそんなガキみたいなことしてんだよと言ってその頬を手で掴んで潰した。
「大人になるんじゃなかったのか?いくら自分のこと美少女って言わなくなったって、言動がガキくさいままだぞ。」
そう言われて香澄は黙り込んで不満そうな顔をして俊樹を睨んだ。ほらそういうところがガキくさいと指摘されて香澄はむくれそうになるのを堪えて俯いた。そりゃわたしは涼花さんみたいにできないけどさ、それでもわたしだって頑張ってるんだから。頑張ってるのに、酷い。そんなことを考えて香澄が泣きたくなってきて時、入り口のドアの鐘がなった。マスターと挨拶を交わして注文する浩文を確認して、香澄はお兄ちゃんが酷いよと言って泣きついた。それを見た俊樹がさっさと支度をして店を出て行こうとして、浩文はそれを捕まえる。
「何、人に妹押しつけて逃げようとしてるんだよ。これどういう状況?」
「別にいつも通り。後はよろしく。」
そう言ってするっと浩文の腕から逃れて俊樹はさっさと出て行ってしまい、それを見送って浩文はため息をついた。全く本当この兄妹には振り回されっぱなしな気がする。そんなことを考えて、出会った頃を思い出して浩文は不思議な気分になった。
「もうあれから二年ちょっとか。早いもんだな。あの大震災で国中がずたぼろになってたのに、もうすっかり元通りだし。なんかあの時のことは夢でも見てた気分だ。」
そうあの頃のことは本当に夢でも見ていたのではないかと思う。二年数ヶ月前に起きたこの国全土を襲った大震災。それによりこの国は一時的に国家の機能が停止するほどの大打撃を受けた。国内全土が被災し、そのため全土で同じように水もガス電気も止まり物資の供給もままならない状態だったにもかかわらず、大した混乱もなく人々がお互い支え合い助け合ってあっという間に復興が進んで今ではすっかり元通りの生活が送れるようになっている。震災の規模に対し奇跡的に死傷者数は少なかった。生存者の多くが震災が起こる直前に逃げるように促す声が聞こえただとか、直感的に逃げなくてはと思っただとか証言しており、世界中の心理学者がそれに対して深い関心を寄せていた。災害の規模に対し被害者が少なかったというだけでもちろん被害がなかったわけではない。特に被害が大きかったのは清水家の保有する施設で、震災時そのほとんどの施設が爆発し多くの職員や研究員が亡くなった。他の被害に比べて清水の被害だけが大きかったことから規定以上の劇物保有や薬品管理が不十分でなかったかなどの嫌疑がかかり、調査が入って実際に色々出てきて、あれだけ国家に根深く入り込み権力を持っていた清水家はその権力を失った。その件に関しては面白半分に陰謀説が浮上し一部でまことしやかに今でも語られている。
「本当のことは全部なかったことになって皆すっかり忘れちゃってるけどさ、夢じゃないよ。浩文さんは涼花さん助けるために頑張って、そのおかげでわたしは浩文さんに会えた。あの時があったからこそ特殊犯罪対策課ができて、正義の味方ごっこのただの泥棒だったはずのわたし達兄妹が本当に正義の味方になれた。色々あって大変だったけどあれが夢じゃなくて良かったってわたし思うんだ。」
香澄のその言葉を聞いて、浩文はそうだなと言って微笑んだ。自分たちの記憶と世間の事実は異なっている。この国の死刑制度は廃止されたままだが特殊監房は存在していないし。高校教師一家惨殺事件は存在せず清水潔孝一家の死はただの交通事故になっていた。囚人だったはずの涼花が警察官だったりとか。問題行動が多すぎて左遷されたはずの自分が存在していなかったはずの特殊犯罪対策課の課長になってたりとか。他にも色々おかしいことを挙げはじめたらきりがない。
