第二章 村上兄妹編
「お兄ちゃん、セキュリティーの解除終わったよ。復旧まで三十分、頑張って。」
通信機から香澄の声が聞こえて俊樹は時計をセットし建物に潜入した。建物の設計図も目標物がどこにあるのかも頭に入っている。警備員の位置情報が通信機ごしに香澄から伝えられ、それを考慮しつつ慎重にかつ速やかに俊樹は目標物を確保し撤退した。香澄と合流し用意していた衣類に取り替え人混みに紛れ込むと、もう二人はただのそこら辺にいる仲の良い兄妹にしか見えなかった。
「ねぇ、お兄ちゃん。おなか減った。ご飯食べに行こうよ。」
そうやってじゃれついてくる妹を軽くあしらいながら、俊樹は本当にこいつは脳天気だなと思っていた。今自分たちが何を持ってると思ってんだよ。そんな呑気にどっか寄ってる場合じゃないだろ。そう思うが、この脳天気な妹のおかげで自分たちが盗品を運んでるなんて誰も思わないだろうなと俊樹は思った。表向き普通に大学生と高校生をしているこの兄妹の本職は泥棒だった。別に兄妹で始めたのではなく元々家業が泥棒だった。俊樹は物心ついたときには父親から物を盗む技術を仕込まれていたし、妹も気がついたらハッキングの天才に育っていた。どんな厳重なセキュリティーでも難なく解除してしまうし、電子の海に彷徨っているものなら盗めないものはないと豪語する香澄の技術を正直俊樹は理解できなかったが、この妹のおかげで仕事のリスクがかなり減っているのは確かで、泥棒をする上で妹は相棒として欠かせない存在だった。アナログな方法に特化した兄とハイテクな技術に特化した妹、この二人のコンビネーションがあれば盗めないものは何もないと父親は兄妹の能力を絶賛していた。
「二人ともお帰り。荷物を置いたら何か食べるかい?」
喫茶店琴葉に付くとマスターにそう声をかけられ、香澄が諸手を挙げて喜んだ。
「わたし、ナポリタンがいい。マスターの作るナポリタン大好き。」
そうはしゃぐ香澄に、まずは荷物を置いてきてしまいなさいとマスターは声をかけて微笑んだ。それを受けて香澄が荷物を持ってスタッフルームに消えていく。
「俊樹君はいつも通りサンドイッチとコーヒーでいいのかい?」
そう声を掛けられて俊樹は、それでお願いしますと言った。この琴葉という喫茶店は泥棒稼業の本拠地のような場所だった。ここで依頼を受けてここに荷物を運ぶ。それが兄妹の仕事のしかただった。マスターは兄妹の父親である村上辰也の同級生で昔からの仲間だった。
「辰也の奴は非常事態だって言うのに帰ってこないのか?」
マスターにそう声を掛けられて俊樹は、まぁ、いつものことですから、と答えた。俊樹には父親がどこで何をしているのか解らなかった。連絡を取りたくても連絡を取る手段も解らない。学校の何かで必要なときはいつもマスターが代役を務めてくれていた。正直、生きてるのかも解らない。父親が最後に帰ってきたのはもう何年も前だった。昔からたまにふらっと帰ってくるくらいで父親は家にまともに居着いたことがなかった。俊樹が幼い頃からずっとそうだった。俊樹がまともに父親と暮らしていたのは小学生になる前までで、しかも泥棒の技術と家事全般をたたき込まれた記憶しかない。あんな奴いたって役に立たないしいない方がいい。俊樹は心の中でそんなことを思って妹が家に来た時のことを思いだした。
あれは俊樹が小学校低学年の頃だった。俊樹が夜中に物音で目が覚めると父親が帰ってきていた。腕に三、四歳くらいの女の子を抱えて。
その子どうしたの?という俊樹の問いに、父親は満面の笑みで、盗ってきたと答えた。
「俊樹も一人じゃ寂しいだろうしな、かわいい妹をプレゼントだ。ちゃんと公的書類の工作してきたから、正真正銘お前の妹だぞ。ちゃんと世話しろよ。」
バカじゃね。盗ってきたって何?ちゃんと世話しろってペットじゃあるまいし、こいつ本当に何考えてんだよ。そんなことを思いながら俊樹は興味なさげにふーんと言って再び自分の布団に潜り込んだ。翌朝目が覚めて父親が消えて女の子だけが残されているのを見て、俊樹は父親に殺意を覚えたのを覚えている。
物心つく頃には母親はおらず、そしてそんな破天荒な父親に振り回されながら半分放置されて育ったせいか、俊樹は幼い頃から表に出す反応が冷めていた。昔から周囲に大人びてる、しっかりしてて偉い等とよく言われたが、俊樹にはその意味が良くわからなかった。
父親は香澄の出生について何も言わなかった。俊樹も何も聞かなかった。だから俊樹は香澄が清水家がある研究の成果として作り上げ保有していた検体だったなんて、数年前まで知らなかった。よりにもよってあの清水家から検体盗んできて息子に押しつけるとかどんだけハイリスクなことさせてんだよと思ったが、今更香澄を手放す事もできなかった。幼い頃から一緒に育ち面倒を見てきた妹に完全に情が移っていた。俊樹が香澄の出生を知るきっかけになったもう一人の研究所から逃げ出した検体、杉村涼花は、高校教師一家惨殺事件の犯人として濡れ衣を着せられ逮捕され、極刑がくだされ、実質清水家の研究施設である特殊監房に送られた。その事件の際に香澄も酷く注目されてしまった。だからいつ香澄にも同じ事が起こるとも解らないから雲隠れをしたかったのに、何も知らない妹は頑としてこの街を離れたくないと言って聞かず、俊樹は頭を悩ませてハラハラしながら今もこの街で暮らし続けていた。
荷物を置いて戻ってきた香澄が本当においしそうにナポリタンを頬張る姿を見て、俊樹は心の中でため息をついた。本当にこいつは脳天気でいいよなと思う。頭いいけどマジでバカだし。容姿が良く天真爛漫な性格な香澄は幼い頃から周囲にちやほやされて育ったせいか、やたら自信過剰で鼻につく態度も多々あるが、脳天気でバカっぽいおかげでなんとなく許されてきた。そしてなんとなくそのキャラで容認され、なんとなくそのまま放置され続け、なんとなく下世話な話題から守られ純粋培養されたせいで、なんか色々世間からずれてる。泥棒稼業なんかしてるのにそれについても気にせずむしろゲーム感覚で楽しんでいるような様子もあるし、悪いことをしてるという感覚はなくむしろ正義の味方気取りでいるようなところもあるし。確かにやってることは不正のデータ盗んだり盗品を盗み返したりとかだけど、泥棒は泥棒だから。俺たちがやってることは悪いことだからな。俺は泥棒なんてやめたいのに香澄が続けたがるせいで一人でそんな危ないことさせるわけにもいかなくてやめらんないし、本当ヤダ。そんなことを考えて俊樹は妹の将来が心配になった。清水家云々が無くてもこいつ大丈夫なのか?高校生にもなっていまだにお兄ちゃん大好きを公言してるし、まともに彼氏もできなさそうな気がする。ってかそのせいで俺に彼女ができても家に連れてくとすぐフラれるから本当にそろそろ止めてほしい。そんなことを考えて俊樹は心の中でため息をついた。香澄は見た目だけならそこら辺のアイドルやちょっとしたタレントよりはるかに美人だしかわいいもんな。そりゃ比べたら自信なくすのも解るけどさ、別に見た目で付き合ってる訳じゃないし勝手に妹と張り合って勝てる気がしないって俺のこと振るの止めてよ。そこら辺にいる女子で香澄と見た目で張りあえんのなんて涼花くらいだろ。いくら美人でも俺あいつとは絶対付き合いたくないし、あいつ極刑食らってるからもう出てこないだろうけどさ。本当、泥棒家業とかやめて普通に学生やって、普通に彼女作ってイチャイチャしたい。そんなことを考えて、笑いながらマスターと話をする香澄を見て、俊樹は、本当にこいつは気楽でいいよなと思った。
○ ○
俊樹が杉村涼花と出会ったのは中学に入学した時だった。噂になる程の美少女。俊樹は同じ小学校出身の奴からお前の妹よりかわいかったぞと言われて、絶対うちの妹の方がかわいいに決まってると当時思った。実際会った涼花は確かに香澄と張り合えるだけの美少女だとは思ったが、やっぱりうちの妹の方がかわいいと俊樹は思った。そして涼花と香澄が似てることが引っかかった。そっくりとまではいかないけれど、似てる。パーツで見ると似てないけど、全体で見ると似てる。それが妙に引っかかって俊樹は涼花のことをよく見ていた。
俊樹と涼花は同じ陸上部に入部した。小学生の時から大会上位常連の実力者だった俊樹は陸上部顧問の先生に入部を凄く歓迎され、面倒くさいなと思った。元々単純に泥棒する上での逃げ足を鍛えるために始めた陸上。別に記録を残したいとか、勝ちたいとか、そういうものは俊樹には無かった。ただ誰にも捕まらないように早くなりたいと思っていたら、気がつくと短距離走でこの地区一番の選手になっていた。記録に興味も無いし部活に縛られたくもないから特に部活動に力を注いでいるわけでもない公立中学校にそのままあがったのに、余計な期待を持たれても本当に面倒臭いだけだった。
涼花はうちの中学の陸上部内では断トツで早い中距離走の選手だった。地区大会では上位に毎回食い込むがそれ以上の大会ではぎりぎり表彰台には上れない程度の実力。そんな涼花の走りを見て俊樹はイライラした。それは涼花が手を抜いて走っていたからだった。本当はもっと走れるくせにわざと中途半端な成績しか残さない。しかもそれで全力出し切ってる演技してるのが腹が立った。まるで部活に青春捧げてますみたいな態度して、大会で負けると悔しがってみせたり、顧問や他の選手からの激昂を真剣に受け止めるふりをしたり、声援に応えて走ってるように見せかけて記録を出すと諸手を挙げて喜ぶふりをしたり、それが全部演技だと入学当初から涼花を注視していた俊樹には解ったから腹が立った。他にも言動の端々に自分の容姿がいいことを自覚して周囲を都合がいいように操っているようなところが見え隠れして、俊樹はこの女まじで性格悪いなと思った。よく涼花を見ていたせいで周囲からお前も杉村のこと狙ってるのか?と言われることにも腹が立った。誰があんな性悪女に惚れるか。同じ自分の容姿の良さを自覚してるでもうちの妹の方が断然かわいげがある。自分で自分をかわいいとか言っちゃうバカだけど。わがままを断られると、こんな美少女がお願いしてるのに酷い、とか言っちゃう痛い子だけど。まだ小学生だし。わがままだけど聞き分けは悪くないし。脳天気でいつもへらへらしてて、ムードメーカーで、香澄は地元のちょっとしたアイドルみたいなもんだもんな。地元じゃ何やっても香澄ちゃんじゃしょうがないみたいになんか愛嬌だけで許されてるけど、地元一帯からあんなちやほやされて育って、あいつ将来大丈夫か?そんなことを考えて俊樹はため息を吐いた。
