表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
それぞれの未来へ  作者: さき太
5/6

第四章 杉村涼花編

 目が覚めたときそこは知らない場所だった。酷く視界がぼやけ音が反響して聞こえる。ここが知らない場所であると言うことだけは直感で解ったが、自分が今どんな状態でここにいるのかさえ認識ができなかった。はっきりしない意識の中で暖かいぬるま湯に全身が浸かっているような感覚だけがして、何も解らないまますぐ意識が遠のいた。

 次に目が覚めたとき、透明なガラス越しに白衣を着た人物と目が合って、その人物の後ろに様々な機材が見えて、自分がどこかの研究施設にいることを認識した。そのガラスに映った自分の姿を見て、あぁ自分は生まれたばかりなのかと思った。生まれた時から以前の記憶を持っているというのはこういう感覚なのかと考えて不思議な気分がした。自分たち最初の兄弟が何度生まれ変わっても記憶が継続することは知っていたが、実際に体験するのは初めてで、酷く落ち着かなかった。これまでは長兄に記憶を封じられていたために生まれ変わっても生まれる前のことを思い出すことはなかった。長兄の魂が失われかけたために記憶を封じていた力が薄れ、自らが生きてきた全ての生の記憶をとり戻したのはこの一つ前の生のことで、老いて死を目前にした頃だった。だからその時は自分が誰なのか迷うことはなかった。ただ少しだけ記憶を取り戻した直後戸惑った、それだけだった。でも今は違う。生まれた瞬間から同じ魂を持って生きた全ての生を覚えているというのは、自分が何者なのかを見失うことだった。人生始まったばかりで見失うというのもおかしい話しだと思うが、まさしくそんな気分だった。何度も生まれてきた中でまともに人生を歩めたのはたった三回。そのたった三回でさえも全く違う人物として全く違う人生を生きてきた記憶が混在するというのはなんともいえない気分だった。どこに標準を合わせればいいのか解らない。記憶を持っているのに新しい人生を歩むというのはいったいどうすればいいのだろう。そんなことを考えているうちにまた意識が遠のいた。

 目覚めては意識が遠のくということを何度も繰り返しているうちにだんだん自分を取り巻く状況が理解できはじめ、とりあえずここを逃げ出さなくてはと思った。意識を集中させ建物の上空に空間転移し、術式を使用し周囲を確認して病院に転移し新生児室の赤子と入れ替わり、そうして自分は杉村(すぎむら)(すず)()になった。自分は杉村涼花になるべく生まれてきた誰かの人生を乗っ取った。

 当初自分が思った以上にそれまでの生の記憶が涼花としての新たな生を生きる邪魔をした。これ以前の人生全てを男として生きてきた自分が今の生では女であることが受け入れがたかった。気がつくと男のように振る舞ってしまう涼花に対し両親はいい顔をしなかった。特に母親はその行動に過剰に反応し、女らしく振る舞うことを強要して常に涼花を監視していた。さすがに四六時中気が抜けないという環境はきつかった。そんな環境での生活は苦痛でしかなかったが、今の自分にはこのまま杉村涼花として人生を全うする以外にどんな選択があるのか解らなかった。

 ふと姿見に映る自分の姿を見て涼花は三郎(さぶろう)が女になったみたいだなと思って苦笑した。自分の魂が最初に生を受けた人物。地上の神と人間の間の子でありターチェの始祖、最初の六人兄弟の四番目である三男の三郎。母親は地上の神の贄として国中の美女の中から選ばれた絶世の美女で、三郎はそんな母親似の美形だった。よく女の子と間違われた幼い頃の三郎に今の自分はよく似ている。三郎だったときは成長と共に身長も伸びて声も低くなり体付きも男性らしくなったが、実際に女の今ではどう成長するのだろう。そんなことを考えて、まず女って何だよと涼花は心の中で悪態をついた。この身体、ターチェの血を引いてるのは確かだけどターチェですらないし。生まれがどう考えても人工的だし。俺はいったい何者なんだよ。このまま人間として生きてくのか?人間として生きてくとしても絶対普通に生きてはいけないだろ。俺は何なんだよ。俺が生まれたあの場所は何のための施設で、俺は何のために作られた?あれで俺は逃げ切れたのか?両親と上手くいってない以外今はとりあえず何もないけど、このまま何もなく普通に生活し続けられるなんてことあるわけないよな。そんな不安を抱えながら涼花は成長していった。


         ○                   ○


 中学生に上がる頃には涼花も女らしく振る舞うことに抵抗がなくなっていた。自分が女であることに相変わらず違和感はあったが、これはこれで都合がいいと思えるようにはなっていた。度の超えた美人というのは得だった。振る舞い方次第で大抵みんな味方にできる。こんなところで女誑しだった時の記憶が役に立つとは思わなかったが、男だった時のように女子に接することで自分に憧れの視線をむけてくる様になる女子を見て、涼花は女も案外美人に弱いんだなと思った。

 中学二年生のある日、涼花は陸上部の練習を呆然と眺めながら今のガキは発育がいいななんて考えて、練習に精を出す女子部員の姿に視線を這わせながら心の中でため息をついた。陸上女子っていいよな。ユニホームから伸びる足が本当エロいと思う。小ぶりで形のいい尻とか最高だよな。本当いい眺めだと思うのにさ、思うのに、何かしたいとか全く思わない。男だったときだったら、もっとこう色々あったじゃん。目の前に自分好みのエロい足があるのに触りたいとかさ、こうなんつうかあの感覚が湧いてこないってどういうことよ。女子はかわいい。試合の時とか黄色い声援送られるのも気持ちいい。なのに、なのにさ、こう色々何かしたいとか思わないってどういうこと?しかも女子の身体には何も反応しないのに男子にはなんかこういかがわしい感情が湧いてくるってどういうことよ。男の裸見て何が楽しいんだよ。どうしてあんなもん見て気恥ずかしくなって動悸とかするんだよ。女子の着替え見ても何も感じないのに男子の着替えに遭遇するとそうなるってどういうこと?おかしいだろ。いや自分は今女だからおかしくないんだけどさ。おかしくはないんだろうけど、だからといって男とどうこうなるとかマジで考えられない。男と自分がいちゃつくとか想像するだけで本当に気持ち悪い。かといって女子とどうこうなりたいとかも思わないし。マジでなんなのこれ。本当、なんでよりにもよって女になんか生まれてきたんだよ。そんな風に涼花はがっつり女子に視線を這わせながら、かなり真剣に思い悩んでいた。

