起床
木漏れ日が瞼を差した。
耳元に聞こえる鳥の囀りが心地よく、俺は耐え難い睡魔に身を寄せた。
寝返りを打つと、何だか懐かしい、砂糖楓の甘い匂いが鼻をつく。
ふかふかの布団。
もう少し、このままでいてもいいかな……。
そんな惰眠の誘惑に浸っていると、静かに扉の開く音が聞こえてきた。
あまりにも静かすぎたので、部屋の広さがうまくは測れなかったものの、何となくここが、あの冒険者ギルドの宿の部屋より、圧倒的に広い所だと理解できる。
ここは……どこだろうか。
ふと気になって、俺は薄目を開いてみる。
するとそこには、何やら仕事をしているらしいメイドのエプロンの端が垣間見えていた。
(メイド……?)
どこにでもある、黒を基調にした白いエプロンドレス。
しかし、その姿に俺は何となく見覚えがあるような気がした。
最近同じものを見たような気がする。
そうだ、つい数ヶ月くらい前だ。
あれは、何だったか。
えーっと……。
そう思っていると、またもう一つ扉の開閉する音が聞こえてきた。
今度の音はさっきのより少し大きな音がした。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
「ああ、ただいま。ロットの様子は?」
これまた、聞き覚えのある声だ。
しかしこの声は、もう何年も聞いていなかったような気がする。
そんな、懐かしい声だ。
「まだ眠っているご様子です。もう……七日目だというのに……」
今度はメイドの方が、主人と呼ばれた男性に、そんな風な返答をする。
(な、七日目だと……?)
話の内容から察するに、俺は恐らくあの塔で気絶していたのだろう。それから七日間。ずっと昏睡状態だったというのか?
「そうか……」
男は、残念そうに呟くと、その場を後にするように踵を返す。
「せっかくなのですから、もう少し居てあげては?」
「そうしたいのは山々なのだが……。当主として、やらなければならない事も山積みでな……。国王の政策に私情は挟めない」
国王……ギトの現在の王って、確か……えーっと、そうだ。あの眼帯の人だ。
――『眼力』のアグニ。アグニ・ゼルべノフ。
あの人が、何を企んでいるというのだろうか?俺は怖くて、あまり話したことはないけど……。
「そうですか……」
「ああ。それでは引き続き、頼んだぞ」
「かしこまりました、ご主人様」
最後にそんな会話を交わすと、ご主人様と呼ばれた男性は、その場を後にした。
それにしても、七日か。
俺は、そんなに長い間眠っていたというのか。
一体なぜだ?
なぜそんなことになった?
俺は覚えている限りの、最後の記憶を呼び覚ました。
そう、あのときは確か、ゲシュペンストの討伐に向かっていたんだ。
そして、ボスの間までやって来て……それで……どうなったんだっけ?
そこから先の記憶が欠落している。
何だか懐かしくて、とても大事なものを観た気がするんだけど……。
そんな風に必死に思い出そうとしていると、とうとうメイドまでその場を離れようとしたので、俺はそろそろ狸寝入りを止めにすることにした。
「あの、ここはどこですか?」
静まった心で、俺は彼女にそう尋ねた。
すると、メイドはビクッと体を震わせて、こちらへと振り返った。
「お嬢様……!」
そのメイドの目には、大粒の涙が溜まっていた。
彼女から聞いたことを時系列に添って箇条書してまとめると、以下のようになる。
・関所の迷宮で、俺が突如バタリと気絶して倒れた。
・慌てたジョン・エインズワースが、レイドパーティと共に、ギルドに引き返して、レヴィアとエリンが合流。ギトに帰還。
・話しを聞いた調停委員会が、我が父親であり医務官であるクルード・マクトリカに対応を要請。
・病院ではなく、マクトリカ家の屋敷に運び込まれ、治療を開始する。
・昏睡状態から俺が復帰する。
――大体、こんな流れだったらしい。
ということは、ここは我が家って事か。
俺はあたりを見渡して、少しの間感慨に耽る。
「奥様に伝えてまいりますね」
「わかった」
俺の質問に対する説明を終えた彼女は、そう言ってその場を後にした。
……それにしても。
(腹は……空いてないな……)
寝ている間に魔力喰いを無意識に発動したのだろうか?
