暗闇で
「嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!死にたくない死にたくない死にたくない!」
絶叫が、暗闇に木霊した。
バシャバシャと水溜まりを靴が跳ねて、男はそれから逃げていた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ!」
息づかいは荒く、何度も縺れそうになる足を意識の力で引き摺って、迫り来る恐怖から逃げる。
「はぁ、はぁ、はぁ!だ、誰か!誰か助けてっ!」
懇救も虚しく、誰一人していない、その地か水道に嘆きが響いた。
「ぐぅあっ!?」
──一振り。
背後から降り下ろされた刀が、男の肩口を抉る。
逃げる度足を縺れさせて、何度も転びそうになった体が、その衝撃と恐怖に耐えられず、転倒する。
「ぐふっ!?」
泥水を跳ねて、顔面を硬い地面に叩きつける。
(ここまでなのか……っ!)
涙と泥水に汚れた顔をしかめて、男はしかし生き延びようとする。
肩の痛みを気合いと意思の力でねじ伏せて、匍匐前進しながら、その悪魔から逃げおおせようと踏ん張った。
だがしかし。
「ぐっ!?たい……っ!クソ!この野郎!!」
アドレナリンの異常分泌による興奮状態で、ほとんど痛みを感じなくなった肉体に、何か冷たいものが通り抜けていった。
片足が切断されたのだ。
「ダクト!」
右手の中指に嵌められた宝珠をソイツに向けて、彼は叫んだ。
しかし、魔力の練りが甘いのか、発動した青白い炎の球は、ヤツの纏う衣に防がれてしまった。
「くっそぉぉぉおおお!!」
咆哮して、彼は再び前進を開始した。
奴に魔法が一切効いていないのは確認済みだったはずだ。
それでも彼の得意とするその魔法が放たれたところからもわかるように、彼は疲労困憊していた。
頭の中を靄が通り抜ける。
片足が失った。
もう体力もない。
だが、奴は俺を追いかけてきた。
三再び、ヤツはその刀を振り上げた。
──また、体を斬られる。
(あれは……彪の、尻尾?)
ちらりと、奴の纏う時代遅れなマントの隙間から、そんなものが見えた。
その時彼は、あまりのストレスの為か現実を放棄していた。
だからこそだろう。
彼は冷静に、その様子を確認することができた。
あれほどに怖かった奴の情報を、元探偵だったころの脳ミソがスキャニングしていく。
全長二メートル。
大柄。
彪ベースの獣人。
年齢は二百近くの若い獣人だ。
手に持っているのは、宝珠が埋め込まれた刀。
出身は東洋にあるノスポール帝国。
纏っているあの装備は、恐らく迷宮の秘宝。
実力を考慮して、二等レベルの実力者か。
加速された思考が、一瞬でその情報を読み取っていった。
不必要な情報なのに。
やはり、俺は探偵をやめたくはなかったのか。
そんな心残りと共に、降り下ろされる刀を睨み付けた。
──その瞬間だった。
奴の手元からその刀が弾き飛ばされたのを確認したのだ。
──バシャバシャバシャ!
水溜まりを駆ける、数人の足音が鼓膜を打った。
(やっと、助けが来てくれたのか……)
安堵した瞬間、思い出したかのよう、体に激痛が走った。
「うぐっ!?」
たまらずに抉れた肩に手を伸ばした。
しかし、そこにはある筈のものがなかった。
「……え?」
それを認識した瞬間、更なる激痛が体を襲った。
「うぐあぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!」
喉が張り裂けるほどの絶叫に身悶えする。
熱く、熱く張り裂けそうな激痛が襲う。
そしてやがて、血液は流出し、体温が低下していく。
瞬間、頭の中で、何かが弾けとんだ音がした。
それから俺は、その何かに飲まれるようにして、意識を手放したのたった──。
次回、ジョン・エインズワース
魔法解説。
ダクト:目眩ましと同時に、敵を吹き飛ばす青い炎の魔力弾を打ち出す。中等魔法に分類。




