序章 軍事会議
「―以上のことに関して、調査に出ていた正蔵忠次が行方不明。現在、医療部隊隊長の正蔵沙衣が正蔵忠次捜索及び詳細の調査に当たっている。」
現、龍籠の実質的長である第三管理棟統括管理官の青木高英からそう報告が行われ、情報司令部隊隊長の児島成得から作戦の進行状況や現状についての補足が行われた。
元来捜索調査のために現場に出ることなどありえない医療部隊の隊長が現場に出ているのは、決して行方不明になった正蔵忠次が医療部隊隊長正蔵沙衣の夫だからという理由ではなかった。逆にそのような理由があるのならば本来は絶対に現場には出さない。私情に平静さが失われれば作戦の成功率は下がる。場合によっては忠次の命の方を切り捨てる判断をしなくてはいけないのに妻を捜索に当たらせるわけはない。それでも彼女を現場に向かわせたのは現在龍籠に在籍している軍人で彼女以上に今回の作戦に通じている者がいなかったからだった。
大昔に人間とターチェの間に大きな戦争があり、ターチェ最強の軍事国家と謳われたここ龍籠も一度滅びることとなった。その戦争の発端となったのはターチェを山神と崇めていた人間たちの間に蔓延した不安だった。地上の神と人間の間の子供達の子孫であるターチェは、神とは違い不死でも万能でもないが、人間とも違いある一定で成長は止まりその後は不老長寿であり、人ならざる力を持っていた。その力を恐れた人間が山神様が自分たちを滅ぼそうとしているという不安に取りつかれ、ターチェに対抗できる術を手に入れ、滅ぼされる前に滅ぼしてしまえという狂気に取りつかれて戦争は始まった。その戦争は苛烈を極めターチェも人間も大勢が犠牲となる地獄絵図となり、生き残ったターチェの多くは怒りと憎しみに魂を蝕まれて鬼と堕ち、鬼に堕ちなかった者も散り散りになった。その後、無事生き残った者が集まり龍籠は復興されたが、それを知らず放浪し続けていた者も少なくなかった。その一人が正蔵沙衣だった。
正蔵沙衣は戦争で自分が生まれ生きる理由だった青木沙依を失ったと思い込み、精神を病んだ。沙依の死が受け入れられなかった沙衣は死んだのは自分で今生きているのは沙依なのだと、自分が沙依だと思い込むことで生きてきた。そうやって自分は沙依なのだと思い込みながら、沙依の真似をして、沙衣は人間社会にまぎれて生きていた。それがたった数十年前までの話し。ターチェは滅びたのだと思っていた沙衣は人間と祝言を上げ人間社会に根付き、娘を授かり嫁がせて、夫を亡くし、そしてずっとそのまま人間社会で一人生きてきた。そんな中、夫の遠縁にあたる男の子を引き取ることになったことをきっかけに、ずっと止まっていた彼女の時間は動き出し、彼女は人間でない自分が人間社会に居続けてしまった弊害を知り、またその過程で龍籠が復興していることを確信し、自分が沙依でなかったことも思い出して龍籠に戻ってきたのだった。
沙衣が知った彼女が人間社会に根付いてしまったことでの弊害。それは人間がターチェを復元させた事だった。彼女は全く隠れていなかった。だから彼女が人間でないことは誰の目にも明らかだった。人間社会に根付いてから年も取らず何百年と生きてきた彼女は、国に保護され、本人は何も気付かず安穏と過ごしていた。しかしその裏で彼女を元に人工的にターチェは作られ不老長寿の研究が行われていた。そのことを知った龍籠の軍部は、唯一奇跡的に成功した検体であり、不老長寿の研究の要ともいえる実験体だった清水美咲を連れ去り、研究所を破壊することでその研究を頓挫させていた。龍籠は基本的に人間社会に干渉しない。当時も美咲をターチェとして扱い捕らえられた仲間を保護するのか、それとも美咲を人間として扱い黙認するのかで話し合いが行われ、前者が可決された。施設を破壊したのは単純に威嚇し警告する目的だったが、警告空しく人間は研究を止めなかった。しかし、同じ身体の作りをしていても人間とターチェでは成り立ちが違う。人間の持つ概念でターチェを紐解くことなんてできるはずがなく、美咲が出来上がったのは本当に奇跡的な事で、決して人間が人工的にターチェを作り出す技術を確立したわけではなかった。そのため、再び人間が不老長寿の肉体を作り出し研究することはその後実現することはなかった。
