序章 円環のヒストリア 2
「もう一度って、七不思議をもう一回言うってこと?」
「そう。お願い」
美冬ちゃんの意図はいまいちわからないがお安い御用だ。
えーっと、まずはなにからだったっけ……
櫻花高校七不思議
一つ、渡り廊下にある鏡を4時44分にのぞくと中に引き込まれてしまう。
一つ、誰もいない音楽室から夜、「運命」の音が聞こえてくる。
一つ、校庭の隅にある桜の木のどれかで、昔、生徒が首を吊った。
一つ、図書館の閉架書庫の奥には呪われた二冊の本がある。そこには自分の過去と未来が書いてあるという。見つけても決して読んではいけない。読んだら呪われてしまう。
一つ、高校校舎には地下室がある。1階のどこかが秘密の入り口になっている。
一つ、北館には亡霊が彷徨っている。そのため、北館では生徒の数が合わないことがある。
一つ、中庭には人の顔をした猫が出没する。目を合わせることができれば3つだけ願いをかなえてくれる。
さっきと同様、ひとつずつ思い出しながら、わたしはこんな感じのことを言った。
ただの七不思議だ。これといって驚くことがあるわけじゃない。
それなのに、美冬ちゃんの顔はますます険しくなる。
何かを考え込んでいるような。
まるでありえないものを目にしているような。
こんな美冬ちゃんを見るのは初めてだった。
「美冬ちゃん、どうしたの? もしかして具合でも……」
「あなた、自分で気づいてる?」
わたしの言葉は彼女の言葉に遮られた。
「気づいてるって、何に?」
美冬ちゃんはため息を一つついて、言った。
「一言一句違ってないのよ」
「どういうこと?」
「一言一句違ってないのよ、順番は変わっているけど。貴方が最初に私に七不思議とやらを紹介したとき、私が再確認したとき、そして今、そのどれも貴方は助詞一つたりとも間違えず、まったく同じことを言ったの。まるで、信者が聖典の章句を暗唱するように」
なるほど、自分では気づかなかった
「それはすごい偶然だね」
「偶然なんてもんじゃないわ!」
美冬ちゃんが急に大きな声を出した。
こんなことは本当に、今まで一度も見たことがない。
彼女自身も、自分の行動に自分で驚いているようだった。
「じゃあ、聞くわ。貴方はこの七不思議をおぼえようと特別の努力をしたかしら?」
「してないよ」
「たとえば、聞いたものをレコードのように記憶できるといった特殊な能力を持っていたりは?」
「しないね」
そんなのがあったらテストのときに苦労したりしないだろう。
「七不思議を言うとき、それはスラスラ出てきたかしら?」
「いや、結構悩みながら言ったと思う。ちゃんと七個言ったかどうか最後まで不安だったし……」
美冬ちゃんの考えがなんとなくわかってきた。
確かに妙だ。
わたしは特に七不思議を完全に暗唱しようなどとは思っていない。
それなのに、わたしは一言一句違わずに答えて見せたという。
背中を冷たい汗が伝っていく。
「さっきの伝言ゲームの話をおぼえているかしら?」
「口で伝わった情報は歪んじゃうって話だっけ?」
「その通りよ」
「つまり、その話からすると、わたしが何回も連続でまったく同じことを言ったのがおかしいってことだよね」
でも、まだわたしはこれが単なる偶然だという考えを捨てることはできない。
美冬ちゃんはそれなのに、どうして、まるで幽霊でも見ているかのような顔をしているのだろう。
「もちろんそれもある。
簡単に確認しておくけど、普通の人が思っているよりも何倍も、言い間違いというのは多いものなの。疑いたいのなら、適当な会話を録音して、文字に起こしてみればいい。それだけで、今の状況の異常性は十分わかるはずだわ。たとえば、貴方は好きな歌の文句や好きな小説の文章、どれだけ正確に言える自信がある?」