 「お前、中身男だろ。」

 急にそう声を掛けられて、驚いて声の方を向くと自分を見下ろす村上(むらかみ)俊樹(としき)と目が合った。

 「女子の練習見てる視点が完全に男子と同じだぞ。」

 普通にそう言われて涼花はにやっと笑った。

 「いや、陸上やってる女子っていいよね。ユニホームあれだし、足のラインとか尻とか本当いい。」

 男だった時に男同士で話していた感覚で返すと俊樹がどん引きした視線を向けてきて、涼花は妙な安心感を覚えた。今のわたしの発言に幻滅するんじゃなくてどん引きするって、こいつわたしのこと色眼鏡で見てないんだ。そんなことを思ってなんともいえない気持ちになった。

 「女の子にキャーキャー言われるのも楽しいし、こうやって眺めててあの子良い尻してるなとか、エロい足してるなとか思うんだけどさ、何かしたいとは思わないんだよね。それに最近、なんか男子を意識するようになってきてさ。別に誰かを好きとかじゃないんだけど、男子と一緒にいるのが気恥ずかしいというか、妙にドキドキしたりしてさ、自分はやっぱ女なんだなって思ってなんか変な感じがする。」

 つい本音がぽろりと出て涼花は笑ってごまかした。

 「お前、なんで俺にそんなこと言うの?お前のキャラじゃないだろ。」

 今自分を女子として意識したのをごまかそうとしてそう言う俊樹に、涼花はだって村上君わたしのこと嫌いじゃん、わたしの猫かぶりもばれてるしごまかす必要ないかなって、と言って笑った。

 「それに村上君はわたしの素を知ったって皆に言いふらしたりとか、わたしのこと貶めたりしないでしょ?こう見えてわたしも思春期の悩める年頃なんだよ。家でも猫かぶってるし、色々不安もあるし、気を抜きたいときもあるんだ。でも、そんなの人に見せられなくてさ、元々わたしのこと嫌いな村上君にならいいかなって思ったの。」

 嘘とも本当ともつかない話をしてちょっと不安げな様子をつくって見せると、さっきまで少し自分に気持ちが傾きかけていた俊樹の表情が一気に元に戻ってどん引きした視線を向けてきて、涼花は面白くなった。普通普段弱みを見せないこんな美人に弱み見せられたら落ちるだろ。それが逆に警戒して引いてくるとかどういうことだよ。本当、変な奴。そう思って涼花は俊樹に好感を覚えた。

 俊樹と話すようになって涼花は気持ちが楽になった。彼は勘が良く嘘を見破るのが上手かった。だから俊樹といると自分を偽らなくて良くて、変な気を遣わなくても良くて楽だった。涼花にとって俊樹はこの身体に生まれて初めての気心が許せる人物だった。自ずと俊樹とつるむことが増え、沢山他愛のない会話をし、ちょっとした相談もするようになり、涼花はこんな生活も悪くないと思うようになっていった。気がつくと自分の出生とか両親の本当の子供と入れ替わったこととか全部忘れて、気にしないようにして、このまま普通に生きていけたらなんて思うようになっていた。

 俊樹と一緒にいることがすっかり当たり前のようになったある日、涼花はふとした瞬間に俊樹の成長を意識した。初めて会ったときは彼より自分の方が背も高く彼はあんなに線も細かったのに、気がつけば身長は追い越され、彼の体付きはがっしりして声も低くなっていた。俊樹ももうすっかり男だな。そんなことを考えて自分と彼との差を認識して辛くなって、涼花はそれをごまかすために言葉を紡いだ。

 「俊樹の筋肉の付き方って短距離走選手の筋肉の付き方じゃないよね。陸上以外にもなにかしてるの?」

 その問いに俊樹は、まぁ色々と答えた。

 「小さいときから親父にボルタリングとかパルクールとか色々やらされてたんだよ。それがすっかり習慣付いちまって今でも暇なときはやってる。」

 それを聞いて涼花はそうなんだと適当に相づちを打ちながら、本当についこの間まで差なんてそんなになかったのにさと思って、意味のないもやもやが胸の中に広がった。この年になると否が応でも男と女の違いが目についてくる。涼花は自分の手を見つめて、その小ささに、指の細さにため息をついた。筋肉もつきにくいし、余計な贅肉がどんどんついてくるし、月一でくるあれとかなんだよ。本当、女の身体って使い勝手が悪い。胸だってさ、たいした大きさないくせにちゃんと下着つけて押さえておかないと走ったとき揺れて痛いし邪魔だしさ・・・。

 「バカ、何してんだ。やめろよ。」

 俊樹の声がしてふと顔を上げると、耳まで赤くした彼がそっぽを向いていた。涼花はふと自分を顧みて、自分が自分の胸を触っていたことに気がついて、俊樹って初心なんだなと思った。俊樹は普段自分のこと女として意識してないから忘れてたけど、そういやこいつも思春期男子なんだよな。まだガキだし初心で当たり前なのか。

 「何?普段わたしのこと男だとか言っておいてこういうの気にするの?」

 そう言ってからかいながら、俊樹も触ってみたい?とか言って詰め寄ってみる。焦って色々言ってくる俊樹が面白くて涼花は声を立てて笑った。

 「マジでお前性格悪いよな。」

 そう言って不機嫌そうに顔を顰める俊樹に謝って、涼花は微笑んだ。俊樹は他の同年代男子と違う。彼女ほしいとかなんとか、言ってることとかやってることは普通の男子っぽい所も多いけど、妙に現実主義者でしっかりしていて大人びている。

 「なんかあったのか?」

 そう問われて涼花は疑問符を浮かべた。

 「別に何もないならいいけど。」

 さらっとそう言ってそれ以上は言及してこない。どうしてそんなことを訊いてきたのかも言わない。俊樹のこういう所も楽でいい。

 「俊樹はさ、人のこと性格悪いだのなんだの悪態ばっかついてくる癖に何でわたしと一緒にいてくれるの?」

 そう訊くと俊樹は怪訝そうな顔をして、友達だからだろと即答した。

 「わたしのこと嫌いなくせに友達だと思ってたんだ?」

 「嫌いな奴と友達になるわけないだろ。お前みたいな性悪女と付き合いたいとは思わないけど、別に嫌いじゃないぜ。お前頭良くて教えるのも上手いから一緒にいると宿題やテスト勉強はかどるし。案外話も合うし。って、お前は俺のこと友達だと思ってなかったのか?お前にとって俺って何だよ?」