「出会った頃は生意気なくそガキだったお前がもう高校卒業で来月から社会人か。時間が経つのは早いもんだな。」
しみじみとそう言って浩文は香澄に、卒業おめでとうと言った。
「お前も色々大変だったのによく頑張ったな。」
浩文にそう言われて香澄ははにかんで笑ってお礼を言った。
「浩文さん。わたし高校卒業したよ?」
「そうだな。」
「もう十八だし、もうすぐ十九歳になるよ?」
「そうだな。」
「浩文さん約束ちゃんと覚えてる?」
泣きそうな顔で香澄にそう言われて、浩文は飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。
「お前ここでその話持ち出すのか?そういう話しは二人きりの時にさ・・・。」
「じゃあ、これから浩文さんのうちに行ってもいい?」
そう言われて浩文はたじろいだ。
「いや、それはちょっと・・・。」
そう言った瞬間、香澄の目からすっと涙が零れて浩文は焦った。
「泣くなって。忘れてないから。ちゃんと覚えてるから。そもそもそんな泣くようなことじゃないだろ。」
「だって、付き合ってるのに恋人同士みたいなことしたことないんだもん。浩文さんが高校卒業するまでダメだって言うから、卒業できる日を楽しみにしながらずっと我慢してたんだよ?」
「いや普通に映画見に行ったりとか、食事行ったりとかデートしてただろ?」
「そんなの友達とかお兄ちゃんとだってするもん。キスだってさ、浩文さんがわたしと交際するのOKしてくれた時の一回だけじゃん。家に上がらせてくれたのだって通り雨に降られてびしょ濡れになった時だけで、それだってわたしがシャワー借りてる間にお兄ちゃんに連絡して着替え持ってこさせてすぐ追い出してさ。うちにだってお兄ちゃんがいないと絶対に上がらないし、腕組むのだってダメだって言って、手繋ぐのだって人混みではぐれそうになったときだけじゃん。全然イチャイチャしたことない。わたし浩文さんとイチャイチャしたい。」
そう嘆く香澄に浩文はお願いだからこういう場所で大きな声でそういうこと言わないでと心の中で懇願した。今他に客いないからまだあれだけど、マスターには完全に聞かれてるから。そんなことを考えながら浩文は色々面倒くさくなって香澄の手を取って、ポケットから指輪を出して薬指に嵌めた。驚いた顔の香澄と目が合って視線を逸らす。
「卒業祝いだ。卒業したからアクセサリーつけてられるだろ。そこら辺のアクセサリーショップで買った安物だけど。」
そうぶつぶつ言う浩文の横で香澄は自分の左手を呆然と見つめていた。しばらくそうして、薬指に嵌められたシンプルなシルバーのリングの存在が徐々に意識に浸透してきて、香澄は顔を真っ赤にしてお礼を言った。
「これってさ・・・。」
「プロポーズじゃないからな。」
「さすがにそれは解るよ。ペアリングだよねって訊こうとしたんだよ。」
そう言って香澄は浩文さんもつけてるの?これからつけるの?とニヤニヤしながら詰め寄って、色々言い訳してつけるのを渋る浩文に半分無理矢理リングをつけさせた。そうして本当に嬉しそうにしている香澄を見て浩文は目を細めた。
「お前さ、本当に俺で良いのか?元から美人だけど最近本当に綺麗になったし、痛いこと言わなくなったし、案外家庭的で料理もうまいし性格もそんな悪くないし、言い寄ってくる男なんていくらでもいるだろ。わざわざこんなおっさん捕まえなくたってお前だったらいくらだっていい男つかまえられるだろうにさ・・・。」
「わたしは浩文さんがいい。浩文さんはわたしじゃ嫌?」
そう問われて浩文は顔を押さえて嫌じゃないと答えた。
「むしろお前じゃないとダメかもしれない。本当、最初会った時はなんだこのくそガキって思ってたのにな。」