今はそんな感じはしないんだけど。点滴が繋がれている様子もないし、強いて変なところがあるとするなら、隣に置いてある水差しだろうか。
あそこから、生命エネルギーであるロンの気配が漂ってきている。
エルフビーストの書庫で読んだことを覚えているのだが、その中に『腹が減るとロンが落ち込む』と記述されていた。
恐らくエルフビーストの誰か……。メープルかそこら辺りの誰かが、クルードにそれを教えたのだろう。
ロンは、あらゆる生命体が保有している。
そこからロンを魔法的に、科学的に抽出するのは容易ではない。
既存のものがあったのだろうか?
それはさておき、俺は体の具合を確かめる作業を再開させる。
筋力……落ちてる。リハビリで何とかなるだろうが、しばらくはあまり動けそうにないな。
視力……落ちてる。が、眼鏡が必要なほどじゃない。
魔力……問題なし。
ロン……ちょっと落ちてるけど、ものを食べて運動していれば、たぶんいずれ治るだろうな。
しばらくそうやって、体に魔力を循環させながら簡単に身体検査をしていると、階段を駆け上る慌ただしい足音が聞こえてきた。
――ドタドタドタドタ……バダン!
そうやって勢い良く開かれた扉から飛び出してきたのは、綺麗な白髪を牽いた、妙齢の女性だった。母、ウェンディ・マクトリカである。
ウェンディは俺の姿を確認するや否や、ひしと力強く俺の体を抱き寄せた。
「よかった……本当に良かった……」
涙ぐんだ声を聞き、俺は、自然と溢れてくるこの感情を発露させた。
涙腺が乾くほどの涙を流した二人は、しばらくそのままでいた。
やがて、彼女は俺から体を離すと、軟かい笑みを浮かべて、近況報告を交わした。
その際中で、そういえば家から手紙を貰っていたことを思い出す。
「そういえば、まだ読んでなかったんだけど……あれ、何の用事だったの?」
尋ねると、先程まで明るい表情をしていたウェンディの顔に、明らかな影が指した。
腐っても領主夫人。ポーカーフェイスは得意なはずなのだが、これほどまでに動揺を隠しきれないとは。
「お母さん?」
怪訝そうな表情をして尋ねる俺に、しかし彼女は首を振ると、何でもないのよと答えた。
「お腹空いてるでしょ。消化に良い物を用意させているけど、どうかしら?」
以前とは全く違う、角の取れた雰囲気で、彼女は問うた。
「うん、そうだね。貰うことにします」
俺はつい男口調が出そうになるのをこらえながら、丁寧にそう返答すると、レムリアでエリンが執念のような物を持ちながら教えてくれた『天使の笑顔』を実践する。
どうやら周りのメイドたちには効果は抜群だったようだ。
(これ、案外使えるかもしれないな……)
いつかわからない画策を練りながら、腹の底でそんなことを考える。
魔力の精密な制御が得意な俺は、こういうことを表情に出ないように調整するのは朝飯前なのである。
俺の『天使の笑顔』を受けたメイドが退室するのを見届けると、ウェンディはふと、俺の金髪に指を入れてきた。
「貴女も、ポーカーフェイスが上達したみたいだけど、まだまだ詰めが甘いわ」
あなたはサトリか!?
サトリなのか!?
突然の母の言葉に、一瞬肝が冷える思いをしながら、俺は心の中でツッコミを入れた。
クスクスと笑いながらそう告げる彼女に、肩を竦めた。
次回、りんごクッキー




