序章 円環のヒストリア 5
驚いたことに、美冬ちゃんは放課後には、あの紙袋いっぱいの部誌を調べ終わったらしい。
「結論から言いましょう」
わたしがいつものとおり北校舎の怪談に行くと、彼女は読んでいた本から顔をあげてそう切り出した。
「『七不思議』は社会科研究部誌39号、今からちょうど十八年前に出された部誌にまでさかのぼることができたわ」
そう言って、彼女はその部誌を差し出す。
十八年前のものだけあって古い。
表紙やフォントなど、細かいところが今のセンスとは微妙にずれていて、妙なおかしさがあった。
件の記事を見つける。
「櫻花高校七不思議について」、というのが記事のタイトルだ。
その下を流し読みすると、例の、一字一句違わない文句がかかれているのが見える。
今更ながら、この七不思議のおかしさを実感した。
「最近話題、って書いてあるでしょう?」
美冬ちゃんが言う。
確かに、記事の書き出しのところにそんなことが書かれている。
「七不思議を扱った記事は他にもいくつかあったんだけど、そのどれもが七不思議は昔から伝わるものだと書かれているのよ。この記事が唯一の例外。だから、この記事が一番七不思議の起源に近いところにあると思う。それに……」
そう言って、彼女は違う部誌を差し出した。
文化研究部の部誌、十九年前のものだ。
中を見て驚く。
「これって……」
「そう」
「櫻花高校に伝わる伝説」というのがその記事だ。
そこには、わたしたちが追いかけているのとはまるで違う伝説が書かれている。
女子トイレを彷徨う幽霊や、深夜の鏡にまつわるものなど共通するモチーフも多いが、こちらの記事方がいかにも学校の怪談、という感じがする。
もちろん、数だって七にとどまらない。
ざっと数えてみても十を超えていた。
このことが指し示す結論は……
「十八年前を境にして、この学校の怪談は大きく変化している」
美冬ちゃんが言う。
「もちろん、断定しきることはできないけど」
***
しばらくの間、沈黙が続いた。
「これからどうするの?」
わたしは美冬ちゃんに尋ねた。
この期に及んでようやく、わたしは事の重大性を把握し始めていた。
――十八年前に変化した学校の怪談
――それが一字一句違わず伝承され続けている現実
なるほど、これは確かに怪奇現象だ。それも、とてもたちの悪い。
人の顔をした猫や、呪われた本、亡霊、そんなものの方がましだったかもしれない。
だって、彼らは目にすることができる。触れることだってできるかもしれない。
そうすれば、ただ未知だというだけで、現実の物と大して変わらない。
でも、この七不思議は違う。
それは触れられない。
実体を持たないのだ。
けれど、明らかな異常を突き付けてくる。
この世界にぽっかりと空いた不条理を押し付けてくる。
それは、わたしが感じたことのない恐怖だ。
――この世界は完全なの?
そんな、わたしらしくない問いを頭の中に引き起こすくらいに……
「私は、調べるわ。だって続きが気になって眠れないもの」
彼女はそう言った。
――強いなあ
そんなことを思った。
彼女はこういった恐怖には慣れっこなのかもしれない。
「でも、貴方に付き合うことを強制したりするつもりはないわ。貸し借りはもうないしね」
美冬ちゃんの目がわたしの目を射抜く。
「貴方はどうしたいの?」
まっすぐと、何のためらいもなく。
「わからない……でも、わたしも気になる」
何気なく言った言葉だった。
でも、言った後にそれが本心なのだと気がついた。
「そう、じゃあせっかくだから一緒に調べましょう。わざわざ別行動する意味もないのだから」
そう言って彼女は立ち上がる。
「幸い手がかりがないわけでもないのよ。細かいことは明日話すわ」
彼女はわたしに何枚かのメモのようなものを手渡すと、階段を下りていく。
わたしは、ただその背中を見つめる。
「そうそう、ひとつ言い忘れていたわ」
ふと、その背中が振り返る。
――この世界は、完全ではないのよ
挨拶でもするような口調でそう言ったあと、再び彼女は階段を下って行った。