 そう問い返されて涼花はいたずらっぽく笑いながら、おもちゃと答えた。

 「うそうそ、冗談。友達だと思ってるよ。俊樹はわたしの友達だって。」

 本気で苛つき始めた俊樹にそう言って涼花は謝った。


         ○                   ○


 涼花に転機が訪れたのは中学生活も残り少なくなった三年生の時だった。その頃には涼花は自分が女であることを完全に受け入れていた。気がつけば俊樹を目で追うようになって、他の女子と仲良さげに話している姿を見て胸が苦しくなった。男に惚れるなんてどうかしてると、自分の気持ちに気がついた当初は受け入れられなかったが、受け入れられなかったくせに周囲の誤解を否定もせず、公認カップルみたいな扱いを受けて恥ずかしそうに困ったようなふりをして、他の女が彼に近寄らないように画策していた。そんなことをくり返しているうちに嫌でも自分は俊樹のことが好きなんだと認識せざるを得なくなった。バカだと思う。そんなことをしても俊樹が自分に振り向くなんてあり得ないのが解ってるのに、独り占めしたいと思ってしまう。彼といると彼に触れたいと思って、胸が高鳴って、苦しくなった。本当、これじゃまるっきり女みたいじゃないか。いや自分は女なんだ、本当に。完全にわたしは女なんだ。それを受け入れた瞬間、涼花は全身から力が抜けた。普通に生きたい。普通にこのまま生活していたい。普通にさ・・・。人間であることも女であることも受け入れたから、だからこのまま普通の人間の女として生きていたらダメなの?そんなことを考えて涼花の目から涙が流れた。思い通りにならない自分の感情に苛立った。自分が何の目的で作られた何者かも解らない現状で、敵の正体も出方も掴めない現状で警戒を解くなんてありえないと頭では解っているのに、今の平穏がいつまで続くか解らないと理解しているのに。どうしてもこのままの平穏を望んでしまう。そして思うように自分をコントロールできなくて、欲求はどんどん膨らんで、涼花は苦しくなった。

 中学時代だけはわたしに頂戴。俊樹に伝えたそれが精一杯の告白だった。それだけでいい。中学生の間だけ、あと少しの間だけ一緒にいられたなら。そんな望みでさえも軽率なことだと解っていたが、それでも望むことを諦める事ができなかった。これ以上自分が抑えられなくならないように、彼を自分のことに巻き込んでしまわないようにしなくては。そんなことを考えて涼花は進学先に少し離れた街にある女子校を選んだ。

 ある休日のことだった。涼花が日課のランニングをしていると街中で俊樹と小学生くらいの女の子が並んで歩く姿を見かけた。あれが凄くかわいいと噂の俊樹の妹かななんて思いつつ好奇心で近づいて、涼花は凍り付いた。女の子は自分と似ていた。いや、自分と似ているのではない。自分が似ている母親に似ていた。三郎の母親だけじゃなく女の子は小太郎だった時の母親にも似ていた。地上の神への贄にされた絶世の美女だった母親と、強い霊力を持った巫女姫だった母親の面影を持った少女。彼女はいったい何者だ?彼女もわたしと同じであの施設で作られた存在なのか?なら俊樹は?そんなことが頭を巡って、涼花は挨拶だけしてその場を逃げるように去った。それを俊樹が追いかけてきて涼花は苛立った。

 「なんで追ってくるの?」

 立ち止まってそう言うと俊樹が少し不機嫌そうに返してきた。

 「お前の様子がおかしいからだろ。」

 そう言うと俊樹が真剣な目を向けてきて、涼花は黙り込んだ。今は話したくない。ほっといてほしい。そう思うのに、いつもなら言及してこない俊樹がこの時は引かなかった。

 「もしかして香澄(かすみ)はお前の妹なのか?」

 思いがけない質問を投げかけられ涼花は自分は一人っ子だと答えていた。質問の答えに心当たりがないわけではない。でもそんなこと言えるわけがない。状況が全く理解できない。そんな涼花の答えに俊樹は納得しなかった。

 「じゃあなんで香澄のこと見て逃げんだよ。」

 苛立った俊樹の声が聞こえて、別に逃げてない、と彼と同じような調子で涼花は返していた。

 「香澄見て凍り付いてただろ。」

 「噂には聞いてたけど、本当にかわいい子だなって思ってちょっと見とれちゃっただけだって。」

 「涼花!」

 いろいろな事をごまかそうと言葉を紡いでいるとそう俊樹に怒鳴りつけられて、涼花は彼を見て、彼の目の真剣さに苦しくなった。ごまかせない。ごまかさせてくれない。俊樹は本当に勘がいい。

 「香澄は本当の妹じゃない。うちのバカ親父が昔どっかから誘拐してきて、公的書類とかもいじくってうちの子にしたんだ。」

 俊樹のその言葉を聞いて涼花はすっと感情が冷えて、酷く冷静な気分になった。彼が決死の覚悟で秘密を暴露したことは解る。自分に口を割らせるために身を切ったのは解る。でも何も話せない。俊樹が何も知らないのなら、わたしは何も話すわけにはいかない。

 「お前、何隠してんだよ?本当のこと言えよ。俺たち友達だろ?」

 俊樹の言葉が耳に響いて、涼花は俯いて自分の気持ちを整理して覚悟を決めた。

 「もう、わたしと関わらないで。」

 そう言って涼花はその場を走り去った。追いかけてくる俊樹を空間転移でまいて、涼花はため息を吐いた。

 「お姉さん、見つけた。」

 そう声を掛けられて涼花が驚いて声のする方を見ると、俊樹と一緒にいた女の子がそこに立っていた。

 「お姉さん、お兄ちゃんの友達でしょ?お姉さんの声が聞こえたから探しに来ちゃった。」

 わたし香澄っていうのと言ってにこにこ笑顔を向けてくる女の子に、涼花は自分も名乗りつつ、疑問符を浮かべた。

 「お兄ちゃんは信じてくれないんだけど、わたし時々心の声が聞こえるんだ。お姉さんがお兄ちゃんのこと守りたいって言ってる声が聞こえたから、大好きなお兄ちゃん守るならわたしも一緒にやりたいって思ってここに来たの。」

 ねぇ、何からお兄ちゃんのこと守るの?お姉さんは正義の味方なの?今から何するの?次々に質問をぶつけられて涼花はたじろいだ。

 「あ、お話しするなら琴葉行こう。」

 香澄に一方的に話されて一方的に決められて、手をとられて、気がつくと涼花は駅前の喫茶店に入っていた。

 「わたし正義の味方の味方なんだ。凄いんだよ。わたしにできないことはお兄ちゃんができるから、わたし達兄妹そろえば向かうところ敵なしだよ。わたし達が協力すれば百人力だよ。って、お兄ちゃんを守るんだからお兄ちゃんを数に入れちゃダメなのか。」