俊樹が涼花とまともに会話をしたのは二年生に入ってからだった。夏休み中の練習で休憩しながら他の部員が走ってるところを眺めていた涼花を見て俊樹から話しかけた。
「お前、中身男だろ。」
その言葉に涼花は驚いた顔をして俊樹を見た。
「女子の練習見てる視点が完全に男子と同じだぞ。」
そう言う俊樹に涼花はにやっと笑った。
「いや、陸上やってる女子っていいよね。ユニホームあれだし、足のラインとか尻とか本当いい。」
そう言う涼花を見て俊樹は、うわっこいつガチだ、と思ってちょっと引いた。
「女の子にキャーキャー言われるのも楽しいし、こうやって眺めててあの子良い尻してるなとか、エロい足してるなとか思うんだけどさ、何かしたいとは思わないんだよね。それに最近、なんか男子を意識するようになってきてさ。別に誰かを好きとかじゃないんだけど、男子と一緒にいるのが気恥ずかしいというか、妙にドキドキしたりしてさ、自分はやっぱ女なんだなって思ってなんか変な感じがする。」
困ったようにそう言う涼花を見て俊樹はドキッとした。
「お前、なんで俺にそんなこと言うの?お前のキャラじゃないだろ。」
そう言う俊樹に涼花は、だって村上君わたしのこと嫌いじゃん、わたしの猫かぶりもばれてるしごまかす必要ないかなって、と言って笑った。
「それに村上君はわたしの素を知ったって皆に言いふらしたりとか、わたしのこと貶めたりしないでしょ?こう見えてわたしも思春期の悩める年頃なんだよ。家でも猫かぶってるし、色々不安もあるし、気を抜きたいときもあるんだ。でも、そんなの人に見せられなくてさ、元々わたしのこと嫌いな村上君にならいいかなって思ったの。」
そう不安げに言う涼花を見て俊樹は、うわっこいつまじであざといと思った。さっきはちょっとドキッとしたけど俺は騙されないから。そう思って俊樹がドン引きしていると、涼花がにっと笑った。その笑い方が男子みたいで俊樹はやっぱりこいつ中身男なんじゃね?と思った。
俊樹にとって涼花はずっといけ好かないやつだった。女のくせに自分より女子からモテるし、会話するようになって以来それを自慢してくるようなとこもあったし。関われば関わるほど俊樹には涼花が男にしか見えなくなってきて、気がつけば普通に男友達のように接する関係になっていた。そして周囲からあの二人付き合ってるんじゃないかみたいな噂を立てられて俊樹はイライラした。涼花が肯定も否定もしないけどそれを臭わすようなごまかし方をするせいで噂がまるで真実みたいな話になって定着して俊樹は更にイライラした。
「お前マジで性格悪いな。お前が彼氏ほしくないし振るの面倒だからって俺のこと巻き込むなよ。お前のせいで俺に彼女できなんだけど。」
そう憤る俊樹に涼花は、自分がモテないのわたしのせいにしないでよ、としれっと言った。
「 俺だってそこそこモテるし、俺は彼女ほしいの。でも彼女できないのはお前のせいだろ。俺が彼女作ろうとしたらお前と付き合ってるって噂がつきまとってくるんだよ。二股する気?最低、とかさ。涼花さんと別れてまでわたしなんてそんな自信ないです、とかさ。告白してきてくれる子だってそんな感じだぞ?お前と付き合ってないって噂を否定しても嘘つき呼ばわりだし。これをお前のせいって言わずになんていうんだよ。」
そう言う俊樹に涼花は、わたし俊樹と付き合ってるなんて一言も言ってないし、わたしのせいにされても困る、と言った。それを聞いて俊樹は、周りが勘違いするような言い方わざとしてるくせに、本当こいつ性格悪い、と思った。
「そんなにわたしのせいだって言うなら責任とってわたしが彼女になってあげようか?」
涼花にニヤニヤそう言われて俊樹は絶対に嫌だと即答した。自分が美人なの自覚して人を手玉にとるような性悪女なんて絶対に嫌だ。そもそもお前何歳だよ。絶対中学生じゃないだろ。気がついたらこいつの掌で転がされてるし、本当に同い年とは思えない。何においても全く勝てる気がしない。
「噂が立つのが嫌ならわたしと関わらなければいいのにこうやって友達してるから噂が立つんでしょ?わたし俊樹以外に仲のいい友達いないし、俊樹がわたしのこと女だと思ってなくても、わたし達が異性同士だっていうのは事実だし。皆そういう話し好きだからしかたないじゃん。」
そう言って涼花が笑った。
「まだ中学生だし別に今彼女ができなくてもいいじゃん。どうせわたし達卒業したら離れるんだろうし、そのうち絶対俊樹なら良い彼女ができるよ。俊樹イケメンだし、頭良くて運動神経も良いし、実際はともかく表向きクールだし、本当に良い奴だし。これからもっと背も伸びてかっこよくなってさ、絶対いい男になるよ。そしたらきっと今よりモテモテになって、今彼女いないことなんかどうでもよくなるって。女の見かけに誑かされない眼力もあるから変な女にも騙されなさそうだしね。」
冗談っぽい口調で涼花はそう言って俊樹を見た。
「だからさ、中学時代だけはわたしに頂戴。」
そう言ってからかうように笑う涼花の目が懇願しているように見えて、俊樹は仕方ないなと言っていた。別に絆されたわけじゃない。こいつの演技に騙された訳じゃない。掴み所のないこいつが本当に何を考えてるのか全く解らない。でも、多分自分以外に友達がいないのは本当だと思う。だから仕方がないから中学生の間だけは友達として付き合ってやろうと思った、それだけだ。
俊樹が香澄や涼花の秘密を知ったのは高校生になってしばらく経ってからのことだった。きっかけになったのはまだ中学生だったの頃の休日、香澄と出掛けている時にたまたま街中でランニング中の涼花と会ったことだった。その時、香澄を見た涼花が一瞬凍り付いたのを俊樹は見逃さなかった。そして普通に挨拶をして去って行った涼花を追いかけていた。
「なんで追ってくるの?」
涼花にそう言われて、お前の様子がおかしいからだろと俊樹は言った。
「もしかして香澄はお前の妹なのか?」
俊樹はとっさにそう口走っていた。出生の解らない妹。その妹と似ている涼花。そしてさっきの涼花の様子から考えると俊樹にはそうとしか思えなかった。
「うちには妹はいない。わたしは一人っ子だよ。」
そう言う涼花に俊樹は、じゃあなんで香澄のこと見て逃げんだよと言っていた。
「別に逃げてない。」
「香澄見て凍り付いてただろ。」
「噂には聞いてたけど、本当にかわいい子だなって思ってちょっと見とれちゃっただけだって。」
「涼花!」
ごまかそうとする涼花に俊樹は大声を上げていた。
「香澄は本当の妹じゃない。うちのバカ親父が昔どっかから誘拐してきて、公的書類とかもいじくってうちの子にしたんだ。」
本当なら絶対に口外してはいけない秘密を俊樹は涼花に話していた。
「お前、何隠してんだよ?本当のこと言えよ。俺たち友達だろ?」
俊樹のその言葉を聞いて、涼花はうつむいて黙り込んだ。
「もうわたしと関わらないで。」
涼花の声が冷たく俊樹の耳に響いた。走り去る涼花を追いかけたが、路地を曲がったところで俊樹は彼女を見失ってしまった。関わらないでってどういうことだよ。俺の中学時代くれって言ったのお前だろ。本当お前何を隠してんだよ。何一人で抱えてんだよ。ふざけるなよ。そう思って、行き場のない怒りが俊樹の前身を駆け巡った。
それから涼花は俊樹と話さなくなった。俊樹が話しかけてもさらっとかわされ、いつしか俊樹がフラれて破局したのに涼花につきまとっているという噂が立った。それを受けて、いいかげんにしろとお節介な奴らに言われ俊樹は苛立った。そんなんじゃない。そもそもあいつなんかと付き合ってない。人のこと散々振り回して最後はこれかよ。本当、性格悪いな。あの性悪女本当いい加減にしろ。そんなことを考えて俊樹は苦しくなった。そしてそのままずっとそんな状態が続いて俊樹は涼花とまともに話ができないまま中学校を卒業した。
そして俊樹が高校二年生になったある日、高校教師一家惨殺事件が起き涼花が犯人として捕まったその日、俊樹の机の上に見覚えのない封筒が置かれていた。中には記録媒体と手紙が入っていた。その手紙は涼花から俊樹に宛てたものだった。
『俊樹へ これがわたしと香澄ちゃんの秘密です。逃げて。 涼花』
たったそれだけの内容。何だよこれ。いったいどういうことだよ。逃げろってさ、お前はどこで何してんだよ。そんなことを思った俊樹の耳にリビングからニュースの音声が聞こえてきた。自室から出て香澄が見ていたテレビ画面が目に入る。テレビでは今日起きたばかりの高校教師一家殺害事件を取り上げていた。
『―なお現場に残っていた少女を現行犯逮捕したとのことです。』
事情聴取じゃなくて現行犯逮捕?そんな疑問が俊樹の頭をよぎった。どうしてそのタイミングで個人宅に警察が押し寄せてる?一家全員が死んでるのに個人宅の中で起きた凶行を誰が目撃して、どうやってその子を現行犯で捕まえた?ニュースを見ながら次から次に出てくる疑問、そして今日起きたばかりの事件なのに次々流される犯人の情報。顔や名前はでないものの未成年なのに、確実に個人が特定できてしまうようなそんなニュース。
「涼花・・・。」
俊樹は呟いていた。
「ふざけるな!そんなわけないだろ。」
俊樹は叫んで壁を殴っていた。
「お兄ちゃん?」
驚いて振り向いた香澄と目が合う。涼花からの手紙の内容が頭をよぎって、俊樹は自分の部屋に引き返した。そして記録媒体の中を確認し、俊樹は二人の秘密を知った。
○ ○
香澄が自分専用の端末をいじっていると兄から何してんだ?と声を変えられた。
「チャット?みたいなものかな。知り合いと話してるの。実際に会ったことない人だけど、これのやり方とかコンピューターのこと色々教えてくれた人。会ったことないけど絶対美人なお姉さんだと思うよ。会ってみたいな。」