言っていて耐えられないほど恥ずかしくなってきて浩文はその場に突っ伏した。
「ずっと断ってたのに散々言い寄ってきて人のこと本気にさせたんだから、ちゃんと責任とれよ。」
そう呟くと香澄が浩文さんかわいいと言ってクスクス笑ってきて、浩文はなんとも言えない気持ちになった。自信過剰で本当ガキっぽくて全然タイプじゃないはずなのにさ、いつだってこの笑顔に励まされる。自分が迷って立ち止まりそうな時はいつだって自分の目を覚まさせて背中を押してくれる。いつだって香澄が傍にいてくれて良かったと思う自分がいる。本当、こんなガキ相手にどんだけぞっこんになってるんだよ俺。こいつは初恋でのぼせ上がってるだけでいつ心変わりするかわかんないからな。そんなことを自分に言い聞かせつつ、浩文は香澄を見て、もう俺がこいつから離れられないなと思ってため息をついた。
○ ○
ふと目が覚めて沙衣は横でうなされる夫の手をそっと握った。あれからだいぶ経つが、忠次は毎日のようにあの時のことを夢に見てうなされていた。あんな体験をすればしかたがない事だと思う。これがずっと彼を縛り苦しめ続けるのだと思うと沙衣は苦しくなった。できれば彼にはこんなものを背負って欲しくはなかった。でも起きてしまった事はしかたがない。
「忠次。戻ってきてくれてありがとう。愛してる。」
寝ている夫にそう囁いて、沙衣はそっと口づけをした。唇を離して、忠次と目が合って、沙衣は困ったように笑った。
「すまない。起こしてしまったか?」
その問いに忠次は首を横に振って沙衣を強く抱きしめた。忠次が殺した村上辰也は震災で死んだことになった。彼の子供達も友人も皆それが事実だと疑っていない。でも実際に彼を手にかけた忠次の中からその事実は、自分が自分の手で友人を殺したという事実は消えなかった。
「辛いなら逃げたっていいんだぞ。」
そう言う沙衣に忠次は、このままがいいと言った。この痛みも感情も忘れたくなかった。忘れてなかったことにはしたくなかった。
「なぁ忠次。これから人には長すぎる生を生き続けていくのにそのままでいたら、いずれあなたは壊れてしまうぞ。忘れることは生きていくうえで大切なことだ。」
そう言って沙衣は忠次を優しく撫でた。
「でも、そういうあなただから、わたしはあなたが好きだ。それを抱え続けてあなたが壊れてしまっても、抱えきれずに途中で投げ出しても、わたしはあなたの傍にいる。あなたの選択をわたしは全て受け止めるから。だから、好きにするといい。」
沙衣の言葉を聞いて忠次は目を閉じた。
「忠次。人間を辞めてまでわたしを求めてくれたあなたの覚悟をわたしはもっと真摯に受け止めるべきだった。ずっとあなたの想いに甘えてあなたの覚悟を軽んじてしまって、本当に申し訳なかった。」
そう言って沙衣は忠次の頬に両手を添えて彼の目をのぞき込んだ。
「忠次。改めてわたしと一から新しい人生を歩んでいってくれないか?わたしもあなたに甘えすぎないように気をつける。だからあなたもわたしに少しは甘えてわがまま言ってほしい。今回みたいな事にならないように、ちゃんと二人で話し合って、想いを言葉で伝え合って、一緒に生きていきたいんだ。愛してる。わたしはあなたを愛してる。」
忠次の目が大きく見開かれてそこから涙が溢れてきて、沙衣は自分も泣きたくなった。
「沙衣、愛してる。」
そう呟いた忠次に引き寄せられて二人は唇を重ねた。激しい彼の口づけに、沙衣は彼と初めて口づけた時のことを思い出した。あの時もわたしがそっと口づけてその後に彼が激しく返してきた。そしてあの時もわたし達は泣いていたな。あの頃からわたし達は互いに想い合っているのに、わたしの自己中心的なわがままと彼の気遣いでいつだってすれ違ってばかりいたんだ。そう思うと沙衣はなんだかおかしくなった。
