8.きのせいではない
ぽかぽか陽気に誘われて、白い蝶はひらひらと草木の周りを舞っています。土いじりの手を止め、その光景をただただ眺めているだけで何も事を起こすことができないイヌペンは、最近ひまだなあと心の中でつぶやいたのです。イヌペンの趣味のひとつである作詩のやる気はこの前の出来事のせいでいまだ回復せず、それにともなってもうひとつの趣味の園芸もはかどりません。となりで一緒に土を耕しているピーコは、「なっ。ピーコ」と意味のない同意をイヌペンに突然求められたので当然戸惑いました。
「さっき、オレが心の中で思ったじゃない。ひまって」
「あ、そうだね……」
わたしゃお前の心の中なんて知りたくもないよ、と言わんばかりにピーコは軽く受け流しました。とくにここ数日のイヌペンは事あるごとに「なっピーコ」と言ってしまう癖がひどく、聞かされる身のピーコはとうにノイローゼになっているのです。
家の中で休憩をしていると、状況打破の助け船となるような家の呼び鈴が響きました。ピーコとイヌペンは嬉々として玄関へ足を運ぶと、今回の訪問者はライビンとサボンでした。ライビンは「やあ」と気楽なあいさつをしてから本題を切り出します。
「イヌペンよ、これからオレらと軽くトレッキングしねぇか?」
「トレッキングってなに? 筋トレ?」
「あぁ、筋トレではなくて、トレッキングっていうのはだなあ山歩きのことを指すのだよ」
ライビンはほほを緩めて自慢げに答えました。
「あーん? じゃあ登山とはどう違うの? ハイキングとピクニックとの違いについて詳しくどうぞ」
「……すまない。そこまで詳しくないんだ。ハイキングでいいです」
そこまでの知識しかないのか、ぜい肉は腹の周りにびっしりついているのにとイヌペンは落胆し、ため息をつきました。そのあとサボンに今回のハイキングの目的を質問しました。
「ちょっとした気晴らしみてーなもんだから。お前最近外に出かけてないみたいだし」
「ねえ良いんじゃない、お父さん。気分転換にはよさそうだよ」
ひょっこり現れたピーコにもそうおすすめされたイヌペンですが、気分的にあまり乗り気ではありません。どうしても不安になってしまって前を向けません。その落ち込んでいる姿を見てライビンは、「オレのダイエットを兼ねたハイキングに二人に付き合ってもらう。疲れて泣きべそかくなよ!」と明るく笑い飛ばしました。サボンは口元をニヤリとさせ、イヌペンの様子をうかがいました。
歩きくたびれて泣きべそをかくライビンの姿を拝めるかもとイヌペンは快諾し、それぞれ支度を整えて集合場所へ向かいました。
30分後――
集合場所には軽装のライビン、野球帽のみのサボン、色々な物を詰め込んだリュックサックをしょいこんだイヌペンがいました。
「男はナイフ一本のみでどうにかするものなんだぜ」
「ふーん。そういう事を言いたいのならオレは裸一貫だあ!」
「……まあいろんな意味で裸だわな、おまえは。ところでイヌペンはそんな大荷物でどこへ行く気なの?」
「え? だって、備えあれば憂いなしって言うじゃん?」
イヌペンはとぼけたような表情でそう言うものなので、なにを持参してきたのかサボンは尋ねました。イヌペンはリュックサックから荷物をひとつひとつ取り出してみせました。
「えーっとね、まずはチョコレート。雨が降っても問題ないように折りたたみ傘と、水筒、帰りの暗がりのために懐中電灯、昼寝用の毛布、あと水鉄砲」
サボンはまず水鉄砲は何に使うのよとイヌペンに質問すると、チョコレートがなくなった時に水鉄砲で獲物を撃ち落して腹の足しにするというのです。
「イヌペンはほんと心配性だなあー。それに水鉄砲を使わなくてもなんとかなるだろ。なあライビン」