脳天気にへらへら笑いながらそう言う香澄に、俊樹はふーんと興味なさげに言ってから、ネかまとかもいるし変なのに引っかかるなよ、とだけ注意した。
「引っかからないよ。ネット上の知り合いに会うときはちゃんと身元調査してからにしてるし、わたしだってちゃんと考えてるんだからね。」
そう頬を膨らませて抗議する香澄を一瞥して俊樹は自室に入っていった。それを見て香澄は、お兄ちゃん酷いと思った。絶対信じてない。わたし、お兄ちゃんが思ってるほどバカじゃないもん。お菓子でつられて危ない人についてったりなんかしないんだからね。人のこといつもバカにするけどわたしそんなにバカじゃないから。そう思いつつ香澄はその愚痴を端末の中の相手に伝えた。バカにされたくなければそのバカっぽい話し方を直した方がいいんじゃないですか、なんて相手に言われて香澄は、楓さんも酷い、と思った。そしてふと、そういえば楓さんだけはどこの誰だか何も知らないなと思った。ちょっと気になって聞いてみると、機密です、と答えが返ってきて香澄は笑った。楓の話し方は時々普段聞き慣れない単語が混ざって面白い。香澄が知り得る中で一番のハッカー。普段電子の海に漂ってるものなら盗めないものはないと豪語する香澄もこの人物の情報だけは掴むことができなかった。何度も試してみた事があるが結局何も解らなかった。どこの誰かはもちろんどこらへんにある端末を使用してるのかも全く掴めない。成長した今でもそんな人物がいることに香澄は自分もまだまだだなと思った。
『以前も忠告しましたがわたしについて詮索するのは止めなさい。遊びですむ問題ではありません。粛清対象になりますよ。』
楓にそう釘を刺されて香澄はバレたかと思って笑った。これだけの技術者なのだ、きっと楓さんはどこかの国のスパイとかに違いないと思う。だから楓さんの情報が危険なのは解るけどさ、だって気になるじゃん。それにやっぱり自分の限界に挑戦してみたいし。香澄がそんなことを考えていると
『全く、本当にあなたには思慮が足りませんね。能力はあってもあなたには諜報員の資質はありません。お兄さんの言う通り泥棒なんて足を洗った方が良いんじゃないんですか?早死にしますよ。』
まるで思考を見透かされたように楓にそう言われて香澄はまた笑った。
香澄が楓と初めて遭遇したのは物心がついて暫くした頃、父親から自分用の端末を初めて与えられた時のことだった。幼い頃から香澄にはなんとなく相手の考えていることが解る事があった。初めて自分用の端末を手にしたとき、人の考えていることが解るときと同じような感覚がして、香澄は入れると思った。そして香澄は電子の海にダイブしていた。そう、感覚的にはそんな感じ。実際は手に端末を持ったまま自分は部屋にいて、ちゃんと意識も感覚もそこにある。でも確かに電子の海の中へ自分が入り込んだ感じがした。その感覚が面白くて香澄はよくそれをやって遊んでいた。そんなときに電子の海の中で楓と出会った。
『あまり深く意識をここに置きすぎると身体に戻れなくなりますよ。』
そう声を掛けられて香澄は驚いた。ここで自分以外の人と出会ったのは初めてだった。
『おや、ずいぶんと幼いのですね。能力に覚醒して無自覚に迷い込んでしまったといったところでしょうか。』
その人はそんなことを言って、何かを考えているように香澄は思えた。
『わたしの名前は来栖楓。ここで出会ったのも何かの縁です。あなたに能力の使い方を教えてあげましょう。あなたの名前は?』
それが楓との出会いだった。それ以来楓は香澄の師匠だった。意識とコンピューターをつなげる方法も、意識をちゃんと身体においたまま電子の海を渡る方法も、セキュリティーの解除の仕方も、ほしい情報を探しだすこつも、その他諸々今の香澄が持っている技術は全て楓から教わったものだった。
『香澄。少々お願いしたいことがあるのですがいいですか?』
楓にそう訊かれて、香澄は内容を聞く前にもちろんと返事していた。
『内容を確認する前に了承するとかバカですか。少しは警戒しないとそのうち本当に危ない目に遭いますよ。』
顔は見えないが楓が本当に呆れてため息をついているのが目に浮かんで、香澄は笑った。
『だって楓さんのお願いだもん。わたし何だってきくよ。』
『わたしはこの世で最も信用してはいけない部類の者だと思いますが。あなたのバカさ加減には本当に呆れます。お兄さんに馬鹿にされるのが嫌ならそういう軽率な行動を控えたらどうですか。そのうち自分だけでなくお兄さんも危険な目に遭わせますよ。』
『大丈夫。お兄ちゃんとわたしは運命共同体だから。』
脳天気な香澄の発言に楓はもう呆れ果てて何も言えない様子だった。
『ところでさ、楓さんのお願いって何?』
香澄の問いに楓はそうでしたねと言って内容を伝えた。
『わたしの知り合いがその街に行くので手を貸してあげてください。多分、危険度の高い任務になりますのでいつものように遊び感覚でやっていると本当に命を危険にさらしますよ。』
それを聞いて香澄はやっぱ楓さんはいい人だなと思った。楓の言う通り楓は信用してはいけない部類の人種なんだと香澄は解っていた。きっと危ない人なんだと思う。でも悪い人じゃない。多分、実際に会わないからいい人でいてくれるんだと思うけど、やっぱ会ってみたいな。そんなことを考えながら香澄は、楓の知り合いとの落ち合い場所や日時について打ち合わせをした。
「ねぇ、お兄ちゃん。今から琴葉行こう。」
香澄が俊樹の部屋に向かって声を掛けると中から何で?と声が帰ってきた。
「仕事?」
香澄のその言葉に俊樹が怪訝そうな顔をして部屋から出てきた。
「なんで疑問系なんだよ。連絡が入ったわけじゃねーの?」
そう訊かれて、香澄は少し考えて、じゃあ仕事、と言って笑った。それを一瞥して俊樹が出掛ける支度を始める。支度を終えた兄に飛びついて香澄が、わたしクレープ食べたい、行きでも帰りでも良いからお兄ちゃん買って、と言って俊樹に押しのけられ軽くあしらわれた。お兄ちゃん酷い、と抗議する香澄に俊樹がお前も早く支度してこいと返して、香澄はむくれた。無反応な兄の様子に香澄はぶつぶつ文句を言っていじけながら自分も支度して、連れだって出掛けた。お兄ちゃん酷い。かわいい妹のお願いくらい聞いてくれたっていいのにさ。いっつも人の扱い酷いんだもん。わたしバカじゃないのにバカって言ってくるし、バカ扱いするし、本当酷い。こんな美少女の妹に懐かれてお兄ちゃんが友達から羨ましがられてるの知ってるんだからね。お兄ちゃんだって羨ましがられて満更じゃないくせに、わたしの扱い雑にしてると知らないんだからね。わたしのこと大切にしないと、そのうちお兄ちゃんなんて嫌いになってやるんだから。香澄はそう心の中で悪態をつきながら、ふと兄が進んでいる方向がおかしいことに気がついた。
「お兄ちゃん、方向違うよ?どこ行くの?」
そう訊くと、俊樹がしれっとクレープ食べるんだろ?と言ってきて、香澄はさっきまで鬱々とした気持ちが吹っ飛んだ。お兄ちゃん大好き、と言って飛びつくと、俊樹がくっついてくんなと言って引きはがしてきて、香澄はお兄ちゃん酷いと言いつつにやけた。なんだかんだ言ってお兄ちゃんは優しい。本当、大好き。
「ニヤニヤすんな、気持ち悪い。」
「こんな美少女捕まえて気持ち悪いとか、お兄ちゃんありえない。」
そう言って頬を膨らます妹に俊樹は呆れたような視線を向けた。
「高校生にもなって自分のこと美少女とか言うなよ。マジで痛いぞ。」
そう言われて香澄はだってわたし美少女だもん、と開き直った。高校生のうちはまだ少女でいいと思うんだ。でも、わたしだってそのうち美少女は卒業して美女になるんだからね。そんなことを考えて、香澄は大人になった自分を想像しようとして、うまくできなくて断念した。周りの皆はなんかどんどん変わっていって、なんとなく大人になっていっているんだと感じる。だけど自分は多分全然変わってない。周囲から香澄は全然変わらないねと言われる中にちょっと侮蔑に似た何かがあるのも気がついていた。自分がおかしいのだとなんとなくは解っている。でも、だからといってどうしたら良いのか香澄には解らなかった。周りの皆が恋バナで盛り上がっている中それについて行けない自分がいて香澄はいつも疎外感を覚えた。恋バナを聞くのは好きだったが、誰々が格好良いとか、自分も彼氏ほしいなとか、カップル見て羨ましいとか、その感覚が解らなくて、香澄は誰かいないの?なんて話を振られるといつも、うちのお兄ちゃんがハイスペック過ぎて周りの人がよく見えないと答えていた。とりあえずそう言っておけば皆納得したような反応をしてくれる。お兄ちゃんが言い訳にできるような、頭が良くて運動神経簿抜群で背が高くて皆からイケメンだと言われるようなお兄ちゃんで良かったと思う。友達からそんなんじゃいつまでたっても彼氏ができないよと言われるが、香澄は別に彼氏が欲しいとは思わなかった。別にこのままでいいのに、誰かに恋するのが当たり前みたいに言われて少し辛かった。自分だけ皆において行かれてしまったような感じ。小学生の頃はまだ好きな人の一人いなくても皆と同じでいられたのに、中学生になってだんだん引き離されていって、高校生になって更にその感覚が強くなってきて、香澄は自分だけ置いてけぼりになってしまっている気がしてしかたがなかった。
二人が琴葉につくと、マスターが親しげに男性と話していた。二人に気がついたマスターがにこやかにいらっしゃいと言ってくる。マスターの視線を受けて男性も振り返り、男性は一瞬驚いたような顔をした。マスターが男性に兄妹を、辰也の子供達だよと紹介して、男性が感慨深そうにしていた。
「お父さんやマスターの知り合い?」
香澄がそう訊くと、マスターはいたずらっぽく笑いながら、俺たちの高校生の時の担任だよ、と答えた。
「え?うそ。マスターが高校生の時の担任ならもう相当おじいちゃんじゃん。全然見えない。」
