奴、襲来!
大学生で一人暮らしをしていた頃、とても田舎でとても古い学生寮だったので、こんなこと日常茶飯事でした。
とても暑い日だった。気温は四十度近くになっているだろうか。玄関の扉を開けると六畳のスペース。左奥の扉を隔てて簡素なキッチン。さらに風呂までついている俺の部屋はまさに真夏という言葉がふさわしく、この上なく蒸し暑かった。
ここは大学の学生寮。畳の匂いがちょっとカビ臭いが狭くて住み良い俺の城。
ここに本日未明、侵入者が紛れ込んだ。
「どこだ……どこにいる?」
俺は手にした獲物を握り締め、周囲を見渡した。部屋の奥に置かれたブラウン管のテレビ、冷蔵庫。中央にちょんと置いてあるのは骨董屋で見つけたちゃぶ台だ。そして二年間俺に安眠を提供してくれている、薄っぺらい煎餅蒲団。いつもと何ら変わることのない、俺の部屋だ。
だが俺はこの中にいつもと違う“何者か”の気配を感じ取っていた。
冷たい汗が背中を伝う。心臓の鼓動がバクバクとうるさいくらい耳についた。
原因は分かっている。俺の部屋に奴らが狙いを定めたその理由は。
その時、視界の片隅で何かが動いた。
「……ッ! そこかぁ!」
手にした武器を俺は横凪にふり抜いた。古びたコンクリートの壁に小気味よい快音が鳴り響く。
だが、手応えはない。
「はあっ、はあっ、はあっ……くそっ!」
これで何度目か分からない攻防に苛立ちの声が零れる。
この状況を作った原因は、一週間前に遡る。
俺は日が沈む頃大学から帰宅し、空腹を満たすために米を炊いたのだ。そして冷蔵庫から簡単な食材を取り出し、野菜炒めでも作ろうと料理に取り掛かった。およそ一時間後、何事もなく米は炊きあがり、大皿いっぱいの野菜炒めも出来上がった。そこまではよかった。だが。
炊飯器を開けて、さあご飯にしようと独りごちた時、電話が掛かってきたのだ。携帯の画面には、大学の後輩であり俺の恋人でもある女の子の名前。電話をとり何事かを伺うと、来週提出のレポートを手伝って欲しいとのことだった。特に断る理由もなかったため、もしくはたまには先輩らしいところを見せようと思ったため、何でもいいが、とにかく俺は快く了承し、簡単に荷物を纏めて彼女の家へと向かったのだがその時。
炊きたてのご飯(五合)と大盛りの野菜炒めが、台所に置いた机の上で寂しそうにこちらを見ていることに、俺は気付かなかったのだ――
そして一週間後、現在。
彼女と過ごす時間に浮かれて一週間も長居してしまったことを少し……いや、割と本気で後悔している。
数えて七日ぶりに帰ってきた俺の部屋は、大量に押し寄せてきた“奴ら”に占拠されていた。咄嗟に玄関に置いてあった武器を手にし抗戦したが、戦況は劣勢。姿を見せず、素早い動きで這いずり回る奴らに、俺の精神は少しずつ蝕まれていた。
いや、落ち着くんだ。こういう時こそ冷静になれ。奴らとて万能じゃあない。必ず隙はあるはずだ。
俺は意識を集中し、右手に握った武器、通称ハエタタキを鞘にしまうイメージで左腰にそえる。同時に左足を軽く後ろに下げて、低く腰を落とした。
それは研ぎ澄まされた居合抜きの構え。
ここは俺の部屋、俺の空間。隅から隅まで知り尽くした、俺の城。この空間で俺にできないことは……ないッ!
鋭敏に研ぎ澄まされた耳が微かな物音を感じ取り、俺は頭で考えるよりも早く正面のちゃぶ台へ向けてハエタタキをふり抜いた。
ズパーーーンッ!!
何かが破裂したのではないかというほどの爆音が部屋の中を満たした。振るった右腕には確かな手応えが残っている。俺は目だけでその成果を探した。
抜刀の際、ハエタタキはちゃぶ台に叩きつけるのではなく、擦るように抜いた。武器を抜いた先は右の壁。果たしてそこには――
直径五センチほどの黒い虫、通称“G”が床へ転がることなく、壁に張りついたまま潰れて死んでいた。