 香澄は楽しそうにそんなことを言いながら勝手にキッチンに入り込み冷蔵庫を物色してカフェオレを作って涼花に差し出した。

 「そうだ、合い言葉はこれにしよう。お姉さんが助けてほしいときは、ここでカフェオレ注文してね。」

 そう言って笑う香澄からカフェオレを受け取って涼花は微笑み返した。この子は確実に自分と同じ秘密を抱えてる。心の声が聞こえるときがあるってことは、思念系統の能力者なんだろう。自分と同じでターチェの血を引いた肉体にターチェの魂が宿った結果の能力者。人工的に作られた何か。俊樹はまるっきりの部外者だけど、もう既に完全に巻き込まれている。

 「香澄ちゃん。お兄ちゃんを守ろうとしてるのは二人だけの秘密ね。」

 そう言って涼花は香澄と指切りをした。正体のわからない敵に戦いを挑むのはリスクが高い。でも俊樹やこの子の平穏を守るには切り込んでいくしかない。危険に身をさらすのは自分だけでいい。能力は使える。今は感覚がだいぶ鈍っているが、たぶん術式も訓練すれば元通りに使えるようになる。男だった時に比べ身体能力がかなり劣りとても非力なこの肉体でも、そう簡単にやられたりしない。俺はただの非力な女子中学生じゃない。なんてったってこの身体の二個前はターチェが最強の軍事国家龍籠の第一管理棟統括管理官だぞ。元龍籠の軍人がそうやすやす人間に後れをとったりしない。自分にはこの魂が今まで生きてきた全てが詰まってる。その知識がきっと助けになる。そう自分に言い聞かせて涼花は普通の生活を捨て戦いに身を投じる覚悟を決めた。


         ○                   ○


 涼花が清水潔孝(しみずきよたか)と出会ったのは高校に入学してすぐの事だった。彼は涼花が進学した高校の教師だった。初めて彼を見たとき涼花は何か既視感を覚え、彼もまた自分に同じような感覚を抱いているのを見て取ったが、その時は挨拶以外特に言葉を交わすこともなく通り過ぎた。家に帰った後、鏡で自分の姿を見て涼花は彼に覚えた既視感の正体を知った。わたしの目元、清水先生とそっくりだ。毎日見ている自分の顔のパーツにそっくりなパーツを見たらそりゃ既視感を覚えるのも当たり前だ。そう思ったが、なんとなく清水先生が自分に向けていた視線は自分が彼に向けていたものとは違った気がして涼花は気になった。

 高校生活にも慣れてきたある日、涼花は潔孝に呼び止められ生徒指導室へ連れて行かれた。生徒指導教諭である潔孝が生徒を呼び止め生徒指導室へ連れて行くこと自体はおかしい行動ではなかったが、面談をされるような素行不良や校則違反をした記憶がなく、涼花は不審に思った。

 「すまない杉村君。君自身に素行不良や校則違反があってここに連れてきた訳ではなく、急を要する事態でどうしても君に伝えなくてはいけない事があってここに連れてきた。驚かせてしまって申し訳ない。」

 まずそう謝ると潔孝は真剣な目を涼花に向けた。

 「今から私が話すことはとても信じられる事じゃないかもしれないが、真面目にきいてもらいたい。」

 そう前置きをすると潔孝は涼花に身の危険が迫っているから逃げろと言ってきた。

 「私の実家はあの清水製薬を束ねる清水家だ。その事業は医療研究分野を中心に多岐にわたり、最近では死刑制度の代わりに導入された無期懲役刑用の特殊監房で行われている臨床実験を一手に引き受けていることでも知られていると思う。そんなうちの実家だが、そこでは昔から国の後ろ盾を元に表に出ないところで、表に出せないような研究や実験を行ってきた。信じられないかもしれないが、君は清水家の手によって人工的に作られた存在で、君は彼らにとって重要な役割をもっている。最近になって彼らは君の回収を決めた。捕まれば君に待ち受けるのは絶望的な未来だけだ。突拍子もない話だと言うことは解っている。だが信じて逃げてほしい。この国内では絶対的な勢力を持っていても国外に逃げ出してしまえばそうそう手は出せない。君は成績優秀で、全ての言語の基礎となる四大陸語を全てマスターしていたね。新しい身分証や当分の生活に必要な資金など必要なものは全て用意する。手助けできるのは最初だけでその後は自分でなんとかしてもらわなくてはいけないが、このままここにいて捕まるよりはましなはずだ。お願いだ、私を信じて逃げてくれ。」

 その話を聞いたとき、涼花は好機だと思った。自分の記憶を頼りに自分の生まれた施設を探したが、そこは既に閉鎖されていて手がかりは見つけられなかった。話を聞こうと俊樹の父親の行方も追ったが捕まえることができなかった。今まで手がかりを掴むことはできなかったが、あからさまに行動することで敵が食いついてくるのを待っていた。ついにチャンスがやってきたのだと思って涼花は内心武者震いをした。

 「先生はそのわたしを捕まえたがっているっていう清水家の人間なんでしょ?どうしてそんなに必死に逃げろと言ってくるんですか?それこそわたしに家出をさせてそこを捕まえるための罠かもしれないじゃないですか。先生の話が本当だったとしても、先生を信じる根拠が足りません。先生の話を鵜呑みにして逃げるなんてできません。」

 揺さぶりもかねて涼花がそう言うと潔孝は難しい顔をした。

 「君の言っていることはもっともだ。しかし私には私を信じさせるに足りる何かは提示できない。君は思慮深く冷静だ。私が知っている全てを君に話そう。後は君自身で判断してくれ。」

 そう言うと潔孝が、これは私が今の君くらいの歳に妹と撮った写真だと一枚の写真を出してきて、それを見て涼花は驚いた。そこには若かりし頃の潔孝と一緒に自分のよく知った顔が映っていた。

 「妹は君によく似てるだろ?」

 潔孝の声が聞こえて、涼花はこれは自分に似てるんじゃなくて、沙依(さより)沙衣(しょうい)に瓜二つだと思った。最初の兄妹の母親そっくりの整った顔立ちに、母親とは違って大きな胸をした人物。そんなのは最初の兄妹の末っ子の魂を継いで生まれ何故か見た目も末妹そっくりな沙依か、沙依が自分の血肉を使って身代わり人形を作る術式を応用して作り出した彼女の分身の沙衣しかいないと思うのに、確かにそこにはそんな二人にそっくりな人物が写っていて、涼花は意味が解らなかった。

