序章 円環のヒストリア 6
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斜体の表示の仕方を知っている方たいれば、教えてくださると助かります。
美冬ちゃんと別れたあと、とくに何かをやろうという気にはなれなかったので、わたしは寮の部屋へと帰った。
その途中でも頭の奥をかすめるのは彼女が去り際に言った言葉だ。
「この世界は完全ではない」
――どういう意味なんだろう?
部屋のベッドに横だわりながら考える。
意味などないのかもしれない。
彼女にしては珍しい冗談なのかもしれない。
あるいは、ただ、わたしをからかったのかもしれない……
そんなことを考えると瞼が重くなっていく。
いつの間にか、わたしは眠ってしまった。
***
「夕夏、もう起きな」
身体を揺すられて目を覚ました。
目の前にはルームメイトの沙耶ちゃん。わたしを起こしてくれたようだ。
時計を見ると夕食の時間まであと十分もない。
わたしは沙耶ちゃんにお礼を言って、食堂へと急いだ。
そのころには、美冬ちゃんの言葉など忘れていた。
***
次の日の午前になるまでわたしは美冬ちゃんに渡されたメモのようなもののことを忘れていた。
美冬ちゃんが去り際に渡していったものだ。
昼休みには美冬ちゃんと再び顔を合わせることになる。
その前に目を通すぐらいのことはしておかなければならない。
わたしは悪いと知りつつも授業中にメモを読むことを決意した。
メモは小さな字でぎっしりと書かれていたため、見た目よりも内容があった。
美冬ちゃん直筆のメモだ。
わたしは内容に入る前に美冬ちゃんの字をまじまじと見る。
思えば、彼女の字を見るのははじめてだった。
綺麗な字だった。
走り書きのようではあるが、それでもちっとも崩れていない。
ちょっと線が神経質なところが気になったが。
いつまでも字ばかり見ているわけにはいかない。
メモの内容に目を移す。
メモは七不思議に関する美冬ちゃんの簡単なコメントだった。
こんな感じだ。
<i>――一つ、渡り廊下にある鏡を4時44分にのぞくと中に引き込まれてしまう。
鏡に引き込まれてしまうというのはわりあいポピュラーな怪談である。話を「学校の怪談」に限っても決して珍しいものではなく、時間の指定もありふれたものである。怪談としては取り立てて語ることはない。
渡り廊下はこの学校に二つあるが、鏡があるのは高校校舎から北校舎へ至る一本のみである。</i>
その階段は私も当然知っている。
北校舎に行くときに通るからだ。
近くにはよくわからない抽象画や貨幣のレプリカなんかが飾られていたはずだ。
<i>――一つ、校庭の隅にある桜の木のどれかで、昔、生徒が首を吊った。
この「七不思議」には奇妙なものが多い。これもその一つである。「七不思議」という括りで他のものと一緒に語られてしまうので紛らわしいが、これは怪談でも不思議でもない。この文章が語るのは単に自殺した生徒がいるというだけで、その霊が出るとかそういうことではない。この文章は単なる事実の描写でにすぎない。
いや、そもそもこの文章群を「七不思議」と捉えるのが私の予断なのかもしれない。文章自体は一言一句違わず伝承されたが、「櫻花高校七不思議」というタイトルは語る人によってさまざまだった。これは本当は「七不思議」ではなく、別の何かなのかもしれない。
文中の「桜の木」は六本桜のことだろう。櫻花高校の名前の由来となったともいわれる桜の木で、その名の通り六本ある。生徒が自殺したのはそのどれかだろう。
ちなみに、私が調べた範囲ではこの学校で自殺した生徒はいない。</i>
「六本桜」のことならこの学校に通う生徒ならだれでも知っているだろう。
もしかしたら生徒手帳にも書いてあるかもしれない。
それだけに、怪しげな噂も少なくない。
<i>――一つ、図書館の閉架書庫の奥には呪われた二冊の本がある。そこには自分の過去と未来が書いてあるという。見つけても決して読んではいけない。読んだら呪われてしまう。
現在この学校にある「閉架書庫」は総合図書館の一つだけである。総合図書館は十九年前に完成した。それ以前は閉架書庫はなかったそうだ。
閉架書庫に入れるのは仕事を任された図書委員か司書の先生のみ。それ以外の生徒が入るには特別な許可がいる。必要な本はそのどちらかに取ってもらえばいいので一般の生徒が入ることは滅多にない。</i>
これは前に美冬ちゃんが言っていたことの確認だ。
<i>――一つ、中庭には人の顔をした猫が出没する。目を合わせることができれば3つだけ願いをかなえてくれる。
中庭は高校校舎と北校舎の間にある。
人面犬というのはよく聞くが、人面描とはあまり聞かない。強いて言えばギリシャ神話のスフィンクスだろうか。3、という数字もどことなく彼女を連想させる。</i>
スフィンクス?
わたしはエジプトの物しか知らない。
<i>――一つ、高校校舎には地下室がある。1階のどこかが秘密の入り口になっている。
高校校舎の一階は現状あまり使われる機会がなく、あまり詳しいことはわからない。高校校舎が建っているあたりは高低差があるため、「秘密の地下室」の存在も無いとは言い切れない。本当のところはは図面を見てみなければわからないが。
高校校舎ができたのは今から28年前である。</i>
一階はあまり行く機会がないのは本当だ。美冬ちゃんが言った通り高低差のあるところに建っているので、一階とは言っても半ば地下のような印象を受ける。
<i>――一つ、誰もいない音楽室から夜、「運命」の音が聞こえてくる。
これも不可解な怪談である。この「運命」はベートーヴェンの第五交響曲だと考えられるが、それは「交響曲」である。管楽器、弦楽器、打楽器、金管楽器などを使って演奏するものだ。当然、大がかりな物であり、櫻花の音楽室の設備で完全に演奏することは不可能である。それ以前に、誰もいない音楽室からそんなたいそれたものが聞こえてくるというのは怪談を通り越して笑い話だ。もちろん、ピアノや他の楽器で弾くことが不可能なわけではないが、いずれにせよ不可解であることに変わりはない。
この学校には中学と高校の二つの音楽室があるが、怪談の内容が高校校舎の近くにとどまっている以上高校音楽室のことだと考えるのが妥当か。</i>
なるほど、言われてみればそうだ。
怪談としては「月光」なんかの方がポピュラーだろう。
<i>――一つ、北館には亡霊が彷徨っている。そのため、北館では生徒の数が合わないことがある。
これについても特筆すべきことはない。が、上にも述べたとおり、この怪談群が高校校舎、それから渡り廊下でつながった北校舎に集中していることが少し気になる。</i>
これで七つだ。
なんとなく、この怪談の輪郭のようなものが見えてくる。
この怪談は……
全てを読み終えたころには授業は四時間目になっており、昼休みまで間もなかった。
***
昼休み。
わたしはいつものように渡り廊下を通り、北校舎に行く。
直前に美冬ちゃんのメモを読んでいたせいか、どことなく不気味に感じる。
階段を上る。
四階へ、正確にはその先の屋上へと続く怪談の踊り場へと。
はたして、そこに彼女はいた。
髪をなびかせて。
彼女が振り向く。
「この怪談、貴方はどう思う?」
問われた。
考えるよりも前に口が開く。
「わたしは、メッセージだと思う」
美冬ちゃんはそれを聞くと穏やかに笑んだ。
今までに見たことのない顔。
きっとこの先、二度と見せてくれないだろう。
それは、訪れない奇跡を待つ巡礼者のような表情だった。