「まあ何かの役にはたつかもしれないけど、そもそも遭難に備えるほどの装備は今日はいらないんだよ。イヌペンの体格じゃ、そんな大荷物で歩くの絶対辛いぞ?」
いらない荷物を置きに一度帰るのが面倒くさいイヌペンは、上っ面では平気だという態度をとるも、本心はもし歩き疲れたらサボンにおんぶしてもらう腹積もりでいました。
一行は集合場所近くの森林で散策をスタートします。この森林はイヌペンたちの住まう村では唯一であり、手付かずの自然が残る憩いの場でもあります。そこらじゅうに転がっている倒木に様々な種類のきのこが生えているのでイヌペンは興味深く観察していると、そこへライビンが得意げに近づきムダ知識を披露しはじめました。
「ほら、さっきそのへんで拾った虫の死骸から生えるキノコなんだけどさぁ、キノコは樹木以外からも生えるってこと知ってた?」
「知ってる。ちなみにキノコを育てて自分たちの食料にする虫のことも知ってる。オレがキノコに注目している理由ってのは、この土のほうというか栄養源のほうなのよ。さすがにいろんなキノコがたくさんありすぎだとは思わない? ちょうど良いや、園芸用に土持って帰ろうかな」
出鼻をくじかれ、さらには雑学の先読みまでされてしまって面目丸つぶれのライビンですが、無断で他人の土地から山菜摘みをする盗人のような行為をしかねないイヌペンをたしなめます。
「そういうのはやめとこうや。逆の立場になって考えてみろ、どこの誰かもわからないやつに自宅の土をえぐられて持って行かれたと確信めいた日にゃいい気分ではいられないだろう?」
「そりゃあそうだけどさ、ジョークを本気にされても困っちゃうんだけど。いくら栄養的に良い土だとしても、栄養の元がわからねーのに持って帰るかっつの。どうせ、何を食ってるかわからねー動物の糞だろ」
二人は互いにあきれます。ひとりで先行してしまっていたサボンが悲しそうにUターンして戻ってくると、二人ともそのさまが尚更おかしく感じて、それまでのやり取りのことなどすっかり忘れてしまいました。
三人そろって歩みを進めた矢先、心地よい散策を邪魔するかのように森の上空は急速に薄暗くなり、うっそうとする木々の葉はかさかさと音をたてます。それでもせっかく散策をしにここへやってきたので、すぐに帰るという選択はできなかったのです。
やけに暗くなった森の中を歩く三人はとても慎重に進んでいます。というのも、右前方の斜面にむき出しになっている風穴が三人を飲み込まんばかりに存在をアピールしているからです。灰色の景色を吸い込むようなその黒い口を目にした三人はそれぞれに言いました。
「おいサボンにイヌペン。さっきからなんだか妙な気配を感じないか?」
「き、気にしすぎっしょ。なんでもねえって。この肌寒い天気のせいだよ」
「んじゃサボン、この毛布つかう? 寒いんでしょ」
イヌペンから毛布を差し出されたサボンは、そういうことじゃねーって、と困惑しますがせっかく取り出してくれた毛布なのでおとなしく受け取りました。その毛布を体に巻きつけるように使用すると、体が暖かくなったせいなのか、体を毛布で締め付けているせいかわかりませんが、サボンの不安感はすっかり解消して周りがよく見えるようになりました。
「やっぱり気のせいだったわ。あの影の奥にはなにもないっぽい」
サボンの視力を疑わない二人がその言葉を信じた瞬間、近くの草陰からザバッと影が飛び出し、サボンを包んでいた毛布がふわりと舞ったのです。ライビンはその影がサボンを連れて風穴の中へ吸い込まれて行くのを視認するも、一瞬の出来事に混乱せざるをえません。この状況に冷静だったのはイヌペンでした。
「ライビン。面倒だけど助けに行くしかねーな」