 「清水家の先祖に二百年以上生きた人がいたんだ。その人は人間とターチェという人間と同じ見た目をした不老長寿の生き物の間に生まれた存在だった。清水家は不老長寿の秘密を解明するために、そのご先祖様の遺体を使って研究を続け、俺と妹を作った。俺はそのご先祖様の父親のコピー。そして妹は母親のコピーだ。半分しかない遺伝子情報からどう復元させたのか私には解らないが、清水家はそれを成功させた。ターチェであった母親の複製である妹はそのまま研究材料として出生届けも出されず存在を隠され研究所で育ち、研究に不必要な私はとりあえず清水家の子供として外で育てられた。結局、妹ができたのは奇跡的な成功だった様でその後不老長寿の肉体を持った個体を作ることはできなかった。妹のクローンを作ろうとしても何故だかそれもうまくいかなかった。そのまま不老長寿の研究も進まず、妹のいた施設は襲撃に遭い、唯一の成功個体の妹は誘拐され、結果その研究は頓挫した。」

 潔孝はそこまで話すと少し間を開け、少しだけ考える素振りをしてから話しを続けた。

 「妹が誘拐された後も、清水家は元となったご先祖様の遺体を使って様々な研究を続けていた。そのほとんどが失敗に終わり、研究に使用できるご先祖様の遺体は確実に消費されていった。そこで清水家が考えたのがその代わりとするためにご先祖様のクローンを作ることだった。そうして生まれたのが君だ。そして今清水家が行っている研究にはターチェの血が混ざった君のその遺伝子も必要なんだ。だから奴らは君の回収を決定した。もう既に手回しは始まっているはずだ。最近君の周りでおかしなことはないかい?」

 そう問われて涼花は、そういえば最近両親の様子がおかしいなと思った。

 「奴らは巧妙に人を消す。大騒ぎになってももみ消す力も持っているが、基本的には目立たないように行動を起こす。そのためには時間がかかるから、奴らの準備が整う前に逃げるんだ。」

 そう言われて涼花は、逃げませんよと言った。それを聞いた潔孝の顔が苦しそうに歪む。

 「先生の話しを疑っているからではありません。むしろ先生の話が事実だと思うからこそです。」

 そう言って涼花は潔孝に自分の秘密を打ち明けた。驚いた顔の潔孝と目が合う。

 「先生。今、清水家が行っている研究って何ですか?」

 涼花の問いに潔孝は、超能力者開発と答えた。

 「そのために清水家は、和葉姫(かずのはのひめ)伝説の葛宮(くずのみや)家をはじめ異能家系と言われる家系や伝説に謳われるような能力者の遺伝子をサンプルとして集め、それらを組み合わせて強力な超能力者を作り出しているようだ。大昔から超能力者というのはその能力が強ければ強いほど、能力を使用すればするほど短命だ。しかしそこにターチェの要素が入ることでその課題が払拭され、そのためにはターチェの割合が濃い生きた細胞が必要不可欠らしい。今実験にはかつてわたしの妹から採取された検体が使用されているが、それも数に限りがある。だから奴らは君を捕らえたいんだ。私が調べた詳しい資料データがうちにある。君の役に立つかは解らないが、よかったらそれを君にたくそう。」

 そうして涼花は潔孝からデータを受け取る約束をした。

 約束の日、潔孝の家を訪ねた涼花が見たのは惨殺された潔孝の死体だった。そこには潔孝以外にも死体が転がっていた。それを見た瞬間に涼花は行動を起こしていた。念のためと潔孝から教えられていたバックアップの隠し場所から記録媒体を回収し近くにあったメモ用紙にメッセージを走り書きして、涼花は自身の能力である空間転移を使用し俊樹の部屋へとそれを送る。そしてそれが完了するとほぼ同時に警察がやってきて、涼花は逮捕された。清水先生はこうなることを予測していたのだろうか?あんなメモで俊樹にちゃんと伝わるだろうか?意味が解らなくてもとりあえず逃げてほしい。そう思って、きっと自分に逃げろと言ったときの清水先生は今の自分と同じような気持ちだったんだろうなと涼花は思った。

そして涼花は裁判にかけられ有罪となり、極刑である特殊監房での無期懲役刑が言い渡された。それは本当にあっという間の出来事だった。涼花は始終何も知らず戸惑い、怒り、絶望にうちひしがれる普通の女子高生のふりをし続け、その後、全てを諦めて従順に従うか弱い少女のふりをし続けた。


         ○                   ○


 「お久しぶりです、山邊陽陰(やまなべよういん)。いえ、はじめましてと言うべきでしょうか、杉村涼花。」

 そう声を掛けられて起きあがると、自分のベットの横に見覚えのある女性が立っていて、涼花はようやく来たかと思った。特殊監房送りになってから遠視の術式や自身の能力を使ってずっと敵について調べていた。臨床実験という名の下の何の実験か解らない薬物投与に関しては、能力を使って体内に入る前に別の場所に移して廃棄した。そうやって過ごしながら情報を集め知った敵の規模に、自分一人ではどうにもできない現状を把握し、涼花はダメ元で龍籠に助けを求めることにした。かつて龍籠軍部で第一管理棟統括管理官を務めていた山邊陽陰名義で規定の形式に則った報告書を自分でしかできない方法で龍籠に送ることで、状況を把握するために誰かは派遣されるだろうと想定していた。後はその派遣されてきた人物を懐柔して協力させるだけと思っていたのだが、この人物が来るのは少し想定外だった。救助要請ではなく報告書を送ったのは自分を連れ出してお終いにさせないためだったのに、こいつが相手だと目的通り懐柔するのは難しいかもななんて考えて、涼花は心の中で苦笑した。

 「楓か。ずいぶんと大物が釣れたな。」

 そう言って涼花は薄く笑った。

 「わたしの任務はあくまであなたの正体を明らかにし意思を確認すること。別に助けに来たわけではないので期待しないでください。あなたが現在人間で、龍籠が攻撃を受けたわけでもなく、あくまで人間社会のいざこざであることに我々は積極的に関与しません。軍議でも今まで通りのスタンスでいくと決定が出たとのことです。あなたに戻ってくる意思があるのなら今のあなたが人間だろうと問題ありませんが、あなたに戻ってくる意思がないのならわたしは帰るだけです。」

 無表情で淡々ととそう言う楓に涼花は、お前がそれだけのために来るわけがないだろと言った。

 「そうですね。表向き真面目で誠実な男を装ってその実女をとっかえひっかえしてた女好き足フェチド変態が生まれ変わったら女性だったなんてとても滑稽なので、仕事のついでに笑いに来てあげましたよ。」

全く表情を変えずに変わらず淡々とそう言う楓に涼花は苦笑した。

 「お前まだお前と付き合ってた頃に浮気しまくったこととか、そのせいで俺の浮気相手に突撃されまくったこととか根に持ってるの?俺がそういう男だって知ってて俺と付き合ってたくせに。」