情報司令部隊の詰め所に突如報告書が出現したのは半年ほど前の事だった。それには不老長寿の研究を断念した人間が、その研究の延長線で兵器利用としての超能力者開発の研究をしているという事が記されていた。あの後も別の場所に残されていた検体を元に研究を続けていた人間は、あの後不老長寿の身体は作れなかったが、失敗作の中に特殊能力を持つものが数体確認されそれに重点を置いた研究に路線を変更、ついにコンスタントに能力者を作り出すことに成功したという事だった。
報告書の真偽についても問題視されたが報告書の形式は間違いなく龍籠軍部の物で、そしてそこに記された名前はかつて龍籠の第一管理棟統括管理官を務めていた山邊陽陰のものだった。彼は大昔に既に亡くなっている。それでもその報告書の出現の仕方等から考えて彼から報告書が送られてきたことは間違いないと思われた。ターチェの始祖となった最初の六人の兄弟。その六人は最も神に近い魂を持ち地上の神から受け継いだ地上を治めるための力を持っていた。そのため何度肉体を移り変わっても記憶を継続して持っている。そして山邊陽陰もまた最初の兄弟の一人であり、彼が地上の神から譲られた能力は空間移動だった。この地上であるのならどこへでも何だって移動させることができる。報告書の出現の仕方はそんな彼の能力でしか考えられなかった。神の力でなくても術式を使用して空間移動は可能ではあるが、術式への警戒は充分にしており厳重に妨害の術式を施している情報司令部隊の詰め所にそんなものをねじ込めるのは、そんなことでは妨害することができない神の力を持った彼以外不可能だと思われた。
極めて真実と思われるその報告書。しかしそれが何かの罠であることも考えられ、報告書を送った本人の安否含め置かれた状況が全くわからないという現状、そして人間のことにどこまで自分たちが介入すべきなのかという問題、それらを踏まえとりあえず事実確認をしてから対応方針を考えようという話になった。ただの事実確認。その時点ではそこまで大事になるとは考えられていなかった。そのため人手不足の問題もあり大っぴらに人間社会で動けない自分たちの代わりに、元人間でその場所に土地勘もあり事情にも精通している正蔵忠次に初動調査が依頼され、そして彼は数か月前に最後の報告を上げたきりその行方を断った。
人間社会のある国で、国の後ろ盾を元に表向きにも後ろ向きにも様々な研究開発を行っている清水家。ターチェを再現させたのも今回の能力開発もその清水家が主軸となって行っていた。そして行方不明となった忠次もまたその清水家の手によって人工的に作られた天才だった。そんな彼は何を掴んだのか、命令無視をして初期調査以上のことを行い撤退命令にも従わず深く入り込み、そして行方が分からなくなった。軍人ではない彼を咎めることはできないが、それを放っておくわけにもいかなかった。彼はもう人間ではない。ターチェでもないが不老長寿の肉体を手に入れ術式も使用できる彼は、かつてターチェを滅ぼしにかかった特殊な能力を与えられた人間と同じものになっていた。彼が捕まり彼の研究がされるということは、人間社会から失われたその力がまた人間の手に与えられ、再び人間とターチェの全面戦争が行われる危惧を指していた。その危惧は報告書が送られてきた時点でもすでにあったが、彼が捕まることで更に可能性と危険性が増すのだ。彼は色々知りすぎている。ターチェのことも、この国のことも、どうやって人間社会から隔離し隠されているこの場所へ人が入ることができるのかも、その他いろいろとこちらにとって都合の悪いことを彼はよく知っていた。