全身で驚きを表現する香澄の横で、俊樹が無反応で挨拶し、男性は優しく微笑んだ。
「はじめまして。俺は政木忠次。確かにこいつが高校生の時の担任だけど、年は同い年だよ。」
忠次のその言葉にマスターが付け足した。
「忠次は俺らの世代じゃ知らない奴がいないくらい有名人だったんだけどな。十三歳で博士課程を修了した天才。研究で成果も出して期待されてたのに、十五の時に突然学者の道は止めて高校教師になった変人。新任挨拶で、好みの女性のタイプ語りだすとか奇行でも有名で、教師続けてた間はこの辺じゃ知らない奴がいないくらい変人教師として知れ渡ってたんだけど。香澄ちゃん達世代はもうこいつのこと知らないのか、なんか時代を感じるな。」
マスターと同い年だとしても忠次はずいぶんと若く見えて、香澄は今のアンチエイジングの技術って凄いんだなと感心した。六十近いはずの人がせいぜい三十代くらいにしか見えない。そしてマスターの話しになんか聞き覚えがあって、香澄は端末で政木忠次を検索した。意識を端末の中に入れて検索しているうちに、忠次に自己紹介していた兄から、お前もちゃんと挨拶しろと怒られて、香澄は空返事で挨拶した。
「政木さんって、うちの学校の伝説の変態だ。」
急に大きな声を出した香澄に、その場にいた全員が視線を向けた。
「どっかで聞き覚えがあるなって思ったら、昔うちの高校にいたっていう変態教師じゃん。先生紹介の挨拶でロリコン公言して、女子生徒漁ってたっていう。それで、好みのど真ん中の子見つけてホームルームで公開告白してフラれたのに付きまとった挙げ句、引っ越して転校した彼女を教師辞めてまで追っかけてストーカーしたって噂のその人だ。」
香澄のその言葉に忠次は、そんな話になってるのか、と苦笑いした。ねぇねぇ本当なの?と問い詰める香澄に、忠次は大筋は合ってるけど根本的に間違ってると答え、追求してくる香澄に、君はそういう話しに関心が強い年頃なんだね、と言って笑った。それを聞いて疑問符を浮かべる香澄に忠次は優しく微笑んだ。
「俺は生徒を物色した事なんかない。彼女は生徒の保護者だった。色々事情があって独り身だった彼女が突然ある生徒の保護者になって、ある日忘れ物を届けに学校に来てそこで出会って一目惚れした。出会った瞬間この人だって思って俺は彼女のことしか考えられなくなった。あれが俺の初恋だった。俺は初めての恋に戸惑って、自分が制御できなくて、教師として間違ったことを沢山してしまった。その一つが公開告白だな。その後、両思いにはなれたが色々事情があって離れることになって一度は諦めようと思ったが、結局諦めきれなくて必死に彼女と一緒になる方法を模索して、追いかけて、それで俺は彼女と夫婦になることができた。」
そう言う忠次の顔が酷く懐かしそうで幸せそうで、香澄はなんだか温かい気持ちになった。
「凄い、素敵。運命の出会いってやつだね。なんか小説とかドラマみたい。」
そんなことをキャーキャー言いながら、香澄はふと疑問に思って、政木さんの初恋って何歳の時の話しなの?と訊いた。二十五の時だな、と答えが返ってきて、本当にそれが初恋なの?それまで良いなって思う人いなかったの?等と問い詰めて、忠次にそれまではなかったな、強いて言うなら彼女と出会う前からずっと夢に彼女が出てきててずっと彼女に恋してた、と言われて、ますますドラマみたいだと香澄は思った。初恋が二十五歳か、じゃあ自分は初恋がまだでも大丈夫だななんて考えて、香澄は良くわからない自信がついた。周囲みたいに日常的な恋は良くわからないけど、忠次のようなドラマみたいな恋には憧れる。自分だっていつか運命の人と出会って結婚するんだ、なんて考えて香澄はにやけた。
「ねぇ、政木さんはそんな運命的な恋をして、結婚して、今幸せ?」
そう訊く香澄に忠次は、少し寂しそうな、悲しそうな、なんとも言えない顔をして、幸せだよと答えた。
「彼女と一緒になれて、一緒になって久しい今でも彼女を愛してるし、そんな彼女に愛されてると実感できて俺は本当に幸せ者だよ。」
そう言う忠次が本当にそう思っているように感じるのに、どこか辛そうに見えて香澄は疑問符を浮かべた。そしてふと楓が言っていた人物がこの人な気がした。そうだ、楓さんは今の時間に知り合いが琴葉にいるからここで会えって言ってた。それに名字は違うけど名前は同じだ。
「もしかして政木さんって、旧姓が政木なの?今は正蔵って名字じゃない?」
香澄の問いに忠次が驚いたような顔をした。それを見て香澄は、やっぱりこの人が楓さんの知り合いだと思った。漁った結果、忠次の情報は古い情報ならいくらでも出てきたが、ここ二十数年の情報はほとんどなかった。消息不明で死亡扱いされない程度に公の記録が更新されている程度。彼が嘘をついているようには思えないが、公式な記録の上では結婚した事実もなく彼は政木忠次のままだった。そんな事情からも彼がただ者ではないことが解る。彼が楓の知り合いならそれも納得だった。
「楓さんからあなたの手助けをしてあげてほしいって言われてここに来たの。正蔵忠次って男の人がこの時間に琴葉にいるって、楓さんの名前を出せば解るからって言われた。」
それを聞いて、少し前まで柔和な笑顔で話していた忠次の表情が険しいものに変わった。
「辰也は、自分の子供にあんな危ないことさせてるのか?」
怒気を含んだその問いに、マスターが実力は辰也と俺より二人の方が上だと答え、忠次が、そう言う問題じゃない、と怒鳴ってテーブルを叩いた。
「お前らが自分の責任でごっこ遊びをするのは構わないが子供を巻き込むな。どれだけ危険なことをさせてるのか解ってるのか?いったいいつからやらせてる?子供の人生をなんだと思ってるんだ。自分のエゴに付き合わせてこいつらの将来がめちゃくちゃになったらどうする?へたをすれば命の危険だってあるんだぞ。そんなことを子供にやらせるんじゃない。」
静かに怒気を含んだ声で忠次はそう言ってマスターを睨み付けていた。間に入ろうとして、口を出すな、と一括されて香澄はむっとした。
「口を出すなって、わたしのことでしょ。マスターを怒るのは筋違いじゃん。別に強制されてる訳じゃないし、悪い人の悪事を暴く正義の味方をするのの何がいけないの?危ないのは解ってるけど、それでもわたしは好きでしてるんだよ。」
そう言う香澄をまっすぐ見つめて忠次は口を開いた。
「自分のことに自分で責任がとれないうちは大口を叩くな。君はまだ学生だろ?なら今は勉学に励みながら色々社会勉強をすべきだ。その上で父親と同じ必要悪としての道を進みたいと考えるなら止めはしない。しかし、まだ善悪の判断もままならない子供のうちからこんなことに従事しその価値観で染め上がってしまうことには問題がある。君がどんなに正義を語ろうと君がやっていることは犯罪であり許されることじゃない。それすら解らない子供が大人の話に口を挟むな。」
そう言われて反論しようとする香澄に忠次は更なる追撃をした。
「楓さんはこの国の常識が解からないし実力があれば年齢は問わないだろうが、俺は違う。君のような子供を巻き込むつもりはない。」
そう言われて香澄は俯いた。何この人?人の話聞かないで、子供扱いして馬鹿にして。わたしこの人嫌い。そう思って香澄は腹が立った。
「いくら楓さんの頼みでも、あなたなんかに絶対協力なんかしてあげないから。後で泣きついてきても知らないからね。わたし以上のハッカーなんていないんだから。」
そう言ってプンプンしながら香澄は琴葉を後にした。そんな妹の後ろ姿を見送って、俊樹はため息をついた。横ではマスターが忠次に、あんな言い方するなんてお前らしくないな、なんて言って、忠次が神妙な顔をしていた。
「あの子だけは巻き込むわけにはいかない。」
そろそろ香澄を追いかけてなんか機嫌とってやるか、なんて考えていた俊樹の耳に忠次の言葉が聞こえてきて、俊樹は思わず忠次を見返した。俊樹と目が合って忠次がなんとも言えない顔で笑った。
「お前は何か知ってるんだな?」
そう問われて俊樹は何も答えなかった。
「お前とあの子は兄妹じゃないな?」
そう訊かれて俊樹は黙り込んだ。
「香澄君は俺の妻に面影がよく似てる。あの子は清水家が人工的に作った何かなんだろ?」
忠次はそう言って遠い目をした。
「俺は清水家の手で作られた天才だ。俺は天才とはどのように作られるのかという研究テーマで作られた検体の一つで、俺を構成する全ては人工的に作られた。俺の妻は本人が認識していなかったところで清水家に研究対象にされ、それを知ったとき妻は清水家の行った非人道的な研究・実験を自分のせいだと思い詰めて自殺までしようとした。」
そう言って忠次は少し間を置いて、俊樹を真剣な瞳でまっすぐ見つめた。
「俺は全てを清算するためにこの街に戻ってきた。これが何を意味しているのか解るな?妹を絶対に俺に関わらせるな。」
それを聞いて俊樹は少し考えて記録媒体をとりだして忠次に差し出した。それは涼花から俊樹宛に送られた記録媒体だった。こんなものを持っていること自体危険なことは解っていた。でも俊樹はそれを処分することができなかった。そして、香澄の目に触れないようにずっと肌身離さず持ち続けていた。その中には清水家が行っている研究データが入っている。多分これから清水家に喧嘩を売るこの男にはこれが必要だ。そう考えて俊樹はそれを忠次に渡した。
「俺には必要のないものだ。」
記録媒体を受け取って疑問符を浮かべる忠次にそれだけ言って、俊樹も琴葉を後にした。
○ ○
『もー、あの人本当に信じらんない。わたしあの人嫌い。楓さんのお願いでもわたしあの人には絶対協力しない。』
電子世界でそう愚痴る香澄に楓は、彼が協力を断るのは想定内です、と言った。
『香澄。彼に協力しなくても良いのでわたしに協力してください。気が向いたときだけで良いので彼の追跡をお願いしても良いでしょうか?』
そう言われて香澄は了承した。それくらいお安いご用だよ。何ならあの人のしようとしてること邪魔しよっか、なんて言って楓に止められた。