 「別に。初めて付き合った相手があなたではなかったらこんな風にはなっていなかったかもしれないとは思いますが、あなたのおかげでわたしは優秀な諜報員になれましたから問題ありません。普段は好き放題してても女性関係でトラブルにならないように立ち回ってたくせに、自分に惚れた女に恋人がいるからとか言いつつやることやって恋人を口実にふり、相手が誰か問われると誰かは明かさないくせにあからさまに誰か解るような情報流してわざと突撃させるとかいう嫌がらせを散々受けたこととか、そのくせ自分には被害が来ないようにしっかり対処してたこととか、全く根に持ってなんかいないですよ。」

 それを聞いて涼花は笑った。

 「俺に痛手追わせたかったなら大事にすりゃよかっただろ。そうすれば俺の化けの皮はがして俺の評価がた落ちさせられたろうし。大事にしたくなかったならなかったで、成得(なるとく)にでも酷い男に嵌められたって泣きつきゃ上手く処理してもらえただろうに。そういうことしないで自分で全部処理したのはお前だろ。俺は自分守るために対処なんて何もしてないぞ。」

 「よく言いますよ。そのどちらの選択をしても結局はあなたの手の内じゃないですか。どっちを選択しても結果は同じ所に向かって同じような煩わしい思いをさせられるのならそれを回避しようと動くのは当たり前です。わたしの性格を熟知した上でああいうことをしていた癖に、本当に癪にさわります。しかし、あなたのその手腕は高く評価していますよ。あなたとの付き合いは本当に勉強になりました。だから、あなたがわたしに色々仕込んだように今度はわたしがあなたに手取り足取り色々教えてあげましょうか。」

 そう言って楓にそっと押し倒され、それを押し返そうとしたがまったくびくともしなくて涼花は渋い顔をした。

 「本当に滑稽ですね。その身体では昔のようにはいかないでしょ?」

 そう言う楓の顔が近づいてきて涼花は笑った。動きの止まった楓と目が合って相変わらずだなと思う。感情の隠し方は上手くなったが、プライドの高さも気の強さも全く変わってない。本当、見た目も中身も完璧に俺の好みだったんだよな。男だった時ならこのシチュエーション本気で燃えるのに、女になった今はこのシチュエーションに全く興奮しない。そもそもこれをやり込めるから楽しいのに、やり込めたくても全く力で歯が立たないし。そんなことを考えて涼花は残念に思った。

 「今でもそんなに俺に拘ってくれてたなんて嬉しいね。」

 涼花はそう言うと自分から楓の耳元に顔を少し寄せて、お前になら好きにされてもいいよ、と囁いた。それを聞いた楓が手を離して身体を起こす。

 「わたしに何の得もないのにするわけがないでしょ。今のあなたがどれだけ非力なの確かめただけです。」

 その言葉を聞いて、涼花はなんだ残念と言って笑った。

 「あなたのそういう所が本当に嫌いです。」

 全く表情を変えずにそう言う楓に、俺はお前のこと好きだけどなと返した。

 「俺、お前のことは本気だったぞ。」

 「そういう甘言を言ってどれだけの女を誑かしてきたんだか。」

 そう言って一瞥をくれると本題に入りましょかと楓が言ってきて、涼花はつれないなと呟いた。意地でもこっちのペースに持っていかせないようにするあたり本当に変わっていなくて本当にかわいいと思うのに、やっぱりどうこうしたいとかいう感情や欲は全く湧いてこなくて、涼花は心の中でため息をついた。

 「今のわたしに陽陰だったときほどの戦闘能力がないのは実感してるよ。純粋に身体能力じゃ男には敵わないし。実験も兼ねてわたしにいかがわしいことしようとしてきたここの監視官ボコった時だって、結局体術だけじゃたいしたダメージ与えられなくて打撃に術式乗せてどうにか倒した感じだったしね。」

 そうふて腐れたように言って涼花は実際にため息をついた。本当に女の身体は使い勝手が悪いと思う。女であることを受け入れたはずなのに、昔と比べて使い勝手の悪さを感じると、やっぱり男が良かったと思ってしまう自分がいて、涼花は非力な自分が嫌になった。

 「男だった時と同じ感覚で敵を倒そうとしていたら同じような結果がでないのは当たり前でしょ。青木沙依があの第二部特殊部隊で術式も使用せずにあの筋肉バカの男どもと渡り合えているのは、力に頼らず技を磨いているからに他なりません。もちろん彼女は力をつけるための努力も怠っていないので小柄で華奢に見えて実際はかなりの筋肉質ですが、それでも術式を使用できない状況で武器がなければ男を倒すのは難しいと言っていました。それなのに、彼女のような努力をした訳でもなく、沢田透子(さわだとうこ)のように男性と張り合えるような恵まれた体格をもって生まれた訳でもないあなたが正面から男性と張り合って勝てるわけがない。昔みたいな戦い方をしていたら簡単にやられてしまいますよ。」

 そう言う楓に涼花は笑って心配してくれるのか優しいなと言った。

「戦力不足の現状であなたに簡単に戦線離脱されては困るので忠告しているだけです。それに腐っても元龍籠の第一管理棟統括管理官だった人にあまり無様な姿をさらされては困ります。女になった程度で簡単にやられてしまう程度の実力しかない者が、かつて軍の上層部で指揮を執っていたなんて龍籠軍部の恥ですから。」

 楓は相変わらず無表情で淡々と話すので本心がどこにあるのかはわからなかったが、涼花は自分の都合のいいように解釈することにした。元恋人を心配して助けに来たのに素直になれないだけだと思うと萌える。楓に限ってそんなことはありえないけど。そもそも俺のことは多分本気で嫌いだし、俺のためにこんな所に足を運ぶってことがあり得ない。毛の先程の心配くらいはしてくれてるかもしれないけど、こいつが誰かのために動くとしたらあいつのためだけだもんな。

 「で?お前の目的は何?」

 その問いに楓はあなたと同じで清水家の壊滅ですよ、としれっと答えた。

 「あなたは運がいいですね。図らずも我々と目的が同じくなったおかげでわたしや正蔵沙衣といった優秀な人材があなたの助けになるんですから。」

 それを聞いて涼花は苦笑した。情報指令部隊副隊長の楓に医療部隊隊長の沙衣、そんな大物が、しかも第三部特殊部に所属し隠密活動に特化した二人が来てるなんて本気で清水家を壊滅させる気としか思えない。

 「表向きには今まで通り無視を決め込みつつそんな本気で潰しにかかるほどのことをあいつらしたのか?」

 その涼花の疑問に楓は機密事項ですと答えた。

 「青木沙依の未来視で数日後この国全土を大地震が襲う事が解っています。震災が起こる日は偶然にも普段海外に出ている清水の重要人物達も皆この国にそろっているそうです。そして彼らは不運にも震災で命を落とすことになり、清水の持つ主要な施設は崩壊し、研究のデータも検体も全て失って彼らの持つ権力やその機能を全て失うことになるなんて、本当に清水に関わる人たちは運がないですね。」