そのため忠次の失踪は龍籠にとって目をつぶることができない問題だった。そして決して公になることはないが、医療部隊の隊長としてではなく第三部特殊部隊隊員として正蔵沙衣は派遣された。研究の元になった沙衣が戻れば研究に心血を注いでいる清水家は放っておくわけがない。自身を餌に敵の懐に入り込み研究をつぶすことが沙衣に下された指令だった。
「―つまり、今回の事案は龍籠が滅びることとなったあの戦争が再び訪れる危険性を孕んでいる。それについて自分たちがどう対応するのか方針を決定したい。」
そう議題が挙げられ、第二部特殊部隊隊長の青木沙依が手を挙げた。
「方針はいつも通りで問題ないと思う。わたし達は決して自分達から戦争はしない。戦争を仕掛けられたのならその時返り討ちにすればいい。相手が人間であってもそのスタンスを貫けばいいだけの話しだとわたしは考えている。それじゃ何か問題があるの?」
沙依のその言葉に主要部隊隊長の沢田透子が食いついた。
「どの口がそんなことを言ってるんだ。かつてここが滅ぼされることになったあの戦争の時は、お前は人間の味方をしただろ。地上の神の代わりに地上を育む役割を担った自分たちが地上の子を力をもって制圧することは許されないと、自分たちはその誇りを失わず人間が戦を仕掛けてくるのであれば自分達も人として対応すべきだと言っていたのはどこの誰だ?お前があんなことを言って皆を先導しなければ人間なぞに我々がやられるわけがなかった。お前があの悲劇を起こした張本人だろ。皆を狂わせ破滅に導いたこの厄災の御子が。」
そう怒鳴りつけられても沙依は微動だにせず静かに透子を見つめ返した。
「言われていることはもっともだと思う。わたしは確かにあの戦争の時は人間の味方をした。それはあの戦争の時は人間が戦争の道具として使われていたからにすぎなかったからだ。地上を手に入れようとした天上の者の手で、我らが地上の子が道具として使われ我々を滅ぼそうとした。ただ道具として利用された彼らをわたしは敵として認識することはできなかった。戦争が避けられないことであっても犠牲は抑えたかった。」
沙依のその言葉に透子は激怒した。犠牲を抑えたかっただと?アレのどこが犠牲を抑えられたというんだ?無駄な犠牲を増やしただけだろ。お前のせいで・・・。等々、飛び交う暴言を沙依は静かに聞いていた。透子の暴言が沙依の容姿など全く関係のないことにまで触れはじめ、第一部特殊部隊隊長の田中隆生が止めようとし更に彼女が激昂してその場は騒然となった。
「透子。お前、軍議の場に私情を挟んであんまり見苦しい真似するなよ。」
成得の酷く冷たい声が響いて透子は彼の方を向いた。彼は軽薄そうな笑みを浮かべて透子を見ていた。透子を見据えるその視線は酷く冷たく、その視線に貫かれて透子は背筋が凍った。
「さっきからお前の言ってることがこの国の法に触れてることが解ってるのか?龍籠は差別を許していない。差別主義を貫くならお前がこの国を出て同じ主張をする差別主義の国に亡命しろよ。そしたら好きなだけその主張をしたって構わないし、敵として会うなら容赦なく相手になってやる。まぁ、龍籠の軍人のお前がそんな国に亡命したら、それこそお前自身が差別の対象になるんだろうけどな。どうする?」
