すいかはどこへいった?
― いち ―
「ねえ」
「なんだ」
「君はさ。スイカと花火、どっちが好き?」
ある盆の昼下がり。
縁側に座る俺の横で、こいつはそう訪ねてきた。
「また唐突な質問だな」
「いいから」
「うーん、そうだなぁ。スイカは食べあきたな」
「そっか」
「……そんなことより、クソあちい!」
「……当然じゃない。夏だもの」
薄暗い天井を眺めながらぼやく俺と、そのとなりに、無表情で空を仰ぎ見ているこいつが、縁側にぽつりと座っていた。
「セミの声ですら、俺のフューリーメーターを急上昇させるっ」
「なんでそんな余計暑そうな言葉を選んだ」
「さっきMGS3やってたから」
「だから暑いんじゃない?」
「憤怒の炎しか燃えねぇよ……」
「そうだね」
気に留めるでもなく、空を見上げながら返答を返してくる。
「……べつにどうでもいいみたいな感じだな」
「けっこうどうでもいい」
「夏の太陽は熱烈なのに、お前は冷めてんな」
「それくらいがちょうどいいでしょ?」
軽くあしらわれる。
「言ってろ」
支えてた腕を横に逃し、とさりと仰向けに転がった。
まあ、こいつが冷たいのはいつものことだし、俺もとくに気にはしないけどさぁ。
「……手がいてぇ」
「畳に手をついてたからじゃない?」
「おっしゃるとおりです」
正論を述べられる。事実、俺が手をついていたのは畳の上だったから、きっと手のひらには、細かい線がびっしりと植え付けられてるに違いないわけで。
それにしても、畳はひんやりしている。
「ふぁ、つめたっ」
「私が?」
「それもだけど、畳だよ、畳」
「そうね」
ごろりと、こいつは俺の横に寝転がってきた。
「たしかに、冷たいわ」
「だろ? お前の気持ちとは違う、暖かさのなかに垣間見える涼しさが」
「ひとえに、私は気持ちも冷たいと?」
「あいかわらずそっけないよな」
「それが私よ」
「さいで」
目を閉じる。
天井が落とす影と畳が、程よく体を冷やしてくれる。やっぱり、田舎っつったら、夏の涼しさが強みだ。
コンクリジャングルの都会には、こんなのないぞ?
「というか都会って、夏はクソ暑いのに、冬はなんできっちり寒いのか」
「『人間社会の冷たさ』ってやつじゃない?」
「ちげぇねぇ。世知辛ぇわ……」
「それでもって、夏はさながら『亡者うごめく灼熱の血の池地獄』」
「人口密度半端ないからなぁ……って、ダレウマ」
くるりと寝返りを打ち、俺の方を向く。
「ねぇ。都会って、どんなところ?」
「都会か?」
「そう。都会住まいの君に、ぜひ聞いてみたいわ」
「っていってもなぁ」
「ねぇ、どんなところ?」
さっきこいつが言ったように、釜の底みたいにクソ熱くて、亡者みたいに人がもうわんさか行き交っていて、としか。
「あんまいいところじゃねぇよ」
「そうなの?」
「期間限定夏仕様でご紹介するなら、さっきお前が言ったような『人間社会の冷たさ』を、そのまま油でこんがり揚げたようなところだ」
「ふぅん」
言葉ではピンとこないのか、人差し指を口元でなぞりながら天井を見上げている。
「……ふぅん」
「なんだよ」
「そんなに悪いところなの?」
「いや、悪くはないかもしれないけど。賑やかではあるが、暖かくない」
「暖かくない?」
首をかしげて、俺の方を見てくる。
「なんというか、冷めてんだよなぁ、人間社会が」
「そうなの?」
「お前が言ったじゃん。『人間社会の冷たさ』ってさ。そのまんま」
「たとえば?」
「ちょうどいい話があるわ。前に電車乗ってた時にさ、電車でばあさんが荷物ぶちまけたのよ。みんな見ないふり」
「冷たいね」
「まわり動かないから、俺が拾ってやろうとしたら、『ちょっと、なんなの!』って拒まれちったのよ。困ってる人も助けられないこんな世の中じゃ」
「ポイズン」
「やかましいわ」
「狙ってたでしょ?」
「バレちったか」
舌を出してみたが、「キモイ」と一周されてしまった。ポイズン……。
「そんな感じだよ、都会は」
「冷たいのね」
「冷たいのよ」
話しかけてくれる人間なんていない。
それに比べて、やはり自然に囲まれた田舎はほんとにいい。基本的に狭いコミュニティからなる環境なので、だれかしら話かけてくれる人がいるんだもの。実家の最寄り駅からここに帰るまで、何人が話しかけてくれたことやら。
途中でスイカまでくれたんだから、田舎の暖かさ半端ない。
「……そういえば」
スイカで思い出した。
もらったスイカを冷やしていたんだ。
「ここに来る途中でスイカもらったんだけど、食べる?」
「スイカ? いただく」
「あいよ」
立ち上がり、向かうは台所。
俺の家の裏口から外に出ると、すぐ前に川が流れている。そこにスイカを入れて冷やしていたのだ。
冷やしていたのだが。
「……ありゃ?」
置いておいた場所に、スイカはなかった。
固定していた網はそのままあるので、流されることはないはずだが。
「おっかしいなぁ」
「どうしたの?」
こいつは待ちきれなかったのか、俺の後を追ってきたようだ。
後ろから覗きこんでくる。
「いや、ここでスイカ冷やしといたはずなんだけど」
「ないの?」
「ないな」
「どうして」
「それがわかれば、この消失事件は晴れて解決だ」
「ちがいないわ」
心底落ち込んでいるのか、目線を下におとしてしまっている。
「ああ、もしかしたら流れて行っちまったのかもしれん。ちょっと下ってみるか」
「そうね」
川下に下っていくことにした。
ああは言ったものの、この網に入れた時に、こぼれ落ちないかをしっかり確認しているので、おそらく川下に流れた可能性は低い。
誰かが持って行ってしまったと考えるのが定石ではあるけど、まあ、こいるの落胆ぶりを見てしまっては、どうにかして発見してやりたいと思う。
悲しそうな女の子をほっとくなんて、できないだろう?