 それを聞いて涼花は背筋に冷たいものが走った。そんな大規模な作戦、本気で根絶やしにするつもりなのか。龍籠が清水を根絶やしにする理由は何だ?理由によってはその根絶やしの対象に自分も含まれてるんじゃないのか?そんなことを考えて身体を強張らせる涼花に楓が視線を向け相変わらず無表情のままで、安心してくださいあなたのことは殺しませんよと言った。それが信用できたら苦労はない。真偽を量ろうと見据えても何も読み取れない。本当、こういうのは上手くなったな。こんな風に情報開示するなんて俺に精神的負荷を掛けているだけの嫌がらせだ。嫌がらせ以外に意味はないが、しゃれにならないから達が悪い。そう考えて涼花は微笑んだ。

 「どうせ殺されるなら沙衣じゃなくてお前がいい。ちゃんとお前の手で殺してくれよ。」

 そう耳元で囁くと楓がまた、あなたのそういう所が本当に嫌いですと言って資料を取り出した。

 「実際この作戦はそれぞれがそれぞれの目的でばらばらに動いているだけです。多分、全容を把握して状況を操っているのは青木沙依ただ一人ですよ。大震災もそれに合わせて清水の人間がこの国にそろうということも、彼女からの情報のみでわたしたちは何も工作をしていません。ですが彼女がそうなるというならそうなるのでしょう。彼女が関わるといつだってあまりにも彼女に都合良く事が進む。正直、わたしは彼女の能力が起こる事が確定している未来が視えるだけだとはとても思えません。彼女についてあなたなら何か知っているのではないですか?なんて言ったってあなたも彼女と同じ最初の兄弟の一人なんですから。」

 資料を受け取って目を通しつつ涼花は沙依のことを考えた。青木沙依。最初の兄弟の末っ子の生まれ変わり。兄弟の中で唯一長兄に記憶を封じられず、長兄と共謀して何かをしようとしていた存在。甘ったれで泣き虫で自由奔放で天真爛漫だった妹の能力は確かに未来視ではあったと思うが、確定された未来だけが見えるわけではなかったと思う。末姫はこれをしなきゃいけないとかこうしなきゃいけない、今日はどこどこに行ってはいけない、これをしてはいけないと度々言っていた。それは確定されていない未来も視えていたからではないだろうか。でも末姫は自分の能力を自覚してなかったからな。正直、あいつの能力がなんなのかはわからない。ただ、自分たち兄弟の力は元々父である地上の神が大いなる神より地上を治めるために与えられた力だから、地上を治めるのに必要な何かなのだろうとは思う。

 「創造から破滅までの力が姉さんから四郎までの力で、太郎兄さんと末姫の能力は他の四人と毛色が別だからな。太郎兄さんの力が精神支配なら、もしかしたら末姫の力も支配系統の力なのかもな。それが運命を支配する力とかだったら本当にしゃれにならない。そんなことはあり得ないと思うけど。運命が支配できるのに、いくらその後が丸く収まっていいようになったとしても、あれだけ暴言吐かれまくって死にかけるぐらいボコられることをあれだけの期間耐え続けるとかあり得ないだろ。いや、あれだけやられて軍人辞めなかったってあいつやっぱドエムなのか?あいつがああいう不遇な状況に身を置いて心身共に追い詰められるのが好きな変態だって考えるとマジで引くな。」

 涼花がそう言って自分の言ったことに引いていると、それを聞いた楓が、結局何も知らないって事ですねと言ってきた。

 「とりあえずあなたはここにある施設全部に潜入して重要となる機材や補完されている資料などを全て破壊してください。震災が起こるまでの短期間でそれを行うにはあなたに頼ることが最適と判断しました。それを担って頂けるのならその後は好きにしてもらって構いませんし、あなたに渡す武器や道具はそのまま差し上げます。あなたにとっても悪くない条件だと思いますがいかがですか?」

 そう問われ、涼花に断る理由は何もなかった。そもそもこれだけできあがってるなら自分が動くことなんて言われたこと以外ないじゃん。問題は解決されたも同じ。でも自分の冤罪が晴れるわけでも極刑を食らった囚人である事実が変わるわけでもない。問題が解決されたからって普通に生きられるわけじゃない。そんなことを考えて涼花は自分に冤罪を晴らしてやると言ってきた浩文(ひろふみ)の顔を思い出した。自分が病院送りにした監視官の代わりとして赴任してきた監視官。初めて会った時から自分の見た目にころっと騙されて簡単に誑し込まれたチョロい男。下心丸出しなくせに全く手を出してこないし、本気でわたしのことをどうにかしてやろうとか思って必死になってるくそ真面目でバカな男。でも、助けてやると言われて、できもしないくせに何言ってやがると思いつつ、本当に彼が必死に捜査に取り組んでいるのを見て少しだけ嬉しかった。あの愚直さが眩しくて、それに少しだけ心が救われた。清水が消えれば自分が囚われている意味もなくなる。そしたらあいつなら本当にわたしのこと自由の身にできるかもな。そんなことを考えて涼花は少しだけ胸が苦しくなった。

 「楓、一つ頼んでいいか?」

 涼花は楓の返事を待たずに言葉を続けた。

 「木村浩文がこの件に巻き込まれないようにしてやってくれ。」

 それを聞いた楓が自分も手一杯なので確約はできませんがと前置きをして言葉を紡いだ。

 「あなたの腹黒さも含めて事実を伝え警告するくらいならなんとかなるでしょう。その後のことまでは面倒を見ている余裕はないので知りませんが、それくらいのことでしたらしてあげてもいいですよ。」

 涼花はそれで構わないと言って礼を言った。それでいい。いくらあいつがバカでも事実を知って問題の渦中にのこのこ戻ってくるなんて事はしないはずだ。まして熱を上げて必死に助けようとしてた女が自分を騙してただけだって知ったら戻って来るわけがない。

 「ではお互いの同意がとれたと言うことで、詳しい打ち合わせに移りましょう。」

 そうして楓から震災が起こる日時などが伝えられ、涼花は詳細の確認を行いつつ作戦実行に移っていった。


         ○                   ○


 「公には発表されていないのだが、ここ数日テロ事件が多発していてね。おかしなことにその現場でここに収容されているはずの君の姿が確認されているのだよ。これはいったいどういう事なのだろうね?」

 特殊監房の施設長である男にそう問われ、涼花は彼を睨み付けた。

 「他の囚人と同じように薬物投与及び洗脳実験が行われているにも関わらず何故か君の血液からは投与したはずの薬物の数値は検出されず全く実験の効果も見られなかった。それもいったいどうしてなのだろうね?」