『余計なことはしないでください。あの人が何処で何をしているのか解れば充分です。彼に余計なことをされてどっかの誰かさんの心労がかさんで、どっかの誰かさんの仕事効率が下がったら迷惑なので、彼には何事もなく無事に帰ってきてもらわないと困ります。そのためのフォローができるように準備が必要なので状況が知りたいだけです。わたしもあの人に張り付いていられるほど暇ではないのであなたにその仕事を依頼している次第です。全く余計な仕事を増やしてくれていい迷惑です。』
楓のその言葉を聞いて香澄は笑った。やっぱ楓さんは面白い。文句を言いつつ誰かを気遣ってる楓さんはやっぱ優しいな、なんて思いつつ香澄は、楓さんはそのどっかの誰かさんが好きなのかな?なんて考えてニヤニヤした。そうしていると俊樹が帰ってきて香澄は意識を現実世界に戻した。
「お兄ちゃん遅かったね。あの人と話ししてたの?」
そんなことを訊く香澄に俊樹が別にと言いながら袋を渡してきて香澄は疑問符を浮かべた。中を覗くと好きなお店の焼きプリンが入っていて香澄はテンションが上がった。さっそくスプーンを持ってきて食べながら、頬が緩む。本当おいしい。わたしの好物買ってきてくれるとか本当お兄ちゃん大好き。そんなことを考えながら焼きプリンを味わって食べていると、俊樹にお前は本当脳天気で良いなと言われ、香澄は疑問符を浮かべた。
「お前は腹が立ったかもしれないけどあの人の言ってたことはもっともだからな。俺たちのやってることは犯罪だし、危険もつきもので遊び感覚でやるようなものじゃない。俺は本当は足を洗って普通の生活がしたいけど、お前一人に危ないことをさせるわけにも行かないから付き合ってるだけだ。ずっとこれを続けるってことは将来俺たちが結婚して家庭を築いた時、奥さんや、旦那、子供達を危険に巻き込むって事だぞ。お前も高校生にもなったんだからそろそろ正義の味方ごっこはやめにして真面目に将来を考えた方が良いんじゃないか?」
そう兄に言われて香澄は気が沈んだ。そんなことを言われたからせっかくの大好きな焼きプリンがおいしくなくなってしまった。
「だからってお兄ちゃんは悪い事をそのまま許しておくの?自分たちならどうにかできる事があってもそれに目を瞑って見ないことにするの?お父さんが泥棒始めたのだってさ、そういうことを見て見ぬふりをしないで一矢報いてやるみたいな理由からでしょ?わたし、だからお父さんのことかっこいいと思うよ。自分の安全とか安心より正しいことを貫いてやろうって凄くかっこいいと思う。わたしそんなお父さんに憧れたからお父さんみたいな泥棒になりたくてやってるんだから。」
そう言う香澄を一瞥して、俊樹は俺はあんなくそ親父嫌いだと言って自室に戻っていった。それを見送って香澄はなんとも言えない気持ちになった。兄が父のことを嫌っているのは知っていた。自分と違って泥棒を嫌々やっていることも。でもさ、それでもお父さんはお父さんだし、わたし達のしてる事は必要悪だよ。それを始めたお父さんはやっぱりかっこいいし、お兄ちゃんはさ、なんでそんなにお父さんのこと嫌いなの?そんなことを考えて香澄は辛くなった。兄が買ってきてくれた焼きプリンをもう一つ開けて食べる。おいしい。でも、何か味気ない。
「お兄ちゃん、一緒にプリン食べない?」
兄の部屋を覗いてそう声を掛けてみるが、いらないと素っ気なく言われ香澄は気落ちした。
「お兄ちゃん、いつもありがとう。大好き。」
しょぼくれてそう言うと高校生にもなってお兄ちゃん大好きはやめろ、と言われて香澄は更に気落ちした。こんなにかわいい妹がしおらしくしてるのにお兄ちゃん酷い、といつも通りの悪態を心の中でついてみるが、いつも通りの気分にはならなかった。お兄ちゃん本当に怒ってる。いつもはすぐ許してくれるのに今日は許してくれない。本気で足洗えって言ってる。それでも勝手に仕事引き受けてやってたら助けてくれるんだろうけどさ、このまま本当に見捨てられちゃったらどうしよう。そんなことを考えていたら涙が出てきて、香澄はしゃくり上げた。
「なんで泣くんだよ?一緒にプリン食えば良いんだろ?解ったから、一緒に食べるから、泣くなって。」
振り向いて慌ててそう言ってくる兄がおかしくて香澄は笑った。やっぱお兄ちゃん大好き。そう思ってへらへら笑う香澄を見て俊樹がため息をついた。リビングで一緒に焼きプリンを食べながら、おいしいね、なんて言ってくっつくと押しのけてくる。そうされて、もう怒ってないな、いつものお兄ちゃんだなと思って香澄は安心した。お兄ちゃんに見放されるのは嫌だ。でもお父さんから継いだ仕事も辞めたくない。だってお父さんはもう帰ってこない。お兄ちゃんは知らないだろうけど、わたしはずっとお父さんの消息を追っていた。離れていてもずっとお父さんがどこで何をしてるのか知っていた。でも、自分にもお父さんの消息がつかめなくなって三年。お父さんはきっともう生きてない。そんなことを考えて香澄は胸が苦しくなった。お兄ちゃん、お兄ちゃんはお父さんのこと嫌いかもしれないけど、わたしにとってお父さんはヒーローなんだよ。お兄ちゃんは知らないかもしれないけど、わたしお兄ちゃんの本当の妹じゃないんだ。小さすぎて良く覚えてないけど、お父さんがわたしを助けてくれた時のこと覚えてる。うちの娘になるかってお父さんが抱き上げてくれたのちゃんと覚えてる。大きくなってから知ったことだけど、わたし清水家に作られた検体なんだ。だからわたしを盗んだお父さんも、わたしと一緒にいるお兄ちゃんも、危ないんだよ。お父さんはわたし達が普通に生きていけるようにどうにかしようと清水家のことを探ってたからうちにほとんど帰ってこなかったんだよ。どんなにお兄ちゃんが普通に生きたいって思ったって、あれと戦って勝たないとわたし達は普通になんて生きていけない。だから、お父さんと志を同じにした仲間の助けになるようにわたし達は泥棒を続けるしかないんだよ。それにわたしはお父さんの代わりにお父さんの仲間の助けになりたいんだ。心の中でそう兄に語りかけて香澄は笑った。
「お兄ちゃんは嫌いかもしれないけど、お父さんはわたしのヒーローなんだ。だからさ、少しだけでいいからお父さんのこと好きになってよ。大好きなお兄ちゃんが、大好きなお父さんの事嫌いなのわたしヤダ。」
香澄がそう言うと俊樹は渋い顔をした。
○ ○
ある日俊樹は忠次に呼び出されて指定された場所で落ち合った。神妙な顔をした忠次に頼みたいことがあると言われ、自分が彼に渡した記録媒体を渡されて俊樹は怪訝な顔をした。
「それには俺が調べた情報とメッセージが追加されている。もし俺を追って誰かが訪ねてくるか、清水家の悪事をなんとかしたいって誰かが現れたらそれを渡してくれ。」
そう言う忠次の意図が掴みきれなくて、俊樹はあんたはこれからどうするんだ?と訪ねた。とりあえず姿をくらますかなと言う忠次が死を覚悟しているように見えて俊樹は息をのんだ。普通に生きていたらこんな顔を拝む事なんてない。いったいこの男は何をしにどこに行くつもりなんだろうと考えて、俊樹はふと父親の顔を思い出した。そういえばあのバカ親父が最後に出掛けるときもこんな顔をしていた。いつも通りの軽い調子でちょっと出掛けててくるなんて言いつつその目は何かを覚悟したように真剣だった。それを見て少し心がざわめいたのを覚えている。
「時間があるなら少し話しできないか?」
俊樹はそう口に出していて、自分で驚いた。
「親父のこと聞かせてほしいんだ。あいつほとんど家に寄りつかないし、今だってどこでなにしてんだか解らないし、俺あいつのことよく知らなくてさ。あいつのこと知りたいんだ。」
そう言う俊樹に忠次は優しく笑いかけた。
「あいつは本当にバカだったよ。同い年って言っても俺は教師で、特例で成人扱いされてたからあいつらと同じようにバカするわけにはいかなかったのに、そんなこと知ったこっちゃないで振り回されてな。おかげで俺は楽しい青春って気分を味わうことができた。何度教師じゃなくて同じ学生として一緒に過ごしたいと思ったか解らない。破天荒で脳天気で、正義感が強くて、正直あいつに影響を受けたことも多い。あいつらと過ごした時間は本当に楽しかった。俺にとって君の父親は青春の象徴だ。」
それを聞いて俊樹は親父らしいなと思った。
「君らがやっている事はあいつらが俺の教え子だった頃に辰也が、悪いことしてるやつが偉そうにしてるのが腹が立つからちょっと鼻明かしてやろうぜ、なんて言い出して始めた事なんだ。辰也は頭悪そうに見えてよく考えてるやつだった。天才なんて言われて周りから深く考えてるように思われつつ、実際はろくに何も考えないで何でも感覚でこなしてた俺とは真逆だったな。本当に良いやつだったよ。」
そう懐かしそうに目を細める忠次を見て俊樹はなんとも言えない気持ちになった。あのバカ親父の話しをするとき大抵みんな同じようなことを言う。破天荒で脳天気で正義感が強くて良いやつ。血がつながってないのに香澄の方が中身は父親に似てると思うくらい、香澄とよく似たバカさを持った父親。いつも脳天気にへらへら笑って、軽口叩いて、ふらふらしてて・・・。いったいどこで何してんだよ。周りからしたら良いやつでも、子供からしたらお前なんて全然良い父親じゃないからな。そう心の中で悪態をつきつつ、自分も本当は父親が嫌いではないのだと実感して俊樹は苦しくなった。
「もしどっかでくそ親父に会ったらとっとと帰ってこいって伝えといてくれ。俺も妹も待ってるって。」
忠次にそう伝えて俊樹はその場を後にした。頼りたいときに頼れない父親なんて本当にくそだ。そのせいで俺がどんだけ苦労したと思ってんだ。でも、親の代わりになってくれる存在がいつだって側にいた。きっと父親はマスターや近所の人たちが自分達子供を助けてくれると信頼して留守にしてるのだと解る。多分、自分たちのことを頼んでいなくなってるのだと解る。でもさ、だからって俺達の親はあんただろ。いくら代わりになってくれる存在がいたってさ、俺達の父親はあんた以外いないんだからな。いつまでも子供ほっぽらかしてふらふらしてんじゃねぇよ。香澄だってあんたが戻ってくるのずっと待ってんだぞ。とっとと帰ってこい。そんな事を考えて俊樹は泣きたくなった。音信不通になって三年。流石にこれだけ長く留守にしたことはない。それに最後に家を出たときのあの顔。きっと親父はもう・・・。そんな事を考えて、俊樹はもう香澄の前で父親を悪く言うのはやめようと思った。
