ちょっと本気の『天使の笑顔』
ナーゼの森は、ブエルの街の北東にある、少し大きな森だ。因みに、おばあちゃんの家――現在は俺の私物になっている――も、そこにある。
俺は森を散歩しながら北へと歩いていく。
整備された遊歩道を通り、旧フローレス邸の前を通り過ぎて、獣道へと入っていく。
獣道には、野生の魔物避けである結界用の石灯篭は配置されていない為、ここから先は魔物に出会う確率が、著しく高くなる。
ナーゼの森には、主に森狼や角ウサギ、ゴブリン、オークといった、初等魔術の教養を受けたものなら、誰でも倒せるレベルの魔物しか転がっていない。
ナーゼの森の獣道を抜けて、道なき道を飛行魔法で移動する。
体力つくりも兼ねてここまで歩いてきたのだが、流石にこの道は歩いては通れない。
しばらく進んでいると、視界の開けた場所に出る。
円形に広がるそこは、なだらかな丘になっていて、その丘を囲うように、木々は一切生えていない。
丘の下草を踏みながら天辺を目指すと、そこには一本のりんごの木が生えている。
(懐かしいな……)
この場所は一度、フローレスと訪れたことがある。
ここで花見――つっても、これはりんごだけど――したことがあるのだ。
……そう、一回だけ。
ひときわ強く吹いた風に顔をしかめていると、そのりんごの木の根本に、一人誰かが転がっているのが見えた。
(ここ、知ってる人俺以外にいたのか)
すこし残念だと思いつつ、俺はその人へと歩をすすめる。
濃い紺色のブレザーに、白いワンピース。肩からは革製の鞄を提げていて、その小さな両肩は静かに上下している。
「隣町の中学の制服だ……」
俺は、その見覚えのある服装と、そのブレザーの胸元についている校章ピンを見て、そう判断する。
でも、少しおかしい。
あの学校、確かワンピースではなくポロシャツとスカートが制服だったはずだ。
いや、もしかすると、校長が変わったりして、制服のデザインが変更されたのかもしれない。
そんな事を思っていると、その女子生徒は寝返りを打って、こちらへと視線を向けた。
「「…………」」
重なり合う視線。
無言の時間。
しばらくそうやっていると、彼女は思い出したかのように飛び起きた。
「あっ!」
「いでっ!?」
跳ね起きた彼女の額が、まるで精密射撃のように俺の鼻柱へ向けて炸裂する。
「痛い……」
「それはこっちの台詞だ!……で、誰?」
頭を抑えながら蹲る彼女に、対して鼻を抑えながら、俺は尋ねた。
「口悪いねぇ、君〜。もっとおしとやかな娘って訊いてたんだけど……」
「おしとやかじゃなくて悪かったな」
ゆるゆるとした口調で話す彼女に、俺は皮肉を返す。
「で、誰なんだ?」
「おっとそうだ。忘れるところだった。自分はメテル。ただのメテルだ」
「名字は無いのか?」
「自分、名字は名乗らない主義なんで」
メテルはそう返答すると、短い黒髪を揺らして、ニッと笑った。
(何か、面倒ごとの匂いがするな……)
そう悟った俺は、さてこれからどうしようかと思案する。
この国において、庶民だからといって名字が無い、なんてことは無い。それなりの水準の生活を、ただの農民ですら満足にできる世の中なのだ。
以前まではそうだったのだが、国際調停国に改名した時に、三年以内に役所に行けば、名字を作ることができる、という政策を、俺が提案したのだ。
だって、名字無いとなんか不便じゃん?
どこかの国の法王は、確か名字を名乗ってはいけない、なんて風習もあった気がするが、彼女がその一族である確率は、宝くじに当たるより低いだろう。
だが、面倒そうなことは変わりない。
さて、どうしたことか。
そんな事を思っていると、メテルが話題を振ってきた。
「ところで、君はロット・マクトリカで合ってるよね?」
「だったら何だ?」
唐突な質問を仕掛けてくる少女に、怪訝な顔をして返答する。
「だったら、委員長から話は聞いてるかな?ほら、君の今後の生活について、調停委員会から誰かやって来て話してくれるっていうやつ」
「お前がその誰かってやつなのか?」
「そーそー。それで、簡単に内容を説明すると、ちょっとしたカモフラージュの為に、自分と学校に通ってほしいわけです」
なんのカモフラージュだよ。
まさか、あれか?
ちょっと忘れかけてたけど、魔女狩りってやつが関係してるのか?
あの言霊の魔女……何てったっけ?たしか、魔女の存在が、世界の軍事的なバランスを崩すからとか言う理由で、連邦が魔女の暗殺を計画してるとかなんとか。
だとしたら、その学校に俺が行くことでカモフラージュできることって何だ?
うぅむ……。
俺の知らないところで何があったんだ、この一週間?
「因みに、嫌だといったら?」
「そのときは委員長に厳しい罰が与えられるよ」
ジョンは人質か。
卑怯な。
てか、それだと調停委員会潰すことにならないか?
いや、また誰か新しく就くんだろう。
でもそうなると……。
「もしそんなことしてみろ。直ぐにこの国を滅ぼしてやる」
考えた末、俺は逆にそう言い返してみることにした。
レーヴァティンがあれば、半日くらいでこの国を焼失させることはできそうだしな。
そうなると、生態系に何かあるかもしれないが、まあそれはそれだ。
六割方本気でそう脅しながら、さて、必殺『天使の笑顔』を合わせてみるとどうなるのかといういたずら心とともに、そう伝えてみる。
しかし、次に彼女に意識を向けたときには、いつの間にか百メートルほど後ろに退避していた。
(ビビりすぎだろ……?)
閑話休題。
兎にも角にも、俺はメテルの話に承諾することにした。
次回、エレオノーラ・マクトルク