 特殊監房の施設長という警察官僚でありながら清水家の研究員であるこの男も抹殺リストに入っている。抹殺は自分の担当ではないが相対している今はチャンスだと思いつつ、涼花は一歩が踏み出せなかった。何かある。こいつもただの人間じゃない。直感がそう言っていた。先ほど自分を捕獲しようと襲ってきたこの男の部下達は、かつてターチェを滅ぼしにかかった特殊な人間と同じように人ならざる力を持っていた。この男も同じような能力を持っているとしたら、洗脳されて指示通りにしか動かない木偶の坊だったこいつらと違ってとてもやっかいだ。自分の足下に転がっている男達を視線に捕らえ涼花は心の中でそう毒づいた。

 「今まで君を生かしていたのは君の生きた細胞が必要だったに他ならないが、君は少々おいたが過ぎた。発現した能力が不明な上に洗脳もできず手のつけられないこんな個体を放置しておくのはリスクが高すぎる。いくら君が特別な個体とはいえ今まで通りとはいかないよ。おとなしく投降して綺麗なまま深い眠りにつき続けるか、抵抗して四肢を奪われ植物状態にされるのかどちらがいいかね?」

 そう言われて涼花は、どちらもお断りだと言って薄く笑った。気を取り直して戦闘態勢を維持する。逃げるのは簡単だが、自分の手の内が知られていないのにあまりおおっぴろに能力も術式も使用したくない。こっちも相手の手の内が解らないのに力で押し切ることができない今の身体で下手に動くわけにはいかない。少しでも相手が動いてくれれば・・・。そんなことを考えていると監房の扉が開き浩文が入ってきて涼花は内心驚いた。入室した浩文ににこやかに挨拶し話しかける施設長と、そんな施設長と普通に会話する浩文を見て、涼花は騙されていたのは自分の方かと思って心の中で苦笑し、浩文も敵の認識の中に入れた。そして、浩文が素早く施設長を掴んで床に叩き付けあっという間に絞めおとす姿を見て涼花は事態を理解することができなかった。

 「とりあえず逃げるぞ。」

 施設長からマスターキーを奪い取った浩文にそう声を掛けられ手を引かれて涼花は戸惑った。こいつは何をしてるんだ?敵じゃなかったのか?何でわたしを連れて出口に向かってるの?

 「浩文さん、なんで?」

 思わず漏れた涼花の問いに浩文は笑って答えた。

 「俺は正義の味方になりたいからさ。」

 何その無駄に爽やかな笑顔、バカじゃないの。浩文の答えを聞いた瞬間涼花はそう思って、お前バカだろと口に出していた。

 「どうみても怪しいのはわたしの方だし、わたしの方が悪役だし、浩文さんはあっち側の人なのに、こんなことして本当バカ。」

 本当にそう思うのに、どうしてだろう凄く嬉しい。わたしが騙してただけだって知ってるんでしょ?わたしが本当はお前が好きな淑やかで気弱なおとなしめの女じゃないって解ってるんでしょ?何でそんなバカみたいに真っ直ぐな目でわたしのこと見てくるのさ。何で今でも本気でわたしを助けたいなんて思ってるのさ。本当、バカでしょ。

 「わたしはここで誰にも干渉されずに動くためにお前を利用してただけで、こうなった以上お前は用済みだ。わたしはまだここでやらなくちゃいけないことがある。だからお前は一人で逃げろ。巻き込んで悪かった。」

 そう言うと涼花は微笑んでそっと浩文の頬に触れた。

 「お前のことは嫌いじゃない。だから無事に逃げ切ってくれ。」

 それが心からの願いだった。そして涼花は能力を使って浩文を龍籠の情報司令部隊隊長の執務室へ送った。それが涼花に思いつく最善の方法だった。成得ならきっと浩文を匿って上手く処理してくれる。かつての同僚に想いを馳せ、涼花は自分がいた監房に仕掛けておいた術式を発動させその場所を破壊した。

 警報が鳴り響く中、涼花は施設内を巡っていた。後はこの施設を破壊すれば自分の役割は終わる。あとここだけ、それがかなりきつかった。超能力者開発の基盤となっているこの施設内には奴らに洗脳され駒になった能力者がごろごろいた。そんな敵と戦いながら広い施設内にいくつもあるポイントを巡り破壊工作を繰り返すのは骨が折れた。

 楓から渡された武器も度重なる戦闘でほとんど使い物にならなくなったし、術式を発動させるために練気を練るのもかなりしんどくなってきた。手足も重い。やばいな、目も霞んできやがった。そんなことを思いながら涼花は施設の最深部、最後のポイントにたどり着いた。やっとのことで資料や検体を処分し機材等に爆破の術式を施して、涼花はその場にへたり込んだ。やばい意識が落ちる前に術式の発動だけはしないと・・・。最後の気力を振り絞って術式を発動させるために練気を送る。わたしはここまでだな。そう思って涼花が意識を手放そうとしたとき、自分の名前を呼ぶ声が聞こえて視界の先で浩文と目が合って、そして白い閃光に包まれた。


         ○                   ○


 「逃げろって言ったのに何で戻ってくるのさ。」

 涼花の問いに浩文はお前を助けたかったからと答えた。それを聞いて涼花は笑った。

 「浩文さんって本当バカ。でもありがとう。」

 術式を発動させたあの一瞬、浩文を確認した涼花は能力を発動してあの場所から脱出した。浩文がいなかったらあのままきっと死んでいたと思う。やればできるじゃん。そう思うと涼花は不思議な気分になった。そういえば最初に生まれた時から生きることに必死になって足掻いたことはなかったなと思う。老衰で死んだ小太郎以外、三郎だった時も陽陰だった時もまだ生きられる可能性があったのに全く足掻かなかった。陽陰だった時なんて、養子とはいえ自分のかわいい娘が治療できる人を探そうと言って必死に縋ってきたのにそれを無駄だと一蹴して、一緒に行こうと言う娘だけを自分の能力で戦火から遠く離れた場所へ転移させて自分はそのまま何もせずに死んでいった。自分は諦めが早すぎるのかもしれないな、そんなことを考えながら涼花は浩文の胸に顔を埋めた。もう起き上がる気力もなかった。浩文の心臓の音が聞こえてきて、生きてるんだなと実感する。生きていたからと言って自分を取り巻く環境の何かが変わるわけではない。でも今は生きていて良かったと思う。

 身体に大きな揺れを感じて涼花は全てが終わったなと思った。目を瞑り、少しだけこれからのことを考えて、涼花はそっと意識を手放した。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