○ ○
「香澄ちゃん、君にお客さんみたい。とりあえず奥の席に行ってもらったから。」
学校が終わってバイトのために琴葉につくとマスターからそう言われて、香澄は疑問符を浮かべた。
「ほら、前にカフェオレ注文する人がいたらわたしのお客さんだからって言ってたろ?カフェオレ注文してきた人がいるんだよ。ただ誰かに頼まれたって言ってたから、君の知り合いじゃないのかもしれないけど。」
そう言われて香澄は納得した。そう、カフェオレを頼む人はわたしのお客さんだ。でもその人はもうここにはこれない。いったい誰だろう?そんなことを考えつつ、香澄は仕事着に着替えて奥の席に向かった。座っていた男性がじっと自分を見てきて香澄は首をかしげた。知らない人だ。何だろこの感じ?なんか観察されてるみたい。わたしがかわいいからじろじろ見てくる人も結構いるけど、この人そんな感じじゃないな。そんなことを考えながら香澄は男性に話しかけた。
「わたしがかわいいからってあんまりじろじろ見るのはダメだよ、お兄さん。」
笑いながらそう言うと男性が普通に謝ってきて、香澄は不思議な気分になった。この人わたしに全く反応しない。わたしが笑いかけると大抵の人は照れるのに。男の人なら特に。香澄はそんなことを考えて、ちょっといたずら心が出てきた。少し話しができないか訊いてくる男性に、いたずらっぽく笑って、もしかしてナンパ?なんて訊いてみる。そうすると男性が機嫌悪そうな顔をしてとても不機嫌そうな声でナンパじゃないと言ってきて、香澄は面白くなって残念と言って笑った。
「お兄さんかっこいいから、付き合ってあげてもよかったのに。」
そう言うと男性が不機嫌そうな顔を更に不機嫌そうにさせて、大人をからかうんじゃないと言ってきて、香澄は謝った。こんな美少女にこんなこと言われて嫌がるなんて変なの。大人の男の人でも同年代の男子と同じような視線向けてくる人結構いるのに、この人本当にわたしのことそういう対象に見てないんだ、真面目なんだな。そんなことを考えて香澄は面白くなって笑って自己紹介をした。
「俺は木村浩文だ。涼花に何か欲しいものあるか聞いたらここのカフェオレがいいって言うから買いに来たんだけど、君が友人にしか出してないと聞いてちょっと話しがしたいと思ったんだ。彼女は今自由にできないから、友達の近況とか聞けたら少しは気が和むんじゃないかと思ってさ。」
そう言う浩文を見て香澄は、この人はどういう人だろう?と思った。涼花は清水家の策略により冤罪で捕まって極刑の判決を受け特殊監房送りになった。涼花のことも、カフェオレを頼めば自分と接触できる事も知っている。様子を見る限り清水家の関係者ではないと思うけど警戒しておいた方が良いかもしれない。もしかしたら自分の正体を探りに来たのかもしれないし、知ってて何か仕掛けようとしてるのかもしれないし。そんな事を考えて香澄は当たり障りのない会話をした。
バイトを終えて帰宅してから香澄は浩文について調べた。へー、あの人警察官なんだ。涼花さんの監房の監視官か、それでね。ってことは涼花さんのお使いで来たっていうの本当なのかな?でもあそこの監視官だし信用しちゃダメだよね。そんなことを考えながら、更に細かく調べていく。高卒警官で、警察学校首席卒業の秀才なのに全然出世できてないとか笑える。何この厳重注意と始末書処分、謹慎、減俸処分の数。すっごくダメな人だ。そんなに悪い人に見えなかったけど何でこんなに処分受けてるんだろ?そんなことを思って香澄はよりセキュリティーの高い警察の機密データにまで侵入して情報を集めた。
「うわっ。この人凄い。正義の味方みたい。」
思わずそう声を上げて、俊樹に怪訝そうな顔をされて香澄は笑ってごまかした。処分を食らった数だけ浩文は警察組織に打撃を与えるようなことをしていた。隠蔽工作を暴いたり、事件解決の報道が全国にされた後の事件の真相をひっくり返したり、色々。その中には香澄の知ってる事件もあって、あれこの人の仕業だったんだなんて考えて感心した。そんなことを繰り返しての追い出し部屋としての特殊監房送り。そして彼は運良く前任者が病院送りになって監視官の席が空いていた涼花の監房の監視官になった。凄い凄い、本当にこんな人いるんだ。そんな警察官、ドラマとか小説の中だけだと思ってた。浩文さんかっこいい。そんなことを考えて香澄はもっと浩文のことが知りたくなって色々調べた。高校生の時は柔道で全国制覇したことあるんだ。あ、試合の動画がある、見ちゃお。うわっ浩文さん強い。あっという間に相手の人倒れちゃった。今何が起きたの?何これ凄くかっこいい。お兄ちゃん以外の男の人かっこいいと思うの初めて。正義の味方みたいで、強くてかっこいいとか素敵すぎる。そうだ、決めた。わたしの運命の人はこの人にしよ。そんなことを考えながら浩文の情報を集めてニヤニヤしている香澄に俊樹が話しかけてきた。
「お前さっきから何ニヤついてんだよ。気持ち悪いぞ。」
そう言われて香澄は、こんな美少女捕まえて気持ち悪いとかお兄ちゃん酷い、とむくれた。
「今日、涼花さんのお使いでわたしに会いに来た人のこと調べてたんだよ。本当に涼花さんのお使いか解らないし、危ない人かもしれないし。」
俊樹がじゃあ何でニヤついてるんだよと言いながら端末をのぞき込んできて、香澄は兄にも情報が見えるように端末の画面に自分の見ていたデータを写した。
「木村浩文、二十五歳。現職警官ね。」
そう言ながら画面をスクロールしていく俊樹の横で香澄が浩文さん本当かっこいいと呟いて、俊樹は呆れたように警官はやめとけよと言った。
「お前自分が何してるのか解ってるのか?警官なんて俺らの天敵だからな。」
そう言われて香澄はぶー腐れた。別に良いじゃん。問題児でもうすぐ警察官辞めるかもしれないし。浩文さんが警察官辞めたら良いのかな?そもそもバレなきゃ良いんじゃない?灯台もと暗しって言うし近くにいる方が安全かもよ。そうだよね、お兄ちゃんが言うような心配はないよね。だってわたしもうこの人って決めたもん。そんな事を考えながら、香澄は兄に見せている画面はそのままに、路上の防犯カメラや浩文が個人で使用しているコンピューターに侵入して私生活まで調べ始めた。警察の情報で奥さんいないのは解ったけど彼女とかいるのかな?流石に個人用コンピューターのカメラは今の部屋の様子覗くことしかできないか。彼女はいなそうだな。男の人の一人暮らしってこんな感じなんだ。お兄ちゃんの部屋と何か違う。お兄ちゃんも一人暮らし始めたらこんな感じになるのかな?
「お前今なんかしてるだろ?顔に出てるぞ。ストーカーになって問題起こすなよ。」
俊樹に指摘されてそっちを見ると、げんなりした顔の兄と目が合って香澄は口を開いた。
「浩文さん、涼花さんの事件の洗い直ししてるよ。」
それを聞いて俊樹の目が見開かれる。
「この経歴見た感じだとあの人涼花さんの冤罪晴らそうとしてるんじゃないかな?お兄ちゃんあのとき凄く怒ってたし、本当は涼花さんのことお兄ちゃんも助けたいんじゃないの?わたしは涼花さんを助けられるなら助けたい。わたしもう少し浩文さんのこと観察して、もし本当にあの人が涼花さんを助けようとしてるなら協力する。」
香澄がそう言うと俊樹は険しい顔をした。
「あれは陰謀だ。俺たちが手を貸したところで一介の警官がどうにかできる問題じゃない。お前も首を突っ込むな。」
そう釘を刺す俊樹に香澄は、でも・・・と反論しようとして遮られた。
「どうにかできるようなことならとっくにどうにかしてる。俺たちは所詮しがない泥棒で、それをなくしたら何の権力も力も持たないただの学生なんだよ。理不尽を打ち砕いて何かを変える力なんてない。」
そう言って俊樹は香澄の肩を掴んだ。
「お前はさ、いつもわがままで全然言うこと聞いてくれないけど。お願いだからもう止めてくれ。親父みたいなヒーロー目指して危ない目にあってほしくない。俺はお前まで失いたくないんだ。」
そう言う俊樹が泣きそうに見えて、香澄は兄の目をまっすぐ見つめた。
「違うよお兄ちゃん。戦わないと自由は手に入らない。どんなに無謀でも諦めちゃいけないんだ。諦めたら何もできないんだよ。間違ってても、悪いことしてでも、大切なものを守るためには立ち向かわなきゃいけないんだ。失いたくなかったらあがくしかないんだよ。」
そう言う香澄を見て俊樹は、お前は本当に親父似だなと言って自室に戻って行った。
○ ○
俊樹は浩文を尾行し行動を観察していた。香澄の言うとおり彼は涼花の事件の調査をしていた。もう二年も前の事件で聞き込みなんてたいした成果も上がらないだろうにバカじゃね、なんて思いつつ、警官であることを隠して世間話をするみたいに話しを聞き出す手腕は普通に凄いなと俊樹は思った。何日間か尾行して彼が本当に涼花を助けようと必死になっていることはわかった。俊樹から見たら意味がないと思うような調査に真剣に取り組む姿を見て、自分が調べた調査結果をまとめて頭を悩ます姿を見て、俊樹は苛立った。親父といい、香澄といい、この男といい、俺の周りはバカばっかだ。こんなことしたって無駄なのに。どうしてそんなに一生懸命になるんだよ。そんなことしたって自分の身を危なくするだけだろ。そんなこと続けてたからあんたは警察追い出されそうになってんだろ。何のためにあんたは警官になったんだよ。警察官になって何がしたかったんだよ。自分のスタンス貫くために全てを失うなんて本当バカのやることだぞ。そんなことを考えて、俊樹はその場を後にした。
大学で講義を受けながら俊樹は考えていた。香澄をあの件に関わらす訳にはいかない。でも、香澄は絶対に引かない。俺はどうしたらいいんだ。香澄はもうすっかり木村浩文にぞっこんだ。彼のためにきっと香澄はあの事件を追う。こうと思い込んだら行けるとこまでどこまでも突き進むあいつがもう止まるわけがない。そうしたら香澄は自分の出生を知ることになるだろうし、あいつの存在が相手にもバレると思う。そんなことになったら・・・。