成得に小馬鹿にしたようにそう言われ、透子は今度は彼に矛先を向けようとし高英に止められた。透子だけでなく成得も注意を受け、二人ともそれにおとなしく従った。
「冷静に話しをするべきなのは確かだが主要部隊隊長の怒りももっともだろう。わたしはあの戦争の事実についての情報開示請求を行い、周知することを希望する。そしてあの時の戦争と今の状況が全く違うものだということを皆に理解してもらいたい。」
沙依のその要請が受け入れられ情報司令部隊よりその時の報告書が提示された。
「あの戦争が起きた時、既にお前はこれを知っていたという事か?」
資料に目を通した透子にそう言われ沙依は肯定した。
「地上の神を狂わし兄弟に神殺しをせざるを得なくさせた最初の兄弟の末っ子、厄災の御子云々の真偽は置いておいて、実際にわたしが最初の兄弟の末っ子そのものなのは事実だよ。わたしはこの身体に生まれた時も最初の記憶を持ってた。だから実際は言い伝えられてる伝承なんてでたらめで、最初の兄弟の魂を持った子供が殺される運命を強いられた理由も全部でたらめだって知ってる。伝承が作られたのは、ただ天上の人に地上を奪われないようにアレにわたし達兄弟の力を奪われないようにするために兄様が能力を使ってそう縛っただけ。そして他の兄弟はみんな長兄に記憶を奪われたけど、長兄と末妹のわたしだけは生まれ変わっても最初の記憶を持ちアレを倒すことを宿願としていた。まぁ、この部分はわたしの証言だけだから信憑性はないだろうけど、実際にそういうことだったんだよ。わたしは自身の能力であの戦争が避けられないことを知っていた。混乱を避けるために兄様の能力でその事実は隠されたから、当時それを知っていたのはわたしと、兄様の生まれ変わりである行徳さんだけだった。だから、わたしはあの時人間の味方をしたんだ。」
沙依のその言葉にまた透子が激昂し、沙依はそれを眉一つ動かさず受け流した。
「沢田隊長。お前も一部隊を率いる隊長なら隊長としてふさわしい行動をしろ。今は昔のことを持ち出してその是非を審議する時間じゃない。我々がしなくてはいけないのはこれから先自分たちがどうしていくかだ。どうしても問いただしたいなら軍議が終わった後にしろ。」
高英にそう咎められ透子が何も反論しないことを確認して、沙依は目を伏せて口を開いた。
「その報告書に記されていることがわたしの主観ではなく、情報司令部隊が裏付けをとった事実だということは目を通してもらえば解ると思う。当時のわたしの行動の真偽がどうであれ、あの戦争の時人間は利用されただけで、その上その人間達もまたアレの手で滅ぼされそうになったというのはまぎれもない事実だ。それを事前から知っていたわたしは人間の味方をした。沢田隊長の言う通りそのせいで犠牲が増えたという見方もあるが、あの状況では人間は自分たちが滅びるまで戦争を止めなかっただろう。自分たちが力で制圧するより人間の犠牲は少なく済んだはずだ。またわたし達兄妹の宿願を果たすため、あの戦乱にまぎれて敵の懐に入り込みアレを倒すためにもそれが最善だと判断しわたしは行動した。だから私情と私事で仲間に多くの犠牲を強いたというのは間違いない。それに関して言い訳をするつもりもない。」
そう言うと沙依は視線を上げた。
「あの時と今では状況が違う。あの頃と違い人間は我々を忘れもう崇めることもない。そして力を手に入れ自らの意思で我々との闘争を望むのであればもう保護する理由はない。我々も神ではない。ならば同じ人として対等に全力をもって迎え撃つべきだとわたしは考える。」
静かな沙依の声が響き、そして軍議が進められた。色々意見が挙げられ、検討され、最終的には沙依の提案通り、人間もまた対等に扱うことが盛り込まれた上で今まで通りで行くことが決定した。