頭の中に思い浮かべてみる。なんとなくならわかるが、たとえ大好きなものだったとしても、正確にという条件をつけられたらとても難しいんじゃないだろうか。
「でも、それだけじゃない。この場合、他にも異常な点が二点ある」
美冬ちゃんの人差し指が伸びて、「1」をつくる。
「一つ目は、貴方は七不思議本文以外では言い間違いに近いことをしている、ということ。
たとえば、七不思議の名称。最初、貴方は『櫻花女学院七不思議』と言ったわ。でも、そのあと、貴方は『櫻花高校七不思議』と言っている。
他にもあるわ。これは言い間違えとは言えないけど、貴方は最初、中庭の猫に『頼む』と言った。でも、七不思議本文では中庭の猫に願いを叶えてもらう条件は『目を合わせる』になってる。このことは、貴方の中でイメージの書き換え、無意識の解釈が起きていることを伺わせるけど、不思議なことにそれに関する七不思議本文での言い違いは一つたりともないのよ」
美冬ちゃんは中指を伸ばして、二本の指を立てる。
「二つ目、貴方は七不思議本文は言い間違えていないけど、七不思議の順番は最初と最後で変わったわ。
おかしいと思わない? 貴方は七不思議本文をすべて覚えることができているのに、何故順番だけ間違えるの? 完璧に暗記しているのならむしろ固定した順番で言った方がはるかに簡単なはずなのに、何故貴方はわざわざ順番を入れ替えて話したりしたのかしら?」
……何も言えなかった。
聞けば聞くほど妙な話だ。
どこか遠くで生徒の話し声が聞こえる。
ここからそう遠く離れているわけじゃないのに、それはどこか遠い国から聞こえてくるかのようだ。
「美冬ちゃんの気のせい、じゃないかな?」
今まで、美冬ちゃんが間違ったことを言ったことは一度もない。
それでもわたしは自分に言い聞かせるようにそう言った。、
心のどこかで、
この話に深入りしてはいけない、
と思っていたこともある。
「もちろんその可能性も否定できないわね。というより私はそちらであることを願いたいわ。だって……」
予鈴が校舎に響き渡る。
その音は彼女の声を掻き消し、彼女も口を閉じて鐘の終わりを待つ。
昼休み終了十分前の鐘。
それはわたしを日常へと返してくれる音色でもあり、
決定的瞬間のために心の準備をする猶予でもあり、
わたしを取り返しのつかないところへと導いてゆく合図のようでもあった。
鐘が鳴り終わる。
残響も踊り場の埃っぽい空気の中に溶けていく。
そうして、彼女は再び口を開いた。
――だって、これじゃあまるで、
本物の怪談みたいじゃない。
***
ただの偶然であってほしい。。
わたしは元の世界に帰ろうとするように、また、さっきの出来事が何かの間違えであったことを確認しようとするかのように、レポート課題に打ち込んだ。
昼休みまではあんなに気が重かったレポートなのに、わたしはそれに縋るように知り合いに取材して回った。
取材と言ってもたいしたことはない。
ただ、七不思議について話を聞くだけだ。
「沙耶ちゃん、櫻花高校の七不思議って聞いたことある?」
昼休み終了ぎりぎりに教室に帰るなり、わたしはまず、沙耶ちゃんに聞いてみた。
「ああ、知ってるよ。なに、藪から棒に? もしかしてレポートのせいで頭がどうかしちゃった?」
ころころ笑いながら沙耶ちゃんは答えた。
その笑顔を見て、少しほっとする。
「そのレポートに関する話なの……」
「七不思議を!? レポートに!? さては夕夏、とうとう焼きが回ったね」
沙耶ちゃんはお腹を抱えて笑っている。
「いいよ、教えてあげるよ。耳かっぽじってよくききなよ、……」
彼女は語りだす。
「一つ、高校校舎には……」
その瞬間、自分の顔から血の気が引いていくのが分かった。
沙耶ちゃんが語った内容は、わたしが美冬ちゃんに話した内容と寸分の違いもなかった。