「沙衣。元旦那さんの遺体はダメだったけど、君の娘の遺体は取り返したよ。今度ちゃんと埋葬してあげよう。」
耳元でそう言われて沙衣は驚いて忠次の顔を見た。
「俺は君の夫だった人にずっと嫉妬していたんだ。身を焦がすほど嫉妬するくらいなら君にちゃんとそれを伝えるべきだった。君に気を遣っているふりをしてずっと素直になれなくて悪かった。」
そう言って忠次は沙衣の目を真っ直ぐ見つめた。
「沙衣。改めて俺と新しい家庭を築いてくれないか?前の旦那さんの事も娘さんの事も何もかも含めて全て君なんだって解ってる。君にとって新しい一歩はとても怖いことかもしれないが、俺と一緒にその一歩を踏み出して欲しい。少しずつでいいから一緒に前へ進んで行きたいんだ。愛してるよ沙衣。出会ったときからずっと愛してる。俺も君とこれからも人生を歩んでいきたい。ちゃんと二人で歩んでいきたいと思ってる。」
二人は暫く見つめ合って、微笑みを交わして、口づけをした。これからもまた間違った事をするかもしれない。すれ違うこともあるかもしれない。でもきっと大丈夫。これからはちゃんと二人で生きていける。そして二人はどちらともなく、お互いに愛してると囁いた。
○ ○
「今更だけどさ、二年前のあの件はどっからどこまでがお前の仕業だったのかきいていい?」
成得にそう問われて沙依は困ったような顔で笑った。
「そうだね。わたしがしたことと言えば震災を引き起こしたことぐらいかな。」
そう言う沙依が空間断絶の術式を発動させたのを認識して、成得はそんなに人に聞かれたくない話しなのかと思った。
「わたしナルが思ってるほど良い子じゃないよ。自分の大切な人たち以外はどうでもいいし、大切な人以外なら簡単に切り捨てて平気で命を奪える。あれだけの規模の震災を起こせば無関係な人が沢山犠牲になるの解ってたけど、それでもわたしは自分の目的のためにあれを引き起こした。」
そう言って沙依は成得を見つめた。
「わたし怒ってたんだ。沙衣や忠次さんを苦しめて結果的にナルのことも追い詰めたあの人たちが許せなかった。だからもう二度と同じ事ができないようにしようと思った。あの震災であの人達はほとんど死んで、生きてる人たちも二度と研究ができない身体になったよ。わたしが取りこぼした所は楓さんに伝えて始末してもらった。そして他の人たちが同じような研究をしようとしても邪魔が入って上手くいかない。奇跡は起こらない。その運命を覆すことは容易じゃない。わたしはわたしの大切な人たちを害する者を許さない。わたしが生きているうちはもう二度とあんなことはさせない。わたしはそういう奴だよ。」
そう言って沙依は怖い?と成得に訊ねた。そして成得の返事を待たずに続けた。
「わたしの本当の能力は厄災が起こる未来を確定させることだよ。父様はこの能力の目的は試練を与えて成長を促すものだって言ってた。未来が視えるのはその能力の副産物で、兄様が人の想いまで縛れないようにわたしも人の行動までは縛れない。でも、ある程度自分の望んだ通りの未来に人を誘導する事もできるんだ。」
そう言って泣きそうな顔をする沙依を成得はそっと抱きしめた。
「わたし他にも隠し事沢山あるよ。こんなの序の口だよ。もちろんわたしの頭の中を全部覗いてるコーエーはさ、わたしのどんな秘密も全部知ってるだろうけど。知ってる人がいるからって同じように全部をナルには伝えられないよ。誰にも言わない方が良いと思うような秘密がわたしには沢山あるんだ。」
「俺にだって隠し事は沢山ある。お前に伝えられないようなことはそれこそ山のようにあるぞ。」
「ナルのは仕事上の話しでしょ?わたしは自分自身に後ろ暗い事が沢山あるんだよ。」