「……ああ。それに、あの影の正体を確認するためにもね。毛布、お前のバッグに入れとくぞ」
数分して二人は風穴の前にたどり着くと、風穴の中からお腹に響くような低い雷鳴が伝わってきました。恐怖で次の一歩を踏み出せないでいると、背中へ強風が吹きつけて吸い込まれるように洞窟へ侵入してしまいました。
イヌペンの懐中電灯をたよりに一本道の洞窟へ潜り込んで、まもなくしてふたつの分かれ道にたどり着きました。
「サバイバルの達人なんでしょ、ライビンは。たまにはいいとこ見せてよ」
「これに関してはサバイバルあまり関係ないと思うけど……。でもこうやって指をなめて湿らせると、多少空気の動きを感じることができるんだ。洞窟の深部になるほど空気の動きは緩慢になるし、風が吹きつけるという事はつまり外界の出入り口が近いってことなんだよ」
「風が吹いてくる方向がわかっても、サボンの居場所わからないんじゃ意味ないじゃん。結果的にどの分かれ道も風の動き感じないし」
「……そうだけどさ。じゃあ二手に分かれて進むか? それとも一緒にひとつずつ行ってみるか?」
「サーーーーーボーーーーーン!!!! 近くにいるなら出てこーーーーーーい!!!」
「うわっ、びっくりした! 急に大きな声を出すなよ」
イヌペンの咆哮は洞窟内で複雑に反射し続けて、その振動はたしかにどこぞにいるサボンの毛にヒットしたのです。チクチクの硬い毛はイヌペンの声を跳ね返し、サボン特有の音色を奏でました。
「大声をだしたら、なんだかサボンの感触をつかめたっぽいぞ。こっちだ!」
率先して左側の道へ進むイヌペンに対し、ライビンはやけに怖気ついて根が生えたように動く事ができませんでした。
「おい、イヌペン! そんな軽率な行動はサバイバル的に死につながるんだぞ! 聞いてんのかおい! まてや!!」
ライビンはイヌペンをずいぶん罵倒しましたが、当のイヌペンは微笑みながらライビンの元へ戻って行き、小さな手を差し出しました。
「まったく、怖くて駄々をこねるんだからもう。一緒に行くぞー」
「違うっつーに。一人だけで暗い所に突っ込んでいったら危ないだろ……。何が起こるのかわからないのに」
ライビンの忠告を話半分に聞いている様子のイヌペンは汗だくの手をぐいぐいとひっぱります。さすがにもういいからと、ライビン自らつながった手をほどきます。
そんな矢先、先の道からほのかに明るさが伝わってくると同時になにやら足音のような物音もするので、二人は警戒して壁際にくっついて隠れました。ライビンは小声で懐中電灯を消すようイヌペンに指示し、イヌペンもそれに従いました。ぼやけた明かりが少しずつ鮮明になるにしたがい、明かりの主の影も現れ始め、直後その正体がたいまつを所持したサボンだということも二人は感じ取ります。
「サボン! 無事だったのか!」
ライビンはうれしそうに歩み寄ると、凍えるようにおびえきったサボンを目の当たりにしました。突然サボンの背後から影が飛び出し、考える間もなくライビンとイヌペン共々影の縄で簡単に捕縛されてしまったのです。そして奥へ続く暗がりへと連行されてしまいました。
広さでいえば十畳くらい、高さ2メートルくらいの部屋にいつぞやの豆っぽい人に毛が生えたようなやつが4人と、祭壇上に鎮座するなにかがひとつ、それのいけにえにされたイヌペンとライビンがいました。たいまつ一本が祭壇に掲げられているだけの薄暗い空間で、毛豆たちは小声でぶつぶつつぶやきつつ儀式の準備をしています。丸太にぎっちり縛り付けられてしまったイヌペンとライビンは言葉を交わさずとも、同じ疑問を抱かずにはいられませんでした。
(どうしてサボンだけは自由の身なのだ?)