涼花。お前は逃げろって言ったけど、いったいどこに逃げれば良いんだよ。あのデータでお前らの出生は解ったけど、結局お前は何者なんだよ。お前は何を知ってて、いったいあの頃何をしてたんだんだよ。お前は俺に逃げろって言ったけど、お前自身はどうするつもりだったんだ。捕まって何されてんだか知らないけど、なんかの実験体にされてんだろ。お前さ、まともに友達いなかったじゃん。俺くらいしか友達いなかったくせに、俺を切り捨てて一人で何抱えてたんだよ。あれだって全部俺たち巻き込まないためだったんだろ。本当バカじゃねーの。お前もバカだろ。自己犠牲なんて本当バカのすることだぞ。そんなことを考えて、俊樹は妹から言われた言葉を思い出して、決心した。
家に帰ると香澄がキッチンで何かと格闘していて、俊樹は何してんだ?と思った。
「あ、お兄ちゃんお帰りなさい。ちょうどいいや試作品味見して。」
そんなことを言って香澄がクッキーの入った皿を持ってきた。受け取って一つつまんで食べる。うまいな。普通に手作りのレベルを超えてる。これ金取れるんじゃね?そんなことを考えながら次々クッキーを口に放り込む俊樹を見て香澄は満足そうに笑った。
「それにしても、こんな大量生産してこれ全部食ったら太るぞ。」
テーブルの上に置かれた大量のクッキーを見ながら俊樹がそう言うと香澄が、大丈夫学校で配るからと言って笑った。こんな美少女の手作りクッキーなら失敗作でも皆喜んで食べてくれるはずだねなんて言っている姿を見て、俊樹はげんなりした。
「そっちは失敗作なのかよ。失敗作人に食わせるなよ。」
そう言う俊樹に香澄はしれっと、食べられないもの入ってないから大丈夫だよと言った。
「事件の見直しで毎日頭使ってる浩文さんのために、浩文さんの好きな濃いめのブラックコーヒーに合う甘いものを差し入れしようと思って色々試行錯誤してたらこんなにできちゃったんだ。失敗作って言っても思ったような味にならなかったってだけだから普通においしいよ。お兄ちゃんも食べる?」
それを聞いて俊樹は引いた。うわっ、こいつ好きな男のために作ったお菓子の失敗作を、自分に気がある男共にばらまくつもりなのか。友達にも配るんだろうけど、さっきの言い方だと絶対、クッキー作ったんだけど大量にできちゃったからもらって、わたしみたいな美少女から手作りのお菓子もらえるなんて嬉しいでしょ、とか言ってあっちこっちでばらまくつもりだろ。
「思った通りのやつができたし、お兄ちゃんチェックも通過したし、今度持ってこう。ちゃんと浩文さんの好みを調査して作ったし、マスターにおいしいコーヒーの淹れかた教わってるし、大丈夫だよね。喜んでくれるかな?」
そうニヤニヤしながら言う香澄を見て俊樹はため息をついた。
「喜ぶかは解らないけど、絶対お前の好意は伝わらないと思うぞ。」
そう言うと香澄はむくれて文句を言ってくる。お前のことだから絶対普通に持ってって、普通に、浩文さんいつも何か一生懸命考えてるから浩文さんのためにわたしがクッキー焼いてきてあげたよ、こんな美少女に差し入れしてもらって嬉しい?とか言うんだろ。そんなこと言われたら何こいつとしか思わないから。そんなことを考えて俊樹はため息をついた。
「お前は恋愛に向いてない。好きなやつに振り向いてほしかったら普段の言動改めて、まともなアプローチのしかた勉強しろよ。」
それを聞いた香澄が、ちゃんと少女漫画とか見て勉強したもんと言ってきて、お前は小学生かよと俊樹は心の中で突っ込んだ。まぁ、香澄はかなり高いレベルのかわいい系美人だし、作ったものもクオリティー高いし、渡し方さえなんとかすれば大抵の男なら落ちると思うけど・・・。ないな。実際美少女でも、自分で自分のこと美少女とか言っちゃう痛い子だし。なんか甘いものにつられて悪いやつにほいほいついていきそうな程バカだし。モテるけど、こいつがモテるのは見た目+チョロそうだからだろうし。もともとこいつに気がある奴落とすならともかく、そういう気がない男振り向かすのは無理じゃね?そもそも相手の恋愛対象になるのかすら怪しいし。二十五の男が十六歳の女子高生になんかしたら犯罪だろ。そもそもあいつ警察官だし。そんなことを考えつつ、これをきっかけに少しはまともになってくれればいいななんて俊樹は思った。
「そうそう香澄。俺も協力してやることに決めたから。」
俊樹がそう言うと香澄が驚いたような顔をした。
「どうせお前は言っても聞かないだろ。それに、やっぱり涼花のやつを見捨てられないからな。」
そう言うと香澄が満面の笑みで飛びついてきて、お兄ちゃん大好きと言ってくる。
「お前うまくいってもその度を超したブラコンなんとかしないと確実にフラれるぞ。」
香澄を押しのけながら俊樹がそう言うと、香澄はだって大好きだもんと言ってへらへら笑ってきて、俊樹はため息をついた。
○ ○
『楓さん聞いてよ。わたし頑張ったのに、浩文さんが大人をからかうなとか、いいかげんにしろとか言ってくる。ちゃんと勉強して、浩文さんの好みも調べて頑張ったのに酷い。』
そう愚痴ると楓がしれっと、あなたのアプローチの仕方が悪いんでしょと言ってきて、香澄は楓さんも酷いといじけた。お兄ちゃんにも同じようなこと言われたけど、わたしのなにがいけないって言うのさ。
『そもそも女性向けの本を参考にしている事が間違いではありませんか?男性には男性側の視点がありますから、男性向けの本でも見て参考にしたらどうですか。あと、人によって好みのタイプというものがありますから、味覚の好みではなくまずは相手の女性の好みを把握してそれに近づけることの方が重要でしょう。振り向かせたければまずは相手に合わせることです。一方的に好意を押しつけてもうまくいかないのは当たり前ですよ。』
楓にそう指摘されて香澄は、さすが楓さんと感心した。こんな美少女に好きって言われたら嬉しいだろうって思ってたけどそれじゃダメなんだ。浩文さんの好みのタイプってなんだろ?男性向けの本って、やっぱアレだよね。また浩文さんのコンピューターに侵入して浩文さんがどういうの見てるのか探ってみよう。そんなことを考えていると楓に、あなたはバカですから変な方向に走って周りに迷惑掛けないように注意してくださいねと言われ、香澄は楓さん酷いと思った。お兄ちゃんといい楓さんといい、なんでわたしこんなにバカにされてるんだろう?
『そうそう香澄。少々やっかいなお願い事ですが、清水家の全コンピューターを洗い出してもらえませんか?清水家が経営する会社や研究施設、病院の他に職員等関係のある人物が個人で使用しているものも含め、隠れた場所にあるものまで全てを把握していつでも繋げられるようにしておいてほしいのですが。』
楓にそう言われて香澄は二つ返事で了承した。
『全く、あなたは本当に思慮に欠けますね。少しは警戒しないと本当に早死にしますよ。わたしが何を頼んでいるのか全く理解していない訳ではないのに躊躇なく危険に足を踏み入れるとは、自殺願望があるとしか思えません。バカは死ななくては直らないそうなので、一回死んでみたらどうですか?』
それ受けて香澄は、楓さん酷いと呟いて笑った。
楓との通信を終えて、香澄は早速浩文のコンピューターに侵入した。浩文さんもお兄ちゃんと同じでアナログ派なのかな?あんまり使ってる形跡がないや。そういう動画とか画像とかを検索した形跡もない。コンピューターのカメラを起動させて部屋の中を覗いてみるがそれらしいものは見当たらなかった。いくら一人暮らしでもそこら辺に出しっ放しにはしてないか。お兄ちゃんの部屋ほどきっちりしてないけど、浩文さんも結構綺麗にしてるよな。そんなところも素敵。浩文さんの欲しいものって何だろ?今度聞いてみよう。そんなことを考えてニヤつきながら、香澄はふと浩文さんのが見つからないならとりあえずお兄ちゃんのを参考にしよう、と思って俊樹の部屋へ向い、ハイテクを信用してないお兄ちゃんが見られたくないものどこに隠してるのかなんてだいたい解るんだからねなんて考えながら兄の部屋を漁った。
○ ○
「お兄ちゃん、涼花さんの事件の捜査資料盗りに行こう。」
香澄にそう言われて俊樹は怪訝な顔をした。
「浩文さんがほしいんだって。涼花さんの事件調べ直すのに必要だしね。お兄ちゃんも協力してくれるって言ったし、盗りに行ってくれるよね?わたしはデータ盗むから、お兄ちゃんはそれ以外をお願い。」
にこにこしながら香澄にそう言われて俊樹はうんざりした気分がした。なんで俺がお前の恋愛の手助けしなきゃいけないんだよ。しかもそれ盗ってきても正面から渡すわけにはいかないから、アピールにはならないだろ。そんなことを考えながら、ふとあることを思いついて俊樹は口を開いた。
「盗りに行くのはいいけど、ついでに特殊監房のデータも盗めるか?状況も知りたいし、監房内のカメラの記録も含めて全部ほしいんだけど。」
それを聞いて香澄はお安いご用だよといって親指を立てた。普通の警察署に侵入するくらいは訳がない。兄妹は早速下調べをして早速出掛けた。
『お兄ちゃん準備はいい?』
通信機から声が聞こえてきて俊樹は、問題ないと伝えた。
『セキュリティーの解除終了。復旧まで三十分、頑張って。』