「もうさ、お前は何でああいうことするの。今の自分がどういう身体かわかってる?本当に無茶するのは止めて。なんかあったらどうすんの?」
そう言う成得に沙依は笑った。
「透子さんは何もしないよ。だって透子さんわたしが嫌いなだけだし、わたしと関わりたくないから用もないのにわたしに近づかないよ。透子さんがわたしを嫌いなのも人間が嫌いなのも全部隆生のせいだしね。隆生が下手にわたしのことかばうから透子さんも激昂するんだよ。」
そうしれっと言う沙依に成得は、そう言う問題じゃなくてさ、と嘆いた。
「なんでさらっとああいう嘘ついて余計な火種まくようなことすんのって言ってんの。アレを倒すのは兄貴の宿願で、お前もよく解ってないまま兄貴の力になろうと必死だっただけでしょ。そもそも最初の出来事が起こった時お前は兄姉に甘やかされまくって育ってろくに何もできないような十二歳のガキだったのに何ができたって言うんだよ。お前が全部知ってあの時の状況理解できるようになったのなんてつい最近のことでしょうが。今は兄貴とお前以外も記憶戻ってるのにあんな言い方して。しかも兄貴は死んでるし、あれじゃ矛先全部お前に向くでしょ。透子がなんかしなくても話が広がって何かあったらどうするの?そもそもあんなに怒鳴られて暴言吐かれて、ストレスかからないわけがないでしょうが。絶対胎教にも悪いから。ストレスで流産とか、母子ともに危険な状態とかなったら俺、本当に耐えられないからね。」
そう言って後ろから自分を抱きしめて大きくなったお腹を撫でる成得の手に自分の手を添えて、沙依は微笑んだ。
「皆にちゃんと知ってもらいたかったんだ。最初の兄弟のことも、人間のことも、本当のことを知ってもらって解ってもらいたかった。偏見も差別もなくならないだろうけどさ、考えるきっかけにはなるし、変わってくきっかけにはなるでしょ?知ることで今までコーリャンを受け入れられなかった人たちも、人間を許せなかった人たちもまた何か変わるかもしれない。わたしもお母さんになるし、生まれてくる子供たちの時代には今よりもっと平和だったらいいなって思う。だからさ、あんなことできるのはわたしだけでしょ?軍議を利用して正式に情報をばらまく状況を作ったんだ。そして悪評でも噂が流れればそれも考えるきっかけになる。お腹のこの子には確実にいい方向には転ばないけどね。そもそもわたしとナルの子供って時点で苦労するの決定だし、お腹にいるうちからああいうのに慣れとくのもいいかもよ?」
沙依のその台詞を聞いて成得はうなだれた。お前ってやつはさ、と言うがその先が出てこない。そんな成得を見て沙依は笑った。
「ナルが思ってるほどわたし純粋でもいい子でもないよ?わたし本当に酷い奴だよ?嘘だって吐けるようになったし。ナルだって何回わたしに騙されてるのさ。でもそうやってナルがわたしの全部受け止めていつだって支えてくれるから、わたしはこうやって安心してわたしのまま進むことができる。そんなナルだから本当に大好き。いつもありがとう。」
沙依にそう言われて成得も小さく笑った。
「俺も本当にお前が大好きだよ。だからさ、結婚して。」
成得のその台詞に沙依は、嫌だよと即答して声を立てて笑った。
「そこ笑うところじゃないから。どうして結婚はしてくれないの?子供だってできたのにさ、おかしくない?そんなに俺と一緒になるの嫌なの?」
そう言う成得に沙依は人間式の結婚だったらいいよと言った。
「唯の儀なんてしたらさ、ナルはわたしと一生繋がっちゃうんだよ?昔みたいにいろんな女の子とイチャイチャしたくなっても他の女の子と遊べなくなっちゃうよ?」