「んじゃまあ、いきますか」
「見つけるわよ」
「そんなに食いたいのか」
「スイカは私の好物だもの」
「そうだったか」
「そうよ。忘れたの?」
都会の高校に言ってからというものの、ずっとこっちに帰ってきてないからなぁ。ちなみに、いまは大学いってるから、数年は帰省してない。
「うっかりしてた」
「それが『都会の冷たさ』の由縁なんじゃないの?」
「おっしゃるとおりで」
「人は変わるものね」
「人間は、いかに環境と時間に影響されるかというのがわかった」
自分でもびっくりしている。
こうも離れていると、好きな幼馴染の好みだって忘れてしまうんだと。
「案外冷たいのは、私じゃなくて君なのかもね」
「冷たい自覚があったの?」
「君が言うんだから、たぶん冷たいわよ、私。人は、自分を正当な評価で見られないもの」
「難しいこと言うな」
「簡単なことよ。『自己評価』と『他己評価』が、絶対に一緒とは限らないもの」
「つまり、『俺はできる人間だぜ!』って思っていたけど、他人からしたら『こいつ、あんまできる人間じゃないな』って思われてるよって?」
「ありていにいえばそうね」
「なんだかなぁ」
「それが人間よ」
「まあ、そうなのかもしれないけど」
とか言いながら、川下を歩いてく。それなりに歩いてたはずだけど、川にはスイカらしき影が、一切見当たらない。
汗が絶え間なく流れ、すでに背中とシャツは邂逅を果たしている。
「……くっそ、あっついなぁ」
「夏だからね」
こいつは平然と言ってのける。俺に比べて、こいつは汗をかいてるようには全く見えない。俺と同い年なのに、年甲斐なく白いワンピースなんて着ているからだろうか。それにしたって、この暑さなのに、夏という素振りを一切見せやしない。
というか、似合ってるじゃないか。ワンピース。
「あ、きみ、いまいいこと考えた?」
「っ、どういうことだい?」
「たとえば……『このワンピース、似合ってるね』って感じ?」
「アホ。年甲斐もなくなに女の子ぶってんだって思ったんだ」
「ひどい」
それにしたって。
こいつ、中学以来から、見た目がほとんど変わってないような気がするんだが、気のせいだろうか。
数年あってないんだし、成長してもいいはずでは。
身長とか胸とか。
「……あ、いま失礼なこと考えた?」
「いいえ滅相もございません」
後ろから、無言の圧力を感じる。これは、なにがあっても振り向けない……!
「たとえば、成長してないとか、胸がないとか?」
「なぜバレたし」
「やっぱり」
しまった!
「やるな……」
「何年一緒にいると思ってるの?」
「ごもっともです。しかし、何年も一緒にいるけど、お前かわらないな」
「見た目とか? 胸とか?」
「うぐっ、それはすまんかったよ……」
「誠意が見られないなぁ。おいしいスイカ、期待してるわよ」
これは、見つからなかったら買ってお詫びってことか?
くそ、スイカって、地味に高いんだぞ。
「自業自得よ。スイカでゆるしてあげるって言ってるのよ?」
「あんたは心が読めるのか」
「きみの考えてることなんて、容易に想像できるわ」
これは、『底の知れた、浅い男だな』と言われているのか? ショックだ。
「どうせ俺の人格なんて、底が知れてますよぅだ……」
「そうね」
くすくすと笑いながら、そう答えてきた。
「なぜ笑うし」
「別に」
「なんだよ、気になるじゃんか」
「どうでもいいことだと言い聞かせなさい」
「そんな殺生な」
「そんなことより、私への侮辱は晴らされたわけじゃないのよ? はやくスイカをちょうだい」
「ぐっ」
それを言われてしまったら、もうぐぅの音も出ないじゃないか。
「自業自得ね」
今日の俺は、言葉を飲み込む事しかできなそうだ。
まあ、スイカくらいで機嫌を取り戻してくれるなら――いや、お高い機嫌取りにならなければいいけど……。