その声に合わせて時計をセットし俊樹は侵入を開始した。いつも通り下調べした場所に何なく潜入し目的の物を漁る。さすがに現物を持って行く訳にはいかないので、書類をスキャニングし、証拠品は写真に収めて元の場所に戻していく。ただ盗むだけと違って時間がかかるな。そんなことを考えて俊樹は香澄に連絡を取ろうとするが、通信に雑音が混ざりうまくつながらない。違和感を覚えて俊樹は急いで作業を終わらせてその場を後にした。すぐ誰かが駆けつけてこないところを見ると自分の居場所がバレている訳ではなさそうだが、通信妨害がされているところを見ると嵌められたか?嵌められたとしたら浩文しかいないが、アレが演技だとしたらたいしたもんだ。それか本人も意図しないところで俺たちを釣上げるための餌に使われたか。どちらにせよ良い状況じゃないのは確かだった。当初逃走出口に予定していた場所にたどり着く直前で頭の中で警鐘が鳴って俊樹は踵を返した。その方向から誰かが追ってくる気配がして、俊樹は自分の勘の正しさを確信した。脳内で署内の見取り図を確認して、逃走経路を割り出す。多分普通に逃げたんじゃ逃げ切れない。そう考えて、俊樹は逃げることを諦めた。呼吸を整え当初予定していた逃走出口に向かっって全力で走る。追ってとはち合った瞬間、速度を落とさずそのまま突っ込み、攻撃をいなしてそのまますり抜けて外に出て香澄との落ち合い場所へ向かった。
「お兄ちゃん、後ろ。」
香澄の声がして、とっさに身を翻した俊樹の服をかすめて何かが通り過ぎた。服が鋭利に裂けて腕から血が流れる。何が起きたのか理解できなくて振り向くと、そこには気味の悪い笑みを浮かべた男が立っていた。目が合って背筋が凍る。殺られる。俊樹がそう感じた瞬間、ゆっくりと男が崩れ落ち、その後ろから茶髪で長身の女性が現れた。
「実際に会うのは初めてですね。初めまして、村上俊樹、香澄。わたしは来栖楓、成り行き上助けに来ました。」
足下で動かない男には目を向けず兄妹の方を見て無表情で淡々とそう言う楓を見て、俊樹は悪寒が走った。
「あ、これは気にしないでください。後でちゃんと処理をしておきます。」
そう言いながら楓が近づいてきて俊樹は身がすくんだ。今のところあなた方に危害を加えるつもりはないので安心してくださいなんて言いながら楓は俊樹の傷の手当てをした。状況に追いつけず、俊樹の頭は現実を受け入れることを拒否していた。安心しろって、安心できるわけがない。どうみてもこの人物は堅気の人間じゃない。何の躊躇もなく人を殺して顔色一つ変えない人物をどうやって信用しろって言うんだ。そんなことを考えている俊樹の横で香澄がテンション高く喜んでいた。
「楓さんって、あの楓さん?本当に楓さんなの?会えて嬉しい。会ってみたかったんだ。想像してた通り綺麗なお姉さんだね。」
そんなことを言っている香澄の神経が俊樹には解らなかった。
「全く、本当にあなたは軽率ですね。それにこの状況下で手放しに喜ぶというのは脳天気すぎではありませんか?いつも言っているでしょう。わたしが安全な人物だと保証はできません。警戒することを覚えないといつか本当に取り返しがつかない事になっても知りませんよ。」
楓は相変わらずの無表情で呆れたようにそう言った。
「楓さんが危ない人だっていうのはわたしだって解ってるよ。でもこうやって助けに来てくれたし、楓さんは優しい人だってわたし信じてる。それに大好きな楓さんに会えたんだもん、そりゃ嬉しいよ。」
そう言って笑う香澄を見て、楓はあからさまなため息を吐いた。
「あなたの苦労が目に浮かびます。」
そう言って楓は俊樹を一瞥し、この街には別の用件できたのですが、と前置きをして話しはじめた。
「しかたがないですね。あなた方をこの件に巻き込んでしまったのはわたしにも多少責任があります。仕方がないのでこの件に関してはあなた方の安全が確保できるように助力しましょう。信用はできないかもしれませんが、この件を片付けて生き残りたかったらわたしの指示に従ってください。」
それを聞いて俊樹は少し考えて、指示に従うと答えた。全く何が起きているのか理解できない。目の前のこの人物はどう考えても危ない人間だし、信用なんてできるわけがない。でも、ここでこの提案を断ってこの人が見逃してくれるという保証もない。断れば自分たちも殺される可能性もあるのに、従わないという選択肢を俊樹は選ぶ事はできなかった。こうなったら行くところまでとことん行くしかなかった。
「賢明な判断です。」
そう言って楓は香澄に目を向けた。
「香澄、以前お願いをしておいた件はできていますか?」
それを聞いて香澄がもちろんと答える。それを聞いて楓が地図と見取り図を取り出す。
「ここに清水家のメインコンピューターがあります。これに関しては外から干渉することは不可能でした。なのでこの建物に侵入してメインコンピューターに直接破壊プログラムをインストールしてください。それが完了し次第、香澄は他のコンピューター全てにこのプログラムを仕込んでください。それで全て終わります。」
そう言って、楓は二本の記録媒体を渡した。
「人類にとって清水家の研究データを全て失うということは多大な損失なのかもしれませんが、あなた方が助かるにはもうこれくらいしなくてはどうにもなりませんよ。作戦決行は三日後。それまで猶予をあげます。よく考えてどうするか考えてください。あなた方がどうなろうがわたしには関係ありません。好きにしてください。」
そう言って楓は二人に通信機を渡すとその場を後にしようとし、立ち止まって振り返った。
「そうそう、心配しなくても通常通りの生活を続ける分には今のところあなた方に危害は及びませんよ。とっくにあなたたちの秘密なんてあっちには筒抜けです。杉村涼花と村上香澄では作られた目的も違いますから。今まで無事だったのは何かがなければ回収予定がなかっただけです。ただ、もう踏み込みすぎているので今後の保証はしません。しばらくは安全というのは、単純に相手がそれどころではないだけです。あなた方なんて所詮、相手にとって取るに足らないと思われている程度の存在なんですよ。」
そう言って楓は去って行った。それを聞いて俊樹は不安と心配が渦巻いて香澄の方を見た。香澄が自分の心境と同じような顔でことらを見ていて、俊樹はすっと事実を理解した。
「お兄ちゃん。わたしお兄ちゃんの本当の妹じゃないんだ。」
困ったように笑いながらそう言う香澄を見て、俊樹はあぁと曖昧な返事をした。どう反応すれば良いのか解らなかった。
「わたし小さすぎてよく覚えてないんだけど、なんか怖いところにいてさ。お父さんがうちの娘になるかって連れ出してくれたんだ。それでお兄ちゃんの妹になった。大きくなって色々調べてるうちに自分がどういう存在なのか知ったけど、ずっと内緒にしてた。ごめんね。」
そっか、最初から香澄も知ってたのか。知ってたからこそと考えると納得できることもあるな、なんて考えて俊樹は遠くを見た。
「俺も知ってたよ。」
それだけを伝える。それだけで伝わる。血がつながってなくても何でも俺たちは兄妹だ。香澄はバカみたいに親父に似てるし、多分お互い似たようなことを考えて同じ事をしていた。
「お兄ちゃん、ありがとう。大好き。」
そう言って、いつもと違って曖昧に笑う顔が似合わないと思う。
「これからどうしようか?」
そう問われて、俊樹はどうしたい?と聞き返した。
「とりあえず浩文さんにこれを渡して。それからは楓さんの言う通りにするのが一番だと思うな。」
それを聞いて俊樹はそうだなと呟いた。木村浩文にこれを渡して何か変わるとは思えないが、せっかく盗ってきたのに渡さないのももったいないし、それしか選択肢はないよな。
「香澄。今日盗んだデータこれに入れてくれるか?そしたら俺があいつに渡してくる。」
そう言って俊樹は香澄に記録媒体を渡した。元々涼花からやってきて、一度忠次に渡り情報が増えて戻ってきた記録媒体。忠次が本当に渡したかった相手は別にいるのだろうと想像はつくが、これはきっと浩文に渡すべきだと俊樹は思った。あいつに渡すときには香澄の情報は消しておこう。そんなことをしても調べればどうせ繋がるだろうけど、だからといってわざわざ教える必要はない。俺にでさえずっと隠してたくらいだし、いくら脳天気な香澄でも好きな男にそんな秘密は知られたくないだろうから。そんなことを考えて俊樹はどのタイミングで浩文にこれを渡すか考えた。
楓に連絡し細かい指示を受け、作戦決行日まで兄妹は通常通りの日常を送った。ある日には、香澄のことが心配でバイト先に顔を出すと香澄がバカなことをしていて、俊樹は反射的に手に持っていた本で殴っていた。香澄が本当にバカすぎて本当に焦ったが、こんなときでもこいつは変わらないなと思うとなんだか笑えた。
作戦決行当日。兄妹は所定の位置につき準備を行っていた。
『お兄ちゃん、準備は良い?』
いつも通り香澄の声が通信機から聞こえてくる。
「問題ない。」
『今回はわたしの援護がないけど大丈夫?』
普段と違って少し不安そうな香澄の声が聞こえてきて、俊樹は小さく笑った。
「問題ない。俺を信じて合図を待ってろ。」
俊樹がそう返すと、少しだけ間を開けてから香澄の声が聞こえてきた。
『楓さんが言ってたけど今日の夕方に大震災が起こるんだって。お兄ちゃんの潜入する建物は確実に崩壊するから、それまでに作戦を完了させて安全な屋外に避難できないとお兄ちゃんも巻き込まれちゃうって。だから、震災がいつ起こるか解らないけど、それまでに戻ってきて。もし途中で地震が来たら作戦が完了してなくても逃げて。』
香澄の言葉を聞いて俊樹はなんで皆俺に逃げろって言うんだよと心の中で毒づいた。ここは逃げるわけに行かない場面だろ。命をかけてでも作戦を成功させる場面だろ。そんなことを考えて、俊樹は昔父親から言われたことを思い出した。何が何でも生きて逃げ切ることが重要だ。うまくいかなくても生きて帰れば次がある。失敗した情報がまた役に立つ。お前の仕事は戦うことじゃない。絶対に戦おうとするなよ。そう言われた当時はいったい何を言ってるんだこいつはと思っていたが、あのバカ親父は本当に命のやりとりがあるような危険をはらんだ泥棒をしていたのかもしれないなと俊樹は思った。それでもあんたは何かと戦ってたんだろ?それで俺たち兄妹の前からいなくなったんだろ?あんたが何考えてどこで何してたんだか知らないけどさ、それでもあんたなりに子供達を大切にしてたってことは解るよ。俺ももう子供じゃないから、そろそろ逃げるばっかじゃなくて戦ったっていいだろ?
通信機から作戦決行までのカウントダウンが聞こえる。
『お兄ちゃん、走って。』
そう言う香澄の声に背中を押されて俊樹は走った。