からかうようにそう言われて成得はうなだれた。俺そんな遊び人じゃない。特定の相手作りたくなかった時はそりゃ色々遊んでたけど、お前と付き合うようになってからよそ見したことないよね。なのに昔の事持ち出してそういうこと言うの酷い。そう思いながら成得は沙依の話を聞いていた。
「不貞もできないし、何かあったら伝わっちゃうし、どっちかが死んだらさ、それこそ大変だよ?もう立ち直れなくなっちゃうかもよ?今は平和だけどこれから先何があるか解らないし、わたし死傷率ナンバーワンの第二部特殊部隊所属だし。それに人生長いんだもん。もしかしたら一緒にいるのが嫌になっちゃうこともあるかもしれないじゃん。唯の議したけどそうなって人使って殺し合いを続けた夫婦の伝説もあるくらいだしさ、実際どうなるかなんて解んないじゃん。」
そう言うと沙依は成得に向き合った。
「ようはわたしに覚悟がないんだ。いろんな事が怖いんだよ。ナルのことは好き。子供ができたってことは、ナルだけの気持ちじゃなくてわたしもナルの子供が欲しいなって望んだ結果だよ?それくらい大好きだよ。」
そう言って沙依は成得に抱きついた。彼の心音を聞くと本当に安心できて、沙依はそっと目を瞑った。そうターチェは人間と違い子供はお互いが望まないとできない。望まなければ交配に必要な条件は揃わない。
「今はナルがわたしを愛してくれてるって確信できる。わたしもナルの事が本当に大好きだよ。だからさ、解らないずっと先のことまで縛らないでこのままを続けたい。唯の儀でナルを縛って、ナルがずっとわたしの傍にいてくれるってことに胡坐かいて安心したくない。そんなことしたらさ、わたしナルがわたしを裏切れないことをいいことに何するか解らないよ?多少緊張感があった方がいいと思わない?」
そう言う沙依に成得は優しく微笑んで、そっと口づけをした。不安があるなら不安があるって普通に言えばいいのにさ、なんでよく解らない言い訳して強がって笑うんだか、本当に意味が分からない。でもそんな彼女が成得は愛おしいと思った。
「お前がそれがいいならそれでいいよ。でもさ、この先もし俺と唯の儀したくなったら、その時はちゃんと夫婦になって。お前の気持ちができるまでいくらでも待つからさ、俺はお前と一緒になりたいってことだけちゃんと覚えておいて。」
そんな成得の言葉に沙依は小さく頷いた。そして、人間の結婚って意味が解らないよね。一緒になったり別れたりできるなら恋人でもいいじゃんね。恋人と何が違うんだろうね。そんなことを沙依が言って、成得が相槌を打って、お互いに笑いあった。
「ねぇ、ナル。もしもの時はさ・・・。」
「全部俺の責任だ。だから、自分のしたことの尻拭いは自分でする。」
何かを言おうとした沙依の言葉を遮って成得はそう言った。それを聞いて表情を歪ませる沙依の頭を成得は優しく撫でて、彼女をぎゅっと抱きしめた。そんな彼の背中を優しく撫でて沙依は目を閉じ、沙衣に思いを馳せた。沙衣お願いだからちゃんと戻ってきて。沙依はそう思いながら自身の能力でそっと未来の分岐を覗いた。まだ未来は確定していない。でも、二人を殺さなきゃいけなくなる未来だけじゃない、戦闘で亡くなる未来や、建物の崩壊に巻き込まれて命を落とす未来等、沢山の不幸な可能性が存在している。未来の可能性の中で二人とも無事に戻ってこられる未来の方が少ない。でも今のところは自分の願いの通り未来は良い方に進んでいる。大丈夫、このままいけばちゃんと二人とも無事に戻ってくる。そうは思っても沙依は完全に不安をぬぐうことができなかった。未来が確定するその瞬間までどうなるか解らない。誰かの選択一つで未来なんて大きく変わってしまうものだから。だからお願い、皆選択を間違えないで。沙依はそう願って、運命が自分の大切な人たちの味方になる様に祈った。