サボンはちらりとイヌペンたちの姿を確認しようとしますが、確認するまでもなく冷たい視線を強く感じるしこのような状況上気まずいので、うつむいてじっとするほかありません。すると、毛豆の一人がサボンに近づき何やら儀式の手伝いをするよう促すしぐさをしました。それに対し迷惑そうに首を振るサボンを見て毛豆は試すようにいくばくか注視し、何事もなかったかのように元の仕事へと戻りました。
ごめんよ、二人とも。こうするしかなかったんだ。喋ったり、抵抗するようなことをしようとすると目玉がむけ落ちるんじゃないかと思うくらい目を見開いて顔を近づけるんだ。なんてったってそれが怖いし、なんか息が生臭いし気力がごっそりなくなるのよ。喋る口にあのくっさい臭い入れたくない気持ちわかるだろ。サボンはきつく目を閉じて無責任な自責の念にかられていました。イヌペンはぴくりとも動こうとしないサボンにいらだち、おい助けろやと小声で言いました。
「おおう、ごめん。今縄をほどくよ」
サボンがイヌペンの背後に回りかけたとき、気配を感知した毛豆が驚いた表情でイヌペンの前に近づきそのまま息をおもいっきり吹きかけたのです。目が一瞬ですっぱくなるような刺激的で、体中がその臭いに汚染されたようなしびれを三人は共有してしまいました。直撃を受けたイヌペンは今までピーコにおならを吹き付けていたことを走馬灯のように後悔し、気を失いつつもちょっぴりばかしの抵抗ならざるすかしっぺを漏らしました。それを受けて毛豆は鼻で笑ったように口角を上げます。
(きさまたち……。いい加減にしろ、ぼくを怒らせたいのか?)
岩の隅々の隙間から語りかけてくるような、映画館のサラウンドチャンネル顔負けの全身体感音声が室内に響き渡りました。間近に落ちる雷鳴のようなその声はその場にいる全員の立場を再び理解させるのには十分でした。急いで毛豆たちは祭壇の位置につき交信を始めます。
「いけにえたちが無駄な抵抗をするものなので……。では始めてもよろしいでしょうか?」
「いいから早くしろ。もう我慢できないんだよ!」
カシャーン! と硬いものを落としたような音がしたのでその方向へ毛豆たちは振り向くと、隠し持っていたナイフで縄を切り裂こうとしたところヘマをしてしまったライビンがいました。
「初めてやるのに無理だっちゅうなこんなの……。ナイフもろくに使えなんて」
お手本のようにかっこよくきめたかったライビンは震えて落胆しました。よし、お前から料理してやると言わんばかりに毛豆たちはのっしりのっしりとライビンへ迫り、扇状に取り囲んで吐息を一斉放射する腹積もりのようです。
「イヌペンがくらったやつの四倍か……。苦しまずに死ねそうだな」
「おい、そこに突っ立っている新入りもこっちにくるんだ!」
毛豆の一人がサボンに向けて叫びました。サボンはすっとぼけた表情をしたまま動こうともしませんが、ライビンはこれを受けてようやく状況を飲み込むことができたのです。
そうか、どういう理由だかわからないけれどサボンはやつらに仲間だと思われているのか。でもそんなことがわかったところで遅かれ早かれサボンの正体はバレそうだし、何もできないオレたちはここで死ぬ運命なんだ……。まてよ。イヌペンがサボンに助けを求めたとき、イヌペンが攻撃を受けたのは理解できるが、実際にそれの実行をしようとしたサボンをやつらは責めなかったのはなぜだ。ここの空間が薄暗いってのもあるが、サボンが柱のうしろ側に回っていて見えなかったのか? いや、小さな物音でもおかしな反応をするやつらだ。サボンの起こす気配なんてとっくにわかっているはずなのに。まさか耳が良くて目が悪いのか? それならすべてに合点がいくけれど、そこまで目が悪そうじゃないんだよな。はあ、そんなことがわかったところでオレにはなにもできやしないんだ……。
ライビンのくだらない思考を描いているうちに、サボンは毛豆に背中を押されてライビンの前面に立たされてしまいました。申し訳なさそうに震えるサボンにライビンは「誰も悪くないんだ。みんな怖いのさ」という聖者じみたコメントをやさしくかけたかったのですが、声をあげる気力もなく状況を受け入れるがままでした。
「ゆるしてください! ぼくたちはただこの森を散歩してただけなんです! もう二度と立ち入りしませんから! 命だけはお助けください!!」