そう言う沙依に成得はバカだなと囁いた。
「俺だって自分自身に後ろ暗い事があるさ。お前にだけは絶対知られたくない秘密だってあるし。自分の大切なものが一番で他のことに構ってられないなんて普通だし。大切な奴が傷つけられたら怒るのも当たり前だろ。俺なんて大切にしたかったものさえ切り捨てて、それどころか自分の手にかけて生きてきたんだぞ。俺だってお前が思ってるほど良い奴じゃない。だからお互い様だろ。」
そう言って成得は沙依の頭を撫でた。
「いつも言ってるだろ。お前がどんなだって俺はお前が好きだよ。どんな秘密抱えてようが、どんな後ろ暗い事があろうが、本当は俺のことをお前は大っ嫌いだと思っていたとしても、俺はお前が好きだ。なんなら実は浮気してて子供が俺の子じゃなかったとしてもさ、俺はお前のことが好きだし、お前が傍にいてくれるだけでいい。お前とこうして一緒にいられるなら俺はなんだっていい。」
そう言われて沙依は難しい顔をした。
「さすがにそれは何でも良すぎると思うんだ。なんなのそれ、ナルはわたしの見た目が好きなの?この見た目なら中身は何でも良いの?つまり沙衣や美咲ちゃんでも良いってこと?」
そう言って珍しくむくれる沙依を見て成得はかわいいなと言って笑った。
「そんなわけがないだろ。俺はお前が好きだよ。他の誰でもなくてお前がお前だからこそ、俺はお前のことが好きだ。多分見た目が違ってても俺はお前を好きになったよ。でもさ、俺の知ってるお前が本当のお前とは限らないから、俺の知らないどんなお前を見たって幻滅したりしないし、好きでい続ける自信があるって言ってるの。俺の言いたいこと解る?」
そう言われて、沙依は成得の胸に顔を埋めて暫く黙り込んでいた。
「わたしはそんな自信ないから。ナルが他の女の子にちょっとでも目移りしたら嫌だし、浮気されたら許せないし、ナルがわたしのこと本当は大っ嫌いだったら立ち直れないし。そんなことあったらナルのこと怒って嫌いになってやるんだから。ずっと好きでいるとは限らないからね。」
そう言う沙依をぎゅっと抱きしめて成得は、今日のお前なんなのマジでかわいいと呟いた。
「本当、大好き。本当かわいすぎるだろ。もう本当に大好きすぎてしかたないからさ、結婚して。」
そう言うといつもなら即答で嫌だよと返ってくるのにその言葉が聞こえなくて、成得は疑問符を浮かべて沙依を見た。
「もう少しだけ。もう少しわたしが自信持てるようになるまで待ってて。」
自分の胸に顔を埋めたままそう言うと、沙依が少しだけ顔を上げ上目遣いで見上げながら、ちゃんと待っててくれる?と訊いてきて成得は悶絶した。
「もちろんいくらでも待つよ。」
そう言ってそっと口づけをする。
「今日のお前本当にかわいい。いつもかわいいけど、今日は輪をかけてかわいい。本当に今日はなんなの。やっと俺との結婚前向きに考えてくれるようになったとか、本当に嬉しいんだけど。」
そう言いながら成得は沙依を押し倒して口づけをした。
「なぁ、沙依。二人目作ろうか?俺たちが結婚するのと、次の子ができるのとどっちが早いだろうな。」
そう言いながら成得が嬉々として服を脱がせにかかってきて、沙依は服を手で押さえてそれに抵抗した。
「何?お前は二人目作るの嫌なの?」
「別に嫌じゃないけど、そのテンションについて行けないから。絶対ナルとまらなくなるもん。無理だから。ついて行けないから。」
顔を赤くさせてそう言いながら抵抗する沙依に成得は、本当にかわいいな、嫌じゃないならいいだろ、と言って抵抗を意に返さず行為を続けようとする。そんな成得に対し沙依はお迎えにも行かなきゃいけないし等と言いながら抵抗を続け、二人は無駄な攻防を続けた。