直立不動でサボンは突如絶叫し、毛豆たちはきょとんとして目玉を大きくしました。それに答えるように岩の隙間から声がします。
「いきなりうるせーなぁ。でも、ぶっちゃけ今は腹いっぱいなんだよな。それよりもお前らの持ってきた供えものを全部よこせ。そうしたら全員解放してやるぞ」
サボンたちにとって朗報である天の声はより一層明瞭にはっきり響きました。ライビンはうなだれた頭をあげると、顔を一点に集めて泣きべそをかくサボンがいたのでうっすらともらい泣きしてしまいました。そして天の声に対して、オレたちの持っているものはすべてお供えしますが、一応となりで白目むいているやつにも話を聞かせたいので、起こしてやってもよいですかと問いかけます。声は簡単に二つ返事をするものなので、毛豆たちは戸惑いつつも仕方がないのでイヌペンの目覚めを手伝います。ほほをつねられたりされたイヌペンは徐々に正気にもどり、嬉し顔のライビンは状況の説明をしてあげました。
「やーよ! なんでタダで自分の商売道具をお供えしなくちゃいけないのよ。粗品でもいいから何か渡すのが礼儀ってもんでしょうが!」
イヌペンがこのような態度を取るとはライビンは想像がついていたのに、このように実現してしまうと強い後悔が一気にしゃくり上げてきました。そこに声色を変えた天の声がイヌペンの駄々に反応します。
「おや? この声はもしや……。なるほど、これはあなたとそのご友人にひどく失礼なことをしてしまったようです。供え物は絶対に置いていってもらいますが、あなた方からは命をもらうとか一切ありませんのでご安心を。あっ、『おまけ』はあとでプレゼントしますからお楽しみに!」
「おまけくれんの? じゃあ文句はないかな。早くちょーだいね」
なあなあのやり取りにサボンとライビンは困惑と安堵の気持ちが入り乱れるも、ただちに丁寧に拘束をとかれ、ようやく自由の身となったイヌペンたちは祭壇へおもむき装備品をすべてお供えしました。
「ありがとう、素晴らしき来訪者よ。これで私も自由の身となる。ささやかだがそのお礼とお詫びを兼ねて私から貴様たちにほうびを授ける」
天の声がそう言い終えた途端、祭壇の上の岩壁から恐ろしいほどの閃光と轟音が襲いかかったのです。
気がついた時には三人とも洞穴の入り口で伏していました。強い西日が差していますがいつの間にか強い通り雨があったらしく、地面はたっぷりと水を含んでところどころ小さな川が出現しています。そこで目を覚ましたのはサボンです。
「イヌペン、ライビン、生きてるか? おい。あ、大丈夫そうか?」
「うー。おれぁ全然平気だ。サボン、お前も無事そうだな。イヌペンも生意気な顔してるし、全員一応なんともないみたいだな」
「おまけは? プレゼントは? ごほうびはどこ?」
「イヌペン……とりあえず命があるだけでもいいじゃないか。あのような正体のつかめない連中がさ、甘いことするわけないだろう」
ライビンはイヌペンになるべくやさしい口調でさとしました。イヌペンは不満を隠せない様子でしたが、野蛮人にくさい吐息をひっかけられたりしたことをうっかり思い出すと、静かに小さくうなずきました。ライビンはどうしても解せない天の声とイヌペンの関係を問いただしたのですが、イヌペンも声だけはどこかで聞いたことがあるだけのようでやはり知り合いでもなんでもありませんでした。おまえらしいや、とサボンは小言をこぼすと同時に自分自身の異変に気が付きます。
「あれ? 帽子がない! 親父とおそろいの帽子をどっかに落とした!」
サボンの父親に対する狂気じみた愛を知っている二人は肝を冷やしますが、付近の木陰に帽子が落ちているのをあっさりと見つけたので胸をなでおろしました。サボンは自ら帽子を拾うとその足元にぬめりと粘りけが入り混じった妙な感触を覚えました。ああ、ばっちぃもの踏んじゃったかなあというニュアンスでゆっくりと足をあげると、足あとから水分が浮きだして土や落ち葉とぐるぐると混ざり合いました。これを興味なく置き去りにして、三人は帰路につきました。
ササーと葉のこすれあう音が夜空に食べられるとき、森に残されたサボンの足あとから大きなきのこがブリンブリンといくつも生い茂ってなにかを歓迎しているようでした。